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氷海のマーマン  作者: ベスタ
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17 お別れ

 ライトはアカネを抱えて必死になって泳いでいた。

 体を覆っていた白い鎧は脱ぎ捨てた。

 泳ぎに邪魔になるからだ。へこんだ鎧はライトの体を傷つける恐れもあった。


 クレイオーのことはもう頭の中にはなかった。

 ただ、背負ったアカネの体温が急速に冷えていくことへの焦燥感だけがあった。


 ナラエゴニヤ海域は寒い地方である。

 ただでさえも寒い気候は、加速度的にアカネの体温を奪っていった。

 流れ出る血が、熱が、アカネの命の残量が尽きかけていることを物語っていたのだった。


 アカネはライトの背中につかまりながら、その背中の暖かさを感じていた。


「ライト様は暖かいですね」

「お前は冷たいな」


 アカネの言葉に答えるライト。その言葉は優しい言葉であったが、ライトの目はどこか休める場所を必死に探し求めていた。

 すぐさま医者にかからなければ死んでしまうという焦りだけが、失うという心細さだけがライトを泳がせていた。


 そんなライトの背中で、アカネはそっと呟いた。


「ここでいいですよ」


 その言葉は全てを物語っていた。

 ライトは息を呑み、立ち止まってしまう。頭は必死になって医者を探せと命令を下すが、それを体が受け入れてくれない。


 どうしても体が動こうとしなかったのだ。


 背負っていたアカネを適度な岩に下す。楽な姿勢が取れるように大きめの岩に横に寝かせると、改めてアカネの状態が確認できた。

 腹部に2発、太ももに1発。計3発の致命傷と思える穴が開いていた。


 アカネは自分の死期を悟ったのだ。だからこそ、もうここでいいと言ったのだとライトは理解していた。


「申し訳ありません」


 アカネが謝った。

 その言葉にライトは疑問を抱く。なぜ謝ることがあるのだろうと。

 アカネは静かに微笑んだ。


「無理についてきた私ですが、どうやらここまでのようです」


 その言葉にライトは反射的に首を横に振った。

 ライトは助けられていたのだ。

 今までアカネに助けられてきたのだ。


「謝るのは私の方だ。お前が止めてくれたのに、私はそれを無視して飛び出した。そのせいでお前を失おうとしているのだから」


 そしてライトは寂しそうな微笑みを浮かべているアカネに感謝を伝えた。


「お前には助けられている。生活も見てもらったが、それ以上に私の心を救ってくれたのだ。だから」


 ライトは言葉に詰まってしまう。アカネの顔はもう生気を感じない色をしていた。死期が近いことを感じていた。伝えられることを伝えなければきっとライトは後悔すると信じていた。


「行かないでくれ、アカネ。私は全てを無くしてしまった。地位も、名誉も、誇りも。今度の戦争で騎士としても負けてしまった。この上、私からお前まで取り上げてしまうのか?」


 ライトはツナ家の当主として今まで多くのものと戦ってきた。

 その全てに勝ってきたのだ。

 周りからの期待、ツナ家に敵対する反抗勢力。

 だが、それら全てがいま、ライトの手から抜け落ちようとしていた。


 悲しみにうつむいてしまうライトに、アカネの手が触れる。

 そして思った以上の力強さでライトの顔が持ち上げられた。

 眉間に皺の寄ったライトの顔に手を添えて、アカネはにっこりと笑って告げる。


「どうぞ、顔を上げてください。まっすぐ、まっすぐに」


 その言葉にライトは黙って顔を上げる。アカネに言われた通り真っ直ぐに。

 そのライトの姿を見てアカネは嬉しそうにする。


「ああ、やっぱり。

 ライト様には悲しい顔は似合いません。貴方は絶対無敵の騎士様なのですから」


 それは、ライトにとってひどい言葉であった。

 心を許した相手の死すらも悲しむ時間すら与えない、残酷な呪いであった。


「そんなことを言われては、私はもう悲しめないではないか」

「ええ、もうすぐですもの。最後くらい笑顔を見せてください」


 アカネの呼吸が浅くなっていく。あたりには血の匂いが充満している。

 もはや生きて、話せているのが奇跡であった。

 それほどに強い想いでアカネは、ライトに最後の笑顔を希望しているのだ。


 ライトの目が熱くなる。

 頬がぎこちなく動いているのが自分でもわかる。


(それでも、死にゆく者に応えなくて、何が騎士か)


 いびつに歪んだ口元が震えている。目尻が今にも垂れ下がり心が萎れそうになる。

 それでも、なんとかアカネに見えるように顔を見せた。


「……ほら、これでいいか?」


 とても笑顔と呼べない顔である。

 くちゃくちゃに歪んだ顔に何かを耐えたような目と口。顔も紅潮しておりとてもではないが笑っているようには見えない。


「ええ、とっても素敵な笑顔です」


 アカネは幸せだと言うように微笑んだままであった。

 おそらくもう、苦痛すらないのだろう。

 痛みとは命の危険信号である。だが、アカネの体はもう危険信号を出す必要はないのである。

 もうどうにかできる状態を超えてしまっているのだから。


 ライトはアカネの体を強く抱きしめた。

 何もできない自分が恨めしかった。どうしようもなくなってしまったライトができる、精一杯であったのだ。

 ライトの耳元でアカネが囁く。


「…ライト様、お慕いしています」

「ああ!! 私もだ!!!!!」


 消え入りそうなアカネの言葉を聞いた瞬間、弾かれたように体を離し叫ぶライト。

 最後の最後に、自分の素直な気持ちを伝えるために、精一杯に叫んだライト。


「……アカネ?」


 だが、答える声はなかった。

 力なく宙を漂う手が、体温を感じない肌が、アカネの体が命の活動をやめたことを物語っていた。


「おお、おおおお……」


 ついにライトの手から、命がこぼれ落ちてしまった。

 宙に漂うアカネの手を強く抱きしめた。ライトの心に悲しみの嵐が吹き荒れて、止む気配はなかった。


「おおおおおおおおオオオオオオオオオォォォォォォォ!!!!!!!!!!」


 ライトは泣き叫んだ。

 その胸の痛みの大きさを表すように。

 どうか最後の声が、消えていったアカネに届くように。

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