6 首都グルコース
テルの潜入任務が決められてから半月ほど。
テルはナラエゴニヤ海域を歩いていた。
空は曇り空のように鈍い色を写している。
雲などないこの海の中ではとても珍しい光景である。
それもそのはず。
いつもテルたちの頭上は海だったのだ。そして、その上には邪魔ひとつない空が広がっていたのだから。
今はその空と海の間に大きなものが邪魔している。
氷だ。
そのため空が晴れていても間にある氷が光を吸収して、いつでも曇りのような日差ししか当たらないのだ。
もちろん、そんな日照で海水中が温まるわけもなく。
「さ、さむいよぉ」
「もっと着込んでおけばよかった。ううぅ」
テルとフーカは寒さに耐えながら移動しているのだった。
今回、一緒に行くことになったのはテル、フーカ、ノエの3人とこっそり付いてきている苦内だけである。
タコスも以前であれば付いて行きたそうにしたものだったが、今回はついてこなかった。
スイカが久々に会ってゆっくりしたいとタコスに言ったからだった。
そのせいでタコスもこなかった。
他の仲間たちはいざとなればすぐさま戦争が始められるように待機している。
自然とテルたちの周りの人物のみで行くこととなったのだった。
しかし、寒い。
テルは体が勝手に震えるのを我慢できなかった。
一応防寒具は着ているのだ。
海綿を加工したもので、もこもこのふわふわとした温度を逃さない加工をした服である。
それでもテルとフーカは、ナラエゴニヤに来てから最初に通った街で上にもう1着購入して重ね着した。
それでもこの寒さなのである。
(本当にこんな仕事受けるんじゃなかった)
テルが弱音を考えていると能天気な声が聞こえてきた。
「テルさーん。フーカ。頑張るッス。もうちょっとしたら次の街ッスからね」
「そうしたら暖かいものでも食べましょう」
最初のは口の中のノエの言葉で、次は影の中から苦内の言葉であった。
2人とも外に出てこない。
「お前も一緒に苦労したらどうなんだ」
「無理ッス。自分はフーカみたいに肉がついてないッスからね。一瞬で凍っちゃうッス」
「何の話?」
その言葉にテルはそっとフーカを見る。
フーカは急にふられて何の話かわかっていないようだ。
確かにフーカは体に脂肪がついている。いやついていない。
ついているところについていて、ついてないところについてないというか。
まあ、何を考えているのかよくわからない。
「だから自分はテルさんの口の中で十分ッス」
「そうかそうか」
スーハー
「寒い寒い寒いッス!!! なんで思いっきり口を開けて深呼吸してるんッスか!?」
「苦労は共有したいじゃないか」
「最低ッス!!」
たわいない口喧嘩をしながらテルたちはナラエゴニヤの首都、グルコースを目指して進んで行くのであった。
ちなみにこの寒さに慣れるため、苦内を使いにしてナラエゴニヤ周辺で訓練をするように連絡をしておいた。
いざ戦争となったとき、寒さで動けなくなると困るのだ。
それからさらに数日。
ようやくナラエゴニヤの首都であるグルコースに到着したテルたちであった。
少し小高い丘の上にあるグルコース。
遠目から見たグルコースは丘の上がそのまま城塞のようになっていた。
高い塔が街を囲むようにぐるりと張り巡らされており、その塔と塔をつなぐように石造りの分厚い壁が覆っている。
グルコースの外からでは中がどうなっているのか想像もつかない。
屋根はとんがり帽子であり、壁にも急勾配の屋根が付いている。
まるで巨大な1つの屋敷のような姿をしているのがグルコースであった。
屋根も壁も真っ赤である。そこに一体どういう意味があるのかは知らない。もしかしたらおしゃれで塗っているのかもしれないが、圧迫感はあった。
そんな赤い壁の1つに小さい扉がついており、どうやら人々はそこから出入りしているようだ。
