愛国心
まるで悪夢のような光景だったと、誰もが口を揃えて言うだろう。そしてこう続けるのだ。この国に死神がやってきたのだと----
女王の肉塊の傍に、ひとつの本が落ちていた。その古びた分厚い本は、リコが持っていたものとよく似ている。
「第75番目の書か。」
ユリエルがそうつぶやいて、回収しようと一歩踏み出したが、それは別の者に拾われた。
「あらぁ、穢れなき無垢な魂を追っていたら、こんなものを拾ってしまったわぁ。これが欲しかったら、わたしと契約でもいかが?」
褐色の肌をした妙齢の美女が、目の向けどころに困る衣装を纏って、立っていた。ただし、その美女の魂は闇の如き黒色だった。
「悪魔だ。」
シモンが警告を促す。
「あれほどあからさまなら、魂が見えずとも見当がつく。」
実に嫌そうな顔で、ユリエルは答えた。
「あーらら、俺の魂が跡形もなくなくなってるじゃねぇの。」
ひょっこりと騎士たちの間から、エリオがやってくる。あの広場にいたために服はボロボロだが、無傷だ。
「エリオ、リコはどうした?」
「逃げられた。あの子犬、とんでもないことをやらかしてくれたよな。」
へらへらした笑みを貼りつけて、エリオが答える。
「2体目の悪魔か。面倒な…。」
ユリエルは悪態をついた後に、声を張り上げた。
「私は、正教会本部に命じられ、悪魔の討伐にやってきた者だ!さぁ、騎士たちよ!信仰深き騎士たちよ!我に力を貸し、その悪魔らを討ち取れ!!」
騎士たちは、修道服を着た麗人に気圧されるも、悪魔が自分たちの団長と知り困惑する。
「女王を手にかけた侵入者を排除しろ!あんなものを使う者が正教会の遣いだと思うのか、奴は正教会を騙る不届き者だ!奴に手を貸す死神もまた同罪だ!」
今度は騎士たちにエリオが命じたが、シモンに睨まれただけで動くことができないでいた。
「なんだこの情けない騎士たちは…。」
ユリエルが呟く。シモンも大いに同意した。
「悪魔二体を相手に半人前の死神が叶うはずもない。とりあえず、騎士を盾に退くぞ。」
あまり口を動かさずユリエルはシモンだけに聞こえるように言う。そして懐を探り、何やら球体のものを出してきた。彼は、その球を無造作に床に叩きつける。
次の瞬間、一気に煙が辺りを包み込んだ。
「煙玉だ。行くぞ。」
ちゃっかり口元を覆いながら、ユリエルが出口に向かって駆け出す。シモンは若干咳き込みながらも、後に続く。見事な退却っぷりだった。
「おまえ…戦えないのか。」
走りながら、シモンが問う。
「武器すら持っていないだろう?」
自信満々に言い返され、シモンはうなだれた。
ひび割れた大地を駆け抜け、シモンとユリエルはとにかく家へと急いだ。
「お帰りなさい。そんなに慌ててどうしたのですか?」
家に着けば、ダグラスが迎えに出てくる。その腕にはぐずる赤ん坊が抱かれていた。
「リコは帰ってないのか?」
「いえ、騎士服の方に連れて行かれたきり、戻ってませんが…。」
探しに行こうとしたシモンだったが、ユリエルに止められる。
「あれは気づけばそばにやってくる。それより支度しろ。山を越えるぞ。」
「今からですか?」
ユリエルは赤ん坊を受け取り、家の中に入っていった。
「先ほど、応援が日暮れには着くと、鳩で知らせてきましたよ。」
「なに?」
「どうやら別の場所にいた悪魔がこちらに移動してきたらしく…その調査隊が応援と合流したようです。」
「なら、待機だな。近くに来ているのなら、あれを見たはずだ。血相変えてやってくるぞ。」
あれとは先ほどの巨大骸骨のことだろう。ユリエルは、赤ん坊をあやしながら暖炉の前の椅子を陣取った。
正教会の応援が来たところで、あの悪魔たちに抗う手段があるのだろうか?
