討伐
目の前にリコがいた。紅い髪に紅い瞳の、人離れした美貌の少女は、シモンに問いかける。
「生きたい?」
彼女の頭を撫でようと、手を伸ばそうとしたが、腕があがらない。それどころか体が重くて、動かないのだ。
「リコ、」
「シモン…生きたいか?」
もう一度、リコが問う。彼女は少し泣きそうに顔を歪めているように見えた。
「泣かないでくれ。リコ。」
いつも変わらない無表情でいるくせに、なんたって泣きそうなんだと考えて、はたと思い立った。今、シモンは死のふちにたっていたのだと----
その時、ふつふつと湧いて、シモンの体を駆け回ったのは歓喜だった。
たったひと月ほど一緒に過ごしただけの他人なのに、こんなにも思われていたのかと、シモンは自覚する。
そして、答えた。
「俺はリコと生きたい。」
その答えに、リコはきょとんと目を瞬かせた後、花咲くような笑顔を見せた。笑う彼女は女神のように美しかった。
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覚醒と同時にシモンは飛び起きた。
「あら、目覚めたのね。」
ラミアがのんびりと言う。辺りを見渡し、戦況の把握に務めると、修道士たちが固まってシモンの下にいた。
「エリオはどうなった?」
「死んだわよ。だから今、騎士が狼狽えている最中なの。」
エリオが死んだ。自身がやったことなのに、なぜか頭をがつんと殴られたような衝撃を受けて、シモンは戸惑う。
「アンタ、心臓を自分で貫いて生きてるって、どうなってんだよ。」
近くで座り込んでいる祓魔師の少年が、目を丸くしていた。そういえばそうである。何故生きているのだろうか。シモンは血まみれの服を見て、首を傾げる。
「ちょっと、本物の死神になったっていうのに、また自覚がないわけ?」
ラミアが半眼でシモンを睨んだ。
「良い?あなたは死神になったのよ。二度死んでも尚、生きたいと願ったでしょう?」
「ああ、リコと生きたいと願った覚えがある。」
「………あなたのあれへの愛は語ってくれなくてもいいのよ。」
さらにじっとりとした目で見られた。ラミアはため息をひとつ吐くと、おもむろに大鎌の柄を地面に強く打ちつける。その瞬間、大鎌は二つに分かたれた。分かたれたというよりも二つになったという方が正しいか。
ラミアは二振りの大鎌のうち、その一つをシモンに手渡す。
「死神王に賜りし、眷属である死神だけが扱える神器よ。受け取りなさい。」
「…ありがとう。」
礼を言って、シモンはそれを受け取った。大鎌はシモンの手にしっくりと馴染む。シモンは立ち上がり、騎士たちを見遣った。騎士たちは倒れ臥したエリオを囲んで、打ち拉がれている。
「[始まりの書]は?」
「こっちで回収済みだ。あとは騎士どもを退かせて、場を治めるだけだな。」
祓魔師の少年が答えた。修道士のひとりが大切そうに[始まりの書]を持っている。もうこの場にシモンは必要ないだろう。
「リコを見てくる。」
シモンは自分の家へと走り出した。だが、走り出した瞬間、家の窓を中心に壁が吹き飛んだ。奇声をあげて、リゾルテが飛び出してきたのだ。
尋常ではない様子の悪魔は、足を縺れさせて、転ぶ。転んでも地を這って、家から離れようと必死だった。
リゾルテはシモンに気づくと、こちらにすり寄ってくる。
「旦那様ぁ、どうかわたしめをお救いください。あなたの魂をくだされば、わたしが天上の悦びをあなたに味合わせて、」
「-------殺せ。」
蠱惑的に、絡み付いてくるように、リゾルテが豊満な体をくねらせて、這い寄ってくる。しかしそのねばつくような声を、清廉な声が断ち切った。
そこにユリエルが静かに命令を下したのだ。
言われるまでもなくシモンは大鎌を構え、振り下ろす。
悪魔の首は簡単に宙を舞った。
そして頭が地に触れた瞬間に胴体共々、悪魔が砕け散る。その悪魔の破片は吸い込まれるようにして鎌に呑み込まれていた。あまりのことに驚き、シモンは鎌から手を離す。
「あ、いい忘れていたわ。それは人外のものを斬ると、そいつの血肉を喰らうのよ。」
「……先に言ってくれ。」
神器というから、神聖なものかと思いきや…この謎の能力。シモンはおそるおそる鎌を拾い上げた。
「ユリエル様、ご無事なのですか?」
その間に、ダグラスが尋ねる。そうだ、リコは無事なんだろうかと、シモンは家へと踏み出した。しかし、シモンの足はそれ以上、動くことができない。見てしまったのだ。
「今から、この顛末に収拾をつける。-----リコ、合わせろ。」
