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氷海のマーマン  作者: ベスタ
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1 解放された復讐鬼

第1話から主人公が出ませんが申し訳ありません。

しかもついでに言うと主人公は3話から登場します。


大変申し訳ないですが、ゆっくり見守ってやってください。

 メイドの少女は今日も紫色の霧の中、街の石畳の上を自分が働いている家に向かって帰って来ていた。

 彼女の名前はアカネという。

 マカレトロ海域の中でも優れた名士を輩出していたツナ家。

 そんなツナ家に仕えられているのが彼女の誇りであった。就職にはいくつもの難関を突破せねばならず、苦労も多かったがそれに見合う高待遇であった。


 給料もいいし休みもきちんと取れる。

 今の当主のライトは時々人の言うことを聞かない時もあるが、それでも優秀で人のいい彼に皆が信頼を寄せていた。

 もちろんアカネもそのうちの1人であり、ツナ家はますます栄えていくものと思われていた。



 ……思われていた。

 そう、過去形である。


 今やツナ家は偉大なるダゴンに逆らったとして、名家としては風前の灯火となっていた。

 原因はライトの悪い癖。人の話を聞かないから。

 そのせいで謹慎をさせられているライトは、屋敷の敷地内は自由に歩ける権限が与えられているにもかかわらず、自分の部屋の中にこもりっきりとなってしまった。


 凋落した名家から人が離れていくのをライトは止めもしなかった。

 いまのツナ家のお屋敷には専属の料理人すらおらず、買って来た食品をアカネが調理している有様であった。


 屋敷には年老いた執事のバーンズとアカネが残っているのみである。

 バーンズはその弱り切った体を押して、資産管理を行なっている。

 それすらもツナ家から離れていく取引先などから、資産運用の苦労が絶えないようだ。溌剌としていた1年前と比べてめっきり白髪が目立つようになっていた。

 そんなバーンズの心労を思い、アカネは美味しい料理を振る舞おうと意気込んでいた。




「ただいま戻りました」


 お屋敷の大きな玄関。

 見上げるような門からいつものように中に入ると、バーンズが入り口のホールにたまたまいて出迎えてくれる。


「おやアカネ、お帰り」


 そう言って出迎えてくれるバーンズは珍しいことに掃除道具を持ち出していた。

 本来なら執事の仕事ではなくアカネの仕事である。

 アカネは大慌てでバーンズの手からブラシを奪い取った。


「バーンズさん。これは私の仕事ですよ。そりゃ手が回ってないとは思いますけど…」


 元々ツナ家の使用人は100名を超えていた。

 大きなお屋敷もさることながら、使用人が寝泊まりする場所。大広間から執務室、応接間から何から何もで全てが広い。

 とてもではないがアカネ1人で全てのメンテナンスはできないのだった。


 アカネが自分の至らなさを感じしょんぼりしているのを見て、バーンズは安心するような笑みでアカネに説明した。


「ああ、お前の仕事ぶりを嘆いたわけではない。ただ、もうそろそろじゃないかと思ってな」

「そろそろ?」

「ライト様が謹慎されてから、もう1年は経つか」

「あ…」


 ツナ家当主であるライトは1年の謹慎を受けている。

 それがそろそろとけるのではないか、とバーンズは言っているのであった。

 バーンズは主人が久々に部屋の外に出るかもしれないと考えて、屋敷を少しでも綺麗にしようと思ったのだろう。

 遅れて理解したアカネは顔じゅうに喜びを浮かべる。


「じゃあ今日は腕によりをかけて作りますね」

「楽しみにしているよ」


 アカネの料理は決して素晴らしいものではない。

 元々がメイドとして家の管理や客の応対などのために雇われているのだ。だが、これまで代々ツナ家に仕えてきた執事一家のバーンズには料理が期待できないし、主人に料理をさせるわけにもいかない。

 残ったアカネが頑張っていることは十分に理解しているために、申し訳なく思うバーンズであった。


 アカネは久々に会うであろう主人にしっかり食べてもらおうと食材を持って、急いで厨房へと向かっていったのであった。





 当主であるライトは粘土板のメモを見ていた。

 そこには今日できっかり1年たったことを記録していた。毎日1本ずつ書き足していた線がこれまでの月日を思い出させる。

 それも今日までであった。

 握っていた模造剣を宙に放るライト。


 にちゃ


 粘着質な音がして手のひらに痛みが走る。

 ただ、意識はそんな痛みのことなど全く気にせず、ようやく謹慎から解放された心が主人のために動くことを願っていた。


(やっとダゴン様のために働ける)


 主人であるダゴンに謹慎させられていたにもかかわらず、そのダゴンのことを思う。

 もはや狂信とも取れる思いを胸にライトは自分の部屋の扉を開けた。


「お久しぶりでございます、ライト様」


 子供の頃から親よりも顔を見ていたバーンズがこちらに頭を下げていた。

 ライトはそんなバーンズを見る。



 マカレトロはダゴンの持つ遮光香のため、紫色の霧が絶えず、常に白黒の世界である。

 遮光と言う割にそれでも光量がわかるのがなんというか。

 久しぶりに見たバーンズの頭には、白黒の世界であるからこそ白髪が増えていることがわかった。


 1年前に最後に見たバーンズは体から生気が漲っており、溌剌と言う言葉がよくにあう男であった。老人といっても誰も信じなかっただろう。

 それが今やどこか力を失い、押せば倒れるような雰囲気を感じた。


(苦労をかけたのだな)


