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まんじゅうを蒸すのは簡単そうに見えて、なかなか難しかった。なにせ、ここには時間を計る道具がない。時間の経過は街のなかにある鐘楼の音が教えてくれるが、一刻に一回鳴ったところでまんじゅうを蒸す時間を計ることはできやしない。
「んむむむむ……いまだ!」
かまどに置いた蒸し器をじっと見つめていたリュリュナは、機を逃すまいと素早く手を伸ばして蒸し器のふたを取った。
途端に、ぼわあっとたちのぼる白い湯気。その向こうにあるはずのものに、リュリュナは目をこらす。
一気にあがった湯気が晴れて、蒸し器のなかに鎮座するものが見えてきた。ましろくつやりと輝く、しっとりしたそれは、ふっくりと膨れている。
「……ふっかふかです!」
ぱあっと輝く笑顔にちっちゃな牙をのぞかせて、リュリュナがナツメグを振り仰いだ。
その笑顔についついつられて微笑みそうになったナツメグだが、顔をきりりと引き締めて真剣な顔で蒸し器のなかのまんじゅうを見つめる。
「割れはないわね。包むのがじょうずになったのと、蒸し時間をしっかり見極められたからね」
「えへへへ」
「でも、ここ。となりのおまんじゅうとくっついちゃってるのがあるわ」
「ああっ!」
ひとつ褒められて喜んだリュリュナだが、すぐに指摘を受けて残念そうな声をあげた。
言われてのぞけば、並んだまんじゅうのなかに、ふっかりとふくらんでくっついているものがある。無理に引きはがせば皮が破れてしまうため「これはお昼ごはん行きね」とナツメグによって皿に乗せられてしまう。
「並べるときにもうすこしだけ離して置いたほうが、良かったわねえ。それができたら、もう言うことないわ」
「ううう、難しいです。せめて蒸す時間が計れたら……あ! 砂時計なんてどうですか? 決まった量の砂を細い穴から落として、落ち切るまで蒸せばちょうどいい時間になるようにして」
良い案だ! と目を輝かせるリュリュナに、ナツメグはほほに手を当てた。
「それって、同じ時間の長さしか計れないのかしら。だったらおまんじゅうの大きさを全部ぴったり同じにしないといけないわねえ」
「うっ、そうですね……」
時間も計れなければ、材料の計量をする道具もない。金を出せばてんびんを買うことはできるらしいが、たいそう良いお値段がするうえにナツメグもゼトも必要としていないのだ。
大まかな分量は枡や木さじを使えばできると言うし、水加減や生地の分量などは指先の感覚で事足りている。
ナツメグたちの技を習得するには、リュリュナも身体で覚えるほかないようだった。
「でも、リュリュナちゃんは上達が早いから教え甲斐があるわあ。おまんじゅうを包むのははじめから上手だし、一生懸命覚えようとしてくれてるのがよくわかるもの」
「うう。でも、ひとつうまくいってもまたどこかが失敗しちゃいます」
「そんなの、誰だってはじめはそうよ。これからもときどきこうやって手伝っていれば、きっとすぐにひとりで任せられるようになるわあ」
うふふ、と笑うナツメグに、リュリュナは「そうなるように、がんばります!」と拳をにぎる。
客が途切れて退屈したチギが、そんなほんわか空間にゆるみそうになる口元をせっせと引き締めていた、そのころ。
ゼトは武家屋敷が並ぶ一画の端、港にほど近い屋敷の前で腕を組んで立っていた。
閑散としている武家屋敷のある通りだが、その端に位置するこの屋敷はきっちりと整備されていた。土塀は白くまぶしいほどで、ほのかな潮の香りを楽しみながら美しく手入れされた庭を眺めるのは、きっと心地よいだろう、と思わせる。
けれど、いまのゼトに風景や香りを楽しむ余裕はなかった。屋敷の外、きっちりと閉められた門の前で不機嫌に顔をしかめていた。
「だから、おれはナツ菓子舗のゼトってもんだ。出てきてくれなんて言わねえから、ヤイズミさまに伝言んを頼みてえんだ、って」
何度目かのゼトの訴えに、門を守っていた男はしぶい顔をする。
「そうは言ってもな。こちらも、素性の知れない者のことばを気安くお嬢さまのお耳に入れるわけにはいかんのだ。どうしても、というなら紹介状なりなんなり持ってきてくれれば」
「だーかーら! ナツ菓子舗のゼトだ、って言ってもらえればわかるはずなんだよ。第一、紹介状なんてまだるっこしいもん、ただの商売人が用意できると思ってんのか!」
門番の男は触れないが、おそらくいま白羽根の家では先日の城跡での件のせいで警戒が厳しくなっているのだろう。リュリュナの弁護によりヤイズミの侍女フチの処遇は厳重注意で済まされたが、大変な事件になりかねないことに侍女が関与していたのだ。
情報の漏洩を防ぐ意味でも、事前連絡のない訪問者への警戒が厳しくなっているのは当然だろう。
けれど、それは元貴族や大商人間においての当然だ。
一介の商売人に過ぎないゼトにとってはそんなことより大事な問題があって、門番もゼトも引かないまま、問答ばかりが続いているのだった。
「いや、そりゃそうなんだが、そう胸を張って言われてもなあ……」
