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「いっしょに? わたくしにも、菓子が作れるのですか?」


 澄んだひとみでぱちりとまばたきするヤイズミに、リュリュナは自信満々にうなずいた。


「はい。冷やすことさえできれば、あとは材料を混ぜ合わせるだけなので!」


 リュリュナの返事をうけて、ヤイズミのひとみがきらりときらめいた。

 つ、と立ち上がった彼女は、颯爽と土間に降りて店の戸口に立つ。


「新鮮な牛の乳、ですね。ほかに必要なものは?」

「え、ええと、卵だけです。お砂糖はこのお店にありますし」


 くるり、と首だけで振り返ったヤイズミに問われて、リュリュナは慌てて答える。それにうなずいて返し、ヤイズミは前に向き直った。


「それでは、用意できしだい持ってまいります。あとは……」


 言って、すっ、すっと店の外に歩を進めたヤイズミは、足を止めて凛とした声で告げた。


「ナツ菓子舗のくっきぃの質は、白羽根のヤイズミが保証いたします。安心してお買い上げになって」


 大声を張り上げたわけではない。けれどよく通るヤイズミの声が通りに響いて、居合わせたひとびとは足を止めた。

 ヤイズミの声の余韻を残した静寂があたりに広がったのは、一瞬。

 すぐに通りは通行人たちの驚きの声や喜びの声で満たされた。喜びの声をあげた顔見知りの客や近所の住人たちが「よかったな」と言いたげな笑顔でナツ菓子舗を見つめる。


 ひとのくちにのぼったこの話題は、瞬く間に街じゅうに広がるだろう。 

 もうすでにひとびとの口伝にクッキーの話題がのぼるそのなかを、ヤイズミは颯爽と帰って行く。付き従う侍女は、居心地悪げにヤイズミの背を追っていった。


 きれいな後ろ姿に頭を下げて見送ったナツ菓子舗の面々は、ゆっくりと頭をあげて遠ざかる白い翼を見つめた。


「……なんか、貴族の姫さんってのも思ってたより悪いもんじゃねえんだな」

「そうねえ。副長さまといい、白羽根のお嬢さまといい、良いかたたちだわあ」

「それに、とってもきれいなひとでしたねえ……」


 それぞれの思いをこぼしながら、きっと明日からは良い風が吹く、とリュリュナたちは気合を入れ直した。

 その気持ちを後押しするように、ヤイズミが去ってから菓子舗にぱらぱらと客がやってきた。のれんをしまい忘れていた店の敷居をまたいだ客たちのおかげで、残り物のまんじゅうでリュリュナの腹がはち切れるほどに膨れることもなく、クッキーを食べすぎてくちのなかがぱさつくこともなく。




 翌日、リュリュナたちは満員御礼とまではいかないが、そこそこに忙しい朝を迎えていた。


「まんじゅう全種類、ひとつずつくださいな」

「どら焼きふたつ、粒あんで」

「ええと、どら焼きのかぼちゃ餡ひとつと、まんじゅうの白あんひとつ!」


 思い思いの注文をする客たちは、そのあとに必ずこう言った。


「それから、くっきぃも!」


 リュリュナはにこにこの笑顔で「はい、お待ちどうさまです」と品物を受け渡す。

 話し合った結果、クッキーの販売も店内で行うことになったのだ。

 理由はいくつかあり、ひとつは万一ほかにもナツ菓子舗に悪意を抱いている者がいた場合に身の安全を考えて。ひとつは店の外で行列を作って販売することは、やはり周辺の店舗や通行人の邪魔になるだろうと考えて。おまけに、昨日の顛末がうわさされているのなら呼び込みをするまでもなく客が来るだろ、と見込んでのことだった。


「リュリュナが板間にいて客の相手してくれれば、おれたちが火から離れる必要がなくなって助かるな」

「そうねえ。どんどん焼いちゃうわよお」


 ゼトとナツメグも菓子作りに専念できて、楽しそうだ。

 そのおかげか、用心して少な目に用意していた材料は、昼過ぎにはすっかりなくなってしまった。

 そうしてひさしぶりに取り出した『完売』の張り紙を手に表に出たゼトが、開いた戸の向こうからひょっこり顔を出してリュリュナを呼ぶ。


「おーい、リュリュナに客だ」

「お客さま? あたしに?」


 誰だろう、とリュリュナが首をかしげたところでゼトが頭を引っ込ませ、代わりに白い長髪がさらりと揺れた。


「あ! ヤイズミさま! と、侍女のひと」


 ぱあっと顔を輝かせたリュリュナに名を呼ばれ、ヤイズミの顔がごくわずかにゆるむ。一方、侍女のひとと呼ばれたフチは、眉間のしわを深くした。


「こんにちは、ごきげんいかが」

「こんにちは! とっても元気です。きのうヤイズミさまが街のみんなにひとこと言ってくれたおかげで、たくさんお菓子が売れてきょうはもう店じまいなんですよ」


 ヤイズミのあいさつを受けてリュリュナがにこにこと応じれば、ヤイズミは「そう」とつぶやくと店のなかに入ってきた。その後ろに侍女のフチも続く。

 すると、フチの手に大きな籐のかごが抱えられているのが見えて、リュリュナは思わず彼女に駆け寄った。


「重そうですね」


 手伝おう、と出した手に、ずっしりとかごが乗せられる。思わず受け取ったリュリュナだが、どうすればいいのか、とフチに視線で問えばふん、と一言。


「受け取りなさい」

「ふえ?」


 ますます意味がわからなくて首をかしげるリュリュナだが、フチはすでにヤイズミの背後に下がって目を伏せ、黙り込んでいる。

 

「新鮮な牛の乳です。それから、卵も入っております」


 答えをくれたのは、ヤイズミだった。言われてかごの中身に目をやったリュリュナは、そこにくちのすぼまった大きな陶器の壺が入っているのに気が付いた。よく見れば、せまい壺のくちから、なかで揺れる液体が見てとれる。

 壺の横には木箱が置かれているが、おそらくこちらには卵が入っているのだろう。


「あいすくりんの材料です」


 黙って壺と木箱を見つめるリュリュナに、ヤイズミが告げた。

 いつもどおり淡々とした口調だが、それを言ったヤイズミのひとみはきらりと輝いている。いつもと変わらない澄んだ青色のひとみなのにどうしてか、リュリュナは前世に見上げた空を思い出していた。運動会の日の、晴れた青い空を。


 だから、リュリュナにはわかった。表情こそ落ち着いて見えるが、ヤイズミはわくわくしているのだ。お菓子作りを楽しみにしてくれているのだとわかって、リュリュナはにっこり笑う。


「おいしいアイスクリン、作りましょうね!」

「ええ」


 答えたヤイズミの口角はほんのすこしだけ、上向く。

 怖いくらいにきれいなひとだと思っていたヤイズミが、とてもかわいく見えた。

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