テル達もその扉に近づくと門番がいた。
少し緊張しながら近づく。人の良さそうな門番とはいえ、これから敵の本拠地に潜入するのだ。
「はい、止まって」
扉の左右にいる門番の魚人が槍を交差して通行を止める。
テルは堂々とすることにした。おどおどしていると逆に目立つのだ、と昔何かの本で読んだ記憶がある。
「こちらにはどんな用事で」
「ええ、マカレトロまで旅をしているんです」
思いっきり嘘である。
だが、言い訳は一二三達と考えて来ていたので、スラスラと出てくる。
ダゴンの住むマカレトロまで行きたいと思う魚人は、実は結構多い。
現在のいわゆる都会に憧れる田舎者である。
どうしてもナラエゴニヤ、ハルカズムを通らないとダゴンの住むマカレトロまで行けないのでこの言い訳はよく通用するのである。
そもそもまだ現段階ではタコス軍の戦争準備もここまで伝わって来てはいないはず。
そのため、まだ警戒していない今ならば潜入できるとテル達は考えていた。
「よし、通っていいぞ」
ちょっと話しただけで通してもらえた。
門番が扉をあけて中に誘導してくれる。そのまま入ったテル達の前に赤い街が目に飛び込んで来た。
驚くテル達を微笑ましく見ながら門番が歓迎の言葉をかけてくれる。
「ようこそ、グルコースへ」
テル達が門から見た景色。それは頭上に縦に走っている氷の空と、それ以外を埋め尽くす赤い街並みであった。
赤、赤、赤。
右を見ても左を見ても、上を見ても下を見ても、前を見ても後ろを見ても。
すべて赤。
石で作られた路。石で作られた壁。ガラス張りの窓の外に、さらに木の頑丈な扉がついている。
大砲が飛んで来ても十分守り切れるんじゃないかと思えるほど頑丈な作りの建物、その全てが真っ赤な色をしていたのだ。
また、屋根、壁、道で全て赤の色合いが違い、うまい具合に目が痛くならないようになっているようだ。
さらに建物と建物の間に隙間がない。
なので門から入って城までの一直線。左右に壁がズラーっと継ぎ目なく続いているのだった。
この不思議な感覚は、自分が迷路の中に入り込んでしまったかのような感覚をテル達に与えていた。
「すっごいねー」
「ああ、確かにすごいな」
圧巻。まさにそんな感じであった。
しかし、巨大な城塞都市であるにもかかわらず、人はあまり出歩いていない。不思議に思っているとテルの口の中から答えが返って来た。
「グルコースは街が1つの建物みたいになってるッス。だから、そこらへんから適当に建物に入ってみるッス」
ノエがアドバイスをくれた。
それに従ってそこらへんの扉から中に入ると、そこには街道があった。
建物の中に街道。
何を言っているのかはわからないが、そうとしか言いようがない景色であった。
ただ、テルに言わせればもう1つ言い方もある。
(アーケード街か)
建物の中に人通りで溢れる道があって、その道の横で商売したり家の入り口とつながっていたりしているのである。
キョロキョロと珍しいものばかりの街の中で歩きながら宿屋を探すテル。
慣れない土地で前方不注意で歩いていたからであろうか。
どんっ
「きゃっ」
「うわっ」
前を歩いていた女性とぶつかってしまった。テルはなんとか踏みとどまったものの、女性は地面に倒れ込んでしまった。
完全にテルが悪いので、手を差し伸べる。
「すまない。前を見てなかった」
「いえ、私も前を見ていませんでしたから」
その女性と目が合い姿を確認した時に、テルの体の中の時が止まった。
その女性はちょっとぼさっとした赤い髪を、金属製の楕円形の髪留めでまとめた可愛らしい女性だったのだ。
その可愛らしさも素晴らしかったのだが、テルは別の場所を見ていた。
彼女は白黒の給仕服。
現代日本でわかりやすく言うならばゴシック調のメイドファッションをしていたのだ。