お昼を過ぎて幾ばくかしか経っていないが、日暮れまでの安全は確保しなければならない。
けれど、やはりシモンはリコが気になって仕方なかった。
外でリコを待っていると、ふよふよひとつの魂が漂ってくる。その魂はこの国を多う分厚い雲と同じ色をしていた。
その魂はシモンの傍にやってくるなり、姿を変える。それは女王の姿になった。三年前、シモンと出会った時のまま、厳めしい顔つきで必死に国を守っていたあの頃と同じ姿だった。
女王はシモンに手を伸ばす。彼女の手が触れた瞬間、シモンは眩い閃光に包まれた。
------そして、シモンは全く知らない場所にいた。隣には半透明の女王がいる。
以前、地下牢でフランカの魂に触れたときと同じ現象だ。シモンはこれが女王の記憶なのだと悟る。
「どうか、神よ!これ以上、民の命を奪わないでください!!」
雪の降る真夜中に、女王が[始まりの書]を片手に叫んだ。その直後、本から光の帯が無数に現れ、それは散り散りになりながら国に降り注ぐ。民を精神的にこの国に引き止めるための古代魔法は、果たしてどれだけの効果があるのだろうか。
やがて朝が来て、今日もまた貴族や文官、騎士、使用人たちの死亡者の数が告げられる。
「今回の疫病に関して、まったく対抗する手だてが見つからず…。」
濃い疲労を滲ませて、医務官が言った。ここは三年前に襲った疫病の時期なのだと、シモンは分かった。
「そう、ですか。引き続き治療法の究明しなさい。」
その女王の言葉に医務官は退出し、執務室には女王がひとり残された。
「万年降り続ける雪に、不毛な大地、数年ごとの疫病…いくら神の魔法を使おうと、この国はもう救われないのでしょうか…。」
いつもの毅然とした態度はなく、ただただ疲れ果てた老年の女がそこにはいた。顔に刻まれた皺は深く、その目には隈がはりついている。
「陛下!!大変です!隣国のセーランが我が国に侵攻してきました!!」
そんな中にまたもや厄介事が持ち込まれた。
「数は!?どこまで進軍してきているのです?」
女王は先ほどのくたびれた態度はおくびにも出さず、毅然と立ち上がる。そして各部署に伝令を送り、次々と指示を出していった。
場面は、少し変わる。これは、国の最重要防衛地点たるカラフ砦が陥落した時期だろうか。女王は数少ない騎士たちと敗走していた。あとは王城で籠城するしかないといったところまで、追いつめられていて、王城まで確かに帰れるのかすら定かではない。
「女王陛下!前方に人影が!」
「敵兵なら振り切ります!」
これはシモンも覚えている。そこにいるのは当時シモンが属していた傭兵団で、この劣勢をひっくり返すのだ。そしてシモンはこの国に残った。今思えば、残ったのは、[始まりの書]の影響だったかもしれない。
そうして、どうにか隣国と疫病から持ちこたえた後、悪魔がやってきた。
「女王陛下、私が新しく騎士団長となりました。エリオ・オランジュです。」
彼は言葉巧みに女王に心を赦させた。そして、女王が忘れていた願望を呼び覚ましたのだ。
「私は幼い頃から、王になるべく育てられました。国を愛せと、そればかり言われ、国を愛してきました。けれど、どんなに愛しても民は私を愛してはくれません。」
執務室で、女王はぼやいていた。
「もし叶うなら、若い頃に戻って、王ではなく普通の娘として愛されたいと思うのです。」
「俺に魂を差し出すのなら、叶えて差し上げますよ。」
エリオは、冗談めかして言った。だけどそれは契約の誘い文句。
「悪魔みたいなことを言うのですね。それでも、魂をさしだせば若返るのなら、それはぜひお願いしたいです。」
そう答えた女王は悲しそうに笑い、逆にエリオはさも愉快そうに笑っていた。
そこでシモンの視界は暗転する。
「なぜこれを俺に見せた?」
傍らにいる女王は、口を動かした。
------どうか国を守って
確かに女王はそう言った。ずいぶんと身勝手なことだ。だけど、女王の境遇に同情しないでもない。彼女はこんな災いばかり襲いかかる国をたった一人で、支え続けたのだ。孤独な女王は、最後に微笑んで、消えていった。
「………善処します。」
女王の愛したこの厳冬の国を守るべきだろうか。でもあの女王の国に対する愛は本物だったのだから。今まで庇護下に置かれていたシモンとしては、その気持ちに報いたいと思う。
無論、リコが第一優先ではあるが-----




