5話、白のフリージア
主催者の挨拶で社交会は始まりを告げた。
光り輝くシャンデリアが見下ろすのは人々が踊り語らう舞踏会場。正装した紳士淑女たちが和気あいあいと交流を広げている。
小腹を満たすサンドイッチ、ビスケットなどの食事や飲み物は別室に用意されていた。
テラス窓からは、月明かりが差し込んで浪漫ある風情を醸し出していた。静かな夜なら、さぞや美しく情緒的であっただろうとフリージアは残念がる。正直なところ、忙しない団欒より、月を愛でるほうが己の性に合っている。
しかしながら、これも仕事の一環である。フリージアは忙しなく、幾人かの大人と会話をこなし、男性の誘いを受けてそつなく踊ってみせた。
田舎育ちであるフリージアは露も知らなかったが、舞踏会とは男女の出会いの場でもあるようだった。周囲から甘さを含んだ空気が漂ってくる。顔を近づけひめやかな駆け引きを楽しんでいるようだった。
そういえば、とフリージアは思う。
手を取り踊った青年たちも、若く聡明な顔立ちであった。きっと花盛りの娘たちは、あのような殿方に惹かれるものなのだろう。おそらくは引く手数多に違いない。
それから、またしばらく愛想笑いを振りまくこととなった。
デビュー祝いだと恰幅のいい男性から花束を受け取る。自分の名と同じ花だった。
真っ白な花弁がとても綺麗だったので、フリージアは素直な気持ちでお礼を述べた。
慣れないことに流石に疲れてきて、一息吐こうと人の輪を離れたその時、視界の端に赤いドレスが目に入ってきた。
濃い色の髪を結い上げた先程のあの少女だった。艶やかで凛とした姿は、宴の席に相応しい。皆が装いを凝らす中でも、彼女は一際目を引く存在として君臨していた。
しばし、遠くから眺めていると、図らずも目が合った。茶褐色の瞳とかち合う。
相手は男性との話を切り上げて、ゆったりとした足取りでこちらに近づいてきた。
「あんた、新人なんだって?」
開口一番にそう言い放つと、赤ドレスの少女は双眸を細めた。
「うん。最近、田舎町から出てきたばかり」
と、臆せず答える。
「名前は?」
「フリージア」
そして、頭から足先まで観察するような目線を送ったあと、僅かに口角を上げた。感情を灯した虹彩が鋭く光る。
「あんたに忠告しといてあげる。生半可な覚悟じゃ、この世界はやってけない。夢だの憧れだの語る新人ほど、すぐ駄目になる」
それは決して悪意などではなかった。傲岸な振る舞いでありながら、その言葉はフリージアの奥底に深く届いていた。
「ここでは多くの人間が活動してるけど、脚光を浴びれるのは、ほんの一握り。
そんな中で成功するのは誰だと思う? それは、生まれ持っての鬼才とお偉方のお気に入り。
飛び抜けた才能を持たない者は、媚びへつらってのし上がるしかない。
努力だけで報われるわけじゃないのよ、現実は」
ひどく忌々しげに語る様子に、ああ、この少女もまた夢を抱いてきた一人なのだ、と思った。
「あんたがお綺麗な幻想を抱いて上京してきたのなら、早めに擦り合わせておくことね」
それだけ言い残して顔を背け、去ろうとすると。
「待って」
その後ろ姿をフリージアが引き止める。
少女は、流し目だけで振り返る。その横顔は端正でありながら、どこか寂しげな表情をしていた。
「君の名前を、まだ訊いてない」
見返り顔の睫毛を瞬きながら、赤い盛装に身を包んだ少女は「ダリア」と答える。
それを聞いたフリージアは微笑むと、ダリアに向かって恭しく手の平を差し出した。
「一曲踊っていただけませんか?」
間を置いて、ダリアが驚きを露わにする。
気を張ることを忘れたその表情に、年相応の子供らしさが垣間見えていた。
しかし、それもつかの間、我に返ったダリアは突き出されたその手を振り払った。
「馴れ合うつもりはないの」
眼光鋭く睨めつける。
フリージアははたかれた手を引っ込めると、取り澄ました顔で笑みを描いた。
「じゃあ、今度はライバルとして、舞台の上で会いましょう」
手に持っていた花束から一本抜き取る。それから、自然な所作でダリアの髪にそれを差し込んだ。
ダリアは一瞬気の削がれた顔をしたが、最後にひと睨みして走り去ってしまう。
フリージアは静かに佇みながら、その後ろ姿を長い間見送っていた。
+ + +
(――なんなの、あいつ…っ)
冷たい風が吹きつけるテラスで、ダリアはひとり頭を冷ましていた。殊の外、熱い頬に夜風が丁度よかった。
ダリア自身、なぜ自分がこんなにも動揺しているのか、すぐにはわからなかった。
敵意あらわな態度だというのに好意で返される。全身を針で纏っていても、怯まず真正面から近づいてくる相手に、戸惑いを隠せないでいる。
そこまで考えてから、ダリアは途方に暮れる。面映い気持ちを持て余して、迷子になっている。
夜空を見上げた先で白く光る星が、彼女のことを思い起こさせた。