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ナイトサラリーマンヒーロー

作者: あさの音琴

 彼の名は吉田吉生(よしだよしお)。今年で四十三歳になる中年サラリーマンだ。頭は禿げ上がり、加齢臭も気になる年頃である。


 そんな吉田吉生は秘密を抱えていた。普段は窓際族として、会社の部下などから毛嫌いされているが、昼は冴えないサラリーマン。そして夜は世の悪者を退治するヒーローなのだ。


「さて、今日もお仕事が終わりましたね」


 吉田吉生は営業マンである。しかし、係長と言う役職は貰っていても、営業成績はいつも最下位。今日も今日とて悪を退治する為に周りが残業する中、定時で退社するのだ。


 夜の見回りが始まった。非行に走りそうな少年少女には目もくれない。吉田吉生のターゲットはただ一つ。この夜にはびこる悪を退治する為の見回りなのだから。


 この世界には悪が存在していた。それは稀に写真などに姿を現したり、それは人を惑わせたりもする。俗に言われる幽霊と言う輩たちだ。


 吉田吉生は常に寝不足だった。いつもこう思っていた。


『これで最後にしよう』


 吉田吉生にとってこの悪を退治すると言う仕事はかけがえの無いものだった。それは何故か。人知れず悪を退治すると言う行動に自分が酔っていたからだ。


 吉田吉生が自分の能力に気付いたのは四十歳になった頃である。それまでは会社での営業成績も悪くなく、順風満帆な社会人生活をしていた。


 転機が訪れたのは、新入社員の歓迎会の飲み会が終わり、後日も会社も休みだと言う事で、一人しっぽりと酒を飲みに行こうとした時だった。


『おじさん。おじさんこっちに来て』


 知らない女の声に呼ばれた吉田吉生はその声に誘われるまま人気の少ない裏路地に入っていった。吉田吉生はそこにいた女の異常性にすぐ気が付いた。


 女の目に光は無く、暗い(もや)がその女に纏わりついていたからだ。


「こんなおじさんを誘っても何も出ないぞ」


『そんなのは関係ないの。私はお金。お金が欲しいの』


 その女は金の亡者に取り憑かれていた。吉田吉生はそこで不思議なチカラを顕現させる。


 吉田吉生の右手が黄金に光輝いていたのだ。


 吉田吉生は右腕を振りかざし、悪霊と対峙する。女に直接攻撃する事なんてできないから、靄を黄金の右手で攻撃するのだ。


 吉田吉生はめちゃくちゃに右腕を振り回す。


 振り回された右腕の遠心力に任せて光り輝く粒子は靄に纏わりつくと金の亡者を浄化させていく。


 金の亡者は光り輝く粒子に撃退された。女は気を失い倒れる。


 吉田吉生は紳士だった。倒れかけた女の腰に手をやりそっと地面に寝かせる。女が目覚めるまで待つと吉田吉生は女に一言告げた。


「確かに金は必要なものだ。しかし、それは真っ当な方法で手に入れなさい」


 吉田吉生の夜のヒーロー生活は毎日行われた。休日も無く。


 吉田吉生の日々髪の毛が抜けていく。ストレスと睡眠不足によるものだった。


 今日で引退する。


 吉田吉生はそう決意して夜の見回りに挑んでいた。できれば引き継ぎをしたかったが、ついに自分のような人間を見つけることができなかった。


(今日で最後ですし、大物を狙いたいですね)


 今回の引退については吉田吉生は大いに悩んでいた。しかし、体力の限界と仕事への影響を考えれば妥当なものだとも思えた。


「あの靄は――」


 午前二時過ぎだった。一際大きな黒い靄を見つけた吉田吉生。


「あれが最後の敵ですか」


 吉田吉生が見た中でも一番大きな靄だった。ゴクリと生唾を飲んだ吉田吉生。その額からは靄の重圧のよるものなのか、汗が吹き出していた。ポケットに入れたくしゃくしゃのハンカチで額の汗を拭う。


