第3話:秋葉原のランデヴー
「ワタルくん、起きて」
僕を呼ぶのは、誰の声だったか。
思い出せ、思い出すんだ。
夢と現実の狭間を逍遥としていると、いつも現実がどちらか迷う。
そんな区別は無意味なことだとわかっているのだけれど、いつも迷うのだ。
僕は流れ込む現実を受け入れる。そう、この声はハルカ。
さっき銃のようなもので撃たれてそれで……
僕の記憶はそこで途絶えていた。
「ここはどこだ?」
あたりを見渡すと、そこには本が並んでいた。本に本に、本棚。
僕はいつの間にか図書館のような場所に横たわっていた。
ハルカが上から僕を覗き込んでいる。
真剣な眼差しだった。
「ここは緊急避難場所みたいなものかな。ここなら彼らもまだ見つけられない」
そう言うとにっこりと笑うハルカだった。
「ハルカが運んだのか?」
とてもじゃないが、華奢な彼女には僕を持ち運べるような筋力があるとは思えない。
「うーんと、私じゃないよ。でも、そのうちわかる」
また謎が増えた。さっきの男といいハルカといい、いったい僕の周りで何が起きているんだ。
「ワタルくん、ちょっと待ってて」
ハルカは起き上がり、近くの本棚から一冊の本を持ってくる。
「やっぱり…… この非線形時間座標、時間発散がもう始まってる……」
ハルカはブツブツと呟いて、そのまま黙る。
「ヒセンケイ? ジカン…… え、なに?」
取り残される僕。
「ワタルくん、説明は後。この座標だと多分、もうすぐこの辺りにアレが来る」
そう言って彼女は僕の手をとって走り出す。
途中何度か転びそうになったけれど、彼女の手は柔らかくて、とても女の子らしかった。
*
秋葉原は晴天なり。
というわけで僕は今、ハルカと一緒に秋葉原にいる。
なんでだ。
ちなみに僕の学校があるのは江戸川区で、秋葉原とはそこそこ離れている。
にもかかわらず、先ほどの図書館を出るともう秋葉原の駅の近くで、しかも後ろを振り返ればもう扉がなかった。
正直、黒ずくめの男たちあたりから全然ついていけない。
世界よ、いったい全体どうなってんの?
「大切なのは、疑いを向けること、か……」
どこかで聴いたセリフ。
でも、思い出せない。
大体こんなはちゃめちゃな世界が現実だっていうなら、それ自体を疑うしかないじゃないか。
そこでふと気付く。これは現実なのかと。
試しにハルカに尋ねてみる。
「ハルカ、ほっぺたつねってくれない?」
「うん、こう?」
「いてっ!? いててててっ!?!?!?」
こいつ、可愛いツラしてなかなか情け容赦ない。
ちょっと怖くなってくるレベルなんですが。
「ごめんごめん、ほっぺたつねってなんて初めて言われたから、加減がわからなくて」
そう言ってケラケラと笑うハルカだった。
案外Sっ気があるのかもしれないと思った瞬間だった。
ちなみに僕はMっぽい女の子が好きなので少し残念だ。
Mっ気のある女の子に「私を思い切り叩いて……
この話はやめよう。
さて、話を整理するとこうである。
まず怪しい黒ずくめの男たちに遭遇する。
次に消える図書館。
最後に秋葉原にワープ。
さっぱりわからない。
パスカル曰く。
「人は、死と無知と不幸を癒せなかったので、幸福になるために、それらを考えないようにした」
とのこと。
僕も状況の飲み込めなさを癒せなかったので、何も考えないようにする。
僕、賢い。
というわけで生まれたてのアヒルの子のようにテクテクとハルカの後をついていく。
ハルカは僕に構わずズンズン進んでいく。
いったい何が目的なのか。
ハルカが何を知っているというのか。
僕には皆目見当がつかなかった。
「ワタルくん、そろそろ来るよ。気をつけて。私と離れないように手をこっちに」
僕は何がなんだかわからないまま、ハルカとしっかりと手を握る。
その瞬間だった。
モワ、という音が一番近かったかもしれない。
とにかくとんでもなく間抜けで、とんでもなくドでかい音が響き渡る。
秋葉原駅の前、ビルとビルの隙間。
人々がざわめく。
神様、よくわかりませんが僕、よくわからないことに巻き込まれているようです。
*
ソレが来たのは後ろからだった。
黒い穴、あるいは亀裂、そう、亀裂だ!
