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 耐えきれなかったのは、天使の侍女だ。

 きっと眉を吊り上げた彼女は、一歩前に出ると声を荒らげた。


「あなた、ヤイズミさまが菓子をお買い上げになるとおっしゃっているのよ? 渡さないとは、どういうつもり!? ヤイズミさまがお嬢さまだからと、値段をつりあげる気なの!?」

「いいえ」


 頭ひとつぶん以上の身長差のある侍女ににらみつけられても、リュリュナは引かなかった。

 きゅっとくちびるを引き締めて、繰り返す。


「いいえ、お値段はどなたも同じだけ、いただきます。ただ、お値段だけでなく行列にも、どなたも平等に並んでいただきます」


 リュリュナのことばを聞いて、侍女はますます眉をつりあげた。美しく化粧をほどこした顔が、まるで般若だ。


「並ぶ、ですって!? あなた、この方のお召し物が見えないの? お着物を着てらっしゃるのが見えない? 白羽根家よ、良家のお嬢さまなのよ。そんなかたに庶民といっしょに並べ、だなんて……!」


 怒りのあまり侍女は震えながら声を張り上げるが、リュリュナは目を逸らさない。

 後ずさりもせず、背中をぴんと伸ばしたままはっきりと答える。


「お嬢さまであっても、順番は守ってください。特別な例をつくれば、いま、きちんと並んで待って買ってくださっているお客さまがたに申し訳が立ちません。どなたであっても平等に対応します」


 ―――逃げ出したい。菓子舗に駆けこんで、だれかにすがりたい。


 心のなかではがたがた震えながら泣き言を言っているリュリュナだったが、そんな心を支えてくれるもののために、必死に踏ん張っていた。


 リュリュナを支えるもののひとつは、さきほど言ったとおり、ルールを守って待ってくれている客たちだ。昨日は、ユンガロスの美貌と人気によって形成された行列がきょうも保たれているのは、ひとえに客たちの良心のおかげだ。群集が己の利を優先したときの大混乱を前世にテレビで見たことのあったリュリュナは、イサシロの街の人々にこっそりと感謝していた。

 ほかにも、リュリュナを信じて新商品の販売を託してくれたナツ菓子舗の姉義弟への感謝や、温かく送り出してくれたチギや両親、弟をはじめとした村のみんなへの思いもリュリュナを支えていた。


 そしていちばんの支えは、ユンガロスだった。

 昨日、海辺でゆっくりと話した折に彼に聞いたのだ。「着物を着るのは貴族だけの特権じゃないんですか」と。村長やルオンから聞いた話では、それが常識だった。

 けれどユンガロスは首を横にふった。「貴族制度自体が、三十年ほど前に廃止されています。着物を着るのが貴族だけ、というのはいまではもう、慣習でしかありません」その慣習を無くし、元貴族と民の垣根を低くするために守護隊は着物をまとっているのだ、と語ったユンガロスは「思うようには、うまくいっていませんが」と困ったように笑っていた。


 詳しく聞いたことはないけれど、ユンガロス自身もきっと元貴族の家に生まれたものなのだろう、とリュリュナは想像していた。力の強さを表す立派な角を見るに、貴族同士で強い血を掛け合わせていった結果だろうと思われた。そしてユンガロスの優雅なふるまいは、貴族でなくとも良い家の出なのだろうと思わせた。


 そんな、元貴族であろうユンガロス自身が、貴族と庶民の垣根をなくそうと、がんばっているのだ。それを知っているリュリュナが、ここで貴族に特例を作るわけにいかないと、リュリュナは必死だった。


 リュリュナの発言に、侍女が顔に青筋を立ててくちを開く。そこから飛び出す罵詈雑言を覚悟してリュリュナはぎゅっと身体を固くしたが、侍女のくちを止めるものがあった。

 ひらり、と侍女の顔の前にかざされたのは天使、ヤイズミと呼ばれた女性の手だった。

 白く、なめらかでたおやかな手指であるのに、その手はそこにあるだけで侍女のことばを奪った。


「フチ、やめなさい」


 澄んだ声に言われて、侍女は黙ってくちを閉じた。けれどその顔は不満げだ。

 するり、と侍女の前に歩み出てリュリュナに向き合ったヤイズミは、まっすぐにリュリュナを見下ろした。秋の青空のように澄み渡ったひとみに、見下すような色はない。不平も不満もなにも感じさせない強いひとみに見つめられ、リュリュナは思わず息をつめた。

 息を殺してじっと見返すリュリュナの視界で、ヤイズミのくちびるがふわりと開く。


「あなたの主張はわかりました。並ぶわよ、フチ」


 短く言って、ヤイズミはひらりと身を翻した。揺れる振袖を白い髪がひらりと隠し、さらさらと背に落ちる。背中で畳まれたままの翼が、ちいさくぱさりと鳴ったようだった。

 そこにいたすべての者が思わず目を奪われる美しさに、リュリュナもことばを無くして見つめるばかり。


 するすると行列の間を通って歩いていくヤイズミに、はじめに我に返ったのは侍女のフチだった。


「お嬢さま、お待ちください!」


 フチはあわてて叫んで、振り返りもせず歩いていく主人の後を追って走って行った。

 間もなく、ヤイズミが行列の末端にたどり着いた。けれど、左右に割れていた行列はどうしたものかと、リュリュナとヤイズミとを見比べて困惑している。見られているヤイズミは何も言わず、人形のようにきれいにその場に立っている。


 そこでリュリュナは、はっとして声を張った。


「あ、ええと。さきほどの順番で、一列にお並びください! お待たせして申し訳ないです、クッキーの販売を再開します!」

 

 リュリュナのことばで、割れていた行列がざわざわとまとまりはじめる。それを見て、先頭だった客がほっとした顔で足を踏み出した。


「お待たせいたしました。いらっしゃいませ、ありがとうございます!」


 いつもよりさらに元気よく、笑顔を心がけて売り続けることしばらく。行列はどんどん進み、とうとうリュリュナの目の前に白い羽根のお嬢さま、ヤイズミが立った。

 ヤイズミに促されて、侍女がクッキーふた袋ぶんの代金をリュリュナに手渡す。リュリュナの手に銭を乗せる侍女の顔は、ずいぶんと不満がありそうだ。

 

「ええと」


 この場合、品物も侍女に渡すべきなのか、それともクッキーを欲しがった当人だろうヤイズミに渡すべきなのか。迷って手をうろつかせたリュリュナの前に、ささくれのない白い手が差し出された。

 リュリュナが反射的に包みを乗せると、ヤイズミはその手にちょこりと乗ったクッキーに視線を落とし、うなずいた。


「きれいな包み紙ね。これからも励みなさい」


 にこりともせずにそう言って、ヤイズミはするりとその場を離れた。すぐさま駆け寄った侍女がクッキーを受け取ろうとするのに、首を横に振ってヤイズミは歩いていく。


「あ」


 ぽかん、とその姿を見送っていたリュリュナは、はっとしてくちを開いた。


「ありがとうございましたっ!」


 まっすぐ伸びた背中に送った感謝には、飛び切りの笑顔が添えられていた。

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