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 かたん、と閉じた店の扉を見つめて、立ち止まる人影があった。

 リュリュナが警戒した足音の持ち主は、もうすぐそこまで来ていたのだ。


 墨色の長髪をゆるく編んだ人影は、すらりと背が高い。黒い着流しに紋付の羽織を肩にかけた男の側頭部には、背後に流れるように生えた角がある。リュリュナが目にしていたならば、立派な山羊の角だと目を丸くして見上げただろう。


「ユンガロスさま~、そろそろ帰りましょうよ~」


 立ち止まった山羊角の男、ユンガロスを追って噴水の広場に出てきたのは、彼の部下である青年たちだ。

 ひとりは短い二本角を生やしたにぎやかな男。上司を気軽に名前で呼ぶ彼は「巡邏なんて下っ端に任せときゃいいんすよ~」とはばかることなく言う。


「ノル、そのように言うものではありません。巡邏がいることで、街の治安が維持されるのです」


 ユンガロスはそうたしなめながらも、青年ノルのあけすけな物言いを咎めることはない。他の上司であれば叱責ものであるが、ユンガロスはノルの奔放なところも嫌いではなかった。ノル自身もそれをわかって、ユンガロスといっしょのときには格別に気を抜いた振る舞いをする。


「寒い。眠い。帰りたい」


 気の抜けたノルの後ろからひょこりと顔を出してつぶやくのは、もうひとりの青年、狐面で右目を隠したソルだ。鶯色の髪に青い左目がきらめく美青年である。

 

「ソル、綿入れを羽織ってきなさいと言ったでしょう。隊服の規定はそう厳しくないのですから、自分で調整しなければなりません」


 背中を丸めてノルの背に隠れるソルに、ユンガロスが静かに言う。

 巡邏の仕事を請け負っているものの、ユンガロスたちは街を練り歩き犯罪を抑止する巡邏よりも上に位置する街の守護隊の所属だ。

 巡邏を含めた守護隊員には支給品として和服が配られるほか、裕福なものの多い守護隊では式典時以外には和装であれば形状、色等を問わないというお達しがあった。


 そのお達しを元にノルなどは、上には襟付きのシャツにしたは袴という、規定ぎりぎりの恰好をしている。

 「書生風っすよ。眼鏡もかけて、おしゃれっしょ。頭良さそうに見えるっしょ~」と頭の悪そうなことを言って歩く彼の横で、寒がりのソルは着流しに羽織、手袋と足袋を身につけて重装備だ。

 それでも寒がるソルだが、いくら言われても綿入れは身動きが取りづらいと、嫌がってはまた寒がっている。


「ユンガロスさま、まるで母親じゃないっすか。見た目は美男子なのに、もったいないっすよ~」


 怖いものなしのノルは、アンダーリムタイプの眼鏡をかけてなお軽薄に見える顔で笑う。


「せっかくの美男子なんだから、その黒眼鏡も外しちゃえばいーのに。もってもてっすよ」

「ノル」


 軽い口調で言ったノルの名を呼ぶユンガロスは、先ほどまでと違ってぴりりと強い。

 しまった、とくちを手で押さえた部下を見つめるユンガロスは、静かに告げる。


「俺のこれは、そうそう外せるものではありません。あなたも知っているでしょう。いたずらに民を怯えさせる必要もありません」


 そう告げたユンガロスの顔を隠すのは黒眼鏡、リュリュナに言わせればサングラスだ。

 陽が落ち、暗くなってなおユンガロスはサングラスを外さない。その理由を知るノルは、自分の後ろでこくこくとうなずいて「ノル、軽率。だめ」とつぶやくソルをちらりと見て、肩をすくめた。


「はいはーい、すみませんっした。ユンガロスさまは黒眼鏡してても、おモテになりますもんねー。そろそろ、婚約者のひとりやふたり決めないんっすか」


 ひらりと話題を変える部下にユンガロスはくち元を緩めた。

 軽率な発言も多いノルだが、怯えることも距離を取ることもせずに居てくれる彼の存在をユンガロスはありがたく思っている。その後ろにくっついて自分をまっすぐ見つめてくれるソルも、もちろん大切に思っていた。


「婚約者は幾人も要りませんよ、ノル。それに、昨今は街の治安が良いとは言いがたい。このような状態で好いた惚れたなどとしている暇はありません」

「ユンガロスさまわかってないっすね〜。恋ってのはするんじゃなくて落ちるもんっすよ」

「ノル」


 まじめに話す上司を茶化すように言うノルは、背中に隠れる同僚のソルに名を呼ばれてふたたび肩をすくめた。

 くちに出しこそしなかったが、正面からはユンガロスも物言いたげな視線をノルに送っている。


「わかってますって。街の治安が乱れないように、おいらたち守護隊が見回りしてるんっすよね。それが力持つ物の務め、ってね」


 笑いながらもユンガロスの教えをくちにしたノルは、ソルを連れて次の通りへと足を進める。


「でも、もしもユンガロスさまの婚約者候補で強くてやさしい庶民的なひとを探してるお嬢さんが居たら、ぜひおいらのこと思い出してくださいね。よろしくお願いするっすよ〜」

「そうですね。機会がありましたら、伝えましょう」


 調子よく言って歩き出すノルに答えたユンガロスは、部下の背を追いかけて、ふと足を止めた。

 ちいさな人影が入っていった店の戸は、開く気配がない。これだけの時間を立ち話していたにも関わらず出てこないのならば、さきほどの人影は目的を持ってこの店に入っていったのだろう、とユンガロスはほっとした。


 ーーー迷子でないのならば、良かった。


 そう思いながらも、黒眼鏡ごしの視線を向けて店の位置を記憶しておく。

 先に行ったノルとソルを追うためからり、と下駄を鳴らしたユンガロスは、店の位置とともにただよう甘い香りも覚えて巡邏に戻った。

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