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特別な反応を示さないユンガロスに見つめられて、リュリュナは焦る。
勢いで言ってしまったけれど、どう思われたのかわからなくてあわてて付け足す。
「あの、とは言っても、何でも覚えてるわけじゃなくて。お菓子とか、ご飯とか、おいしいもののことしか覚えてなくって……あ、あと! 食べ物のことなら少しは思い出せるみたいで、近親獣を食べちゃだめっていう言い伝え、あれたぶん本当です。前世でも、血の近い生き物の脳を食べると病気になる、って言われてたはずで。だから、ユングさんはヤギさんを食べないようにすれば暴走なんてしないはずで……」
「ふふっ」
しどろもどろになりながらも一生懸命にことばを紡ぐリュリュナを見つめていたユンガロスが、不意に笑った。
ぱちくりとまばたきするリュリュナを愛おしげに見つめて、ユンガロスはささやいた。
「あなたは目に見える角や羽ではなく、内側に異質な特徴を持っていたのですね。だから、あなたの心は強いのでしょうか。そのうえ、その知識でわたしの心を救ってくれる」
言うや否や、ユンガロスは横に座っていたリュリュナを抱えて自身のひざに乗せた。ちいさく、細い体をやさしく抱きしめて、とろけそうに笑う。
「リュリュナさん、愛しています。どうか、おれとの結婚を真剣に考えてください」
言いながら、ユンガロスは懐から取り出したちいさな粒をリュリュナのくちにそっと含ませた。
「ふえっ⁉︎ あ、あまい」
ユンガロスからの結婚申し込みに驚きながらも、すなおにくちにしたリュリュナは、舌に広がるやわらかな甘さに笑顔になる。不意に与えられた甘味に気を取られ、つん、とくちびるに触れた指も気にならないようだ。
「金平糖です。祝いの品を購った店でおまけに、といただきました」
「おいしいです!」
ユンガロスは、ふところから取り出したちいさな包みをリュリュナに見せてほほえむ。包みのなかでは、星屑のような甘味がころりと転がる。
ひざに乗せられたまま、リュリュナはぽりぽりと金平糖をおいしくいただく。
「何してんだよ、リュリュ!」
ぽりぽりもぐもぐしていたリュリュナの名をチギが呼ぶ。
弟分の世話は兄貴の仕事っす! とノルに貸し出された書生風衣装を身につけたチギは、皿を持ってユンガロスをにらんでいる。
「こんぺいとう、もらったの。おいしいよ!」
にこにこと答えるリュリュナを見て、チギはぐっと苛立ちをこらえた。
「うまいものなら、ほら。けぇきを切って配ってたから、リュリュの分ももらってきたぞ」
言いながら、チギはケーキを黒文字で切ってリュリュナに差し出す。
「わ、ありがとう! えへへ。クリーム、あまぁい! スポンジもふわふわでおいしぃ〜!」
三層になったケーキの断面を見て、リュリュナはユンガロスのひざからぴょこんと飛び出した。
チギの手にした黒文字にぱくりと食いつくと、ほほを押さえてにっこり笑う。
貴重なクリームや卵を贅沢に使ったケーキは、本番用の材料しか用意できず、味見もできなかったのだ。
一瞬でリュリュナを奪われたユンガロスは笑顔でチギを見据え、リュリュナにケーキを食べさせるチギもまた不敵な笑みを浮かべてユンガロスを睨み返す。
「くりぃむとは、くちの中で消えてしまうものなのですね」
「姫さんを喜ばそうと、リュリュナががんばったんだぜ。白羽根の家のひとにも手伝ってもらってな」
ほう、と息をついたヤイズミがケーキのおいしさに顔をゆるめ、その笑顔を見たゼトが満足そうに笑っている。
「あああ、ヤイズミぃ……色打ち掛けもとっても似合ってるよ……きれいだよ。こんなにきれいな娘が、もうお嫁に行ってしまうなんて……ううう」
「嫁に行っても心配、行かなくても心配。ままならんものですなあ。ま、飲みましょ! 飲んで泣いて、祝いましょう!」
仲睦まじいふたりを見たヤイズミの父がまた涙を流し、ゼトの兄になぐさめられてふたりで酒を酌み交わす。その後ろでは、ナツメグとヤイズミの母がことばを交わしては、ふたりでうふふおほほと笑い合っている。
「ゼトくん、当分は菓子舗の仕事もしつつヤイズミさんのお手伝いをしてそちらのお仕事を覚えさせていただけるなんて。いろいろと配慮してくださってありがとうございます」
「いいえ、礼を言うのはこちらです。当主が心変わりしないうちに、などと準備期間もほとんどなく式を執り行ったのですから。都合をつけていただいたこと、感謝します」
広い会場のなか、皿に盛れるだけ盛って、さらにつぎの食べ物を物色しているのはノルだ。ソルには早々に愛想をつかされたらしい。
「あ、それさっき食べたけど、うまかったっすよ。おいらのおすすめっす!」
「おお、これですかい。いやあ、好きな物だけ好きにとって食べればいいなんて、助かりまさぁ」
「おれたちゃ礼儀作法なんざ知らねえやつばっかりですからね」
「あはは。そんなのおいらだって、よくわかんねぇっす。こぼさず食べればそれでいーんすよ」
めげないノルは元ごろつきたちを引き連れて皿から皿へと歩きまわる。そして途中で見かけた若い女子に声をかけては項垂れている。
「おや? お嬢さん、そんなところでどうしたんすか。おいらのイチオシ、うまーい料理に案内するっすか?」
誰彼かまわず声をかけるノルは、障子の向こうでひっそり見守っていた女性にも声をかけた。
