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氷海のマーマン  作者: ベスタ
11/19

10 わらべうた

 テルたちとアカネは、食べた後も結局歩き通しだったため、休憩のために建物の外に出た。

 まだ日が出ているとはいえやはり外は寒く、ブルリと身震いしたものの防寒着を着ているので十分耐えられそうだった。


 むしろ、食品街が熱いともいえる。

 食品加工の熱気に当てられて、甲殻類特有の臭いにやられて新鮮な空気のある休める所に避難したかったのだ。

 しかし、そういった暖かい休める場所はほとんど誰かに先にとられており、仕方なく外に出たのだった。




 区画を分ける通りの途中。

 ひらけた場所があり公園となっていた。空もひらけており上を覆っている氷がよく見えた。


 驚くことにこんな寒い中だというのに外は子供が元気に駆け回っていた。

 ワイワイとはしゃぐ子供たちにはいかに大きいといっても建物に包まれているグルコースの街の中は狭いのだろう。


 戦争で熱気ある大人達も寒がって出てこない外ではしゃぐ子供達を見て、テルは子供の力に驚くと同時に微笑ましくもなった。


 テルがベンチに座ると子供達が遠慮なんて知らず、女性陣を遊びに誘った。

 アカネやノエはともかくフーカが一緒に遊びたがっていたので自由にさせてやるテル。

 鬼ごっこのような遊びなのかフーカはすぐに溶け込んで遊びだした。


 驚いたことにアカネもすぐに溶け込んだ。

 白黒の立派そうな服が汚れるのも構わずに走り回っている。メイドといえばおしとやかなイメージのあったテルは、それを意外な心境とともに受け入れたのだった。


 ノエもすぐに参加してはしゃいでいる姿を見て、げんきだなと思う。


 テルは人間の時の年齢を合わせると40を超えている。

 体はまだ一桁の年齢なのだが、精神的な加齢が体に影響するのか一緒になってはしゃぐ体力は残っていなかった。


「元気だなぁ」

「本当にそうですな」


 独り言のつもりで呟いた言葉に返事が返ってきてテルは驚いた。

 慌てて隣を見ると、ベンチの端におじいさんが座っていた。おじいさんはこちらを見るとほほ、と笑う。


「今日は孫の付き添いで来たんですじゃ。けども、体が付いて来んでの。お連れさんが遊んでくれてありがたいことです」

「ああ、いや、こちらこそ迷惑をかけて」


 軽く挨拶をして、遊んでいる子供達を並んで見る。

 そうやっているとテルも年寄りになったようで軽く苦笑してしまうのだった。


 しばらくすると女性陣は子供達と一緒に砂場で遊び始めた。

 水中とはいえやることは変わらないな、と思っていると子供達が歌を歌い始めた。


『おっきなおっきなこおりのおそら

 われたらつららがふってくる

 しのつららがふってるときは

 おそとにでたらいけないよ』


 調子は少し変な調子だが、歌いやすいのか子供達は口ずさんでいる。

 日本人のテルには馴染みがないが、マザーグースのように残虐な歌詞をひどく滑稽な調子で歌い上げるわらべうたも世の中にはあふれている。

 そんな子供のたわいない歌だが、内容がひどく恐ろしいもののように思えてテルは隣の老人に聞いてみた。


「あれは?」

「ああ、あれは死のつららの歌じゃな」

「死のつらら?」


 テルは聞き慣れない言葉に尋ね返す。

 そもそもテル達が住んでいる場所は海中である。そもそも雨も雪も降らないのにつららという言葉があること自体に驚きではあるのだが。

 老人はテルの様子を見て、ふむ、と昔話をしてくれた。






 ナラエゴニヤは寒い地方である。

 空の上には大きい氷が張っている。

 分厚い氷が空一面を覆い、曇りのような世界を作り出している。

 生まれてからこの海域を出たことがないおじいさんには、これが当たり前の光景であった。


 そんないつもの、少し空が揺れているような感じはするものの、平凡な日常。

 まだおじいさんが小さな子供であった頃。


 居間で遊んでいたおじいさんの元に、何の前触れもなく世界を震わせるような大きな音がした。

 それこそ世界が崩壊したのではないかと思われるほどの大きな音だった。