テルの世界がぐるりと回る。
危うく膝から崩れ落ちそうになったが、なんとか耐えきったテルをテル自身が褒め称えた。
それくらいのインパクト。
生前、テルは電子機器と特殊文化の街でそういった喫茶店の前を通ったことがあった。
客引きで外に出ている女性達を見て、心が惹かれながらも、気恥ずかしさで結局行くことはなかったのだ。
それでも、見ているだけで魂は安息を得ていた。
安らぎを求めずにはいられない。悲しい性をテルは理性と野生の狭間でもがき苦しんでいたのだ。
異世界なのだ。あり得るだろう。
転生した時、剣と魔法の世界と言われていた。期待していなかったといえば嘘だ。
だが、テルは生まれた時、魚だったのだ。
諦めた。
全てを諦めきった。
それなのになぜ。なぜ神は今になってこんな所業をテルに与えるのだろうか。
そもそもテルは…
「あの、大丈夫ですか」
女性から声をかけられて我に返ったテルは、なんとか再起動した。
最初の衝撃はなんとかやり過ごした。きっと大丈夫だろう。
何が大丈夫かは知らないが、大丈夫といえば大丈夫なのだろう。
「大丈夫です。そちらは怪我はありませんか」
さらりと言葉が出る。テルの人生で会心の一撃であった。
「ええ、大丈夫です」
女性、もといメイドさんはテルの手を取って体を起こした。
テルはいまいち現実感がわかない。
そんなふわふわしている状態でメイドさんが話しかけて来た。
「すいません。あの、人を探しているんですが」
探し人のようだ。残念ながらテルとしてはその期待に答えることはできない。
「わからないですね。何分、先ほどこの街にきたばかりでして」
「そうなんですか。どうもすみませんでした」
そう言って去って行くメイドさんに、ノエが口の中から出てきて大きくなる。
そんなノエに驚いているメイドさんに、ノエが話しかける。
「せっかくだからまた合わないッスか。ぶつかったお詫びもしたいッス」
「いえ、こちらも前を見ていなかったので」
ノエがいい感じで縁をつなげようとしている。断ろうとしているメイドさんに危機感を感じたテルはなんとかして話をつけようと慌てて言った。
「そっちは転んでしまったので、その分こちらが悪いと思う。お詫びをさせてはくれないか」
「今は急いでいるので」
断らせようとするのを加速させてしまったようだ。テルも言っていて完全にナンパの手口に感じていたのでなんとか修正したいところであった。
「じゃあまたあった時でもいいんじゃないかな。こっちもまだ宿屋が決まってないから宿を取らないといけないし」
「そういうことであれば」
メイドさんがこちらにお辞儀をして言った。
「私はアカネといいます」
「俺はテル。こっちはフーカで、小さいのがノエだ。じゃあ、また」
そう言うと別れることとする。
アカネはそのまま小走りでかけていった。人探しをしているというのは本当のことなのだろう。
それを見送って、テル達もまた宿を探して街をうろつき始めた。
そうして歩いているとノエが話しかけてきた。
「それにしてもテルさんらしくなかったッスね」
「何がだ」
ノエの言葉にテルは先ほどの行動を思い出す。テルらしくない。確かにテルらしくない行動ではあったかもしれない。
「いつもなら自分が言わなくてもお詫びくらいはしそうなものなんッスけどね」
「ああ。ぶつかって気が動転していたからな」
メイドで停止していた件ではないらしい。テルは自分でもなかなかナイスな言い訳だと思っていた。
「ふーん」
「そうッスか」
テルはメイド服との出会いの衝撃で気付けなかった。
フーカとノエの視線の温度に。
テル達はその後、宿を取ることができた。
外は寒いが建物の中は暖かい。
この独特の建物群は寒い土地を生きる人々の生活の知恵なのだと、テルはしみじみと思ったのだった。