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苦い思いをするときだってある

 ノルとソルがやってきた翌日、リュリュナはいつものように木箱を首から下げて、通りに立った。

 ゼトとナツメグには反対されたのだ。ひとりで表に立っていて、何かあったらどうするのだ、と。


 けれど、リュリュナにまんじゅうの蒸かし具合はわからない。タイマーなどない状態で、ゼトのような絶妙な蒸かし具合をはかることはできない。ナツメグの焼くどら焼きもそうだ。炭の位置を細かく調節して、生地にきれいな焼き色を付けることはできないし、あいだに挟む餡の量のこまかい調整もできやしない。


 ゼトも、ナツメグもリュリュナに代わって表に立つわけにはいかないのだ。かといって、店内でクッキーを販売するには、ナツ菓子舗の間口は狭すぎる。行列が並んでしまえば、まんじゅうやどら焼きを買う客が店に入ってこられなくなってしまうのだ。


「何かあったら、いや、ありそうだったら、すぐ声を出せよ!」

「ぜったい、お店のなかから見えるところに居てちょうだいね。約束よ」


 そう約束をして、どうにかこうにか表に出たリュリュナは、言われたとおり戸口のすぐ横に立って、クッキーを売り始めた。

 しばらくは、順調だった。三日目ともなるとリュリュナもいくらか慣れてきて、小銭のやり取りや商品の受け渡しもスムーズにこなせるようになる。客たちもナツ菓子舗のルールを了解してくれており、おとなしく一列になって順番を待ってくれるのもありがたかった。

 おかげで、余らせてもいけないから、と前日と同じだけ焼いたクッキーは、どんどん売れていく。


 抱える木箱の底がだんだんと見えてきて、そろそろ何度目かの補充に行かなければ、とリュリュナが考えながら客の背中を見送った、そのとき。

 ざり、とそばで土を踏む音がしたかと思うと横から衝撃を受けて、リュリュナの身体が地面に投げ出された。

 「あ」と声をあげたのは、行列の先頭で順番を待っていた客だ。

 リュリュナは何が起きたのかわからず、ただ目を見開いて地面に転がることしかできなかった。倒れたリュリュナの目の前に、木箱からこぼれたクッキーの包みが散らばる。


 ―――拾わなきゃ。


 転んだ痛みよりも、そのことだけが頭に浮かんで手を伸ばしたリュリュナの目の前で、包みに影が落ちて、次いで降りてきた足がクッキーを踏みつけた。

 

 ぐしゃり。


 踏み砕かれたクッキーと包み紙が、いびつな音を立てる。

 「リュリュナちゃん!」どこかで誰かの悲鳴があがるのを聞いたリュリュナの耳に、下卑た笑い声が降ってきた。


「へへへっ、悪いな。あんまりちっこいんで見えなかったなあ」


 そう言ったのは、小汚い恰好をした中年の男だった。耳の先がわずかにとがり、水生生物のようにぬるついた目をした男だ。広い額と突出した鼻が、余計に魚じみて見える男の腰には、赤黒い染みのついた木刀がこれ見よがしに下げられている。

 その横から、もうひとりの男が姿を見せた。


「ここのくっきぃとやら、とくべつな黒い粒がまざってるっていうじゃねえか。どれ」


 四角い顔に落ちくぼんだ目をしたもうひとりの男は身体をかがめて、魚顔の男が踏みつけた包みからこぼれた砕けたクッキーをひろいあげる。異様に尖った爪でクッキーのかけらをつまみ、しげしげと眺めてにたりと笑う。


「はあん、なんだこりゃ。土とまざっちまって、どれがそのとくべつな粒やらわからねえなあ。案外、とくべつだなんて言って、ごみくず混ぜて売ってるんじゃねえか?」

「おお、そうかもなあ。こんな新参者の菓子屋が金かけてとくべつな材料買えるとは、思えねえもんな」


 げらげらと男たちが大声で笑った、そのとき。

 リュリュナと男たちの間に飛び込んできた影があった。


「言いがかりなら、おれが聞く。言えよ、聞くぜ」


 男たちに向かって仁王立ちし、言い放ったのはゼトだ。


「リュリュナちゃん、けがはない?」


 ナツメグが言って、やさしくリュリュナを助け起こしてくれる。

 そのときになって、リュリュナはようやく固まっていた身体を動かすことができた。地面に落ちた包みを慌てて拾い、拾ってから置き場に困る。土のついたものを木箱のなかの商品と混ぜるわけにいかない。

 困ってふらり、と視線をさまよわせたところに嘲笑が聞こえて、リュリュナはびくりと身体をすくませた。

 

「くははっ。言いがかりだあ? そうだっていうんなら、その菓子の材料を言ってみろよ。包み隠さず、言ってみろよ!」

「…………」


 魚顔の男がけしかけるのに、ゼトは目を伏せぐっとくちを引き結んだ。


「なんだあ? でかいくち叩いといて、言えねえんじゃねえか。やっぱり土くれなんだろ? とくべつな材料なんて、嘘なんだろ?」

「認めちまえよ、楽になるぜえ」


 男たちが挑発するように笑うが、言えるはずがない、とリュリュナは手のなかの包みをぎゅっと握る。

 

 

 クッキーのレシピは、異国から入ってきたばかりの書物に載っていたのだ。その秘匿性の高さにこそ、価値がある。

 そんなとくべつな材料、バニラビーンズのことをここで答えてしまえば、それを聞きつけたほかの菓子屋がこぞって求めるだろう。使い方を知らなくとも、腕の良い職人ならば、自力で利用法にたどり着く可能性がある。

 そうなれば、ナツ菓子舗を支えるひと柱になりつつある商品の価値が、地に落ちてしまう可能性があった。


 けれど、ここでだんまりを続けてもナツ菓子舗にとっては不利益にしかならない。

 男たちが土くれといった物の正体を、客たちは誰も知らないのだ。

 ゼトが土くれだ、と認めなかったとしても客の心には疑いが残る。悪いうわさはすぐに広まる。「あの菓子屋の商品には、土がまぜられているらしい」そんな確証のないことばが街じゅうに回れば、ナツ菓子舗の客はぐっと減るだろう。

 それでも、リュリュナが来る以前の常連たちは来てくれるかもしれない。けれど、それでは店としてやっていけない。


 ゼトは、答えても答えなくても苦しむ結果しかない問いを投げかけられたのだ。

 それをわかっているのだろう。男たちはにやにやと笑い、拳を握ったゼトを眺めている。


「やっぱり答えられねえんじゃねえか。そりゃあつまり……」


 男のひとりがそう言いかけた、そのとき。

 ゼトがうつむいていた目を上げて、ぎっと男を睨みつけた。思わずことばを飲み込んだ男を見据えながら、ゼトは吠えるように言った。


「こいつあ、ばにらびんずってんだ!」

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