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「おはようございます」
瓶の水で顔を洗ったリュリュナが台所に顔を出すと、日の出前だというのに慌ただしく立ち働くナツメグとゼトがいた。
「あら、おはよう。早いのねえ。うるさかったかしら?お白湯、飲む?」
言いながらも、ナツメグは火にかけた大きな鍋をかき混ぜる手を止めない。
「もう起きたのか。朝飯は日が昇ってからだ。まだ寝とけ!」
そう言いつつも、ゼトは戸口のところに立っていたリュリュナの肩を押して台所のすみの椅子に座らせた。かと思うと、かまどから赤く熱された炭を取り出して七輪に放り込み、水の入った薬缶を乗せた。七輪をリュリュナの足元に押しやったゼトから「ここで火の番しとけ。やけどするなよ」と言われるままにリュリュナは七輪のそばでちいさくなって台所を眺めた。
姉義弟は慣れた様子で、そろってくるくるとよく動く。リュリュナが下手に手伝おうものなら邪魔になりそうだ、と考えてリュリュナはおとなしく薬缶の番をすることにした。
「……お菓子屋さんの朝って早いんですね」
ぽつりとつぶやいてみたリュリュナのことばに、ナツメグがにこりと笑う。どうやら、おしゃべりは邪魔のうちに入らないようだ。
「うちはいろんな種類の餡を出してるから、どうしても仕込みに時間がかかるのよねえ」
答えながらも手を止めないナツメグがかき混ぜているのは、どうやら餡を煮ている鍋らしい。さほど大きくない鍋をちらりとのぞくと、黄色いペーストが練り上げられているのが見える。ただよう香りはほっこり甘い。
「おいもの餡ですか?」
「おう、ほかにもいろいろあるぞ」
リュリュナの問いに答えたのは、ゼトだった。
鍋を持ってあちらこちらに動きまわっていた彼の前には、大きめの器に盛りつけられたいろいろな色のペーストが並んでいる。
「白あん、かぼちゃ、黒あんは粒とこしと両方あるぜ。秋には栗あんも作る予定だ。どら焼きとふかしまんじゅうにそれぞれ入れるんだ」
「うちは新しいお店だから、いろいろ珍しいことをしなくちゃお客さんに来てもらえないのよねえ」
ナツメグの付け足しに、リュリュナはなるほどとうなずいた。これだけ大きな街だ、ほかにいくつか老舗の菓子屋があるだろう。そこに新参者が来て商売を成り立たせるには、目新しさが必要となる。種々のあんの他になにか、と考えて異国の菓子材料や作り方の本を入手したのだと考えれば納得がいった。
それと同時に、リュリュナは自分の責任の大きさにこっそり気合を入れた。
「じゃあ、ふたりとも忙しそうなので朝ごはんのしたくはあたしがします! 材料はどこでしょう!」
意気込んで立ち上がったリュリュナが見回すと、ナツメグが鍋を火からおろしながらほほえんだ。
「あらあ、いいのかしら。だったらお手伝いをお願いしようかしら。そうねえ、瓶から水を汲んでもらう?」
「菜っ葉ぐらいなら切れるか? 自分の手ぇ切ったりするなよ」
まるっきり子どものお手伝いをお願いする口調のふたりに、リュリュナはほほをふくらませる。小さい小さいと村でも言われてきたが、リュリュナは十五歳だ。何なら、女子高生だったころの記憶もあるのだから、本人の意識としてはもうすこし年上だった。
「かんたんなお料理くらい、できます! これでも村ではそば粥を作るのがじょうずだって、言われてたんですから」
えへん、と胸を張るリュリュナだが、ナツメグとゼトは顔を見合わせて戸惑った。
「そば粥……? ああ、お母さまがお風邪のときにでも作ったのかしら」
「そばの実はいま、置いてねえなあ。白い米しかないぞ」
ふたりからのことばを聞いて、リュリュナはショックを受けた。特に、ゼトの発言が衝撃的だった。
「そばがない……? 白いお米しかない……?」
ただでさえ丸い目をさらにまん丸く見開いたリュリュナは、呆然とつぶやいた。
そんなリュリュナを見て、ゼトが首をかしげる。
「ああ。朝飯は白米炊いて、菜っ葉の味噌汁と炙った魚だ。白飯に麦がまじってるけど、質素だとか文句言うなよ」
さらりと言われて、リュリュナはさらに衝撃を受けた。
その衝撃はよろり、と足元がふらついて立ち上がったばかりの椅子に戻ってしまうほどだった。
「まあ、どうしたの。やっぱりもうすこし休んでいたほうが……」
心配したナツメグは、駆け寄ったリュリュナがなにかをつぶやいているのに気が付いてことばを止めた。
ひざを折ってリュリュナの口元に耳を近寄せて、こぼれる声を拾ってみる。
「そんな、白米はお祭りのときにしか食べられないものじゃないの? 朝ごはんにおかずが付くなんて、そんな贅沢が許されるなんて……」
ぶつぶつとつぶやくリュリュナに、ナツメグは彼女の村での暮らしを思い涙をにじませた。
そして勢いよく振り向くと、首をかしげている義弟に懐の財布を差し出して、珍しくおおきな声をだした。
「ゼトくん、いますぐリュリュナちゃんに新鮮な卵を買ってきてあげて! それからお味噌汁にお豆腐も入れましょう。わたしは漬物を出してくるわ! たっぷり、幸せな朝食を味わってもらうのよ!」
ナツメグのとつぜんの叫びにゼトはもちろん、名前を出されたリュリュナも目を白黒させた。
「ええ、なんだって急に?」
驚きあげたゼトの声に続いて、リュリュナも声をあげる。
「そうです。そんな、白米だけでも贅沢なのにおかずが付くなんて! そんな贅沢をしたら、バチが当たります!」
リュリュナのそのことばを聞いた途端、ゼトは差し出されたナツメグの財布を手に取ってうなずいた。
「卵と豆腐だな。ナツ姉、しじみも買っていいか」
「そうね、しじみも買いましょう。お味噌汁に入れましょう」
ナツメグと短く交わして素早く表通りに出ていこうとするゼトのそでを、リュリュナは慌ててつかんで止めた。
「そんな、やめてください! ごはんと菜っ葉の味噌汁でじゅうぶんです! じゅうぶんですからああぁ!」
「ええい、止めるな! まともな飯を食わねえからお前はちっこいんだ! おれが腹いっぱいうまいもんを食わしてやる! 手を離せ!」
「そうよ、リュリュナちゃん。うちの子になったからには、そば粥で満足なんてさせないわ! ゼトくん、行って!」
「やめて、待ってえぇぇ!」
同居人に腹いっぱい食べさせたい姉義弟と、それを止めようとする同居人とのやりとりはその後、しばらく続いた。
にぎやかな台所にはいつの間にか、朝日が差し込んでいた。




