盲目の少女
月夜にたたずむ少女がいた。
少女は何を見ているのだろう。
否、何を見ていないのだろう。
……全部……。
さてその解答はどちらに対してだろう。
見たということに対して。
もしくは見ていないということに対して。
どちらでもいい。
こんなの、ただの言葉遊びであるのだし。
言葉遊びを興ずることには何の意味もない。
言葉遊びを興ずることには何の意志もない。
言葉遊びを興ずることには何の理由もない。
かの有名な枕草子を書いた清少納言も言葉遊びにいそしんだというが、言葉遊びをするだけで名作が書けるのならばこの世には作家以外いないに違いない。
さて、言葉遊びはここらで終わりにしよう。
少女……月夜にたたずむ少女は盲目だった。
さてアニメ並みの展開を始めよう。
その少女に一人の天使が興味を持った。
そして、少女にはなし……語りかけた。
そう、盲目の彼女とコミュニュケーションをとるために。
『あなたは目が見えるようになりたいですか?』と。
少女はやさしい娘だった。
アニメであれば……、そう、少女の優しさに報いて……などと言って、たちまち目が見えるようになるのだろう。
少女は『外の世界ってこんなだったんだ……』とでもつぶやくのだろう。
アニメ最終回はハッピーエンドでエンディングテーマ曲と共に、少女らの未来が流れる。
幾年後、少女は幸せになっている。
もしかしたら、テレビの前で涙しながら見ている人がいるかもしれない。
────あぁ、現実とは何と残酷で儚く脆いのだろう────
そう、これはアニメではないのだ。
少女は答えなかった。
冗談だとでも思っているのだろうか。
盲目の少女にだって見えるようにしているのだから気づいていないはずはない。
しかし、少女は反応しない。
何故なら……………
……。
少女は天使を見たことがなかった。
何も見たことがなかった。
何も見ることができなかった。
十数年間何も……。
だから、これが天使だということを知らなかった。
あるいは物が見えていることすら気づかなかったかもしれない。
───あぁ なんて哀しいこと───
そういえばこの駄文にうその記述をしたことを謝ろう。
そう。
何も見ていない人はいないのだ。
何も見ていないなんて……。
それでは抜け殻じゃないか。
少女は……
……。
何も見ることができなかった。
何かを見ることが許されていなかった。
何かを見ることすら許されていなかった。
何かを目視できる可能性すらなかった。
闇というもの以外は。
闇というもののみが少女に許された唯一のもの。
闇こそが少女に与えられた唯一の希望。
闇こそが少女に与えられた唯一の絶望。
いかがでしたか?
今回のテーマは、現実と理想、幻想・夢想と事実の違いです。
今回は少女が盲目であるがためでしたが。
もしかしたら、地獄のような目つきをしたものが天使かもしれません。
違いがあるがためにきっと、…
そう、ハッピーエンドになることは本当に難しいことだと思います。