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四人は坂道をくだっていく。
いまだ大岩から流れ出る光は収まらず、坂の真ん中を音もなく流れ落ちている。光の雫を跳ねさせながらきらめき流れていく光の筋の横を歩く四人の足取りは、遅い。
ユンガロスはリュリュナに形ばかり支えられて、彼女の足取りに合わせているためにゆったりとした足運びになっている。
村長は、村に光が流れ込む光景が相当こたえたらしい。チギに半ば抱えられるようにして、ようやくよろよろと歩いていた。
ただでさえゆったりとした歩みを止めたのは、リュリュナだった。
「どうしました、リュリュナさん。おれの腕が重たかったでしょうか」
ただでさえ体重をかけないようにしている腕が重たいはずもないが、ユンガロスは心配げに身体を引こうとする。それをとどめて、リュリュナは空を指さした。
「桜が……」
リュリュナの示した空には、桜の花が咲いていた。
ほんの少し前まで、村人みんなで宴会をしていた桜の木だ。祭りを行う基準にしている桜の開花状況について、まだ五分咲きだけれど、と村長がくちにしたのはつい昨日のこと。
さきほど、飲み食いしながら見上げた桜も、ぽつりぽつりと花が見られる程度であったのに。
「満開じゃねえか。どうなってんだ!」
坂のなかばで桜を見上げたチギが驚きの声をあげる。
五分咲きであったはずの花が、満開になっていた。枝垂れた枝についたつぼみが余すところなく開いた様は、薄桃色の花が天から流れ落ちているかのようだ。
黒い木肌にぶつかった光の流れがはじけて、淡い桃色の花のそばできらめいては幻想的な光景を見せていた。
「なんて、きれい……」
「なんなんだ、この光は。こんなのが流れこんで、村はどうなってるんだ」
陶然と見上げるリュリュナの横で、村長が呆然とつぶやく。いくぶん足取りを速めた四人が坂をくだり、村を見下ろせる山のふちに立ったとき、そこにあった光景は彼らの目を見開かせるのにじゅうぶんだった。
村が、輝いていた。
すり鉢状になった村は、大岩から流れ出た光に満ちて金色にきらめいていた。その金色のなか、大地は淡い緑で覆われ、春色の若草のあいまには色とりどりの花が咲いているのが見える。
いくぶん、冬の名残を感じさせていた村はすっかり春に染まっていた。
「あ、誰か手を振ってる」
つぶやいたのはリュリュナだった。
色にあふれた村の畑があるあたりで、手を振るひとの姿が見えた。ひとりではない。よく見れば、あちらに数人、こちらにも数人と村人たちがあたりの変わりように驚きながらも、楽し気に手を振っている。
「この光、おぼれたりしねえのか」
ゆるゆると手を振り返しながらチギがつぶやけば、その横で村長がほっと息をついてしゃがみこんだ。かと思うと、急に立ち上がり村へと下る坂を駆け降りていく。
「お、おい、村長! どうしたんだよ!」
「全戸まわってみんな無事か、確認する! チギ、手伝え!」
走りながら叫んだ村長をチギが慌てて追いかける。猫耳を生やしているだけあって、チギは細く険しい傾斜を平地と変わらぬ速度で駆けて、すぐ村長に追いついた。
「ユングさん」
「ええ。行きましょう」
ふたりを見送ったリュリュナが振り仰げば、なにも言わないうちからユンガロスは微笑んでうなずく。
「リュリュナさんもご家族が心配なのでしょう。あのふたりはおそらく村長の家に近い箇所から回るでしょうから、おれたちはまっすぐリュリュナさんの家へ向かいましょう」
そう言うや、ユンガロスはリュリュナの肩に回していた自身の腕をするりと抜きとった。
心配そうにユンガロスを見上げていたリュリュナの目が、ぱちくりと開かれる。
「支えていただいたおかげて、おれも自力で走れる程度には回復しましたから」
チギがこの場に残っていれば「うわ、ぜったいこいつ最初から余裕だったんだぜ。支えなんか無くても歩けただろ!」と軽蔑の眼差しを向けたか、あるいは「すげえな。そこまでさらっと嘘つけるのは、むしろ感心するぜ……」とでも言っていただろう。
しかしリュリュナは急にしゃきりと自力で立つユンガロスを見て、ほっと息をつき顔を輝かせた。
「良かった! でも、無理はしないでくださいね。この村にはお医者さまなんていないから、もし倒れられてもゆっくり寝かせるくらいしかできないので」
「それはまた……では、おれはゆっくり歩いて追いかけますから。リュリュナさんは先に向かってください」
笑顔でうながしたユンガロスだったが、対するリュリュナの表情はくもっている。
眉をへにゃりとさげたまま眼下の村を見て、ユンガロスを見て、もう一度、村を見下ろしたリュリュナは笑った。
「ううん、ユングさんもいっしょです。大切なお客さまを放って帰ったら、みんなに叱られちゃう。それに、ユングさんひとり残して行けません」
憂いを吹き飛ばし、にぱりとちいさな牙をのぞかせて笑うリュリュナはユンガロスの手を取り、斜面に足を運んだ。
とぷん、と音はしなかった。けれど村のある谷を満たした光が、踏み入れた足の周りで跳ねおどる。
「水みたい、だけど……」
思わず脚を止めたリュリュナの手を引いて先に立ったのは、ユンガロスだ。
「おれは先ほど頭まで浸かりましたが、息もできましたよ。視界がすこし眩しいかもしれませんが」
言いながら足を進めるユンガロスに促されて、リュリュナもとぷとぷと光を揺らめかせながら傾斜を降りていく。
いくらもしないうちにリュリュナは肩まで光のなかに沈み、意を決して頭までとぷんっと光のなかに潜り込んだ。
「わあ……!」
光のなかから見る景色は、見下ろしていたよりもさらに美しかった。きらめく光は視界をさえぎりはしないのに時折、きらり、ぱちりとはじけるような光が宙を舞う。
それでいて、いつもの澄んだ空気と変わりなく、呼吸ができる。髪の毛や服の裾も浮き上がったりはしない。
「不思議なものですね。声も問題なく聞こえるのですか」
「あ、ほんとだ」
同じくとぷりと光に沈んだユンガロスのことばで、リュリュナはふたたび目を丸くした。思わずもらした自身の声も、くぐもることなく耳に届く。
「ほんとうに、不思議。この光って、なんなのでしょうね」
首をかしげながらもリュリュナは家を目指して歩き出す。その足は、間違いなく地についていた。水底を歩くような不安定さもなく、身体が浮き上がることもない。
「うーん、ある程度の推測は立てていますが。おれの推測を話すのは後にしましょう。まずは村のかたたちの様子を見に行きましょう」
光のなかに入っても大丈夫だとわかっても、やはり目で確かめるまでは不安が残る。
ふたりは心持ち急ぎ足で、谷の底を目指して歩きだした。




