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戸口であがった叫び声に、暗い顔をしていたナツメグはびくりと肩をすくませた。
どんどんと叩かれる扉に素早く駆け寄ったのは、ナツメグのとなりで眉間にしわを寄せていたゼトだった。
「お前、性懲りもなく……!」
引き戸を開けるなり冷たい声と視線で見下ろされた男は、おどろき戸惑い、思わず後ずさりしたが、踏みとどまった。
「あ、ああ! あんたら、大変なんだ! ちっちゃい嬢ちゃんが!」
「この、ろくでなしどもが! 今度はなにしやがった!」
必死に声をあげる男の顔を見て、ゼトが苛立たし気に吐き捨てた。
緊迫した空気のただようナツ菓子舗の戸を叩いたのは、先日ゼトやリュリュナに謝罪をして去って行った四角い顔の男だった。
まっとうになると約束した男たちがまた悪さをしたのかと吠えるゼトと目が合った途端、男があわてて首を横にふる。
「ちっ、ちがう! おれたちゃ、あれから悪さなんざしてねえよ、信じてくれ! そりゃ、すっぱり足洗ってとはいかねえけど……嬢ちゃんに約束しちまったから、まっとうに金稼ぐにはどうしたもんかって、考えてて」
ゼトににらまれた男は、青くなりながらも必死で言い募る。
けれど、途中ではたと我に返った男は「そんなことより」と慌てて頭を振った。
「いまはおれのことより、嬢ちゃんだ!」
「その話、おれにも詳しく聞かせてください」
戸口に立って汗をかく男の後ろから、姿を見せたのはユンガロスだ。つややかな黒髪をいくぶん乱れさせたユンガロスは、突然あらわれた守護隊の副長を目にしておどろき固まる男の背を押して室内に促す。
ひたいにこぼれた髪をかきあげたユンガロスは、ゼトとナツメグにいつもどおりのおだやかな顔を向けた。
「巡邏から連絡をもらいました。状況を聞かせてもらっても?」
「あ、ああ」
疑問形でありながら有無を言わさぬその態度に、男だけでなくゼトまでも気圧され、男に向けていた苛立ちも思わず引っ込んだ。
ゼトがうなずくのが早いか、素早く室内に入り木戸を占めたユンガロスは、サングラスの奥の目でちらりと室内を見回して、くちを開いた。
「おれに届いた報告では、昼をいくらか過ぎたころにこの店からリュリュナさんが居なくなった。現在、行方がわからない、ということでしたが」
間違いないか、というように視線を向けられて、ゼトはおおきくうなずいた。そのとなりでは、ナツメグがこくこくと何度もうなずいている。
ゼトと目を合わせたナツメグは、いちど深く呼吸をしてから努めて冷静に話し出した。
「居なくなったのは、わたしが店の裏に出てる間です。リュリュナちゃんから目を離したのは一刻も経たないくらいの時間でした。わたしが戻ってきたら、リュリュナちゃんに頼んでおいた洗い物は片付いていて、でも本人は見当たらなくて……」
「そのときおれはでかけてて、戻ってきたら表の木戸につっかえ棒がしてあって。ナツ姉がしたんじゃないって言うから、あいつ、自分の意思で出てったんじゃないかと思ってます。でも、このあたりの店のひとたちに見かけなかったか聞いてまわっても、だれも見かけなかったって言ってて」
声を途切れさせたナツメグに続いて、ゼトが言う。にぎりしめられた拳をさらにきつくにぎり、ゼトはくやしげに唇を引き結んだ。
黙って聞いていたユンガロスにちらり、と視線を向けられて、四角い顔の男があわててくちを開く。
「その嬢ちゃんを、見たってやつがいるんでさあ! おれたちの仲間というか、同じ廃屋に集まる野郎のひとりが、話してて」
「ほう、それはどこで?」
サングラスの奥の目を細めたユンガロスに見つめられて、男はひくりとのどを鳴らした。ユンガロスはあくまでもおだやかな顔をしているはずなのに、男の胸に湧いたのは恐怖だ。
それでも怯えてことばに詰まる自身ののどを叱咤して、四角い顔の男が話し出す。
「街の北西にある廃墟街だよ! 空っぽの屋敷がいっぱいある」
「ああ、武家屋敷跡のことですね。たしかに、あのあたりには不法占拠者が見受けられましたね」
ユンガロスの肯定を受けて、男は思わず黙りこんだ。
いまは無人の屋敷ばかりとは言え、自分の家でもないものに上がりこんで根城にしていたのは事実だ。その件について、守護隊の副長から咎めがあるのは間違いないだろう、と覚悟したのだ。
「あなたがそこで何をしていたのか、についていまは問いません。以前、リュリュナさんに何をしたかについても、ね。それで、リュリュナさんを見た、という情報だけですか?」
「えっ、あ、いや、仲間が緑の髪のちびがき……子どもが、女に連れられて廃墟街を走ってった、って言うもんだから、おれともうひとり、魚みたいな顔の男でそれを確かめに行ったんだ。あの女、どこかで見たことがあったんだが……」
覚悟していた男は、あっさりと流すユンガロスに戸惑った。けれどユンガロスのひとみが話の続きを促してくるのに気が付いて、戸惑いを胸にしまって話をつづけた。
「仲間が言うには、子どもと女は城跡のほうに向かったらしいから行ってみたら、いつも以上におどろおどろしい雰囲気の場所でよう。それなのに、ちっちゃい嬢ちゃんは城門の向こうに行っちまうし」
リュリュナに追いついてはいたけれど、声をかけることができなかったと四角い顔の男が悔しそうに言う。
「なかを見ようにも、貴族の牛車は止まってるし、城に向かう階段やら藪のあたりには雇われのならず者が立って見張ってるしよう。妙なことに巻き込まれてるんじゃねえかと思って、あんたらに知らせに走ってきたんだ。もうひとりは、巡邏に言いに行った」
「貴族の牛車、ね。それで、おれがあなたがたを信じても良い根拠はありますか? あなたがた自身がならず者だと言うのに、あなたがたの証言が嘘でないと、どうやって信じましょう」
男の話を聞いて、ふむとうなずき、ユンガロスは言った。
おどけるでもなく、ただ淡々と告げたユンガロスの視線に射抜かれて、男はことばに詰まった。
そして歯噛みする。自分たちを疑うユンガロスに、ではない。疑われて当然の生き方をしてきた自分たちを悔いたのだ。
リュリュナを見た。好んで立ち入る者のいない場所に行く姿に、よくないことに巻き込まれているのではと思った。だから必死で走ってきたというのに、ここにきて彼女を助けるのを邪魔するのが、自分たちの過去の行いなのだ。
にぎりしめた男の拳のなかで、爪が手のひらに食い込む。
ぶつけようのない苛立ちに、思わず悪態をつきかけたそのとき。
「……おれは、信じる」
ゼトが言った。




