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リュリュナに勧められるまま、ユンガロスは包み紙を開く。ころり、と現れたのはやさしい鳥の子色をしたちいさな焼き菓子だ。よく見ると、ちいさな黒い粒がたくさん入っているのが見えた。
すらりと長い指でクッキーをひとつつまみ、しげしげ眺めていたユンガロスはリュリュナに問うた。
「この、なかに入っている黒い粒はなんでしょう。ごまですか?」
ユンガロスの純粋な質問に、リュリュナはしめたとばかりにくちを開く。
「それは、香りづけのとくべつな菓子材料です! どうぞにおいをかいでみてください」
心持大きめの声で答えたリュリュナの声は、周囲で聞き耳を立てているお姉さまがたに届けるためのものだ。それに気が付いたのか、ユンガロスは衆目に見えるようにクッキーを持ち直すと高い鼻に近づけ、すん、と軽く息を吸うと、おどろいたように目を見開いた。
「ほう、これは……とても、甘い香りですね。砂糖とも違う、心地よい香りです。たしかに、とくべつな香りのようだ」
言って、ユンガロスは形の良いくちびるのすき間にクッキーをころりと入れた。あたりはいつの間にか、さくさくとクッキーをかみ砕く音が聞こえるほど、静まり返っていた。
ひとびとの視線と耳を一身に集めながら、ユンガロスはゆっくりとクッキーを味わう。こくり、色気のあるのどぼとけがちいさく上下したかと思うと、ユンガロスは笑った。
花がほころぶような笑顔に続いて、うすく開いたくちびるから満足気な吐息がこぼれる。
「せんべいよりも歯切れがよく、甘みが身体にしみるようです。くっきぃ、と言いましたか? これはとても、おいしいですね」
涼やかな声が言い切った瞬間、周囲の人垣がリュリュナに殺到した。
われ先にとクッキーを狙って、あまたの乙女がリュリュナのばんじゅうを目がけて駆けてくる。
「あ、わわわっ」
とっさに動けず、クッキーを求める群集に飲み込まれそうになったリュリュナだったが、寸前で横から伸びた手にすくい上げられて、視線が高くなる。
ぱちくりとまばたきをして見回せば、同じくらいの目線にユンガロスの笑顔がある。どうやらリュリュナは、ユンガロスの腕に座らされているらしい。
「あわわ、下ろしてください! 手がしびれちゃいますよ!」
「ふふ、あなたはとても軽いから、問題ありません。それより、お客さんがたがお待ちですよ」
ごく近くで機嫌よく笑ったユンガロスに言われて、リュリュナは自分たちを取り囲むお姉さまがたに視線を向けた。そしてその殺気立ったひとみにおびえながらも、声を張り上げた。
「クッキーをお求めのお客さまは、一列になって順番に来てください!! おひとりさまふた袋までと制限させてもらうので、慌てなくてもお買い求めいただけますー!!」
お姉さまがたの視線にぷるぷる震え、パニックになりかけながらも叫んだリュリュナの頭のなかには、前世にテレビで見た行列のできるお店の店員さんの姿が浮かんでいた。うろ覚えの文言にすがったリュリュナ
ユンガロスはおや、と感心の目を向けつつ、にっこり笑う。
「どうぞ、みなさんの安全のためにも、よろしくお願いします」
笑顔を添えて付け加えたユンガロスのことばで、殺気立った人垣はざっと音を立ててきれいな列になった。瞬く間にできあがった行列は、通りのなかを長く伸びている。
それを目にしたリュリュナは、またしても胃袋がきゅっとなるのを感じた。そして、ユンガロスの腕のなかでくるりと振り向き、店に向かって声をあげた。
「クッキー、追加で焼きはじめてくださいいぃぃ~!!」
悲鳴のようなリュリュナの叫びを聞いて、店から顔を出したのはゼトだ。
「なんだ……ああぁ!?」
何気なく外をのぞいたゼトは、そこに出来上がった長蛇の列に目を見開いた。
ぱかり、とくちを開き呆然とするゼトをリュリュナの声が正気に戻す。
「ゼトさん、ゼトさん! 寝てる場合じゃないんですよ!」
焦りのまじるリュリュナの声にはっとしたゼトは、手招きされるままにリュリュナの元へ近寄った。それでもまだ信じられない、という顔で行列に目をやるゼトの耳にリュリュナが耳打ちする。
「みなさん、クッキーをお買い求めに並んでくれてるお客さまなんです。焼いてあるぶんで足りるかどうかわからないので、いそいで追加のクッキーを焼いてください!」
小声で伝えられた緊急要請に、ゼトは理解が追い付かず固まった。衝撃でリュリュナに顔を寄せて身動きを止めたゼトだったが、その背をすかさずユンガロスが押して店へと向かうよう、うながす。
「おれたちが客をさばいている間にお願いします、ね?」
にっこり、と音が付きそうなほどの笑顔で言われて、ゼトは思わずひっと息を飲んだ。けれど意地で悲鳴はもらさず、代わりにこくこくとうなずいた。
「だっ、大至急! 取り掛かりますっ!」
叫ぶように答えて、ゼトは店のなかに駆けこんでいった。
それを見送る暇もなく、リュリュナは列の先頭に立つお姉さまに向き直る。
きらり、と機を待ち構える野生の獣のようなひとみに迎えられて、リュリュナはすくみあがりそうになった。おかげで、なぜ今だにユンガロスの腕に腰かけているのかという疑問を持つ余裕もなかった。
それでも気持ちを奮い立たせて、リュリュナはクッキーを売りさばく。どのひとも、決まったようにふた袋をお買い上げだ。
銭を払って商品を受け取った客が桃色に染まったひとみでユンガロスを見上げると、ユンガロスは心得たようにうすく笑みをはいてくちを開く。
「こちら、ナツ菓子舗の商品です。クッキーだけでなく、まんじゅうもとてもおいしかったですよ」
「買わせていただきますぅぅぅ~!!」
おかげで、ナツ菓子舗の店員は全員、てんてこ舞い。クッキーを焼き、まんじゅうを蒸し、売れども売れどもいっこうに減らない行列を前に、うれしい悲鳴をあげていた。
そんな、騒がしいナツ菓子舗を見つめるひとの姿があった。
長い長い行列のおしまいあたりに立ったそのひとは、細く形のいい眉をきゅっと寄せて菓子舗の前に立つユンガロスを見ていた。正確に言えば、ほのかに口角をあげたユンガロスの腕に座るリュリュナを見ていた。
「お嬢さま、行列の店の商品をお買い求めでしたら、わたくしがちょっと行ってまいりますが」
付き添う女性に問われて、お嬢さまと呼ばれたそのひとはゆるりと首を横に振った。
「いいわ。きょうは、帰りましょう」
きっぱりと言ったお嬢さまは空色のひとみを伏せると、ナツ菓子舗に背を向けた。ひらり、と翻った白髪のしたからのぞく翼は、空に浮かぶ雲よりも白い、純白だった。