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 魚顔の男は「ばにらびんず」を探しまわっていたのだろうか。血走った目のしたに濃い隈ができて、きのうと同じ衣服はきのうよりさらにくたびれて、男の疲労を感じさせた。


「探したけどそんなもんは売ってねえぞ! イサシロじゅうの商店をまわったのに、だ!」

 

 つばを飛ばしそうな勢いで言った男とにらみあったゼトは、けれど表情を変えることもなく首をかしげてみせる。


「そいつは、あんたの探しようが悪いんじゃねえか? おれは嘘なんて言ってねえぜ」

「この野郎っ! ぬけぬけと……!」


 余裕のあるゼトの態度が、魚顔の男の怒りに油を注いだらしい。額に青水を浮かべた魚顔の男が拳を握りしめ、ふりあげた拳がふり抜かれる、そう思われたとき、四角い顔の男がそれを止めた。


「そう怒るなよ。この兄ちゃんだって、店の存続がかかってんだ。苦肉の策で嘘ついたんだよ、なあ?」


 前半は魚顔の男に向けて、後半をゼトに向けて、やたらと大きな声で言った四角い顔の男が訳知り顔に笑みを浮かべて見せる。一見、親し気なその笑顔のなかに埋もれそうな男の目が陰鬱な光を宿しているのを見下ろして、ゼトは首を横に振った。


「嘘じゃねえ。店の看板をかけてもいい。おれも、おれ以外の店の者も、店の商品に誇りを持ってるんだ。商品に関して、嘘はつかねえ」


 四角い顔の男以上に声を張り上げて、ゼトが答える。それは、目の前でゼトをにらみつけてくる男たちに負けないためであったし、ゼトの後ろで怯えながらも逃げずに踏ん張るリュリュナとナツメグを鼓舞するためでもあった。

 そして何よりも、不安げな顔で店のほうをちらちらとうかがっている、ナツ菓子舗の客たちに伝えるためであった。


「うちの商品を買って食って、くちに合わなかったってんなら、教えてくれ。商品を改良する。もっと良いものにして、うめえ! って言わせてやる。けどな、そうでなくて、うちの商品にいちゃもんつけてえだけなら、帰ってくれ。うちは菓子屋なんだ。けんか売りに来た奴の相手するのが仕事じゃねえ。菓子を買いに来てくれる客に菓子を売るのが、おれたちの仕事なんだよ」


 胸を張って言うゼトに、四角い顔の男が舌打ちをした。

 ちらり、と通りを行く人びとの視線を見回した男は、つかんだままだった魚顔の男の肩を引いて踵を返す。


「行くぞ」

「なに言ってんだよ! この野郎に一発入れてやらねえと気が済まねえ!」


 いらいらとした様子の魚顔の男は、肩をつかむ四角い顔の男の手を振り払い、ゼトの正面に立つ。薄汚れた男の手は、腰の木刀に伸びている。

 それでもゼトは、表情も変えずに立っていた。それがますます魚顔の男を苛つかせるが、四角い顔の男が木刀の柄に手を添えて止めた。


「この兄ちゃんに一発入れたところで、これ以上の情報を吐くとも思えねえ。今日のところはおとなしく帰ってやるよ、()()()の兄ちゃん」


 厭味ったらしく言って、四角い顔の男は今度こそゼトに背を向けて歩いていった。魚顔の男はそれを見て、忌々しそうに舌打ちをこぼす。


「けっ、素直にしゃべらなかったこと、いまに後悔させてやるからな! 待ってろよ!」


 吠えるように言った魚顔の男は、せめてもの腹いせのように地面を蹴りつけてゼトの足元に土埃をかけると、足音もやかましく去って行った。

 その背中が見えなくなるよりも前に、改めて木戸を大きく開けてゼトが言う。

 

「へっ、いっそ一発殴ってくれりゃあ、守護隊に報告もできたってのによ」

「そ、そんなの危ないですよ!」


 慌てたリュリュナが戸口に貼り付いて、男たちが戻ってきやしないかとあたりをうかがったとき。


「いやあ、木刀を抜いてくれれば、おいらとしてもうれしかったんっすけどねえ」


 のんきな声がすぐそばから聞こえて、リュリュナは驚いた。ゼトとそろって声のしたほうを見れば、眼鏡をかけた守護隊員、ノルが店の影からひょい、と姿を現すところだった。


「み、見てたなら助けてくださいよおぉぉ……」


 涙目のリュリュナが訴えれば、ノルは顔の前で手をたてて、済まなそうに笑う。


「守護隊は、町民のくちげんか程度じゃ手を出せないんす。きりがないっすからね。だから、木刀とはいえ武器を手にしてくれれば、介入のしようもあったんすけど」

「なんだ。守護隊のひとがいたなら、もっと煽ってやりゃあ良かった。惜しいことしたな」


 もったいない、と言わんばかりに残念がるゼトに、店のなかから手が伸びてきて、額をぺちりと叩く。手の持ち主は、ナツメグだ。


「ゼトくん! ノルさんがいらっしゃるって知らなかったのに、あんな危ない真似してたのね! 怒るからね! あのひとに、言いつけるんだからね!」

「おわっ、泣くなよ、ナツ姉! 兄貴に言うのだけは勘弁してくれよ! もうしねえから。次に来たら、煽るようなこと言わないからさ! な!」


 涙目のナツメグに怒られて、ゼトは慌てふためいた。リュリュナのナツメグが言いつけると言ったゼトの兄でありナツメグの夫であるひとを、リュリュナはまだ知らない。船乗りということしか知らないため、怖いひとなのかなあ、とリュリュナが筋肉もりもりの厳めしい漁師のようなひとを想像していると、ノルがうなずいてくちを開いた。


「今日は、店のお客がおいらのこと呼びに来てくれたから控えていられただけっすからね。無茶はやめといてくださいっすよ」


 言って、あのひとっすよ、とノルが示した先に居た顔に、リュリュナは見覚えがあった。


「あ、きのうのお客さま!」


 そこにいたのは、リュリュナが魚顔の男たちに転ばされたときに、行列の先頭にいた若い男の客だった。リュリュナが声をあげたのが聞こえたのだろう、ほっとした顔で微笑んだ男は、軽く頭を下げて人ごみのなかに消えていった。


「ありがとうございましたっ!」


 聞こえたかはわからないが、その背にお礼を告げたリュリュナの頭にノルの手がぽんぽんと乗った。


「いいお客がいて、良かったっすね。けど、本当に気をつけてくださいっすよ。おいらたちも別件でこのごろ忙しくて、呼ばれても人出が足りないときもあるかもしれないっすから……」


 顔を曇らせたノルにかけることばを探すよりも早く、ノルはにぱっと笑っていそいそと懐から財布を取り出した。


「ところで、せっかくここに来たんだからまんじゅう全種類とどら焼き全種類、それからくっきぃを買えるだけくださいっす!」

「え、おう。……はい、毎度ありぃ!」


 本日、ひとりめの客を迎えて、ナツ菓子舗はようやく営業を開始したのだった。


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