「異邦人たち」
「久しぶり!」
突然後ろから背中を叩かれて、振り向いたU児は目を丸くした。
K子だった。
「あ……ひ、久しぶり」
「久しぶり。元気にしてた?」
「…………」
屈託の無いその笑顔に、U児は言葉を発せないでいた。
それはU児たちが大学二年生になったばかりの、とある日曜日のことだった。
「まだちょっと寒いね」
「あぁ、うん」
U児たちは他の客は女子ばかりの小綺麗なカフェに入った。
スプリングコートを脱ぎながら何の気無しに話すK子に、U児はぎこちない返しをするしかなかった。
「あたしはカフェラテ。U児は?」
「あ……俺も同じので」
U児は普段こういうオシャレ系カフェに出入りすることはない。せいぜいがドトールやスタバ程度のものだ。
「…………」
こんなところにいる自分はまるで異邦人だ、と思いながらU児は改めて目の前のK子に目をやった。
「…何?」
「あぁ、いや……」
ドギマギしながらU児は水を口に含んだ。飲み過ぎて少しむせた。
K子は昔よりも垢抜けて美人になった。いや、美人だったのは昔からだったか。
U児とK子は地方の小都市で幼馴染の間柄だった。
小さい頃は普通に仲が良かったと思う。割と大人しい方だったU児を活発なK子は何かと連れ出しては一緒に遊んでくれていた。
なのに少しずつ距離が離れていったのは、どうしてだったろう。
それは恐らく自分が頼りなかったからなのだろう、とU児は思っていた。
小学校高学年になると、今まで男女の区別なく遊んでいた女子は自分が女子であることを自覚して、大抵は足の早い子や頭のいい子の方へと流れていく。自分がどちらでもないのは承知していたU児は勿論クラスでも目立たない方だった。対してK子は皆とよくしゃべり、徐々にクラスの中心で輝く様になっていった。
中学も高校も同じだったが、クラスは一緒だったり離れていたり。会えば挨拶くらいはするが、特に話し込むことも無かった。
ずっと控えめな方だったU児は割と寂しい青春時代を過ごした。K子の方はそれは華やかで、何人かと付き合っては青春を謳歌していた様だ。
そうしてお互い都心の同じ大学に進んだが、関係は特に変わることはなかった。相変わらずU児は大人しく過ごしていたし、K子はいわゆるお遊び系テニスサークルで楽しそうに過ごしていた。U児も思い切ってスノーボードサークルなどに入ってはみたがやはり集団行動は苦手で、それでも始めたばかりのスノーボードは楽しくて結局一人で板を担いでバスに乗ってゲレンデに行く様になった程度だった。
「I奈って覚えてる?」
「え?」
「ほら、小学校の時のおかっぱのよく気がつく子」
「あ、あぁ……」
少し考えると、微かに面影はあった。
「あの子高校でこっちに転校してたの、知ってた?」
「……いや」
「私もこっち来てから時々は会ってるんだけどさ、もう直ぐ結婚かもだって」
「へぇ……」
しゃべり続けるK子に、U児は少し気圧されていた。
「何と相手は外人らしいよ」
「そうなんだ」
「まぁ、あそこのお父さん頑固なタイプだから、まだハードルはいっぱいあるんだってさ」
「ふうん…」
「………話聞いてる?」
U児はハッと顔を上げた。
K子はプウッと頬を膨らませている。その顔すら可愛いな、とU児は思った。
「………」
と、そんなことを思っている場合ではなかった。
K子は片眉を上げたままじっとこっちを見ている。
「ご、ごめん。I奈ってそこまでよく覚えてなくて……」
U児は正直に言った。
「それに……」
「それに?」
「ちょっと緊張してる」
「どゆこと」
「その…久しぶり過ぎるからさ」
「へぇ……少しは変わったかと思ったけど」
「そ、そりゃあ前程じゃ……」
「ホントに?」
K子はようやくフッと笑った。
「………」
U児は少しだけ肩の力を抜いた。
その笑顔もまた、可愛いなと思った。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「今日ここに来る電車の中でさ」
「ん?」
「外国人を助けたよ」
「へぇ……?」
自分が少しは大人になったことを証明しようと、U児は話し始めた。
それは数十分前。
U児の郊外の下宿から何となく街中へ出ようと乗った、電車の中での出来事だった。
U児の下宿は都心から少し離れていて、間に急行停車駅を数駅挟む。人ごみが苦手なU児は混雑している時は途中で空いている各駅停車に乗り換えたりもする。今日も既に午後だというのに何故か急行は混んでいて、U児は各停に乗り換えることにした。その時、電車の中でおばあさんを捕まえて話し込んでいるバックパッカー風の白人の姿が目に入った。恐らく乗り換えについて訪ねているのだろう。聞かれたおばあさんも何とか答えようとしているが、カタコトでイマイチ要領を得ていなかった。U児もそう英語が得意な訳ではなかったが、あのおばあさんよりはマシだろう。
U児は近づいて行って声をかけた。
「Where do you want to go?(何処へ行きたいの?)」
背の高い白人は振り向いて言った。
「Oh.can you speak English?(英語話せますか?)」
こういう時、U児は大体こう答えることにしている。
「A little little bit.(ちょっとだけ)」
そうしてU児は白人とおばあさんと一緒に空いている各停に座り、話を聞いた。