そのとき、僕は初めて亀裂のことを思い出した。
ニュースでやっていた。
エミも言っていた。
ヘルケスも言っていた。
黒い亀裂と、そこから出てきた黒い影。
ネットなんかでも度々目にした、あの亀裂。
それが今、僕の目の前に広がりつつある。
「ワタルくん、こっち」
ハルカが僕の手を引いて、後ろへと下がるように促す。
車の陰に僕を座らせるハルカ。
「ここで待っててね、私、ちょっと亀裂をなんとかしてくる」
そう言うハルカは、腕に光の絵ののようなものが浮かびあがっていた。
ホログラム? てかハルカって何者?
突然現れたわけのわからない亀裂から遠ざかる人々と、それをかき分けて亀裂に向かうハルカ。
ハルカのホログラムはかなり目立つけれども、人々は亀裂の恐怖におののきそれどころではない。
亀裂は、真黒な中心の周囲にオーラのような光があり、光っているようにも光を吸い込んでいるようにも見える。
そこにハルカが突進していく。
亀裂から数メートル。ハルカの足が止まる。
「はぁっ!」
掛け声と共にハルカが両手を前にかざす。
すると腕のホログラムが花火のように飛び散り、前方へと集まる。
直後、三次元球体の魔法陣、とでも言えばいいのだろうか。
不可思議な紋章が刻まれた光の球体が出現する。
「お願い、これでなんとか……」
ハルカはそう言うと、光の球体が一気に収束し始める。
球体からぶわっと風が吹き、彼女の明るい色のショートボブを揺らす。
「うっ、ぐ……」
どこの筋肉を使っているのかは不明だが、かなりの筋力を使って抑え込んでいるような仕草のハルカ。
彼女の表情や動きと光の球体がピッタリ一致していて、なんとも不可思議な光景だった。
直後、光の球体が炸裂。ハルカが吹き飛ぶ。
「ハルカ……!!」
僕は気がつかないうちに叫んでいたが、彼女にまで届いたかは不明。
僕は彼女がいた方向に駆け出していた。
*
彼女は数メートル吹き飛んだだけで、命に別状はないようだった。
もっとも、どこかの骨が折れていても僕にはわからないし、調べる余裕もない。
亀裂はハルカが吹き飛んでから元の真っ黒な見た目に戻っていて、中心部に黒い陰、その外側に光のオーラがまとわりついていた。
しかし、さっきより確実に大きくなっている。
車の一台や二台、軽く通れてしまいそうなほどだ。
そしてその光のオーラにはいくつもの影が映っている。
ヤバいという予感しかしなかった。
僕はハルカを抱えて、なるべく亀裂から遠くに離れる。
後ろを振り返ると、亀裂からハイテク装備の特殊部隊、としか言いようがない格好の人間がどんどんと出てきている。
見たこともないハイテクそうなマスクで顔を覆って、よくわからないハイテク機材を持っている。
ハイテクしか言ってないな。
12人ほどが出て来て編隊のようなものができあがったときだった。
彼らは銃のようなものを構えて、すぐに発射。
実弾というより、エネルギー砲のような感じだった。
逃げ遅れた人に着弾。炸裂。
また他の人にも着弾、そしてまたしても炸裂。
聞いていられない悲鳴と共に、炎を上げたり血を撒き散らしながら体がバラバラになる人々。
すぐに死体の山が出来上がる。
正直、こんなに無差別かつ大規模、しかもこんな速さで人が死んでいくのは映画でもあまり見ない光景だった。
それが今、現実として目の前に広がっている。
「うそ…… だろ……」
目を覆うほどの惨状。
あまりの悲惨すぎて、逆にリアリティがなかった。
そのせいで冷静を保てていたのだが、後で思い出してどうなるかは知ったこっちゃない。
今はただ、逃げるのみ。
僕はハルカを抱えて無我夢中で走る。
途中足首を捻った気がしたが、そんなことに構っている余裕なんてなかった。
死ぬか生きるかだった。
途中で何発かエネルギー砲が飛んできて、すぐ側の車を半壊させたり、隣を逃げる人をバラバラにしたりしていた。
道を右折すると、放置された丈夫そうなトラックを見つける。
トラックの陰に身を隠せた頃には、僕もハルカも、犠牲者たちの血でビショビショだった。
彼女を下ろすと、震えながら辺りの様子をうかがう。
幸いなことに、彼らの侵攻方向とは少し違うので、こちらはまだ安全だろう。
こっちがやられるのも時間の問題だろうけれども。
「ハルカ、頼む、目を覚ましてくれ」
ハルカの頬を優しく叩くと、反応あり。
「う、ワタルくん……?」
「ハルカは、ハルカは何をどこまで知ってる? これはいったいなんなんだ……?」
彼女の心配をしている余裕なんてなかった。
何かこの状況を打開するヒントが欲しかった。
「ワタルくん、血が……血まみれ……だよ……怪我を、見せて……?」
ここでやっと、ハルカがかなり苦しそうなことに気がついた。
「これは他の人の血だ。それよりハルカの方は? どこか痛むか?」
「内臓かどこか、破裂したかも。でも、大丈……」
ハルカがむせると、大量の血を吐きだした。
「全然大丈夫じゃないだろ……」
まずいまずいまずい。
頭の中がパニックになり始めていた。
冷静になれ、なるんだ僕。考えろ考えろ考えろ。
今できることはなんだ?
