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氷海のマーマン  作者: ベスタ
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2 死への旅路

 ライトが自室に戻ると広間には解雇された2人が残されていた。

 元々、老人であったバーンズは今までの疲れが出て来たのだろう。そばにある椅子に座り込みため息を一度ついた。


 それは年輪が刻み込まれた古木のような、思いの込められたため息であった。

 肩の荷が降りたような、大事な何かが消えてしまったような、そんなため息であった。

 アカネから見てバーンズはそのため息ひとつで、一気に10歳も歳をとったように見えた。


 アカネとしても今まで仕えていた主人からいきなり解雇を通達されて、心にぽっかりと穴が空いたような気分だった。

 ライトの謹慎が解けてさあこれからという気持ちもあったのだ。


 だが、死ぬ覚悟を決めた主人に、これ以上何を言えばいいのかもわからなかった。

 だからアカネはほとんど言葉すら発せないでいたのだ。

 バーンズは顔を上げる。


「いや、歳をとるとどうにも。いけません」


 そういったバーンズの顔にはシワが目立っていた。

 アカネはバーンズの顔にシワがあったことを知っている。だが、そのシワはこんなにも深いものだっただろうか。

 バーンズはそんなアカネの思いに気づかずに続ける。


「これまでの恩返しに、戦いに向かう主人に解雇されてでもついて行こうかと思いましたが。どうしても、体が動きません」


 はは、と短く笑うバーンズは、椅子に座ったままだった。

 情けないと嘆くバーンズがどうしようもなく悲しく見えたアカネは、自分がなんとかして力になれないかと思っていた。


 だからぽろんと口から言葉が出てしまった。


「私がライト様についていきます!」


 それは考えての言葉ではなかった。

 だけれども、口から出た後に考えても、悪い考えではないように思えた。

 バーンズが目を丸くしている。


「やめなさい。お前がついていっても邪魔になるだけだ」

「そうはいきません。バーンズさんほどではないにしろ、私だってライト様に恩があるんですから」


 鼻息も荒く、ふんすと気合いを入れるアカネ。

 それでもなお、止めようとするバーンズにアカネは言い切った。


「それにバーンズさんじゃライト様についていけないのでしょう?」

「う、うむむ…」


 アカネに言い含められて黙り込むバーンズ。たしかに戦場までついていっても役に立たないのはバーンズも同じだった。


「これは私の意思で行うことです。バーンズさんがなんと言っても私は解雇されたので従う理由もありません」

「それは、そうだが」


 だめ押しであかねが胸を張って言うとバーンズはついに折れた。


「はぁ、わかった。お前の好きにするといい」

「はい! 好きにします!」


 アカネは笑顔でバーンズに答えた。

 その笑顔は明るく、バーンズはその笑顔をまぶしそうに見つめる。


「ライト様を、任せたぞ」


 バーンズの言葉にアカネは一度深くお辞儀をしてからバーンズの目を見る。

 その目には、信頼と願いが込められていた。

 だから精一杯、アカネは元気に返事をすることにした。


「はい! 任されました!!!」


 精一杯の笑顔とともに。





 コンコン


 数日後、ダゴンの部屋にノックの音が響いた。


「入れ」


 退屈に溺れていたダゴンはノックの音に入室許可を与える。まだ誰なのかも聞いていないが、そんなことはダゴンにとってはなんの意味もなかった。

 たとえ誰であろうとダゴンの感情は動かないであろうから。

 だが、そんなダゴンの思いは裏切られることとなる。


「失礼いたします」


 そんな声とともに入って来たのは謹慎していたライトだった。

 人の話を聞かないライトを、ダゴンは苦手としている。

 嫌な奴がきたと、ダゴンは少しわずらわしく思った。

 そういう意味では、ダゴンの感情は動いたということだ。決して歓迎する類の感情ではなかったが。


「ライト=ツナ。本日より復帰しましたので報告に参りました」

「もう1年経ったか」

「はっ」


 ダゴンは目の前のライトを見やる。

 あまり見たくない姿である。謹慎を2年にすればよかったか、などと思うダゴンにライトは退室すればいいのにまだ残っていた。


 つまり、挨拶だけではないということだろう。

 そもそも本来ならダゴンに直接挨拶すらさせてもらえないはずである。

 それがかなっている時点で何かがあるのだろう。ダゴンはライトに話を促す。


「まだ何かあるか」

「はっ。恐れながら申し上げます。

 本日より、私はナラエゴニヤに1兵士として向かいたいと思います。

 それにつきまして、おそらくもう二度と会えなくなると思いましたので報告に来ました」

「ほう」


 それはダゴンにとって朗報であった。

 ダゴンの命令でツナ家当主から降りることを許されないライトである。

 そのためにツナ家はライトのいる本家をなかったものとして、たくさんの分家に別れたと聞く。


 もはや力の無くしたツナ家とはいえその本家の当主が贖罪のために死ねば、分家の者たちも今後やりやすくなるというもの。

 死ぬことこそがライトの許された唯一の行動というわけだ。

 ダゴンは理解して頷くとあっさりと許可を出した。


「いいだろう。これからお前は自由だ」

「ありがとうございます。では」


 死にゆくものにとっては随分とあっさりとした言葉であった。

 それだけ期待されていないということである。だがライトにとってはそれでよかった。

 話を聞いてくれただけでもライトにとっては無上の喜びであったのだから。






 ライトはマカレトロの武器屋に顔を出した。

 顔なじみの武器屋の親父が退屈そうにしていたが、来客の顔を見て驚く。


「久々に見る顔だな。明日は雪かな」

「くだらん冗談を言うな。今日は預けていた武器を返してもらいに来た」