「さて……いざ最後の戦いです」


 吉田吉生は駆けた。グレーのスーツが風になびく。気づけば無くなっていた頭頂部分の髪も幻影となって吉田吉生の背中を押した。


 乱れたバーコードをコームで梳かしながら靄に向かって進む吉田吉生。興奮の為か眼鏡も水蒸気で曇るがそんなものは意に返さない。慣れた手付きで眼鏡も拭う。


 吉田吉生は靄の中心を見た。金髪の男と、禿げた男が麻薬の受け渡しをしていた。


「まちなさい!」


 吉田吉生声を荒らげた。


「んだぁ? おっさんなんだよ」


 金髪の男が吉田吉生に掴みかかる。


 踊るように吉田吉生は金髪男のパンチを避け、手首を手刀で弾く。流れるように金髪男の顔面に裏拳を食らわせた。


「ふげっ」


 金髪男は鼻血を出しながら倒れ伏す。


「そうですか。あなた自身が亡者でしたか」


 金髪男からは靄が出ていなかった。全て、禿げた男から出ていたものなのだ。


 吉田吉生の右手が黄金に光だす。禿げた男はそれを見て後退った。


『貴様か。我ら亡者を浄化し続けていたのは』


「お前。なぜそれを!」


『我々は個にして集団。集団にして個なのだ』


 驚愕の事実に目を見開いた吉田吉生。今まで倒してきた亡者も全て同じ個体から生まれてきたものだったからだ。


「しかし、君は私を知らなかった。ならばこちらの手の内は知らないだろう」


 吉田吉生は右腕を振り回す。黄金の粒子が靄に纏わりつくもそれだけだった。


『ははは。そんなものか』


「なん……だと」


 吉田吉生の攻撃が靄に通じなかった。最後の戦いでとてつもなく強大な亡者と戦う事に気付いた吉田吉生は額から流れる汗も拭うのを忘れるくらいに狼狽えていた。それもそのはずだ。今まで、この攻撃が効かなかった敵はいなかったのだから。


 吉田吉生は亡者の靄に飲まれてしまった。


「ぐおおおおおおおおお」


 靄が吉田吉生の体に纏わりつく。


『なんだ。貴様も結局は我らの仲間ではないか』


 禿げた男は影に溶けるように消えていった。


 翌日。会社についた吉田吉生の目は死んでいた。いや、本当は初めて力を得た時から吉田吉生の

目は死んでいたのだ。


 やる気も起きず、ただ会社に着いてはデスクに座って一日を過ごす。部長から精神科に行ってみてはと打診された事もあったが、吉田吉生は自分を正当化するように大丈夫だとその打診を断っていた。


 それはなぜか。吉田吉生は夜のヒーローだったからだ。自分に限って心の病に侵されるなんて思っていなかったのだ。


 ならば吉田吉生の戦っていた敵はなんだったのか。それは確かに存在した。夜に溢れる欲望と言う亡者だ。しかし、それは吉田吉生の妄想に過ぎなかった。


 子どもの頃に憧れたヒーローになると言う夢が吉田吉生を蝕んでいた。


 こんなはずじゃなかった。昨日の敗北で夢から覚めた吉田吉生だったが、現実での悪夢からは抜け出せなかった。


「私は今まで一体なにを……」


 夜の自分は確かに強くかっこよかった。だが、今鏡を見てみれば頬はげっそりこけ、目の下にはクマが広がっている。


「私は戦っていた。確かにあの時……」


 吉田吉生は戦っていた。確かに戦っていたのだ。相手は自分自身だった。自分に酔っていた自分は駆逐され、現実を見つめ直す事ができた。


 もしかするとあの敵は自分自身だったのかもしれない。


 吉田吉生は決心する。精神科に通う事を。


 黄金の右手を持つ吉田吉生はそれこそ幻影だった。全てを否定する幻影だった。自分が自分を否定し続け殺していたのだ。殺せば殺すほど、自分を否定し自分を殺していたのだ。


 そして、夜のヒーローを引退すると決めた覚悟が幻影を弱らせた。ついに自分自身に勝った吉田吉生は自分を取り戻した。


「ヒーローになんてなる必要は無かったんですね」


 吉田吉生は失った二年を取り戻すため前に進んでいく。一歩目は部長に精神科を受診する事を伝える事だ。


 無いはずの髪の毛が生えてきた気がした吉田吉生。これも大きな一歩だろう。自分に自信を持つと言う意味で。


 自分を取り戻した吉田吉生は進んでいく。困難な事にぶち当たったら歩みは止まるかもしれないが吉田吉生はそれでも歩き続けていくだろう。自分を信じて。

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