 しみじみと思いにふけっていたライトの耳に、若い女性の短い悲鳴が聞こえた。


「ひっ…」

「ん?」


 ライトが目を向けるとバーンズの後ろに控えるようにメイドが立っていた。どうやらそのメイドが声をたてたらしい。

 落ちぶれたということはわかっているものの、1年間外にも出なかったライトはその少女が何に対して悲鳴をあげたのかわかっていなかった。

 バーンズが気を利かせてライトに進言する。


「ライト様。色々としたいこともあるかと思いますが、まずは身だしなみを整えてはいかがでございましょう」

「そうか」


 ライトは1年間、部屋から出なかった。

 それ相応のひどい格好をしているのだろう。

 それこそ雇っているメイドが主人の前で短い悲鳴をあげるくらいには。


「わかった。少し顔を洗ってこよう」

「それが良いと思われます」


 バーンズとメイドを置き、ライトは洗身所へと向かうこととした。





 鏡を見るとそこには幽霊のような形相の男がいた。

 着ていた服は完全に汚くなっており、廃棄するしかないように思えた。

 海綿で体をこするとでるわでるわ、体のいたるところから垢がボロボロと落ちていった。

 動かすたびに痛みが走るので手のひらを見ると、手の皮がむけては治りを繰り返したのか、ゴツゴツとした剣タコと新しい血で覆われていた。

 ここまでひどい有様だと、それは悲鳴の1つでも出したくなるだろうなと先ほどのことを思い出して笑ってしまう。贔屓目に見ても盗賊と見た目には差はなかった。


 体を洗うたびに心にへばりついていた怨念が晴れていくようだった。

 今でもタコスのことを考えれば苦い思いはある。だが、つい先ほどまでのような鬼気迫る思いというのは消え去っていた。


 油でガチガチに固まっていた髪もゆっくり揉んでほぐす。水で髪を泳がせるようにするとさっぱりとした気持ちになる。

 顔もよくこすり上げて鏡で見れば、クマの出来た元気のない目がこちらを見返してきていた。


 洗身所から出たライトは体の隅々まで意思が行き渡るのを感じていた。

 それまで詰まっていた神経が掃除されたような感覚と言うか、詰まりがないパイプのような感覚というか。

 いつのまにか用意されていた着替えを着ると、お腹が急速に減ってきたのを感じた。

 現金なもので腹が減ったと理解すると、どうにも我慢が効かないものらしい。


「出られましたか。食事の用意ができておりますが、いかがなさいますか」

「ちょうどいい。もらおうか」


 洗身所から出てきたライトを外で待機していたバーンズが対応する。

 ライトがバーンズとともに居間に来るとメイドが料理を運んできた。出された料理は白パルにニシンの片面焼きだった。


 調理のためのヒート板は基本としてパルを焼くために安価で提供されている。

 だが、生物全般が必ず微量に持っているとされる魔力を使った器具なので、熱の問題もありあまり量産はされない。世間一般に普及されているといっても、これでも魔法道具の一種なのである。


 そんなヒート板をツナ家の厨房ではいくつも持っている。

 そのため、ヒート板を使った料理法も金持ち用とそうではないもの用とに別れている。


 ツナ家の料理は魚の両面焼きである。

 ヒート板が多くあるからできる調理法であり、廃熱の処理もしっかりとできる設備があるからこそできる調理法でもある。しっかりと両面を焼いた事が上流階級の嗜みでもあった。

 それをツナ家専属の料理人がわからないはずはない。

 つまり、この料理を作ったのは目の前のメイドである可能性が高いのだ。


「料理人も離れたか」

「……はい」


 ライトは部屋を出てから今までバーンズとメイドの二人しか見ていない。

 つまりは、そういう事なのだろう。

 だが、それでもいいとライトは考えていた。






 食事を残さずに終えるとライトは居間にバーンズとメイドを集めて宣言した。


「お前たちは今までよく私に尽くしてくれた。その礼をしたいと思う」

「勿体無いお言葉です」


 そう言って頭を下げるバーンズ。メイドもつられて頭を下げた。

 ライトはそれまで考えていたことを二人に告げる。


「これからお前たちを解雇したいと思う」

「なにを……」

「この家は売りに出す。その時の資金を退職金として、二人で分けるといい」

「本気、なのですね」


 このツナ家の資産は、実のところもうほとんど残っていない。

 ライトが謹慎を受けた時にライトの下についていた多くの有力者が分家して別れていったのだ。


 ライト自身がツナ家を去る事を禁止されている以上、他の家を守るものたちにとっては当然のこととも言えた。

 そんな彼らが別れていく時に、ライトがいくつかの資産を分け与えるように指示を出していたのだった。


 そして最後に残った屋敷ですら、ライトは手放すと言っていた。


「私はこれから侵略を続けるタコス軍の迎撃に向かう。戦争に向かうのだ。死ぬかもしれないのだから家など持つ必要もなかろう」

「わかりました」


 バーンズはきっとわかっていたのだろう。

 ライトがツナ家の当主として戦争で戦って死ねば、ツナ家の名誉がいくらかでも回復できるだろう事を。


「急な話だ。解雇を取りやめることはできないが、それ以外のことであればできる限りの便宜を図ろうと思う」

「何かあれば後ほど伝えさせていただきたいと思います」


 バーンズは元契約主に頭を下げていた。




 ライトは地位も名誉も失った。

 ここにいるのは、もはや復讐を誓う1人の男であった。

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