リゾルテが破壊した壁の隙間から現れたのは、天使だった。正確にはユリエルなのだが、美しいという言葉では到底表せないような、神秘的な一対の白い翼を携えていたのだ。
「天使…。」
「守護天使様だ。」
「ユリエル様…!」
何故か修道士たちも非常に驚いており、皆おもむろに頭を地につけ、祈り始める。驚いていないのは、祓魔師の少年くらいのものだった。
遠巻きにしていた騎士たちでさえ、こちらの様子に気づき、次々と頭を垂れ始める。
ユリエルは、翼を広げ飛び立った。彼は王城の方に向かっているようだ。ユリエルの後にひっそりとリコが家から出てくる。そんなリコは古びた本を抱えていた。一桁台の[始まりの書]は、ひとりでに頁を繰り始める。
やがてユリエルが王城前の広場の辺りの上空にとどまる。
『我は主神より正教会の守護の任を賜った天使にて、この国に巣食いし悪魔を浄化せんと参った。悪魔は正教会の使徒に討たれた。ながくこの国を苦しめた悪魔は浄化され、今後この地に災いを齎すことはないだろう。堪え難き苦しみを乗り越えた民たちよ、今この地に、神の祝福を授けよう。』
その声は国中に届き、その姿は国中の民が目にしていた。
「恵みを---」
リコが小さく呟く。その瞬間、眩い光が国を覆った。光が収まると、わずかな地揺れが起こる。それは徐々に強くなっていき、噴出した。
シモンのすぐ近くで、水が噴き出たのだ。
「あったかい…?」
飛んできた水飛沫は温かい。これは水ではなく、温泉だ。それは国中の至る所から噴き出していた。
国民の歓声がこちらにも聞こえてくる。騎士たちも、初めて見る天使と温泉に歓喜していた。
「これで一件落着か。」
いつのまにか戻ってきていたユリエルが翼をたたむ。たたむと同時にすう、と翼は消えていった。
「[始まりの書]を上書きすると、今までの魔法は断ち切られるのね。」
ラミアが空を見上げて言う。視線を空に移せば、無数の魂が競うように、天へと帰っていっている。
まるで昔に一度だけ見た流星群のようだった。いや、天から降るのではなく、天へ還っているので、逆さま流星群とでも言うべきか。
しばらくの間、シモンは立ち止まって空を見上げていた。
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季節は春。
厳冬の国、クレートは悪魔の災いから解放され、神の祝福を受けて、順調に復興していた。王の血筋は絶えてしまったけれども、貴族たちが正教会の助けを得て、上手くまとまっているそうだ。
「リコ、準備はいいか?」
リコはモコモコとした外套を羽織ってから、こくりと頷いた。図らずも長くこの国に居ついてしまったと、シモンはしみじみ思い返す。
「出立する前に、ひとつやってもらわねばならないことがある。」
シモンの家には、ユリエルとダグラスが住み着いていた。彼らもこの国の復興を見届けたら、第75番目の始まりの書を正教会の総本部に届けに行く予定らしく、まだ残っていたのだ。
「名を授けてくれ。」
バスケットの中で眠る赤ん坊をユリエルは抱き上げる。元はホムンクルスだった赤ん坊だ。普通の赤ん坊と変わらずすくすくと元気に成長している。なのだが、驚くことに天使の祝福が授けられた赤ん坊として、この子が成人したら王となることが決まっていた。
まぁ、天使を直に見たなら、それもわからなくはないが…。シモンはユリエルを盗み見る。彼が正教会が定める主神が天より遣わした守護天使だというのが、一番の驚きだった。
そして、そんな彼を気軽に呼び出すリコには、まだまだ謎が多い。それでもシモンは少しずつ彼女のことを知っていこうと思っている。リコは渡された赤ん坊を抱いた。
「名はクラリス。」
名付けられた赤ん坊が目を開け、蒼色の目でリコを見つめる。
「クラリスに祝福を。」
リコは額を赤ん坊につけて、言葉を授けた。少しの間、そうしていたあと、リコは赤ん坊をユリエルに返す。
リコが知っていたかどうかは知らないが、赤ん坊の名は、亡き女王と同じ名だった。
リコは彼らに背を向けて、シモンの手を握った。
「行こうか。」
シモンもその手を握り返し、二人は歩き出す。
これからどこに行こうか。リコの故郷はもう探さなくてもよくなった。ならば、気ままに二人で旅をしよう。焦らなくても、時間はたっぷりあるのだから-----
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-----逆さま流星群。
それは、死神だけが見える不思議な空模様-----
これにて一時完結にします。
また書き溜めましたら、新章を更新したいと思っています。




