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ちゃり、と胸元に入れた袋が鳴るのを耳にして、リュリュナは何度目かの笑顔を浮かべた。
「なにか、欲しいものでもあるのですか」
並んで歩きながらその笑顔をこっそりと見守っていたユンガロスは、気になってたずねた。リュリュナの懐に入っているのは、ほんの子どもの小遣い程度の額だ。それがうれしくてたまらない、といった顔で胸元を押さえるリュリュナもまた、小遣いで何を買おうか楽しみにしている子どもそのものだった。
リュリュナの懐と気持ちをぬくぬくさせている金は、街を散策するにあたってナツメグが出発に前に手渡してくれたものだった。
「お出かけするなら、きょうまで働いてもらったぶんのお給金を渡したほうがいいわよね」
そう言ってナツメグが取り出した金を見たリュリュナは、目をまん丸にしておどろいていた。
「そんな! こんなにたくさん!? まだほんの何日かしか働いていないのに!」
「数日でも、これだけの働きをしてくれたということよ。リュリュナちゃんが働いたぶんのお給金なのだから、きちんと受け取ってね」
「……ありがとうございます。ありがとうございますっ」
なかば押し付けられるように金を受け取ったリュリュナは、喜びと戸惑いの入り混じった顔で店のなかをうろうろした。
その姿は、とっておきのえさの隠し場所に悩むりすのようで、ユンガロスもナツメグもゼトも、ほほえましい気持ちで見守っていた。
三人に見守られているとも気づかないリュリュナは、ふいにぴたりと足を止めると、眉をきりりとつりあげた。
「よし! 部屋に置いてきます!」
言うが早いかリュリュナはしゅたた、と板間を通り抜け台所の向こうに消えていった。
残された面々がぼんやりとリュリュナを待っていると、ナツメグがぽつりとつぶやいた。
「……あの子、出稼ぎに来たって言ってたから。きっとお給金のほとんどを故郷に仕送りするために取っておくんでしょうね」
「……だろうな」
姉のひとりごとのようなつぶやきに義弟が返す。すこしして、ナツメグはふたたび懐から財布を取り出すと、いくらかの銭を掴んでユンガロスに差し出した。
「副長さま。失礼なお願いかとは思いますが、あの子が欲しいものを我慢していたら、少ないですけど、このお金で買ってやってもらえませんか」
「おねがいします」
姉が銭を出し、義弟が頭を下げる。ふたりに頼まれたユンガロスは、不思議そうに首をかしげる。
「誘ったのはおれですから、必要な金銭はおれが出しますが」
それが当然、とばかりに言うユンガロスだが、ナツメグは困ったように首をふった。
「たぶん、あの子はそれじゃあ受け取らないと思います」
「あいつ、変に貧乏慣れしてるから。男のおごりだとか言っても、遠慮しそうなんです。そのときに、この金は給金とは別の小遣いだって言ってもらえないですか」
ナツメグに加えゼトからも頼まれて、ユンガロスは小銭を受け取ることにした。
いまひとつ納得はできなかったが、姉義弟の思いやりの心は感じられたからだ。
「では、くっきぃ完売の祝いにもらった小遣い、ということにしておきます」
ユンガロスが言って、受け取った小銭を懐にしまったとき。
とてて、と軽い足音をさせてリュリュナがかけ戻ってきた。
「お待たせしました! 行きましょう!」
そんなわけで、リュリュナの懐には本日もらったばかりの給金のほんの一部が入れられていた。
それをうれしげに何度も確かめるリュリュナに、ユンガロスはてっきり欲しいものがあるのだろうと問いかけたのだが。
「いいえ! 自分ではじめて稼いだお金だと思うと、うれしくて!」
ことばの通り、うれしくてたまらないと伝わってくるリュリュナの笑顔がまぶしくて、ユンガロスは目を細めた。
「そうでしたか。それでは、見たい店の希望などありますか?」
