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守護隊の男たちが店の近くで立ち話をしていた、そのころ。
店のなかで深く頭を下げたリュリュナは、後頭部に向けられた視線を感じていた。
まちがいなく、ひとが居る。
けれど、どんなひとかわからない。相手もまた驚いているのだろう。怒鳴りつけるでもなく、やさしく迎えてくれるでもない沈黙のせいでリュリュナは動けない。
しばらくののち。
「……あらあら、ゼトくんたら。木戸を閉め忘れてたのねえ」
ほんわりとした女性の声が、固まっていた空気をやぶった。
―――やさしそうな声。
リュリュナがすこしほっとしかけたところに、もうひとつの声が応じる。
「あ、そうだ。……て、そうじゃねえよ。ナツ姉!」
こちらは若い男の声。はじめの女性の声にのんきに相づちを打ったかと思えば、我に返ったように声を荒らげる。
「なんだ、ちび! もう店は閉まってんだ。陽も落ちたぞ、早く家に帰れ!」
「みゃっ!?」
男が言うのと同時に、リュリュナは首根っこをつかまれて宙づりにされた。自然にしたを向いていた視線が上がって店のなかが視界に入る。
おとな二人くらいが寝られそうな広さの土間と、土間に隣接した同じくらいの広さの板間。板間にはリュリュナの背丈ほどの棚が置かれていて、値札だろうか文字の書かれたちいさな木の板が等間隔に並んでいる。
店じまいの時間だからか棚に商品はないが、棚のうえには液体の入った椀がいくつか並べられている。
板間の奥にのれんがあって、その向こうにも部屋が続いているようだ。のれんのしたから見る限り、台所のようだった。
リュリュナの正面に立っているのが、はじめに声をあげた女性だろう。
おっとりと垂れた瞳はやさしげで、水のように流れるまっすぐな長髪がよく似合っている。魚のひれのような耳と相まって、人魚姫のようだった。
「おい、こらちび! お前どこの家のやつだ。送ってってやるから、名前を言え!」
リュリュナをぶら下げたまま言うのは、思ったとおり若い男だ。黒い短髪、茶色いひとみをしており、尖った耳さえなければリュリュナの前世の世界でも違和感がないだろう青年だ。褐色の肌と鼻に走った傷跡が明るい瞳と相まって、やんちゃそうな雰囲気を感じさせる。
「リュリュナです。家は、すごく遠いところにあります」
猫の子のようにぶら下げられたままリュリュナが答えれば、青年は器用に片眉をあげる。
「リュリュ……? 聞かねえ名前だな」
「あらあら、遠いところってどこかしら。巡邏さんを呼んだほうがいいかしら?」
ほほに手をあてて首をかしげた女性がそう言うのを聞いて、リュリュナは慌てた。
「子どもじゃないです! 十五歳です! 働きに出てきてるだけなので、巡邏はいらないです!」
早口で伝えたリュリュナのことばに、青年と女性は顔を見合わせた。
「十五、さい……?」
「まあ。ゼトくんと三つしか違わないのね。かわいいわあ」
「いやいやいやいや、ナツ姉。そんなわけねえだろ。三年前におれ、こんなちっこくなかったぞ。迷子がよく言うやつだよ、あいつらすぐ自分は子どもじゃないなんて言うだろ」
うふふ、と笑う女性に、青年が強く否定する。
その言い草にむっときたリュリュナは、首根っこをつかんだままだったその手を振り払って自分の足で立ち、ふん、と胸を張った。
「ほんとうです、まだ成長してる途中なだけ! きょうは働く先のひととすれちがったせいで、宿を探しているところで……」
胸を張った拍子に、リュリュナは室内を満たす香りに気が付いた。鼻をひくりと動かすまでもない。店いっぱいに広がるこのにおいはをリュリュナは嗅いだことがあった。
「……このにおい、バニラビーンズ!!」
店を満たしている甘い甘い香りは、前世で大好きだったバニラアイスの香り。バニラビーンズだった。
リュリュナはそのときなって、ホーリィの店に行く前に引き寄せられた甘い香りの店のなかにいるのだ、と気が付いた。
十数年ぶりの香りにうっとりしているリュリュナの前で、青年が眉をあげる。
「ばに、ら? なんだ?」
「ねえ、リュリュナちゃん、だったかしら。あなた、この香りの元を知ってるの?」
おっとりと笑う女性に聞かれて、リュリュナはこっくりうなずいた。
「あの、黒いさやの豆ですよね。この甘いにおいを出す、お菓子の材料の」
リュリュナが記憶にある知識をくちにすると「まああ」と声をあげた女性の目がきらりと輝いたような気がした。
「わたしもすてきな香りだと思うわ。ところで、リュリュナちゃんはこれがお菓子の材料だって知っているのね」
「え、ええ。はい」
戸惑いながらもうなずいたリュリュナに、青年がおどろいたように目を丸くした。
なにかいけないことを言っただろうか、と後ずさりかけたリュリュナの肩を女性のたおやかな手ががしりとつかんで、引き留める。
「だったら、リュリュナちゃん。この豆の使いかたを知らないかしら。もし知っているのなら、ぜひ教えてほしいのだけど」
「な、ナツ姉! こんながきんちょが知ってるわけねえだろ。だってこれは……」
女性の剣幕に驚いて固まっていたリュリュナだが、青年の発言にぴくりと反応した。
自分が同い年と比べてやや小柄なことは認めているリュリュナだが、ちびっこやらがきんちょやらと言われるのには我慢がならない。
青年のことばをさえぎって、リュリュナはまっすぐに女性を見て言った。
「知ってます! それを使ってお菓子つくったこともあります!」
自信満々で答えるリュリュナに、青年は「まじかよ……」とつぶやいている。
女性はおっとりとした目をきらめかせて、うれしそうに顔の横で手を合わせた。
「まあ、その使い方を教えてもらってもいいかしら。お礼に……そうねえ。宿を探しているのだったら、今夜はうちで休んでいってちょうだいな」
「ほんとうですか! ありがとうございます!」
女性の申し出に、リュリュナは一も二もなく食いついた。
「お、おいナツ姉」
青年がなにか言いかけるのをさえぎって、女性がリュリュナの手を引き店の奥へと連れていく。
「さあ、どうぞ上がって。台所に行く前に、まずはお着替えしましょうね」




