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「ばにら、びんず?」


 間ぬけた顔で繰り返した四角い顔の男は、みるみるうちにくちびるをつりあげて、にたりと笑った。


「ばにらびんず、だな?」

「ああ、そうだ。それがくっきぃに入ってる、とくべつな材料だ」


 確認する男に、ゼトは堂々と答えて威嚇するように歯をむいた。


「おれはちゃんと答えたぞ。さあ、さっさと帰ってくれ!」

「はっ、言われなくても。こんなちんけな菓子舗なんざ、用はねえよ」

「でかい顔してられるのも、今のうちだから。せいぜい、いっぱい売っとけよ!」


 男たちはげらげらと笑いながら帰っていく。いちど、その背をにらみつけたゼトは、くるりと体を反転させた。


「お騒がせしました。待っててもらって、ありがとうございます。いますぐ、新しいくっきぃを持ってきますので、もうすこしだけ待っててください!」


 がばっと頭を下げたゼトが、ぼんやりしていたリュリュナを抱えあげて店のなかに運び、新しいクッキーの包みを盆に乗せて駆け出て行った。

 リュリュナとともに店のなかに残ったナツメグは、リュリュナを着替えさせて離れに連れて行く。


「きょうはもう、ここで休んでいて。お店はわたしたちに任せて。ね?」


 そう言って、ナツメグは温かい蒸かしたてのまんじゅう数個と白湯をリュリュナに渡し、店に戻っていった。

 それから、数時間後。いつもより早い時間に店を閉めたゼトとナツメグに気遣われ、リュリュナの心はいくらか落ち着きを取り戻していた。


「あいつらぜったい、ほかの菓子屋が雇ったごろつきだぜ」

「ううん、そうねえ。あまりひとを疑いたくはないけれど、菓子材料のことを聞いて引き下がったものね。きっと、そうなんでしょうねえ」

 

 日暮れどき、食卓を囲んでゼトとナツメグがそうこぼした。

 リュリュナは食べかけのごはんが入った茶碗をひざにおろして、ささやくようにたずねる。


「あの、答えてしまって、大丈夫だったんですか……?」


 大丈夫なわけないだろう、そう思いながらも、聞かずにはいられなかったリュリュナに、ゼトがからからと笑う。


「ああ、問題ねえだろ」


 ゼトの笑顔は強がりではない。からりと晴れた、純粋な笑顔だ。

 そんな事態ではないと思っていたリュリュナは、驚いて目を丸くした。


「なんで、そんな笑って……クッキーの材料が知れ渡ってしまうかもしれないのに」

「ふふ、それだったら、大丈夫よ」


 リュリュナの心配を軽く笑って、ナツメグが言う。


「ゼトくんが答えたのは、ばにらびんず、という名前だもの。その呼びかたを知っているのは、リュリュナとわたしたちくらいじゃないかしら」

「……あ!」


 そこまで言われてようやく気が付き、リュリュナは声をあげた。

 

「そっか、ここでは貴婦人蜂の豆っていう名前で売ってるから……」

「そう、ばにらびんず、じゃあ、どこの商人さんにも通じないはずよ。わたしたちが卸してもらってるお店でも、ばにらびんず、とは書いていなかったし」

「けど、嘘でもねえ。リュリュナが言ってるってことは、異国じゃあそう呼ばれてんだろ? だから、おれはちゃんと聞かれたことに答えた。だから、おれたちは堂々としてりゃあいいんだ」


 にしし、とゼトが笑うものだから、リュリュナはすこし安心して、止まっていた箸を動かして夕飯をくちに運びはじめた。

 ゼトといっしょに微笑んでいたナツメグが「でも」と声を落とす。


「きっとあのひとたち、また来るわ……」

「そう、ですよね……」


 しゅん、としおれた気持ちでリュリュナはうなずいた。もぐもぐ動いていたくちも元気をなくし、もぐ、とゆっくりになる。


「そんときゃあ、そんときだ」


 不安げな顔をしたふたりとは対照的に、にっかりと笑ったゼトが力強く言い放つ。そして、夕飯のおかずに箸を伸ばして、甘辛く味付けた里芋の煮っころがしをしおれた顔をしたリュリュナの茶碗に放り込んだ。


「まだ起きてないことをぐだぐだ考えても、答えなんか出ねえ。いまはとにかく、しっかり食え」


 有言実行とばかりに、ゼトはわしわしと飯を腹に収めていく。煮物で一杯、塩揉みした青菜で一杯、温めなおした朝の残りの味噌汁で一杯。

 すばやく、けれどこぼさずきれいに食べるゼトを見ていたリュリュナは、腹が減っては戦はできぬ、という前世のことわざを思い出した。


「……よし!」


 むん、と気合を入れて眉をきゅっと寄せたリュリュナの箸が、茶碗にころがる里芋をつかむ。

 ぱくり、とほお張ったくちに白飯も入れて、リュリュナは膨らんだほほをむぐむぐさせた。


「あらまあ」


 ゼトとリュリュナの食べっぷりに目を丸くしたナツメグもまた、憂い顔を消して箸を持ちなおす。


「ふふふ、そうよね。悩んでても仕方ないわよね。もしここに居られなくなったら、リュリュナちゃんの故郷に移転するなんて、どうかしら?」


 冗談めかして言ったナツメグに、リュリュナは「んむっ」とあわててくちの中身を飲み込んだ。


「そっ、それはやめたほうがいいです! たしかに商売敵はいないですけど、それは商売をしているひとが行商のひとしかいないだけで。そもそも、お金じゃなくて物々交換で生活をしてる村なので……」

「ええっ! どんなど田舎だよ! 物々交換なんて、おれたちのじいさんばあさんが現役の時代の話だぞ」


 大げさに驚いてみせるゼトの横で、ナツメグもあらまあ、とほほに手をやった。


「物々交換なんて、どうしたらいいのかしら。お菓子とお米を取り替えられるかしら」

「お米は作ってないので、そばの実と交換になると思いますけど……」


 なぜか乗り気でリュリュナの故郷での生活を想像しはじめるナツメグに、何事かを考えていたゼトがぽつりと言う。


「……待てよ。そんなど田舎じゃ、材料の仕入れが出来ねえぞ」

「それもそうね。残念だわあ」

「どうしてふたりとも、そんな乗り気で考えてるんですかあ!」


 困ったように叫んだリュリュナにふたりが笑って、ナツ菓子舗ににぎやかな笑い声が響く。

 しっかり食べて笑いあった三人は、気持ちを立て直して床に就いた。


 そして、翌日の朝、早く。

 がんがんと叩かれる木戸を開けたゼトの前に、立っていたのは昨日の男たちだった。

 男たちは、ゼトの顔を見るなり怒鳴り声をあげた。


「てめえっ! でたらめ教えやがったな!」

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