「とくにありません。まだ、ナツ菓子舗のまわりくらいしか知らないので、どんなお店があるのかもわからないですし」
村ではルオンが行商に来る以外、店など無かった。街に着いた日はいろいろあって、周囲をよく見ながら歩くこともなくナツ菓子舗に転がり込んだ。それから数日、ナツ菓子舗で新しい生活になじむために忙しくしていたリュリュナは実質、今日がはじめての街歩きだった。
「それでは、向かう店はおれが決めても?」
「はいっ! ユングさまおすすめのおいしいお店を教えてください!」
期待に輝くひとみで見上げたリュリュナに、ユンガロスは目を丸くした。
「おいしい店だけで良いのですか?」
「え! おいしくないお店もあるのですか!」
首をかしげて問うユンガロスに、リュリュナは驚いて立ち止まる。そんなリュリュナの肩を抱いて、ユンガロスはすぐそばにあった一件の店を指さした。
「たとえば、そこに簪屋があります。いかがでしょう、あなたの翡翠のような髪を飾るにふさわしいものも、あるかもしれませんよ」
肩を抱いた手でさらり、とリュリュナの髪を梳きながらユンガロスがささやく。リュリュナは、ぽかんとくちを開けて簪屋を見つめていた。
きれいな店に見とれるリュリュナの横で、ユンガロスもまた店の品定めをしていた。
―――このきれいな緑色の髪に映えるのはやはり珊瑚でしょうか。それとも、明るい彼女の性格を表すような菜の花色の飾りも良いかもしれない。しかし、おれの黒髪に似た黒瑪瑙に赤い花を添えたものも悪くないですね……。
見える範囲だけでも候補がいくつも見つかり、ユンガロスは結論を出した。
―――やはり、いちど宛がってみなければ。
そう確信して立ち上がり、簪屋へ向かおうとしたユンガロスの手は、ちいさな手に引き留められた。振り向けば、リュリュナがその手でユンガロスの指をにぎり、ユンガロスを見上げている。
「どうしました。簪ではなく、ほかの装飾品がよかったでしょうか。それとも、散歩用に着物なりを買って着替えますか?」
簪は好みではなかったか、と代替案を出すユンガロスだが、リュリュナはそのどれもに首を横にふった。
「ごめんなさい。でも、装飾品を買うお金はないです。着物はもっと買えないです。それに着物は、えらいひとしか着ちゃいけないんでしょう?」
「いえ、着物の着用が貴族にのみ許されていたのは、もうずいぶん前のことですが……」
リュリュナの誤った知識に訂正を入れながら、ユンガロスはナツ菓子舗の姉義弟がなにを伝えようとしていたのか、ようやく理解した。
リュリュナが遠慮するのは、自分の食べた物の支払いだけだと思っていた。故郷への仕送りを考えて、自分の小遣いを節約するのだろう、という認識だった。
けれど、そうではないらしい。どうやら、リュリュナは自分に使われる金銭のすべてを自分で賄おうとしているのだ、とユンガロスは理解した。
それがわかった瞬間、ユンガロスは新鮮な驚きを覚えた。
これまでにユンガロスが相手をしてきた女性は、ほとんどがユンガロスに何かを買ってもらおうとすり寄ってきていた。そうでなかった数人も、ユンガロスが宝飾品などを買い与えると言えば、喜んで受け取った。
けれど、リュリュナは違うのだ。
贈り物をされるのを当然とは思わず、手持ちの金が少ないことを正直に告げる。そのユンガロスとは異なる常識に、正直すぎて心配になるほどの素直さに触れて、ユンガロスの心ははずんだ。
思わずくちもとが緩んでいることに気づかないユンガロスを、たまたま目撃してしまった通行人の女性は、顔を真っ赤にして立ち尽くす。
そんなことも気にならないユンガロスは、リュリュナの手を自身の手でそっと包むと、行き先を変更した。
「そうですね……では、手始めに天ぷら屋に寄りましょうか。ひと品から注文できるので、財布にやさしいのですよ」
「わあ、楽しみです!」