オルセンと名乗ったその白人はとあるウチに向かおうとしたのだが、急行が止まらない駅で降りる筈が間違えて急行に乗ってしまい、ようやくここまで戻ってきたのだという。目的地にはこの列車で合っているのかと聞いてきた。
「OK.OK」
オルセンが出した地図を見てU児はサムアップして見せた。
オルセンは深くため息を吐いて、ようやく安心した様だった。更にオルセンは聞いてきた。
「Do you have a cellular?(携帯電話持ってますか?)」
「?」
聞けばそのウチに行く時間に自分は既に遅れている、ようやく正しい電車に乗ることが出来たので申し訳ないがもう少し待っていて欲しい、という旨を自分は日本語が話せないし携帯も持っていないので代わって相手に電話してほしい、というものだった。
「……」
U児は少し考えてから、そのウチの名前と電話番号を聞いて電話してやった。
目的地に着いたオルセンはU児とおばあさんに何度も頭を下げ、笑顔で降りて行った。
「ありがとう、あたし一人じゃ説明出来なかったから」
その後おばあさんはU児に話しかけてきた。
「いえいえ、俺もカタコトなので…」
おばあさんは遠くを見る様な目になった。
「あの人、誰に会いに行くのかねぇ」
「電話先はちょっと怖そうなおじさんでしたよ。怒られないといいけど」
さっき電話で話した相手は、そんな感じだった。
「ひょっとして、彼女さんのお父さんだったりして」
「…それは大変ですね」
そんなことを話しながら、U児は街中の駅までの時間を過ごした。
おばあさんはまだ先まで行くのだろう、降りたホームで手を振って別れたのだった。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「へぇ……」
K子は特に驚いた風でもなかった。
U児は少しムキになって言った。
「大したことないかもしれないけど、あの頃だったらそんなこと出来なかったよ」
「あの頃?」
「……小六の頃」
「え?」
K子の表情が少しだけ変わった。
それはU児が小学校六年生の頃。
U児は塾に通っていた。
塾のある駅前から自宅まではバスに乗るのだが、その途中にはユースホステルがあり、それ目当ての外国人の若者がよくそのバスでは見受けられた。いつもはスピーカーから流れる停留所の案内に英語が混じり、次がユースホステルに最寄りのバス停だと教えてくれるのだが、その日運転手が間違えたのだろう。そのバス停に着いてもいつもの放送が無かった。
「あ…」
椅子に座ったU児の目の前には、明らかにユースホステル行きであろう黒人の若者がバックパックを背負ったままキョロキョロとしている。
ここで降りるべきですよ、と言うべきだとU児は思った。
だが小学生では英語などほぼ喋れはしない。見た目怖そうな黒人に話しかける勇気は、その頃のU児には無かった。
結局バスは走り出し、その後で運転手も気づいたのだろう。いつもの英語のアナウンスが流れ、その後で続けてその次の停留所の案内も流れた。
その黒人もその放送と、窓外を過ぎていった停留所近くのユースホステル行きの案内で事態を理解した様だ。「あ~あ、仕方無い」と言う顔をしてため息を吐いていた。
自分が勇気を出して言ってあげれば……とU児は俯いて唇を噛んだ。
たったそれだけのことが、ずっとU児の心の中で引っかかっていた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「だからいつか、ちゃんと助けてあげられる人になろうと思ってたんだ」
U児は妙に力説している自分に気づいていたが止めようとは思わなかった。
K子はじっとU児を見つめていた。
「……うん」
「あ……そんなのK子とかは普通に出来ることだったのかも知れないけど……」
U児は少し恥ずかしくなって俯いた。
「ううん……いいと思う」
K子は目を落としてカフェラテを口にした。
「そうそう…先月もあったんだ」
「え?」
「外国人を助けたの」
「へぇ…聞かせて」
K子は乗り出してイタズラっぽい笑顔を見せた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
それはU児が一人で行く様になったゲレンデでのこと。
新幹線でも行けるそのゲレンデに、U児は主にバスで行っていた。
その日、U児は駐車場近くのバス停で帰りのバスを待っていた。そのゲレンデは帰りの新幹線やバスは午後の早い時間は一時間から一時間半に一本しか出ていなくて、その時間は一つ先の駅までバスで行って乗り継いだ方が早い為、U児を含め早目に帰る客はそのバスをよく利用していた。
だがその日に限って、いつも来る筈の時間にバスは来なかった。側にいた中国人のカップルが英語でU児に聞いてきた。
「Sorry..Blue line bus is here?(ブルーラインのバスはここですか?)」
「?えっと…」
普段自分が乗るバス以外の路線図など見ていなかったU児は側の路線図に目をやった。
そこにはブルーはなく、イエローとオレンジの路線のみが載っていた。
「It's not here, but online…(この路線図には載ってないけど、ネットでは確かに…)」
彼らが指し示したスマホの画面には確かにブルーラインがあって、U児が乗ろうとしているのもその路線だった。
何故無いのだろうか?
