4話、出会い
その日、ダリアは仕事上の知り合いから招待を受けていた。この手の浮ついた酒席は好ましくなかったが、出版社を束ねる相手からとなれば無下にする理由がなかった。
だが――ダリアは忌々しげに唇を噛んだ。
まさか、卑俗な禿鷹が紛れ込んでいようとは考え及ばなかったのだ。
「お父様の件で、お尋ねしたいのですが――」
突然、場にそぐわぬ細身の男に声をかけられた。相手にするつもりは毛頭なかったが、事もあろうにその男は根も葉もない嫌疑を吹っかけてきたのだ。周囲の目がある場所でされては醜聞に繋がると、仕方なく場所を移したのだった。
だが、早計だったかもしれないとダリアは思う。これでは目の前の男の思惑通りだろう。
やに下がるその男は、記者だと名乗った。
「あのですね。きな臭い話が出てるんですよ。ダリアさんのお父上の件でね」
まとわりつくような声質で話立てる。退路を塞ぎ、距離をつめて獲物を逃がさない。
「役人方に賄賂を渡しているだとか。それで色々融通してもらっているだとか…。
娘であるあなたなら何か知っているでしょう?」
「そんなわけ…!」
ついにダリアは激高した。肉親を貶められて、黙っていられるはずがなかった。
父親は寡黙ではあるが、知る限りでは不正を行うような真似などしない。理性的な性格と、道徳心を備えた人格者だった。
幼い頃に母親を亡くし、唯一の家族である父親をダリアは誰よりも慕い尊敬していた。他人の噂話を飯の種にする下賤な記者などに、奸物の烙印を押されることは我慢ならなかった。
「まあ、そう怒らずに。ちっとぐらいは心当たりあるんでしょう?」
「――いい加減にして!」
髪を振り乱して怒鳴りつける。感情のままに手を振り上げようとした、その時――。
「何をしてるんですか」
いないはずの第三者の声がして、両者は息を呑んだ。
声の主は、小柄な少女であった。白のドレスに身を包み、大きな目で真っ直ぐ見据えている。
社交会の招待客だろうか。面倒な場面を見られてしまったと、ダリアは瞬時に考えを巡らす。
しかし新たな登場人物は、その場の空気を切り裂くように、男に向かって語調を強く言い放った。
「ヘクトル社の方ですよね。今日の会場で悪評を広めたくなければ、大人しく帰ってください」
その手には、手帳が握られていた。革の表紙に社名の焼印が入っている。
落ちていたのでお返しします、と涼しい顔でそれを渡す。記者は狼狽を露わに荒々しく受け取った。
「無名が偉そうに」
そう吐き捨てると、男は背を向けて足早にその場を後にした。
階段を下りる足音が遠くなり、やがてなくなると、空間に静寂が訪れる。
白を纏う少女が無言で戻ろうとする。そこに背後から言葉が投げかけられた。
「ねえ、あんた」
髪飾りを揺らして、階段下の少女が振り向く。
その顔は、まるで何事もなかったかのような表情をのせていた。目を丸くして、深い青の虹彩が不思議そうに見つめている。
「底辺記者なんて相手にしなければいいだけなんだから。助けてやったなんて思わないでよ」
恩を着せられてはかなわないと、ダリアは苦々しげに眉を顰ませた。
手の震えは悟られてはならない。誰であろうと、つけ入る隙や弱さは見せられない。醜態を晒した相手へのなけなしのプライドが、感謝を述べる邪魔をした。
相手は返答としてひらひらと手を振っただけで、あとは風のように去っていった。
+ + +
階段を一つ一つ下りながら、フリージアは考える。
何か忘れているような、頭の隅に引っかかるものがあったのだ。
(――ああ、そういえば)
ふと、この都市についた時のことを思い出す。
街角に貼られていた、赤いドレスが印象的だったあのポスターを。