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 ゼトとヤイズミの姿が見えなくなるころ、ナツメグが不意に立ち上がった。


「あらあ、こんなところに……!」


 歓声をあげていそいそと履き物をはいたナツメグは、敷物から離れて広場の隅に足を運ぶ。

 どうしたのか、とリュリュナとユンガロスが見守っていると、ひょいとしゃがんだナツメグがくるりと振り向いた。その手には、やわらかな緑の葉が揺れている。


「ほら、よもぎの葉っぱがあったわあ」


 摘んだばかりのよもぎをリュリュナに渡して、ナツメグは持ってきた風呂敷を広げている。あたりを見まわしたナツメグの目が、きらりと光った。


「ほかにも食べられる野草がありそうね。山菜もあったりするかしら。わたしちょっと、見てくるわねえ」

「え、はい。あの、気を付けて!」

「ありがとう。リュリュナちゃんと副長さま、ふたりで仲良くお片付け、お願いしますね~」


 片付けと言うほど散らかってはいないけれど、ナツメグは律儀にひとこと断ってから「お夕飯が豪華になるわあ」とうきうき歩き出した。

 彼女にはあたりの緑が食材の宝庫に見えているらしい。おっとりした動きながらも次々に獲物を見つけて摘み取っては進むナツメグの姿は、すぐに見えなくなった。


「……行っちゃった」

「ふふ、楽しい方ですね」


 ナツメグの背中を見送ったリュリュナがつぶやくのに、ユンガロスが笑う。

 リュリュナは敷物にちょっこりと座り直すと、受け取ったよもぎを重ねた重箱のうえに置いてうなずいた。


「はい。とってもやさしくて、たくさん良くしてもらってます」

「それはそれは……妬けますね」

「へ?」


 イサシロの街に来てからずっと、ナツメグにもらったたくさんの親切を思い出しながらほほえんでいたリュリュナは、おだやかな声で応じたユンガロスのことばを拾い損ねて目を丸くした。

 敷物に膝をついて空になった器を集めていたユンガロスが、リュリュナをじっと見つめている。リュリュナが片付けをする手を止めて仰ぎ見たユンガロスは、いつものようにゆったりと笑ったままくり返す。


「リュリュナさんがだれかを慕っているさまを見るだけで、妬いてしまいます。どうやらおれは、自分で思っていた以上に心が狭いようです」

「ひょえ!」


 言いながらユンガロスはこつり、とリュリュナと額を合わせてきた。ぶつからないようにか黒眼鏡がすこし下げられているために、いつもは隠れているユンガロスの赤い瞳がリュリュナを覗き込んでいる。

 至近距離でまっすぐに見つめられて、リュリュナは妙な声をあげてしまう。

 リュリュナは顔を赤くしてうろたえているけれど、それでも逸らされないでいる視線に、ユンガロスは赤い瞳をとろけさせるようにして笑った。


「ゆ、ユングさま?」

「あなたがおれの名を呼んでくれることをうれしいと思います。同時に、おれだけ呼称に距離があるように感じて、さみしくもあるのです」

「え、ええと?」


 なんのことを言っているのだろう、と戸惑うリュリュナにユンガロスはささやいた。


「ユング、と呼び捨ててはもらえませんか」

「そ、れは、そのう……」


 ユンガロスの懇願するような視線にうっかりうなずきかけるリュリュナだったが、寸でのところでことばを濁して返事をためらう。ほんの少し身体を引いたリュリュナは、わずかに離れた距離のぶんだけ気持ちを落ち着けて、ユンガロスの願いごとについて考えた。

 年の割に小柄で幼く見られがちなリュリュナが、街の守護隊で副長を務める立派な青年を呼び捨てる。そんな光景を想像したリュリュナは、困った顔をしながらぷるぷると首を横に振った。


 呼び捨ては無理だ、そんな意味を込めたリュリュナの視線に、ユンガロスは再度すがる。

 