「Why……?」
しばらく路線図を見ていたU児は気がついた。「4/1~春スキーバス路線図」の表示がある。そして今日は4月1日だった。
U児は中国人カップルの方を振り向いて言った。
「Ya. from today, spring timeshift, so now blue line is maybe…(今日から春シフトなのでブルーラインは恐らく…)」
U児は両人差し指でバッテンを作った。それで通じるかどうか怪しかったが、彼らは分かった様だった。
二人は笑顔で礼を言って去って行った。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「ふうん…」
話を聞いたK子は半分位になったカフェラテの水面を見つめていた。
その表情は少し微笑んで見えた。
「………?」
U児はその微笑みの意味を計りかねていた。
K子は逡巡する様に視線を巡らせた。
「…………」
U児は妙な不安を感じながらも、そのまつげの長い瞳を綺麗だなと思っていた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
実はK子は子供の頃、U児がバスの中で黒人にユースホステルのバス停を教えようとして結局言い出せなかったバスに乗っていた。
別の塾に通っていたK子は後方に座っていて、U児のその様子を見て腹立たしく思っていた。
自分が好きになった子には、もっと凛々しくいて欲しいのに。
K子の家はその次のバス停が最寄りだった。俯いたままのU児の側を通り過ぎ、黒人の後からK子はバスを降りた。ならば自分がーーーとも思ったが、やはり小学生のK子にもその黒人に声をかける勇気は無かった。ユースホステルの表示を探してバス通りを歩いて戻って行く黒人の背中を見ながら、K子は何も出来なかった自分を呪った。これではあの不甲斐ないU児と同じではないか。
それから、K子はU児と少し距離を置く様になった。
ダメな自分を、二度と思い出したくなかった。
だから、それからは努めて明るく振る舞った。
それまでは少し無理をして周りと喋っている自分の中の異邦人的な部分も自覚していたのだが、もはやそんなことはどうでも良かった。
たまにU児とすれ違うこともあったが、挨拶程度だけにしておいた。
そうしないと自分の中の何かが崩れそうな気がしたから。
そのせいかどうかは分からないが、中高とクラスでは割と中心的な存在で過ごせた。
何人かと付き合うこともあったが、それでも何故か満たされない自分がいることに、K子は気付いていた。
そのことを、何故なのだろうとずっと思っていた。
U児は、意図してなのかどうか知らないがずっと付かず離れずの距離にいた。
中学も高校も、そして驚いたことに都心の大学に出てきても気がつけば少し離れてはいるもののやはり側にいた。
それとなく窺ってはいたが、U児は外から見る限りそう変わってはいない様だった。
その印象が変わったのは、あのゲレンデでのことだ。
あの日、K子はテニスサークルの面々と車数台でスノーボード旅行に来ていた。
後少しで一日目が終わるという頃、車に忘れ物を取りに一旦駐車場まで下りたK子はバス亭近くにいるU児を見つけた。こんなところまで、と一瞬呆れたが、やがてK子はいつもの様に離れてU児を観察することにした。U児は相変わらず一人行動の様だった。
そのうち、後ろにいたアジア人らしきカップルがU児に何か尋ね始めた。それに焦りながらもU児はちゃんと応対していた。U児が中国語や韓国語を話せる訳もないので恐らくは英語なのだろうが、きちんと疑問点は解消され、カップルにU児は感謝されていた。
二人を見送っているU児の嬉しそうな笑顔を、K子は驚きを持って見つめた。
「…………」
K子はやがてフッと微笑んだ。
ーーーなあんだ。
ちゃんと成長してるんじゃない。
暖かいものがポウッと胸に広がるのを、K子は感じていた。
それと共に、自分は今まで一体何をしていたのだろう、という思いが浮かんできていた。
自分はずっと、何にこだわっていたのだろう。
「へぇー、運命じゃない?」
