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ひとひとりを背負ってぴょんぴょん跳ねるノルに、ルオンが自身の後方を指さして何かを言った。
それにうなずいたノルは、足取りも軽くチギの操る馬車に手を振りながら最後尾の馬車へと駆け寄ってくる。その間、背中に乗せられたソルはがくんがくんとゆすぶられていた。
「ノルさん! どうしてここに?」
駆けてきたノルを迎えるため、箱馬車から降りたリュリュナが声をかければノルは得意げに笑って眼鏡のつるを押し上げる。
「聞いておどろくっすよ! なんと、いまイサシロの街のなかをなぞの光が流れているっす。正体不明の光の出所をさぐるべく、おいらとソルが派遣されたんっす。特別任務っすよ、かっこいいでしょ! ついでに、副長も探すように言われてきたんっすよー」
立ち位置を無駄に斜めに構えて言うノルだが、その点について言及する声はない。
いつもであれば一声かけるはずのソルは、もともと白い顔をさらに青白くさせてノルの背中にへばりついている。
「なるほどです。それよりもソルさん、だいじょうぶですか?」
「……のりもの、酔い……」
ノルにひとつうなずいたリュリュナがソルを案じれば、弱弱しいながらも返事があった。それを受けて、リュリュナは自身が乗っていた箱馬車のなかにふかふかの布団を敷いてソルが寝られるように整えはじめる。ソルによるノルの乗り物呼ばわりについて、触れるものはいない。
「おやあ? なるほどって、それだけっすか。ノルさんすごい、かっこいー! とかないんっすかー」
早々に放っておかれたノルが、首をかしげて残念がる。その肩をぽん、と叩いたのはユンガロスだ。
「ノル、あなたはこの光をどう感じましたか」
「きれいっすよね! きらきらで、手で掬えないのが残念っす。掬えたなら瓶に詰めて、かわいいお嬢さんがたに配って歩くのに」
「……ほかには? なにも考えもせず、ただ発生源を目指して駆けてきたわけではないでしょう? すごいノルさんの頭には中身が入っているはずです。道中、観察しながら走ってきたに決まっていますよね?」
笑顔のユンガロスに見つめられて、ノルは汗を垂らす。小声で「そ、ソル! 助けてっす!」と相棒を呼ぶが、頼みの綱のソルはリュリュナに支えられて箱馬車のなかに横たわっている。駆けてきたチギが濡らした手ぬぐいを額に乗せるのに、されるがままになっているソルはまだしばらく使い物になりそうもない。
「ええええっとー……。そう! あの、この光に浸ってると、すっごく気分がいいっす! 女の子にすげなくされても、この光に浸ったらすぐに気分回復するっす!」
困ったノルはしばらく視線を泳がせていたが、はたと手を打って明るい声で元気よく応える。その曇りのない笑顔を見つめて、ユンガロスは額を抑えた。
「……まあ、良いでしょう。あなたの感覚は時として野生動物より優れていることがありますから、信じるに値します」
「あ、そうなんすよ。おいら鋭いって、よく言われるっんす! いやあ、副長にまでほめられるなんて、これは女の子たちに自慢できるっすよー」
うれしそうに笑っているノルを置いて、ユンガロスはソルの元へ向かった。
ぐったりとしているソルだが、近づいてきた上司の気配に気が付いたらしい。額に置かれた冷たい布をずらして、ユンガロスに視線を向ける。
「そのままで構いません。街のようすは行けばわかるので、報告はあとで。とはいえいろいろと気になるでしょうから、結論から言います。この光は無害です。発生源もわかっています」
起き上がろうとしたソルを止めて、ユンガロスが告げる。横になったまま、ソルが静かに目を見開いた。
「ええええ、なんっすか。おいらたちの特別任務、もう終わっちゃってるんすか? 副長の手柄になっちゃってるんすか? ずるいっすー!」
騒ぐノルをそのままに、ユンガロスはソルに向けて話を続ける。
「詳細ははぶきますが、この光はイサシロに恵みをもたらす儀式によるものと考えられます。イサシロは古くから山も海も豊かな街だと言われていますが、ここ十数年間は山の恵みも海の恵みも、ゆるやかにではありますが収量が落ちていました。それは、おそらく三十年ほど儀式が行われていなかったためではないか、とおれは考えています」
「……光は、三十年分の積もった恵み?」
「おそらくは」
話を進めていくユンガロスとソルの周りを、ノルがぴょこぴょこと動き回る。「あれー? おいらのことは無視っすかー。ひどいっすー」とくちを尖らせるいい年をした男に、構ってあげるのはリュリュナだ。
「あの、ノルさん。ここまで走ってきたんですか? ソルさんを背負って」
「そうっすよ! 下手に馬に乗るより、おいらが走ったほうが早いだろって隊長が言うもんっすから」
ぱっと表情を切り替えて得意げに笑うノルに、チギが感心して素直に声をあげた。
「え、街から!? すげえ! それも光が流れ出てからここにいるってことは、あんた馬車より早いんじゃねえか!」
「そうなんすよ! おいらはすごいんっす。一昼夜くらいなら休憩なしで走れるっす。だから馬より早いんすよ。いやあ、おいらのすごさに気づくなんて、少年は見どころがあるっすねえ」
ノルは上機嫌でチギの背を叩く。「いてっ、ちょ、めっちゃ痛え! あんた力強いって!」とチギが騒いでいるが、ノルの手は止まらない。
「そうなんすよ。おいらってば力持ちで、頼れる男なんっす。少年、街で困ったことがあったらいつでも守護隊を頼るといいっすよ。あ、なんならおいらのことノル兄さん、って呼んでもいいんすよ! 遠慮はいらないっす!」
調子に乗ってチギをばんばん叩くノルに、リュリュナは慌てて水筒を差し出した。
「ノルさん、たくさん走ったんですね。疲れてないですか? お水飲みますか。それともなにか食べたほうがいいのかな」
「わあお、やさしいっすね! おいらやさしい子、大好きっす。どうっすか? おいらの嫁に……」
チギを叩く手を止めたノルが、リュリュナの手を握ろうとしたそのとき。
すぱん、と音を立てて黒いものがノルの鼻先をかすめた。
固まったまま目の前のものを見つめたノルは、それがユンガロスの背中から伸びた黒い羽根だと気づいて、背中に汗をにじませる。
「そろそろ出発しようと思うのですが、ノルはどうやら走り足りないようですね?」
「えっ! あ! いやその、おいら純粋に、やさしい子が好きなだけで、別に下心があったわけじゃ……」
「下心が、なんですって?」
優美に微笑みながら冷たい目を向けてくるユンガロスに、ノルはすぐさまくちをつぐんで姿勢を正した。
「おいら、走るの大好きっす! 馬車の先導、させていただきまっす!」
叫ぶように言ったノルは、ユンガロスの視線から逃れるようにすぐさま踵を返して駆け出した。ほんの瞬きするあいだにノルの姿はルオンの馬車の前に移動する。
「……ノル、思慮不足」
やや回復してきたソルがつぶやいたころには、ノルはすでに遠く離れたところで元気に「出発するっすよー!」と声をあげていた。