「では、せめて『さま』ではなく『さん』と」

「ええと、ユングさん、ですか?」


 先ほどよりは難易度が下がったお願いに、リュリュナは言われるままに応えた。

 途端に、ユンガロスがうれしそうに笑う。いつの間にか元に戻された黒眼鏡の向こうのユンガロスの瞳が、うれしそうに細められる。


「はい、ありがとうございます。実は、ヤイズミ嬢があなたと対等に呼び合っているのを聞いたときから、うらやましく思っていました」

「えっ、そうだったんですか」


 照れも見せずに「うらやましかった」とくちにするユンガロスに、リュリュナは目を丸くした。

 大人は、特に身分ある大人は自身の感情を取り繕うものだと、それは前世でも今世でも変わらないものだとリュリュナは思っていたのだ。

 それなのに、ユンガロスはためらいもなく胸のうちを明らかにする。


「どうして……」


 どうしてなのか。思わずリュリュナのくちをついた疑問に、ユンガロスはゆるりと首をかしげて笑った。自分のなかに見つけた答えがうれしいと言いたげに、笑って答える。


「リュリュナさんがおれに正直でいてくれるから、でしょうか」

「あたしが?」

「ええ」


 ゆっくりとうなずいたユンガロスは、リュリュナに合わせて屈んでいた姿勢を正してきちりと座る。


「あなたはおれの姿かたちをまっすぐに褒めてくれました。おれの瞳を見ても怯えないでいてくれました。おれ自身が信じられないおれを信じたいと言ってくれました」


 自分の思いを確かめるようにことばを紡いだユンガロスは、胸に抱いた気持ちを拾い上げてはくちにする。


「おれは、もっとリュリュナさんのことを知りたい。あなたがいつかおれを選んでくれるそのときまでに、今よりもっともっとあなたのことを知って、もっとあなたを好きになりたいのです」


 拾い上げたそのままの飾らない気持ちをぶつけられて、リュリュナは爆発するかと思うほど体中が熱くなった。

 真っ赤になったリュリュナは思わず正座したひざに両手をそろえて、叫びだしそうなくちをむぎゅうと引き結んで耐える。

 

 肩を強張らせて、赤い顔をしてかちこちに固まるリュリュナを見て、ユンガロスは「ふふふ」と楽しそうに笑った。


「そんなに身構えないでください。あまりかわいい姿ばかり見せられては、おれの我慢が利かなくなってしまいます」

「ふひゃっ!」


 笑顔のユンガロスにささやかれて、リュリュナが正座したまま飛び上がる。

 湯気でも出しそうなほど真っ赤になったリュリュナに、ユンガロスはくつくつとのどを鳴らした。けれど赤い顔をしたリュリュナが涙目でにらんでいることに気が付くと、笑いを引っ込めて微笑む。


「そういうわけなので、リュリュナさんの故郷の話を聞かせてください。家族のことでも、村のことでもなんでも」

「ふえ。ええと、ええと」


 急に話をふられて、混乱のおさまらないリュリュナはことばにつまる。

 その様までも愛おしいと言わんばかりに目を細めたユンガロスは、リュリュナの頭に舞い降りた花びらをつまんでふっと宙に飛ばした。


「リュリュナさんの故郷に桜の木はありましたか。山のほうならば、まだ咲くにはすこし早いでしょうか」

「あ、ありました! 村の一番高いところに大きな桜の木!」


 リュリュナは恥ずかしさを振り払うように、ユンガロスのくれた話題に飛びついた。

 ユンガロスがうなずいて先を促すのに従ってリュリュナは続ける。


「たぶんそろそろ咲き始めてるかな? 満開になったらお祭りをするんです。村のみんなが木のしたに集まって、ちょっぴりだけ豪華な食べ物が並んで」

「ほう、祭りですか」

「はい。毎年そのときだけお菓子が食べられるから、みんな楽しみにしてるんです。お菓子って言っても干しいもとかなんですけど……」

「それが、リュリュナさんたちの特別な菓子だったのですね」


 干しいもなど、街の者からすれば珍しくもないものだろう。それでも笑わずに聞いてくれるユンガロスに、リュリュナはうれしくなってにっこり笑う。


「はい。でも今年はもっとおいしいもの、みんなに届けられるといいなあ」

「そのためにリュリュナさんはいつも頑張っているのですね。あの、猫耳の少年も」


 つぶやきを拾ったユンガロスがリュリュナの頑張りを褒めるかのように微笑んでくれた。おまけのようにチギのこともくちにするものだからリュリュナはうれしくておかしくて、にこにこ笑いながら「はい」と答える。

 笑い合うふたりの距離は自然と近づいて、けれどさきほどの恥じらいは見当たらなくなっていた。

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