 周りの大人達は周りをキョロキョロとしていたが、その大きな音の発生源は見つけることができなかった。

 中には家の外に出て何事かと辺りを見回すものもいた。



 まだ小さな子供であったおじいさんは、しかし、その音の発生源に気づいていた。

 家の中にいたおじいさんは背丈よりも高い位置にある窓から外を見ていたのだ。

 下から窓を見ていた結果として、空の氷を見ることとなった。


 空の氷は大きくひび割れており、そこから透明ななにかが渦を描き降りてきているのが見えた。

 その何かが空から降りてくると、最初に建物の屋根に当たった。

 屋根はその何かを十分に弾き、全く損傷を受けていなかった。

 しかし、透明な何かはそれで止まらず、降りた場所を起点にあたりに急速に広がっていったのだった。

 外に出ていた者はひとたまりもなかった。



 あるものはぼーっと空を眺めた姿のまま。

 あるものは恐怖に顔を引きつらせたまま。

 あるものは大声を出そうとした姿勢のまま。

 あるものは今まさに外に出ようとしていた姿勢で。

 何もかもがまるで生きているかのような格好で、白く、霜焼けのようになって凍り付いていた。


 大災害とも呼べる何かがすぎさり、生き残ったのはみんな建物に入っていたものだけだった。


 一部の魚人はおじいさんと同じように空から降りてくる何かを見ていた。

 その様子から大災害を引き起こしたものは『死のつらら』と呼ばれ、恐れられるようになったという。





「とは言っても随分昔の話ですがな」


 おじいさんはその時の生き残りであったそうだ。

 それからナラエゴニヤの建物は全てが一新されていった。


 屋根が尖っているのは空から降ってくる『死のつらら』を、壊れないように一点で防がず分散させるため。

 もちろん壁が頑丈なのも『死のつらら』から身を守るため。

 建物がまとまっているのは、貧乏な者たちでも死のつららから身を守れるように。

 そして子供たちにわらべうたとして残されているのは、脅威を決して忘れないようにするためだった。


「あれ以来、『死のつらら』は降ってきてはおりません」


 そうまとめたおじいさんに、テルはこの街独特の建築がそういう風にできているのを知って感心したのであった。

 まさしく、人に歴史ありである。

 このおじいさんもテルの知らない時間を生きてきて、そういった時間の積み重ねでグルコースの街もできたのだろう。


 そんな様子のテルにおじいさんは顔を少しうつむかせて、下からほんのちょっと見上げてきたのだった。


「ただね」


 そういったおじいさんの顔はそれまで話していた時と雰囲気が違った。テルは背筋がぞわぞわするのを感じていた。


「あの時の空は、今と同じように、揺れていたように感じましたなぁ」

「なにを…」


 テルは怖かった。話を聞いている感じではその見えない『死のつらら』は音がしたら退避するぐらいでないと逃げきれないだろう。

 ぞくっとしたテルの様子を見て、おじいさんはようやく顔をニコッとさせた。


「おっと、若者を怖がらせすぎましたかな」


 はっはっはと笑うおじいさん。

 緊張していた空気は一気に解けて朗らかな空気に戻る。

 テルは安心して、軽いため息をついた。


「人が悪い」

「安心しなされ。今『死のつらら』が来ても建物に隠れれば怖いことはありませんわ」


 そういってからおじいさんは子供たちを呼びにいった。

 もう帰る時間なのだろう。

 テルが気づかないうちに時間が随分と立ってしまっていたようだ。体が冷え切っていることに気づいたテルはブルリと身震いをした。


 おじいさんに引き連れられて公園を出て行く子供たちに、手を振った女性陣がテルの元に戻ってくる。テルももういい時間なのでアカネとも別れようと思っていた。


「うーんっ。こんなに遊んだのは久しぶりです」

「私はみんなで遊んだの始めて!」


 アカネが伸びをしている。子供達と遊んで張り切ったのだろう。

 フーカは始めて子供達と遊んで興奮をしていた。テルは同年代の子供達と遊ばせられていなかったことを反省しつつも、これからはフーカのしたいようにさせてもいいかもしれないと思っていた。


