15 テルの戦場
テルは空の氷にたどり着いていた。
素早く上下を反転させると空の氷に着地する。
後ろについて来ていたテンナンバーズも同じように反転し、空の氷に次々と着地している。
その間にテルは足元の氷を見た。
分厚い氷の奥に揺らめくものが見える。作戦は成功するように感じた。
続いて上を見上げる。
テルたちの頭上ではタコス軍がクレイオー軍に押されていた。
一部ライトの活躍によって予想以上の被害が出ている箇所もあったが、全体的な被害としては想定内と言えるだろう。
元々タコス軍がクレイオー軍に直接戦闘で勝てるとは思っていなかったのだ。
むしろ善戦していると言えるだろう。
テルはタコス軍の状況を見ながら移動することにした。
このまま『死のつらら』を起こせばタコス軍の頭上に落とすことになるからだ。
『死のつらら』を起こすのはクレイオー軍の中部から後方めがけてだ。
そうすればクレイオー軍に大被害を与えることができて、さらにタコス軍に逃げる時間が与えられるからだ。
都合のいい場所まで移動を開始するテルたち。
「ここが丁度いいか」
テルが頭上を見てそう言うと、物陰から返事が届いた。
「ここで何をするつもりだ」
人影が質問してくる。誰もいないと思っていたテルは驚くと、その人物を確認してもう一度驚いた。
白い鎧に鉄の剣。
騎士らしい佇まいをしているライトであった。剣はすでに抜き放っている。
最高のタイミングで最低の相手であった。
ライトは一騎当千の武人である。
ティガでさえ勢いを止めるので精一杯であったのだ。たとえ槍を持っていたとしても、テルが勝てる可能性はなかった。
「ん? お前はどこかで」
ライトがテルの顔を見て考える。
だが、テルの顔を思い出したとしても名前を思い出すことはないだろう。
サイガンドでテルはライトに負けている。その時ライトはテルの名乗りを聞かなかったのだ。
だからそもそも、テルの名前を知らない。
思い出せない様子のライトを警戒していると、余市が後ろからテルの肩を掴んだ。
そしてこっそりと話しかける。
「兄さん。彼がライトですよね」
「ああ、そうだ」
余市もライトの脅威は先ほどの海底の戦いっぷりで十分理解しているのだろう。
だが、そんなテルの言葉に余市は明るい声を出した。
「じゃあ、私たちの練習の成果を見せつけましょう」
「……そう、そうだったな」
テルたちはここ1年の間練習を繰り返していた。
ティガもフーカもライトに敵わないと思ったのか、訓練の量を増やしていた。それに触発されて史郎も訓練していたし、他の者たちも強くなったと思う。
そんななかテルは戦場で出会った時のために、テンナンバーズと対ライト戦術を練習していたのだった。
その練習時間がここ1番でテルに勇気を取り戻させた。
テルは胸を張り、堂々とした態度でライトに話しかける。
「俺の名前を、お前は思い出すことはないだろう。俺は確かに弱かったからな」
テルの自信に溢れた態度にライトの警戒が増す。
多人数であろうともライトは負けるとは思えない。
だが、テルの自信が『なにか』があることを示していた。
「以前お前に負けた俺だが、今度勝つのは俺達だ」
その言葉にライトは剣を構える。一気に踏み込んで切り崩そうと考えていた。
「何を企んでいるかはわからんが、止めさせてもらう」
「やってみろ! 斉射!!」
テルの叫びとともにライトが凄まじい勢いで突撃してくる。剣を構えたまま、地面スレスレを高速で迫るライト。それとほぼ同時に放たれる魔法の雨。
「魔法かっ!」
直線コースを避け、大きく横に飛び退るライト。水流魔法の通った軌跡が泡となって水中に線を描く。
「左! 一三、足だ!」
着地直後の不安定な体勢をテルの13番目の兄弟である一三が狙い撃つ。
速度、タイミング共にかわせる状態でなかったライトは足に魔法の直撃を受ける。
グギィィ
ライトの鎧の足の部分が悲鳴をあげてひん曲がる。威力も十分あった。
その痛みに動きが明らかに鈍くなるライト。
「全員が魔法使いか!」
攻撃として使える魔法使いの数は少ない。それがテルを除いて8名全てである。
本来は空の氷を壊すためのメンバーであったのだが、対ライト対策メンバーでもあったのだ。
弾幕のような魔法攻撃を前にそれでも避けようとするライト。
「斉射!! 余市、脇腹だ」
5発の魔法が飛んでくる中、なんとかしてかわすライト。
その直後3発、魔法が飛んでくる。ライトはとっさに愛剣であるブロードソードをしまうと背中の鉄棍棒の留め金を外して振るう。
ゴッガッゴッギシィィ
「ぐあっ!」
3発の魔法を全て棍棒で叩き落としたライトであったが、その直後に後ろから飛んできた魔法により脇腹を強打される。
それは先の5発の魔法に余市が織り交ぜていた誘導魔法の一撃であった。
余市がタコス軍で魔法部隊の隊長として存在している理由でもある。
威力、構築の速さ、魔法の飛翔速度に加え、魔法のコントロールもずば抜けているのだから。
「誘導魔法だと!? がっ!」
脇腹の痛みに顔をしかめるライト。鎧の脇の部分がへこんでおり、その衝撃の強さを物語っていた。
痛みに気を取られているうちに2発。追撃で放たれた魔法の直撃をくらい吹き飛ぶライト。
それをテルは落ち着いて観察していた。
いま、攻撃を行っているのはテンナンバーズだが、その指令を行なっているのはテルである。そのテルは油断なくライトの一挙手一投足を見逃さないように見張っていた。