 ライトの言葉に店主は奥に引っ込んだ。ごそごそと店の奥を漁っている音が聞こえてきて、ライトはその間に店の中を見物することにした。


 ここはマカレトロの数ある武器屋の中でもずば抜けて一流の武器屋である。

 鉄製品を加工する技術があるのは世界の海広しといえどもここだけなのだから。

 ただし、あくまで加工のみである。

 製鉄は地上のものしかできないからだ。海では鉄の生産ができない。


 良さそうな鉄製の武器を見て回るが預けていた剣より良さそうなものは見当たらなかった。

 見物していたライトに店主が一振りの剣を持って出てくる。


「頼まれていた品だ」

「ああ。……悪いがこれももらっていいか」


 ライトは1つの剣を店主に出した。

 それは店の片隅に置かれていた鉄の棍棒であった。店主はそれを見てライトにいう。


「それは切れ味なんか考えてない代物だ。今渡した剣よりも何倍も使い物にならないぞ。まあ、何十倍も頑丈だがな」

「ああ、だから買うんだ。これから戦場に向かうからな」

「切れ味よりも耐久力かい?」


 店主は文句も言わず剣のホルダー込みで会計を済ます。ライトは二振りの剣を背負い込んで店を出た。






 マカレトロの首都、ステロールを歩くライト。

 石畳に靴音が響いてあたりに響き渡る。


 こつこつこつ…


 もうおそらくステロールの勇姿を見ることはないだろう。一度振り向きダゴンの居城であるステロールを眺める。

 偉大なるダゴンの住まうステロール城。

 いろいろ思うところもあったが、それでもライトはこの街が好きだった。

 この街の石畳の1つ1つが、育ててくれた人々が、笑いあえた時間が好きだった。

 そのためなら喜んでライトは死んでいける。



 ライトは少しだけ感慨に浸り、再び歩き始める。

 タコス軍と最も領地が隣接している寒冷地、ナラエゴニヤ海域へと。死に場所を求めて。


 こつこつこつ…

 ぱた…

 こつこつこつ…

 ぱたぱたぱた…

 こつこつこつ…

 ぱたぱたぱたぱたぱた…


 ライトはふと、自分の足音に重なるように足音が響くことに気づいた。

 気になったので足を止める。


 こつ…

 ぱたぱたぱたぱた…


 ごいん


「あいたぁ!」


 足を止めたライトの鎧の背中に軽い衝撃が走る。それと同時に可愛らしい声が聞こえ、思わず後ろを振り向くライト。


「あいたたたぁ。ううぅ。たんこぶができてないかな?」


 額をさすりながらふらついている女性がいた。それはライトがよく見たことのある女性だった。


「なぜお前がついてきている」


 それはツナ家に最後まで残っていた使用人の1人であった。そして解雇した『元』従業人のメイドである。

 今のライトについてくる理由がなかった。


「お邪魔でしたか? ならちょっと距離を開けてついていきますね」


 大慌てでメイドは4歩くらい後に下がる。

 ライトは頭を抱えてそのメイドにいった。


「そう意味じゃない。何で旅に同行しようとしているのかを聞いている」

「だってライト様、1人じゃろくな生活をしそうにないんですもの」


 ライトは名家の当主であった。

 もちろん雑事が全くできないわけではない。

 軍事訓練には必要最低限の生活を行う訓練も組み込まれているのだから。


 だが、それはあくまでも『必要最低限』である。魚人が活動に支障が出ないギリギリの生活が営めるという意味である。

 そして当主であったライトにはそれ以上を覚える必要が今までなかった。


「服の洗濯から食事の用意まで満足にできるとは思えません」


 今まで1年間、つきっきりでライトの世話をしていたのはアカネである。いくら引きこもっていたとしても食事は取る。部屋の前に置きっ放しとはいえ。

 そういったライトの様子は筒抜けであった。取り繕う必要もないくらいに。

 さしものライトも反論できない。

 だが、同行を許すわけにはいかなかった。


「だが、私は死にに行くのだぞ?」


 そう、ツナ家当主のライトは戦場に出なければいけない。

 戦場に出て死ななければならないのだ。そうしなければライトはともかくツナ家の者に迷惑がかかってしまう。

 そんな戦場にメイドを道連れにするわけにはいかないのだ。


「分かっています」


 だが、アカネもそんなことは百も承知であった。

 それでも強引について行くことにしたのだから。今まで生活の面倒を見てくれた恩のあるライトに。

 だからこそアカネは他の従業員が離れていっても最後まで残っていたのだから。アカネが他の家に働きに行ってもそこまで重宝されないということもあるのだけれど。

 アカネ程度の能力を持つメイドであればそれこそアカネでなくともたくさんいるのだし。


「それでもついて行くと決めたんです。雇い主でもないライト様に命令されるいわれはありません。それに…」

「それに?」

「ライト様は絶対無敵の騎士様です。戦場で死んだりなんかしません。きっと生きて帰ってきますよ」


 それはライトの腕前を信頼している言葉であった。

 実際、ライトはこの世界全ての海域において、右に出る者がいないほどの剣技の持ち主である。それはツナ家の当主であればと血のにじむ思いでライトが身につけたものではあったが。


 いまは、別の意味でライトにとっての重荷になるのであった。

 でも、その重荷は思ったよりも心地よいもので。


「たしかに勲功をあげすぎるかもしれんな」

「周りの味方に倒す敵がいないと文句を言われるかもしれませんね」

「せいぜいそう言われるよう、活躍してみせよう。ついて来い、」


 ライトは笑顔で同行を許すのであった。


「アカネ」

「………っ!? はいっ!!!」


 白い鎧に身を包んだ騎士と白黒の服を着たメイドが、その日、ステロースを旅立っていった。

 それは死を求める旅であったが、彼らからそんな悲壮感は全く感じることができなかった。

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