上京してから時々話す様になった幼馴染、I奈はそのことを話すと一人盛り上がっていた。
「そんなんじゃないって」
「で、どうするの」
「どうって…別に」
「住所ならあたし知ってるよ」
「え、何で?」
「うちの親、U児のとこと今でも仲いいから必要ないのに教えてくれた」
「そ、そう」
「流石に電話番号までは知らないけど…会いに行けば」
K子は少し考えた。
「……変じゃない?」
「アタックあるのみ!」
K子以上に積極的なI奈は、その押しの強さで外国人の彼をゲットしたのだと言う。
そうしてK子はU児に会ってみようーーというかとりあえず今までの様に遠くから様子を窺ってみるのも良いかと、今日U児の住所へと向かう電車に乗ったのだった。
途中の急行停車駅で、偶然U児を見つけた。U児は反対方向へ向かう各駅停車に乗り換えるところだった。
急いで歩道橋を渡り、U児のいる車両の隣に滑り込んだ。
U児はおばあさんと一緒にバックパッカー姿の白人を助けていた。
I奈ではないが、これも運命だと思った。
こんな場面に、そう何度も出会うものではない。
「…………」
U児は戸惑いながらも白人の言うことを聞き、彼の為に電話もかけていた。こっそり近づいて聞いていたが、その電話の応対も好感の持てるものだった。
その白人が降りてからも、U児はおばあさんとしばらく笑顔で会話をしていた。
自分など祖母とはもう話すことも煩わしくなっているというのに。
ホントに、成長してるんだ。
K子はおばあさんに笑いかけるU児の横顔を、じっと見つめていた。
「…………」
K子はU児の後から繁華街の駅を出て、少しの間ついて行った。
ドキドキとする自分の心臓の音に、K子は気づいていた。
「………よし!」
そして意を決し、小走りで近づいて行ってU児に声をかけたのだ。
「久しぶり!」
✳︎ ✳︎ ✳︎
「…………」
黙っている自分に戸惑っている様子のU児を見ながら、K子はさてどう切り出したものかと考えていた。
その時、テーブルの上に出してあったスマホからlineの着信音が鳴った。
見るとI奈からだった。
"その後U児とはどうなった?"
「ごめん、I奈から。ちょっと待ってて」
頷くU児を確認してから、K子は返した。
”今目の前にいる”
”やったじゃん”
”まだ何も起きてないよ”
”ちなみに今あたしの前ではダーリンとパパリンが無言で座ってるヤバイ”
「へぇ…」
近々親に会わせると言っていたが今日だったのか。
「…………?!」
K子は気付いた。
……あれ?
さっきあの白人が下りたのって、I奈の実家がある駅だった様な……
ーーまさか?
K子は急いで打ち返した。
”ダーリンって、名前何だっけ”
”オルセン”
「ーーーマジ?!」
思わず声が出た。
目の前のU児が怪訝そうな顔をした。
K子は更に打った。
”念の為お顔を”
”ねんのため??”
その直後に送られてきた写真の中でI奈の肩に手を回して朗らかな笑顔を見せていたのは、間違いなく先程U児が助けたあの白人だった。
「………あはは」
「……?」
U児は更に困惑した表情になっている。
「あはははははは」
笑いながらK子はその画面をU児に見せた。
覗き込んだU児は目を丸くした。
✳︎ ✳︎ ✳︎
数年後。
ベビーカーを押していたU児は赤ん坊を抱いた外国人夫婦に声を掛けられた。
「Excuse me. We want L-size OMUTU. Do you know store?(すみません、Lサイズのオムツが欲しいんですが、この辺で店あります?)」
「Ya, えっとーーこの近くにオムツ売ってるドラッグストアあったっけ」
U児は隣のK子に尋ねた。
「あぁ、あっちにあったと思う。連れてく?」
「そうだねーーOK.Follow us please.(じゃあ、一緒に行こう)」
U児はベビーカーでぐっすりと眠っている息子を確認してから、外国人夫婦に会釈して歩き出した。
妊娠七ヶ月でもうお腹の大きくなったK子は、U児の服の裾をしっかりと掴んでいた。
U児はK子に笑いかけてから外国人夫婦に声をかけた。
「From where? How is japan?(どこから来たの?日本はどう?) 」
( 終わり )