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チギとルオンを見送り、菓子舗の店内にわずかな沈黙が落ちる。
その静寂をやぶりはじめに動き出したのは、ユンガロスだった。
ひょい、とリュリュナを抱えて腕に座らせたユンガロスは、ナツメグとゼトに断って板間に腰かける。ユンガロスの手がひざにのせたリュリュナの足に伸びて、履物をするすると脱がせた彼はにっこり笑う。
「え? あの?」
突然のことにおろおろとあたりを見回すリュリュナだが、ゼトはそそくさと食器を手に台所へ行ってしまった。ナツメグは「うふふふふふ」と笑いながらどこかへ消えていく。
どちらも、声をかける間もない素早い動きだった。
ひざから下ろしてもらおうにも、腹に回された腕がやさしくもしっかりとリュリュナを囲い込んでいて、動けない。身動きがとれず、助けを求める相手もなくしたリュリュナにできるのは、おそるおそるユンガロスの顔を見上げることだけだった。
ひざに乗せられているせいで、顔が近い。
ほほえみを浮かべる端正な顔がまじかにあって、思わず顔に熱が集まるリュリュナだったが、ユンガロスの目が笑っていないことに気が付いて背筋が冷えた。
「リュリュナさん」
顔は熱く、背中は冷えているというちぐはぐな状況に追いやられたリュリュナに、ユンガロスはにこりと笑ってやさしい声で名前を呼ぶ。
視線をそらすこともできなくなったリュリュナは、戸惑いながらもどうにか声を絞り出した。
「あの、ユングさま……なぜ眼鏡をはずしてるんですか」
「あなたの顔をはっきり見たいからです」
なぜか黒眼鏡をはずしたユンガロスが、赤い瞳でじっとリュリュナを見つめている。
どうしてこのタイミングで黒眼鏡をはずす必要があったのか。問うリュリュナに、ユンガロスの答えは簡潔だ。
先日の城跡での一件以降、ユンガロスの態度があまりに明け透けなものだから、リュリュナは今度こそ顔を赤くしながらも戸惑いを強くした。
けれど、リュリュナが何かを問うよりも早く、素顔のユンガロスがくちを開く。
「遠慮しないことにしたのです。先日も言いましたが、おれは大切なひとと共にある未来を望みます。そして、その大切なひとはあなただと思っています」
「ふえぇ」
明らかな告白に、リュリュナの戸惑いは臨界点を超えて混乱に至った。
リュリュナの生涯、前世と今世とを合わせても、これほど直接的で生涯に渡る告白を受けたことはなかったのだ。女子高生であった前世で交際をしたことはあったが「付き合おっか」「うん」といった軽い感じであった。日々の暮らしに精いっぱいである今世においては、そんな段階にもたどりついていない。
そこへ、このユンガロスの発言である。
なんと返したものか、自身の淡い気持ちで返事をしていいものか、リュリュナは悩む。ユンガロスを素敵だと思う気持ちこそあるものの、それは年上のかっこいいお兄さんを慕う程度のものでしかなかった。
ぐるぐると目を回しかねないようすで悩むリュリュナの頭を撫でて、ユンガロスは微笑んだ。今度こそ、やさしく目を細めた笑みを浮かべて。
「答えは急ぎません。その代わり、明確に断られるまではおれも全力で当たらせていただきます」
「はひっ!」
顔を赤くして、まとまらない頭でせいいっぱいの返事をするリュリュナに、ユンガロスはさらに笑みを深めた。
「というわけで、まずリュリュナさんにお願いと訊ねたいことがあるのですが」
「はい?」
「おれも三つ編みにしてください」
「……はい?」
なんだろう、と意気込んでいたリュリュナは、思わず間抜けた声を上げてしまう。
ぱちぱちと瞬きしながら見つめたユンガロスの髪は、すでにゆるい三つ編みに編まれている。
―――これを、編みなおすの?
「もう、きれいに編まれてますけど……」
「あなたの手で、やってもらいたいのです」
「はあ。櫛なんて持ってないんですけど……」
「手櫛で構いません。お願いします」
よくわからないながらもリュリュナはひざから下ろしてもらい、ユンガロスの背にまわった。段差のあるところに腰かけたユンガロスの髪を結うために、リュリュナは彼のうしろで膝立ちになった。
ほどいた髪に指をさしこめば、さらりと流れる。すこしツンツンしているチギの髪とちがって、ユンガロスの髪はやわらかい。
チギの髪をユンガロスのように編めば、三つ編みの端々から髪の毛がピンピンと飛び出るだろうな。リュリュナはそんなことを思いながら、ユンガロスの髪をゆるく丁寧に編みなおす。
かけ直した黒眼鏡のつるがすこし邪魔だが、きっちり結ぶわけではないのでそこまで気にならない。
「ところで、さきほどの少年は何者でしょう。ずいぶんと親しげでしたが」
おとなしくリュリュナに髪をあずけたまま、ユンガロスがおだやかな声で話し出した。
ちょうど思い浮かべていた人物の話が出たことで、リュリュナはすこし笑いまじりに答える。
「あの猫耳の子ですね。彼はチギ。同じ村から出てきた、あたしの幼なじみです」
「ほう、幼なじみ。それであの距離感、ね」
「えへへ。生まれたときからいっしょに過ごしてるから、家族みたいなものなんです」
ユンガロスの後頭部を見ながらリュリュナがそう答えたとき、ゼトが台所から顔を出したのだが、なにかを言うでもなくすぐに引っ込んでいった。ゼトの手にあった茶器が、がちゃがちゃと音をたてるのが聞こえる。
リュリュナの視界の端に映ったゼトはやけに慌てており、なにやら顔を青くしていたように見えた。
―――どうしたんだろう……お茶菓子を切らしてたのかな?
不思議に思いながらも、リュリュナはユンガロスの髪を結い上げた。仕上げに髪紐でまとめあげれば完成だ。
「はい、できました」
そう言って、いつものくせでユンガロスの背中をぽんと叩いてから、リュリュナは慌ててその手を引っ込めた。
「あわわ! ごめんなさい! チギの髪を結ったときのくせで、つい……!」
年上で、街の要職についているひとの背を気軽に叩いてしまったこと謝るリュリュナだったが、ユンガロスは「気にしないでください」と笑ってリュリュナをなだめた。
くちもとでは笑いながらも、ユンガロスの目は笑っていない。
ユンガロスが「つい、くせで、ね……」とつぶやいた声は、あわあわと謝罪のことばをくり返すリュリュナの耳には届くことはなかった。
ただ、恐る恐る台所から顔を出して板間をのぞいたゼトは、そうつぶやいたユンガロスの顔を偶然、見てしまったのだ。
息をのんでふたたび台所に逃げ戻ったゼトがリュリュナたちの元へお茶を運べたのは、それからしばらく後のことだった。