ライトが十分ダメージを蓄積し、ほとんど動けなくなったのを見計らってから、テルはライトに話しかける。
「『俺たち』の勝ちだ」
テル1人では、決して勝つことはできなかっただろう。
だが、テルは1人で勝つ必要はないのである。テルが必要としており、テルを必要としてくれている仲間がいるのだから。
特に今回はライトを殺すことが目的ではない。
目的はあくまでも『死のつらら』を引き起こしてタコス軍が勝利することなのだから。
ライトを殺すのはそのついでみたいなものなのだから。
「強いな。以前とは見違えるようだ。今度は名を聞いておこう」
「タコス軍のテルだ、ライト」
ライトはそう名乗ったテルを少しだけ眩しそうに見つめる。そしてニヤリと笑うと口から少し流れ出していた血を拭う。
そしてひざまずいたままテルに言った。
「殺せ。でなければ俺はタコス軍を今度こそ追い詰めるぞ」
ライトのいうとおりである。
ライトは1人でタコス軍の一角を崩したのだ。ライトが生きて再びテルたちの邪魔をすれば、今度は今回のように勝てるかどうかわからない。
このままライトを放置していては確実にタコス軍の害となる。
テルは片手をあげた。
そのテルの手に合わせるようにテンナンバーズは魔力を貯める。準備が整うのを待ち、テルはあげた手を振り下ろすと同時に叫んだ。
「撃てっ!!」
ライトは死を覚悟していた。
タコスを殺せないのは確かに口惜しい思いがある。だが今、死が目前に迫っている状況に至って、その全てがどうでもいいように思えた。
ライトは今まで騎士という立ち位置で産まれ、才能にも恵まれながらも努力を決して怠らなかった。
だが、どれだけ鍛えても平和な海ではその腕前が振るわれることはなかった。
やがてタコスがその勢力圏を広げていき、戦争がこの海の中に生まれた。
その過程でライトは、地位も、名誉も、誇りも全て失ってしまった。
残ったのは剣の腕前だけであり、それも死を前提とした戦いが待っているだけであった。
ツナ家の当主として死ぬことが期待されているライトは死ぬのは怖くはなかった。
むしろ戦場で死ぬことに失っていた誇りすら取り戻していた。
水流魔法が放たれる。
これでツナ家は守られるだろう。あとはかつて馬鹿な当主がいたとライトをさげすめばツナ家の系統のものたちも酷い扱いを受けることはないだろう。
これこそが一族のものたちへのライトができる最後の贈り物であった。
ライトは、戦士として戦場で死ぬのだ。
ライトは満足して穏やかに死の瞬間を迎えることにした。
せめて、とライトがテルの顔を見ると、その顔が驚愕に染まっていた。
(なぜ?)
そう思うライトの視界が黒いもので塞がれる。
次の瞬間、魔法が弾けた。
ライトは衝撃波にその黒いものもろとも吹き飛ばされる。だが、ライトは現状を把握できない。
黒いものが視界を塞いでいるのだ。
状況を把握するためになんとかその黒いものを掴むと、手がぬるりと滑った。
視界が晴れていく。
そこには、後方部隊にいるはずのアカネがいた。
「「アカネっ!?」」
テルとライトの言葉が重なる。
だが、お互いに自分の目の前の光景で精一杯であった。
だから気づくことは出来なかった。
テルもライトも、同じような顔をしていたことを。
「だ、大丈夫でしたか、ライト様」
そう言ったアカネを抱え上げると、ライトは一目散に逃げ出した。
もはや騎士や戦士の名誉などどうでもよかった。
敵前逃亡だとしても、今のライトにとっては関係のないことであったのだ。
ライトが姿を消した後も、テルはその行方を目で追っていた。
だが、体は動かない。
頭も何をすればいいのか答えを持ち合わせていなかった。
「兄さん?」
余市の言葉で我に帰った。
我に帰って、もう目の前にライトもアカネもいないことを見て取り、自分の目の前のやるべきことを思い出していた。
上を見上げるとタコス軍が押されている。
今を逃せばそれこそ壊滅してしまうだろう。
なんとか、感情を飲み込んだ。
そして使命に縋り付いた。
「ここを全員の水流魔法で攻撃する。各員、準備」
テルの指示にテンナンバーズは黙々と従ってくれる。
細かいことはわからないはずだが、イワシ魚人には共感能力が備わっている。
テルの内心を察してあえて無言で作業してくれているのだろう。
やがて準備が整った。
「打ち込んでくれ」
テルの合図に一点に集中した水流魔法が空の分厚い氷に叩き込まれる。
一撃では無理かもしれないから連続して叩き込まれていく。
そうして少しすると、
ビギィ……
何かがこすれるようなお腹の奥底から響く音がテルたちの足元からした。その音を聞いたテルは素早くジャンプする。
「退避!」
テルの掛け声に合わせてテンナンバーズも離れる。
しかし、特にこれといって反応のない氷に不安になるテンナンバーズ。
「失敗ですか?」
「いや」
余市の言葉にテルは首を振る。
ビシ、ビシビシ
バギィィィィィィ………
大きな音が続けて起こり、魔法を打ち込んだあたりの氷に深い亀裂が走る。やがて透明なもやが
その亀裂から漏れ出していった。
「あれは…」
「近づくなよ」
近づこうとする仲間を引き止めて、テルは呟く。
「あれが、『死のつらら』だ」
その透明なもやは、ゆっくりと、しかし次々とクレイオー軍に向かって降り注いでいくのであった。