……ダメだ全然何も思い浮かばない。
目眩を通り越して、世界が歪むような錯覚。
気絶するかもしれない、と思ったそのときだった。
物凄い衝撃。
ハルカを抱きしめて、身を屈める。
耳鳴りで何も聞こえない。
ふと頭を上げると、トラックが無くなっていた。
「なっ!?」
「ワタルくん!!!」
自分たちの周りが黒い陰に覆われる。
一瞬何が起きたのかわからなかったが、すぐに事態を把握する。
見上げれば、空高くに舞い上げられたトラックの破片が僕ら目掛けて落ちてきていた。
血を吐きながら、彼女はいつの間にかに出現した腕のホログラムにタッチしようとしていた。
だが、絶対に間に合うわけがなかった。
「くそぉぉぉ!!!!」
僕は気がつくと、ハルカを再び抱えて走り出していた。
*
どういう経路だったか覚えていないが、ひとまず僕らは橋の下に隠れることができていた。
火事場の馬鹿力、とはこのことを言うのだろう。
ハルカは華奢な女の子とはいえ、なかなかに長身である。
どんなに痩せていても最低でも50キロくらいはあるだろう。
それを抱えて、しかもかなりの速さで走ってきたわけだが、多分普段だったら絶対に無理だった。
それはともかく。
ハルカを仰向けに寝かせる。
と、ここでハルカが自分で吐いた血で喉が詰まらないか心配になり、横向きにする。
「ハルカ、大丈夫か?」
大丈夫じゃないことくらいわかっていたけれど、それくらいしかかける声が見つからなかった。
「ワタルくん、ごめんね、色々変なことに巻き込んじゃって」
「いや、とりあえず、無理のない範囲で説明できるか?」
「うん…… そうだね、ここまで巻き込んじゃった……し」
ゲホゲホとむせる。まだ血を吐いている。このままだとハルカは……
彼女は腕のホログラムを操作して、何やらお腹の辺りに手をかざす。
<Traktado de la tuŝita areo komenciĝos.>
読めないホログラムの言語が浮かび上がる。
ゴギッという音とともに、彼女の肋骨あたりが動いた。
「おいおい、大丈夫なのかよ、それ」
「い、今骨折してるところが治ってる」
苦痛に顔を歪めるハルカ。
でも、これで治るならひとまずおーけーだ。
一通り治療らしきものが終わると、ハルカは僕の足を見て、目を外らす。
「ワタルくん、複雑骨折してる」
見ると、僕の足首は変な方向に折れ曲がって、骨が突き出ている状態だった。
不思議と痛みはなかった。
ここに至ってグロいとも感じなかった。
「とりあえず治すね。ちょっと痛いけど我慢して」
そう言うと彼女は僕の足に手をかざす。
暖かいような感触と、骨が動く奇妙な感覚。
そして、足から全身に突き抜けるような、鋭い痛み。
「あがっ、いてぇ!」
「ごめんね、もうちょっとで治るから」
もがくこと5分。
「ワタルくん、これで全部治ったと思うけど、他に痛むところはない?」
「いや、大丈夫。ありがとな」
「ううん……」
沈黙がしばらく続く。
僕は横目にハルカを見つめる。
ハルカの茶髪と、黒いキュロットスカート。
どちらも今は血だらけだけど。
それでも彼女は、とても美しかった。
こんな出会いじゃなかったらよかったのに。
こんな出会いじゃなかったら、もっと純粋に喜べていたのに。
そんなことを考えている場合じゃないことくらいわかっていたけれど、でも僕にはそういった考えを止める術がなかった。
もしかしたら、まだ混乱しているのかもしれない。
遠くで聞こえる悲惨な炸裂音たちとは対照をなす、優しい風が吹く。
ハルカが髪をかきあげる。
一歩。
僕の方へと彼女が歩み寄る。
「じゃあ、この世界の説明、はじめる?」
そう言うハルカは今まで以上に真剣な眼差しだった。
「ああ」
僕も同じくらい真剣な眼差しだったと思う。
「あのね……」
ハルカの口から今、僕の知らない世界が流れ出そうとしている。