気の長い門番の男がゼトの態度にいい加減、呆れて頭をかいていると不意に、閉ざされていた門がぎ、ときしんだ。
何事か、と門番が振り向いた先で重たい門はぎぎぎと内側に向かって開いていく。
門扉が来訪者を迎え入れるかのようにすっかり開いたその先に、立っていたのは白髪をさらりと流した美しい女性。ヤイズミだった。
「あ、姫さん……」
思わずこぼしたゼトの声に、ヤイズミは地に投げていた視線をぴくりとふるわせる。けれど、視線をあげることはないまま、ちいさくくちを開いた。
「どのようなご用件でしょう」
門の内と外とに分かれて立つふたりの距離は、近くない。それでもどうにか聞こえる程度の音量で問うヤイズミの声は、その表情と同じくずいぶんとかたい。
けれど、それを耳にしてゼトはおだやかに応える。
「姫さん、リュリュナはなんも気にしてねえぞ」
ゼトの声を聞いて、ヤイズミの顔が強張った。そのようすを見て、ゼトはやっぱりな、と胸のうちでため息をつく。
「あんたのとこの侍女がしたこと気にして、やっぱりリュリュナに合わす顔がねえ、とか思ってんだろ」
何でもない調子で言うゼトに、今度は門番の男がぎょっとなった。守護隊と被害者以外には他言されていないはずの事柄を知っているらしいと知って、いつでもゼトを止められるように、と身構えていた門番の意識が思わずヤイズミに向く。
ゼトと門番が見つめる先で、ヤイズミは握ったこぶしを震わせてうつむいていた。
「……リュリュナさんは許してくれましたけれど。でも、フチが大変なことをしでかそうとしたのは本当のことです。いいえ、しでかしたのだわ。それなのに、わたくしがリュリュナさんの前に立つだなんて……」
城跡での一件以降、ヤイズミがナツ菓子舗を訪れたのは謝罪のときだけだった。一度はユンガロスに伴われてリュリュナと改めて友だちになったと思っていたが、それ以降、ナツ菓子舗に姿を見せることはなかった。
白羽根家から公にできないながらも謝罪の旨が伝えられたときにも、やってきたのは白羽根の当主であるヤイズミの父親だけだった。
もしやひとりで考え込んで、身動きがとれなくなっているのではないかと危惧していたゼトは、思ったとおりの状況に苦笑した。
「やっぱり、姫さんひとりで考え込んでたな。でもな、リュリュナは姫さんのこと待ってるぜ」
「!」
ゼトのことばに、ヤイズミははっとして顔をあげる。ヤイズミの頭のなかでは、ちいさな少女が笑顔とともに自分の名を呼ぶ姿が浮かんでいた。
「きのう、新しい食材を手に入れたんだけどよ。ヤイズミさまがいたらもっとおいしいお菓子がつくれるのに、って。あいつ、表通りを眺めてたんだぜ」
「そん、な……」
ヤイズミが罪悪感におぼれて引きこもっている間も、リュリュナはヤイズミの訪問を楽しみに待っていてくれたのだ。そわそわと引き戸から顔を出しては表通りを見て、しょんぼりと引っ込むリュリュナを想像して、ヤイズミの胸は申し訳なさとともにじわじわと熱くなる。
真っ白いほほにゆっくりと朱がさしていくのを見て、ゼトはにかっと笑って一歩踏み出した。はっと気づいた門番が伸ばした手をすり抜けて、ゼトはヤイズミの正面に立つ。
「リュリュナだけじゃねえ。ナツ姉も、おれも、姫さんが来るの待ってるんだ」
「そんな、でも、わたくしは……」
「姫さんに手伝ってもらいたいことがあるんだ。というか、手伝ってもらわねえと菓子がつくれねえんだ。な? 頼むから、いっしょに来てくれよ」
なおもためらうヤイズミの手を取って、ゼトは軽く引いた。
ヤイズミは戸惑いながらも逆らわず、歩き出したゼトに連れられておずおずと進みだす。
お嬢さまが自らゼトに付いて歩くものだから、門番は手をだしたものか否か迷い、おろおろとふたりを見守っていた。
「ほん、とうに? 本当に、わたくしは行っても良いのでしょうか。だって、フチのことだってまだ……」
「白羽根の家のなかのことは、おれらにゃわかんねえ。でも、あんたに元気がないってのはおれたちにだって関係あるんだ」
言ってから気恥ずかしそうに頭をかいたゼトは、意を決してことばを続ける。
「落ち込んだときは、励まさせてくれよ。悩んでるなら吐き出しに来いよ。どうしていいかわかんなくても、とりあえずいっしょに菓子をつくろうぜ。そしたら気持ちも晴れるかもしれねえからな!」
にかっと笑ったゼトの顔を見上げたヤイズミは、見開いた青い目からほろりとしずくをこぼした。
透明なしずくが、ほろりとこぼれて地におちる。
「おわあっ! 悪い、ことばがわるかったか!? おれ、くち悪いんだよ、申し訳ねえ。なにが悪かったんだ!?」
途端に、慌ててあやまりだすゼトに、ヤイズミは涙をこぼしながらも笑った。ふふふ、とうれしそうに笑いながら涙をぬぐって、ヤイズミはくるりと振り返る。
「わたくし、すこし出かけて参ります。帰りもゼトさんに送っていただきますから、家人に伝えておいてくださいな」
「は、はあ……」
間抜けた返事をかえすのがやっとだった門番は、遠ざかっていくふたりの背中をぼんやりと見送ったのだった。