しぶしぶ部屋に入ってきた女性は、ヤイズミが気になるらしい。話しかけてくるノルはそっちのけで、色打掛姿のヤイズミをちらちらと見ている。
「フチ!」
女性の姿に気づき、その名を呼んだのはヤイズミだ。
駆け寄るヤイズミに、フチは後ずさりかけた足を止めてぐっと顔をあげた。
「ヤイズミさま、ご成婚おめでとうございます」
「フチ……ありがとう」
以前のフチならば、庶民との結婚に不満をこぼしただろう。けれどフチはそれには触れずヤイズミと、並んで立つゼトにも頭を下げて祝いのことばを述べた。
フチは、変わっている。いまだヤイズミとの距離は使用人と主人のそれだが、たしかに変わっている彼女の姿に、ヤイズミは心からの感謝を告げた。
式場のそこここがにぎやかに、ときに湿っぽく盛り上がるなか、結婚式に似つかわしくない不穏な空気を生み出すのはユンガロスとチギのふたりだ。
そんなふたりに挟まれて、リュリュナはケーキやそのほかのごちそうをしっかり楽しむ。
けれど、何も考えずに食べ物に没頭しているわけではなかった。
むぐむぐと味わってごくん、と飲み込んだリュリュナは、気持ちが落ち着いたのを確かめてからよし、とユンガロスに向き直る。
「ユングさん。さっきのお返事します」
「なっ、なんの話だよ!」
「リュリュナさんに婚姻を申し込んだのです。その返事をいただけるのですから、すこし静かにしていてください」
きりり、と表情を引き締めたリュリュナに動揺したチギは、ユンガロスの手で横へと押しやられた。
リュリュナの正面に陣取ったユンガロスは、居住まいを正してリュリュナの答えを待つ。
「あたし、 村のみんなにおいしいものをお腹いっぱい食べさせたくて街に来ました。だから、ユングさんとはまだまだお友だちのままで……」
皆まで言わせず、ユンガロスは口をはさむ。
「リュリュナさんの村につきましては、今後定期的に物資の搬入が行われる予定です。道が拓けて馬車での行き来も可能になりましたし、大岩での儀式はイサシロを含めた一帯の活性化に必要なものと思われますので、村を存続させるための物資は街の維持費から用意されるよう申請を出しました。まだ審査中の段階ですが、必ず通してみせます」
村から戻ってこっち、衣装探しのとき以外は姿を見せなかったユンガロスは、村のために奔走していたらしい。
ユンガロスの仕事ぶりを聞いて、リュリュナは目の前の黒髪の男が仕事もできてかっこ良くて、そのうえ自分にとびきり甘いのだと改めて感じた。
そのうえで、自分の心が惹かれるものはなんだろう、と考える。
「……村のこと、ありがとうございます。とってもうれしいし、村のみんなもきっと喜びます。けど」
「それでは足りませんか。あなたが菓子を作りたいと言うのなら、ナツ菓子舗での仕事は続けていただいてかまいません。子ができたとしても、おれの給金で乳母を雇うなりしてリュリュナさんの現状を維持することは可能でしょうし」
言い募るユンガロスのうしろでチギが「子ぉっ⁉︎」と叫んで顔を真っ赤にしている。リュリュナもまたほほをほんのりと染めながらも、ゆるりと首を振る。
リュリュナはひとつぶ、摘んだこんぺいとうをユンガロスにそっと食べさせた。
驚き、ことばを無くしたユンガロスにリュリュナは言う。
「ユングさんが足りないんじゃなくて。あたしが、まだそんな結婚だとか考えられないんです。あたしの一番はまだ、おいしいものなんです。だから……」
「やあやあ、どうした! 祝いの席で神妙な顔して」
リュリュナのことばの途中で、ひょいと顔を出したのはゼトの兄だ。
「おや、きみは我が愛しの人魚姫がうちの子と呼んではばからないリュリュナちゃんじゃないか。ナツメグがうちの子と呼ぶなら、おれにとっても我が子にちがいない。そうだ、これをあげよう」
にこにこと笑ったゼトの兄は、どこからか取り出した小箱を開けてなにかを摘む。
「そっ、それは……!」
「おや。やはりきみは知ってたか。異国の菓子でね、ちよこれいと、と言うそうだよ」
異国との取引をしたときにたまたま手に入ってね、という説明はリュリュナの耳に届いていない。
きらきら光る丸い目は、男の指先につままれたつややかな茶色の塊に釘付けだ。
「……ほーら、おいでおいで」
ゼトの兄がチョコレートを持つ手を上下させれば、それに合わせてリュリュナも伸びあがり頭を低くする。
その様を見てにこっと笑ったゼトの兄は、その場にあぐらをかいて座ると、空いているほうの腕を広げてチョコレートをちらつかせる。
「ほーら、お父さまって呼んでごらん。かわいいうちの子には、ちよこれいとあげよう」
「ふああ……チョコレート……ほしい……お父さま、チョコください……!」
ふらふらとチョコレートに吸い寄せられていくリュリュナを、ゼトの兄が手招きする。
「いやあ、ほんとにかわいいねえ。よしよし。ほら、ちよこれいとをおあがり」
「はむ……はわぁ、とろける……あまぁい……‼︎」
呼ばれるままあぐらをかいた脚のうえに登ったリュリュナは、差し出されたチョコレートを食べて幸せそうにほほをおさえている。
そんなリュリュナの頭をなでて、ゼトの兄は楽しげに笑う。
昨日今日会ったような男のひざに乗り、気軽によしよしされる彼女を見て、ユンガロスとチギはそろって叫んだ。
「「その牙っ娘にエサを与えないでください!」」




