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ユンガロスと愉快な隊士たちの訪問を受けてから、数日が経った。
あれから分量を変え、焼成時間を変えして試行錯誤を繰り返したクッキーはついに今日、販売にこぎつけた。いつもより早く起きたナツ菓子舗の面々は、そうそうに餡の仕込みと朝食を済ませると、前日に焼いて冷ましておいたクッキーを検品していた。
台所ではまんじゅうを蒸かす音がしゅうしゅうと鳴って、室内をほどよくしっとり温めてくれている。
まんじゅうを蒸かし終えたら、開店だ。それまでに検品を済まさなければ、と素早く、けれど丁寧に割れ、欠け、ひびがないか確かめながら、ざるに乗ったクッキーをひとつひとつ皿に移していく。
「売れますかね」
検品を通ったクッキーを紙で包みながら、リュリュナがつぶやく。
一枚いくらで売ることも考えたのだが、そうすると小銭のやり取りが煩雑になる。ならば、とひとくちサイズのクッキーにして、ひと袋単位で売ることにしたのだ。
リュリュナの案でかわいらしい色紙に包むことになったのでナツメグとふたり、かわいい色紙をあれでもないこれでもないと楽しく見て歩いたのは、つい昨日のことだ。
そのときのわくわくした気持ちと、売れるだろうかというどきどきする気持ちを混ぜ合わせたリュリュナが問えば、向かい側で真剣な顔でクッキーを見つめるゼトは、眉間にしわを寄せた。
「わからん」
「えぇっ!?」
簡潔かつ希望のないことばにリュリュナが驚けば、クッキーを皿に置いたナツメグが苦笑した。
「くっきぃはおいしいけれど、みんな知らない食べ物でしょう。それに、うちのお店はそんなに知名度があるわけではないから、なかなか、ねえ」
「そんな……」
クッキーのおいしさを知り、ここに至るまでの苦労を知っているリュリュナは納得がいかない。
むむうと眉を寄せてもやもやする気持ちをまるめて、丸いひとみにやる気をみなぎらせる。
「だったらあたし、いつもより頑張って売ります! きっとたくさん売って、もっといろんな異国のお菓子をこの街にはやらせるんです!」
「まあまあ。いまでも、おまんじゅうやどら焼きの売り上げをうんと上げてくれてるのに。無理しすぎないように、がんばってねえ」
ぐっと拳を握りしめるリュリュナにころころと笑ったナツメグは、空になったざるを持って立ち上がった。そろそろまんじゅうが蒸しあがるのだろう。リュリュナも出来上がったばかりのクッキーの包みを紐のついたばんじゅうに乗せるべく、立ち上がる。
「暖簾、出すぜ」
ゼトも立ち上がり、暖簾を持って玄関の引き戸をがらりと開けた、その向こうに人影がいた。
「お? さっそくお客さんか……って」
「おはようございます。ちょうど、開店の時間でしたか」
驚いたような顔をしたゼト越しに顔を出したのは、山羊角を持つ墨色の髪の美青年、ユンガロスだった。ユンガロスは、戸口の前をゆずったゼトの横をすり抜けて長身をかがめながら店のなかに入り、板間に立っていたリュリュナを見つけて目を細めた。
「おはようございます、リュリュナさん。お久しぶりですね」
「はい、おはようございます。お元気そうだってうわさは届いていましたけど、お元気ですかユングさま」
―――ええと、三日、ううん、四日ぶり? かな?
久しぶり、とのことばに彼と会ったのはいつだったか、とリュリュナは慌てて思い出す。会わない日は数日あったが、ユンガロスのうわさは街のそこここで耳にするため、久しぶりという気がしなかった。
「うわさ、ですか。ここ数日は隊内の仕事ばかりで、うわさされるほど特別な行動をとった覚えはないのですが」
首をかしげる彼に、リュリュナはあわてて手をぱたぱたとふった。
「あ、悪いうわさじゃないんです。ただ、ユングさまがきょうも美しかった、とか。巡邏されてるお姿が麗しかった、だとか。そう言った声を街の姉さんたちが話していたものだから」
気を悪くしなければいいな、と思いながらリュリュナが言えば、ユンガロスはにこりと笑った。
「そうでしたか。いや、ただ歩いていても見られているのでしたら、それはそれで恥ずかしいものですが」
「ユングさまはきれいだから、みんなつい見ちゃうんだと思います」
照れもせず「恥ずかしい」と言ったユンガロスに、リュリュナは思わず本音をこぼした。すると、ユンガロスが流れるように土間を通り抜けてリュリュナに近づいた。
板間の端に立つリュリュナと、土間に立つユンガロスが並ぶ。それだけの段差があって、ようやくふたりの視線が同じ高さになる。
前回よりも近い距離からリュリュナのひとみを覗き込んで、ユンガロスはゆるりとほほえんだ。
「あなたは。リュリュナさんはどう思われますか。みんなではなく、リュリュナさんはおれのことをどう思っていますか?」
ささやくような、涼やかな声がリュリュナの耳をくすぐる。問われるままじっとユンガロスを見つめて上から下まで視線を往復させて、リュリュナはうん、とうなずいた。
「背が高くて、角が強そうで、髪の毛さらさらです。着物もとっても似合ってるし、サングラスも違和感なくて、かっこいいです!」
きりり、とした顔で堂々とリュリュナは言う。媚びも、お世辞もない、ただただ純粋な感想だった。
まっすぐで真剣な瞳に射抜かれて、ユンガロスは思わず「ふふっ」と笑いをこぼした。いちどこぼれた笑いは、もう止められない。
「はっ、はは! ありがとうございます。そうですか、そうですか」
「え、ええ? なんで笑うんですか」
大真面目に答えたつもりのリュリュナは、笑いだしたユンガロスに戸惑った。眉を下げるリュリュナを見てもユンガロスの笑いはおさまらない。
「すみません。くくっ。うれしくて、笑いがこらえきれませんでした」
ユンガロスは、称賛には慣れているつもりだった。古くから血の続く一族の生まれだというだけでも、寄ってくる者は多い。加えて、ユンガロスの身に現れた濃い人外の証に惹きつけられる者もいる。守護隊の副隊長という立場や、美しいと評される見目にすり寄ってくる者もいくらだって見てきた。
そのため、並みのほめ言葉に心を動かされることはないと思っていたというのに。
リュリュナのまっすぐな誉めことばは、ユンガロスの心をとろけさせた。知らず、ユンガロスの顔もふわりとほころぶ。
「リュリュナさんに褒められると、とてもうれしいですね」
「えへ。そうですか? そう言われると、なんだかあたしもうれしいです」
ふふふ、えへへと笑いあうふたりのそばでは、空気に徹したゼトがこっそりと開店準備を進めていた。