 アカネは空の色を見て、驚いていた。

 まだ明るいものの、もう少ししたら夕方といってもいい時間となるだろう。


「もうこんな時間! 悪いですが私はここまでにしたいと思います。帰りが遅いと心配するかもしれませんので」


 アカネの旅の同行者のことだろう。

 昼の間いっぱい遊べただけでもアカネは十分付き合ってくれたと言える。

 メイドは基本、誰かの世話をする職業である。つまり今日は休日か何かだったのだろう。

 そのほとんどの時間をテルたちに付き合ってくれたのだから。


「今日はお詫びのつもりだったが、逆に手間をかけさせたみたいで悪かったな」

「そんなことないですよ、私も楽しかったですし。しばらくこのグルコースにいるので、また遊びましょう」

「またね」


 そういって手を振って別れるアカネ。

 同じくアカネの姿が見えなくなるまで手を振っていたフーカを連れて、テルも帰ることにした。


 寒い空の下、公園から離れる時にふと空を見上げる。

 空は相変わらず曇ったような光を投げかけていたが、そこにおじいさんのいっていたような揺らぎもたしかに感じていた。

 意識しなければわからない程度ではあるが。


(『死のつらら』か)


 テルはそんな空を記憶に留め、宿へと向かうのであった。






 ライトは宿の部屋をかたずけていた。といっても私物のみである。

 もうすぐ戦争になる。

 そうなる前に荷物を整理しておいたのだ。もう帰ってこれないかもしれない。

 ……アカネは戦場でもついてくるつもりであろう。

 これが最後かもしれないと、アカネには休暇を出しておいた。

 存分に羽を広げてもらうことしかライトにできることはなかったのだ。


「ただいま戻りました」

「早かったな」


 だから夕飯前に戻ってきたアカネにライトは驚いたのだ。アカネは後ろ手に何かを隠しながら嬉しそうにしている。

 心当たりのないライトは近づいてくるアカネを不思議に思い見ていた。


「はい、これお土産です」


 そういって差し出されたのは黒っぽい石であった。

 なんの変哲もなさそうであるが、首からかけられるように紐がついている。おそらくネックレスだろうと思われる。

 しかし、ライトにはそのただの石にしか見えないものをつける気は無かった。


「なんだこれは」


 手に持って見てもわからない。むしろただの石である確率が高まった。だが、それをアカネは嬉しそうに見つめている。

 だからこそ、ライトは尋ねることにしたのだ。


「それは宝石の原石です」

「そうか、ちなみにどんな宝石なんだ?」

「さぁ?」


 持ってきた本人が理解していなかった。

 じゃあなぜお土産として嬉々として持ってきたのかとおもったが、その説明もアカネが自分でしてくれた。


「何がどれくらい入ってるのかわからない。だから何にでもなれるかもしれません。それには夢が詰まってるんですよ」

「軽く削ったほうがよくないだろうか」

「それじゃダメですよ」


 ライトが剣を手入れするためのヤスリを持ち出すとアカネはそれを慌てて止めた。ライトの腕にぶら下がるように。

 ライトの腕力であればアカネごと原石を削ることもできたが、流石にそれはやめておいた。

 アカネがライトの腕にぶら下がりながら言い募る。


「私は夢をプレゼントしたんです。だから、そのままでお願いします」

「なるほど。貰っておこう」


 そういってライトは原石を懐にしまい込む。


「つけてくれないんですか」

「後でな」


 流石にただの石にしか見えないものをつけるわけにはいかない。ライトの中にも多少はファッションセンスというものがあり、それはこの石をつけることを恥ずかしいと思っていた。


 しょんぼりとしているアカネを連れて、ライトは宿の食事を取りに向かうのであった。

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