クッキーはさくっと楽しく
リュリュナとユンガロスがにこにこと笑い合っていると、ぱたぱたと軽い足音に続いてナツメグがひょこりと顔を出した。
台所から板間をのぞいたナツメグは、そこに思わぬ長身の着物姿の男を見つけて目を丸くした。
「まあ、副長さま」
ユンガロスは多忙な男だ。リュリュナが来る以前であれば、ひと月に一度、巡邏をする姿を見かける程度であった。それが、ここ数日のうちに二度もナツ菓子舗を訪れている。そのため驚いたナツメグだったが、そんな気持ちはすぐに胸の底に閉じ込めて、笑顔をつくった。
「おはようございます。本日はどういったご用向きでしょう」
ナツメグが問うのを聞いて、リュリュナははっと笑顔を引っ込めた。どうしてか褒められたのがうれしくて笑い合っていたが、お客さまが来たのだからそれをまず問うべきだったと気を引き締めて、眉毛をきりりと吊り上げた。
くるくると変わるリュリュナの表情をおだやかな顔で見つめながら、ユンガロスはにっこりと笑う。
「リュリュナさんの手作り菓子を食べたくて、朝から来てしまいました」
「へ」
麗しいくちびるから落ちた思わぬことばに、リュリュナはきょとんとまばたきをした。けれど、すぐに何かに思い至ったらしくにぱっと笑う。
「異国のお菓子、そんなに楽しみにしてくれてたんですね!」
「はい。リュリュナさんの作った菓子をぜひ食べたいと思い、うかがってみたのですが。すこし、気持ちが急いてしまったでしょうか」
「いいえ。ちょうど今日から、売り始めるところでした! ナイスタイミングです!」
「無い素体眠具? ……寝ている場合ではない、ということでしょうか。それは良かった」
微妙にかみ合わない会話を笑顔で交わすふたりをよそに、ナツメグとゼトはどら焼きの皮を焼いたり次に蒸すまんじゅうを用意したりと忙しい。
忙しくしながらも、姉義弟がリュリュナに売り子の仕事を始めるよう声をかける機をうかがっていた、まさにそのとき。
「きのうみんなで作って、いま紙に包んだばかりなんですよ。いまから表で売るので、ユングさまも買っていきますか。クッキー」
笑顔のリュリュナが自分からそう言いだしたことに、ナツメグとゼトはほっとした。ユンガロスは、人当たりが良いながらも良家の嫡男であり、守護隊の副長だ。失礼な態度を取るわけにいかない。
どうかこのままの流れで帰ってもらいたい、という姉義弟の願いは、かなわなかった。
「それは、菓子舗の方が作った物をリュリュナさんが売るということですね。でしたら、おれもいっしょに売り子をさせてもらって良いでしょうか」
「へ?」
「えっ!」
ユンガロスの発言に間抜けな声をあげたのはゼトだ。ナツメグがもらしたのは驚きの声。
ただひとり、黙ってきょとりとまばたきをしたリュリュナが、首をかしげる。
「ユングさま、きょうはお仕事ないんですか? またこのあいだのお兄さんたちが探しに来たりして……」
リュリュナの純粋な疑問に、ナツメグとゼトはうんうんとうなずいている。今日はクッキーの発売初日だ。貴人の相手をしていられるほど、暇ではない。ぜひとも穏便にお引き取り願いたい、という姉義弟の祈りは、届かなかった。
「問題ありません。ここ数日をかけて書類仕事はすべて、前倒しで片付けておきました。本日はまるいちにち、休みをいただいています」
にっこりときれいにほほえむユンガロスに、ナツメグとゼトは絶望した。知名度のない新しい菓子を売るのに、商品を持って道に立つ売り子は欠かせない。リュリュナはそのための大切な人員であるのに今日は一日、ユンガロスの相手をしなければならないだなんて、と。
そんな姉義弟の胸のうちなど露知らず、リュリュナはぱあっと表情を明るくさせた。
「そんなにがんばって来てくれるなんて……ユングさまも甘いもの、好きなんですね! じゃあ、いっしょに売りましょう! 目指せ、完売! ですよ!!」
「はい。がんばりましょう」
気合十分のリュリュナは、クッキーを乗せた紐付きのばんじゅうを首から下げた。
行ってきます! と元気よく戸口から出て行くリュリュナとその後ろをゆったりと歩いていくユンガロスをナツメグとゼトが見送る。
「……まんじゅう、蒸すわ」
「……そうね、わたしはどら焼き焼くわね」
なぜか妙に疲れた気持ちになりながら、姉義弟はそれぞれの仕事へと取りかかった。
同じく仕事をすべく通りに出てきたリュリュナは、意気揚々と朝の通りに繰り出した。ちょこちょこ歩くリュリュナの後ろに現れた麗しい顔の男に、あたりはにわかにざわめきだす。
「まあ! 副長さまだわ! 朝からなんて美しいご尊顔なのかしら……」
「いつ見ても素敵ね……。お近づきになりたいわ」
あちらこちらできゃあきゃあと声があがり、声に反応して立ち止まるもの、ユンガロスの姿を探してうろうろするものとで、通りに混雑が生まれる。
まるで珍獣でも見るかのような騒ぎに、ユンガロスは苦笑したい気持ちを抑えてつとめておだやかな表情を作った。とは言え、笑顔を見せる気にはならない。
「はわ〜、ユングさま。とっても人気なんですね。これは、売り子として即戦力ですよ。期待大ですよ!」
ユンガロスの憂鬱な気持ちを知ってから知らずか、リュリュナがにぱっと笑ってユンガロスをふり仰ぐ。
そのうれしそうな笑顔と、気持ち良いほど明け透けな下心を込めたことばに、ユンガロスの冷えていた心がぽっと温かくなる。
思わずふわりとほころんだ顔に、つんざくような黄色い声があちこちであがった。
「それはうれしいです。では、どのようにして売ればよいのでしょう」
首をかしげるユンガロスの肩を墨色の髪の毛がさらりと流れる。それだけで周囲からほう、とため息が聞こえてくるが、もはやユンガロスの気持ちをどうこうする力はない。
一方で、周囲の反応をきちんと認識していたリュリュナは胸のうちで戦略を練る。
―――このきれいな顔を活かすには、ふつうに売り文句を言うよりも……。
きらん、とひとみを輝かせたリュリュナはクッキーをひと袋、手にとりユンガロスに渡す。
「ユングさま。それを開けて、なかのクッキーを食べてください」
「売るのではなかったのですか? おれが食べてしまっては商品が減ってしまいますが」
手のひらにちょこりと乗った紙包みを見下ろして、ユンガロスは首をかしげる。けれど、リュリュナはためらいもなくうなずいた。
「いいえ、間違いなくこれでいけます。どうぞ、遠慮なく!」




