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もふり。
もふもふ。リュリュナはまんじゅうをほお張る。
その横でもうひとり、ぱくり、とまんじゅうに食いついているのは、墨色の髪の美青年だ。
彼について詳しく聞く前にぱらぱらと客が連なってやってきたものだから、ナツメグとゼトはそちらにかかりきりになってしまった。
「ちょっとお待ちくださいませ」そう言ったナツメグからまんじゅうをひとつ受け取った男は「彼女の横でまんじゅうをいただかせてもらいますよ」と答えて、そのとおりにリュリュナの横に腰を下ろしたのだった。
―――副長さま、って呼ばれてたけど。えらいひとなのかな。よくわからないから、とりあえずおまんじゅう食べよう。
そう考えて、リュリュナはもふもふとまんじゅうにかじりつく。せっかくのおいしい食べ物だ、温かいうちに食べなければとせっせとまんじゅうをほお張るリュリュナの横で、軽やかな声がした。
「ふふふ」
むぐむぐとほほをふくらませたまま顔を向けたリュリュナを見て、青年が微笑んでいた。
「?」
くちがふさがっていたリュリュナがだまって首を傾げると、青年はますます笑みを深くする。サングラス越しの目がやわらかく細められているのが見えて、リュリュナはきょとんと眼を丸くした。
「まるで子リスのようですね。昨日、こちらの店の前で見かけて保護対象かと思って様子を見に来たのですが」
青年のやわらかい声がリュリュナの耳をくすぐって、脳に届く。その瞬間、リュリュナはむぐっと動きを止めた。
昨日の夜、リュリュナがろくでもない連中か巡邏かと怯えて逃げたのは、このひとだったのだ。
サングラスはすこし怪しいが、ろくでなしには見えない。衣服は清潔でほつれもなく、むしろ高そうな着物をさらりと着こなしている。たいして話してもいないが、頭に悪魔のような角が生えていても悪い人には見えないし、なによりナツメグが「副長さま」と親し気に呼びかけていたのだ。
リュリュナはまんじゅうのかけらをごくりと飲み込んで、恐る恐るくちを開く。
「……もしかして、巡邏のひと、です?」
緊張をはらんだ目で見上げて問うリュリュナに、青年はにこりと笑った。
「巡邏やそのほか、街の治安維持に関わる部署である守護隊の副長を務めています。ユンガロスと申します」
「守護隊の副長さん……」
ふくちょう、ということばがうまく変換できなくてリュリュナは青年、ユンガロスのことばをくり返した。ふくちょう、ともう一度つぶやいたところでナツメグの「副長さま」という声が頭に浮かぶ。
長がつくのはえらいひとだ。組織の構成について詳しくないリュリュナでもそれはなんとなくわかっていた。
そして守護隊は巡邏を取りまとめているという。それらのことを総合して、リュリュナは改めて目を丸くしてユンガロスを見上げた。
「街を守るひとたちの、副長さま……?」
「はい、僭越ながら」
にこにこと応じるユンガロスの穏やかさからは、荒事を行えるように思えない。けれども、荒くれ者相手に打ち負かされる姿も想像ができない。
とにかく、なんかすごいひとなんだなあ。そんな気持ちが、リュリュナの顔じゅうに出ていた。純粋でまっすぐなその視線に、ユンガロスは思わず顔をほころばせる。くすぐったいような、うれしいような、胸がむずがゆくなる気持ちが湧き上がっていた。
ユンガロスはその気持ちにまかせて、くちを開く。
「あなたがお困りではないかと心配でここまで来てしまいましたが、どうやら杞憂だったようです」
言って、そっと伸ばした指がリュリュナのほほに触れる。
リュリュナがくっつけていたまんじゅうのかけらをつまんだ指は、ふっくりとやわらかく色づいたほほをするりと撫でて、離れていった。
きれいな男に触れられてどきり、としたリュリュナだったが。
「ところで、こちらのお店のかたに保護してもらったのですか? 保護者を探しているのでしたら、守護隊のほうで承りますよ」
やさしくほほえんだユンガロスに、リュリュナはむうっとくちをへの字に曲げる。
日暮れに歩いていた女性を心配したわけではなかったのだ。彼は、暗くなったのにひとりでいた子どもを見つけて心配していたのだ。
「……あたし、子どもじゃないです。たしかにちょっぴり背が低いかもしれないけど、立派な十五歳です!」
「十五、さい……?」
リュリュナの叫びにユンガロスは切れ長の目を丸くして、驚いていた。
むくれたリュリュナがふいとそっぽを向いて、あぐあぐとまんじゅうにかじりつく。そのさまはやはり小動物のようにしか見えなくて、ユンガロスはついまじまじとその横顔を眺めてしまう。
かわいい顔を目いっぱいにしかめて、まんじゅうにかじりついたリュリュナ。怒りにまかせて開けた大きなくちから、ちいさな牙がちょこりとのぞく。
がぶっと音がしそうな勢いでまんじゅうをくちにした彼女の顔は、みるみる怒りが解けて幸せいっぱいの笑顔になる。
まんじゅうがおいしかったのだろう。聞かなくてもわかる。とろけるような笑顔で一心にまんじゅうを見つめ、ちいさなくちをいっぱいに開けてほお張る姿を見ていれば、おいしくて幸せなのだという彼女の心が、伝わってきた。
―――おれに読心の能力はなかったはずですが。
ユンガロスが思わずそんなことを考えるくらいに、リュリュナの幸せ顔はわかりやすかった。そのうえ、彼女の幸せはひとにうつるらしい。
「すみません。あまりにも愛らしいから見誤りました。立派なお嬢さん、あなたのお名前をうかがっても?」
ほころぶ顔を収める気にもならないままユンガロスが問えば、リュリュナはまさにまんじゅうをほお張ろうとしていたくちを止めて顔を向けた。
子ども扱いに腹を立てた自分を恥じたのだろう。すこし、きまり悪げにしながらも、リュリュナは答える。
「リュリュナ、です」
「名前まで愛らしい。リュリュナさん、とお呼びしてもよろしいですか」
にこにこと告げられた呼び名は、年相応に見られたいリュリュナの心をくすぐった。呼び捨てかちゃん付けばかりされてきたリュリュナにとって、さん付けで呼ばれるのは新鮮で、うれしいものだった。
その思いはすぐ表に現れて、リュリュナのひとみを輝かせる。
「はい。これからこちらのお店で働くので、お世話になります。副長さま」
きらきら輝く笑顔で言ったリュリュナに、ユンガロスは微笑み返しながらも、首を横に振った。
「どうぞ、ユングと呼んでください。こちらこそ、よろしくお願いします。リュリュナさん」
にこやかに告げたユンガロスが、自身の愛称を呼ばせるのは身内だけだと知らないリュリュナは、こっくりうなずいて返事のかわりにした。