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「あっ、じいさん!」
「あっ、ルオンさん!」
どすりと店内に足を踏み入れたルオンの顔を見て、チギとリュリュナがぴょこりと立ち上がり駆け寄った。
にこにこと笑ってルオンを取り囲み「よかった、探しに来てくれて」「お久しぶりです。お元気そうですね」と笑う少年少女に、老人はむうとくちをへの字に曲げる。
ひとり突っ走った少年に、連絡を寄こさなかった少女に言いたいことがたくさんあったのだが、心底うれしそうに笑うふたりを前に、怒鳴ろうとしていたことばはうやむやにならざるを得なかった。
「……嬢ちゃんも、元気そうだな」
「説明したでしょう。リュリュナさんは良いひとたちに出会って恙なく過ごしています、と」
ルオンがへの字ぐちからしぼり出した声に応えたのは、黒眼鏡をかけた美丈夫だ。
店の戸口のすぐそばに立ったルオンの後ろから、ひょいと顔をのぞかせたユンガロスがほほんでいた。
「ユングさま!」
思わぬひとの姿にリュリュナが目を丸くしている間に、ユンガロスはルオンの横をすり抜けて店のなかに入り込む。
さりげなくリュリュナとチギの間にひざをついたユンガロスは、黒眼鏡の向こうの目をにっこりと細めてリュリュナの手を取った。
「こんにちは、リュリュナさん。あなたのことを探している少年がいたと連絡を受けまして。巡邏に詳しく話を聞いていたら、こちらの老人がたずねてきたのです」
リュリュナから視線を外さないまま説明するユンガロスに、チギは思わず後ずさって唖然と見守る。
黒髪に黒い羽織、そのしたに身に着けた着流しまでも黒い。そのうえ黒眼鏡で目元を隠した男は、チギの目にたいそう怪しく映った。いや、黒づくめの長身の男がリュリュナのような少女にひざまづいている時点で、誰が見ても怪しいだろう。
だというのに、ナツメグはほほに手をそえて「あらあら」と笑っており、ゼトは生暖かい目で見ているばかり。
どういうことか、とチギが見つめるまえでリュリュナまでもがちいさな牙をちらりと見せて、黒づくめの男に笑いかけた。
「ありがとうございます、ユングさま。このおじいさんは、あたしをイサシロまで連れてきてくれた行商人さんなんです。探しに行こうかと話していたところだったから、ユングさまがお店まで案内してくれて助かりました」
手を握られたままリュリュナがぺっこりと頭を下げると、ユンガロスはますますうれしそうにほほをゆるめた。
「リュリュナさんのお役に立てたなら、光栄です。ご老人にあなたとどういう関係かと聞いてもはっきり答えてくれないものだから、いらぬ勘繰りをしてしまいまして」
「ふん。得体の知れん輩にぺらぺらとしゃべってたまるか」
ユンガロスのことばに、ルオンが鼻を鳴らす。
それを耳にして、ユンガロスがゆるりと立ち上がった。
「ああ、おれとしたことが自己紹介もまだでした。リュリュナさんが厄介ごとに巻き込まれるかと思って気が急いておりました。失礼しました。おれは、ユンガロス。イサシロの街の守護隊の副長を務めさせてもらっています」
にこりとほほえんだユンガロスは、リュリュナの肩をやさしく抱いてルオンの前に足を進める。
きょとりとまばたきしたリュリュナは、促されるままに歩いてきょとんとユンガロスを見上げた。
かけらも抵抗せず離れていくちいさな背中に、チギが思わず手をのばしかけるより早く。
「ルオンさん、でしたか。リュリュナさんが住むこのナツ菓子舗のおふたりの人柄はイサシロの守護隊が保証します。また、リュリュナさん自身はおれが必ず守りますので、安心してお任せください」
そう言って、ユンガロスはうやうやしく頭を下げた。ナツメグとゼトも、並んで笑顔でうなずいている。
ルオンは「ん? お、おう……」と後ずさり、笑顔のユンガロスに気圧されている様子だ。
このままではいけない、とチギはあわてて黒い男に駆け寄って、その手からリュリュナを取り返した。
「あんた、副長とか言ったか? なんでそんなひとがわざわざ、じいさんひとりを案内してくるんだよ!」
リュリュナを背中にかばって言い放ったチギは、相手を威嚇しながらも返ってくるだろうことばを予測していた。「副長として街の平和を」などと言ったときには「ならもう用済みだから帰れ」と返すつもりであったし、「ちょうどナツ菓子舗に用があったので」などと言ったならば「リュリュに妙なことする気か」と追い返すつもりだった。
ルオンとの行商の旅でチギは、本心を隠して近寄ってくるおとなへの対処をいくらか学んでいた。
それを活かすときは、いまだ。さあなんと言ってくる、と気を張ってぴりりと立ち上がったチギの耳に飛び込んできたのは、予想外のことばだった。
「ちょうどリュリュナさんに会いたいと思っていたので。あ、しかしリュリュナさんに危険が及ばないように、というのも本心ですよ」
「……は?」
ユンガロスのくちから出てきたのは、まったく隠す気のない本心だった。それも、うっかり言ってしまったのではないだろう。
「会いたかった」と堂々と言われて真っ赤になったリュリュナの頭をうれしそうになでているあたり、むしろリュリュナの反応を狙って言ったのでは、と思われた。
あまりの直球ぶりに固まったチギの首根っこを、ルオンがつかむ。
「……なんだかわからんが嬢ちゃんも元気そうだし、いったん宿に戻るぞ!」
呆然としたまま連れられていくチギを、引き留めたのはリュリュナだった。
「あっ、待って。チギの髪の毛、ぐしゃぐしゃだよ」
そう言ってチギの手をつかまえたのは、記憶にあるとおりにちいさくて、でもすこし固くささくれた働き者の手。
リュリュナの言う通り、チギの髪の毛はぼさりと崩れていた。ゼトが遠慮なしにかきまぜたものだから、乱れたのだろう。
誰が止める間もなくチギの三つ編みをほどいたリュリュナは、いくらかうえにある幼なじみの髪の毛を手櫛で解いて、するすると編み込んでいく。
ほそい指が地肌をなでて、やさしい手つきで髪が整えられていくにつれて、乱れていたチギの心もまた落ち着きを取り戻していった。
「はい、できた」
やさしい声とともに、軽く背中を叩くちいさな手。
慣れたその感触に背を押されて、チギはにぃっとくちの端を吊り上げた。
見上げるのは、黒髪から角を生やしたユンガロスという名の男。
―――こいつにことばで対抗しようったって、うまくいかねえ。
それを悟ったチギは、リュリュナのほほに頬ずりする。自身の気持ちに気づいていなかった幼少期に、そうしていたように。
「わわっ。どうしたの、チギ。子どものときみたいなことして……」
思っていたとおり、おどろきながらも受け入れてくれたリュリュナの肩越しに、チギはユンガロスを見上げて笑ってみせた。
黒眼鏡の向こうの目とチギの視線が絡み、ぴりりと空気を張りつめさせたのは一瞬。
「また来る。待っててくれよ、リュリュ」
チギは踵を返して、ルオンをうながし店をあとにした。




