俺、男嫌いな王女の執事になる!
雷の直撃を受けて死んだ──はずの俺は、気がついたら見知らぬ森の中で寝ころんでました。ちゃんちゃん☆
……じゃないな。
はぁ。どうなってんだよ、オイ。誰か説明してくれる心優しい野郎はいねぇんですかってんだ!
──ってなわけで、俺こと深緑 操彦は、絶賛混乱中であります。
なぜ、こんな意味の分からない状態になっているのか。全てのことの始まりは、つい先日のこと。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「あぁ、えーっと……なんだ。君には君の天職がある。 だからまぁ……他で頑張れ」
俺氏、一六歳ナウ。
本来なら青春まっただ中の歳であるはず……なのだが、俺はいわゆる解雇をされ、路頭に迷っている。
自慢ではないが俺は中学校在学中に勉強をせず、運動ばかりしていた。そのため、偏差値が四〇を上回ったことがない。結果、公立も私立も行くアテがなく、就職した。
だから、起きるべくして起きた解雇なのだと思う。
こんなことなら、しっかり勉強をして高校に入るべきだった。社会経験なんて勉強をしながらでも、バイトでできたはずだ。
だがそんな後悔をしても、現状はかわらない。
決断せず、決意もせず、流されるように生きてきた自分が悪い。
けれど、そんな風に自分を責めたからと言って、なにかできることが増えるわけでもない。
増えるのは溢れんばかりの体力のみ。
しかし俺は、そんなことでヘコむような人間ではないと信じていた。だからハローワークで、条件にあった職業を何日も探す気力があった。
だが、どれだけ探しても仕事は一向に見つからない。どれもこれも技術や資格が必要なものばかりなのだ。
なんだか体力のみが取り柄の筋肉バカなんてどこも必要としていない、と断言されたかのような錯覚さえ覚えてくるほどである。
そんな心がいつ折れてもおかしくない日々を送っていたときのことだ。俺があることに気がついたのは──、
それは『このご時世、中卒が就ける職業なんてない』ということ。
なにを今更……と鼻で笑われるかもしれない。
しかし、今まで俺が働いていた職場は俺の父さんの知人が立ち上げた会社。コネで入社したも同然なのだ。
だからこんな俺でも就職できたのである。
つまり俺は就活の厳しさを全く知らなかったのだ。『こんなことではヘコまない』と信じていられたのは、ただ無知だったというだけ。
しかし少し社会に目を向けてみてると、
頭が悪く資格もない中卒が、デスクワークの仕事に就職しようとするのが、どれだけ無謀なのか教えてくれる。どれくらいかと言うと、夏服でエベレストを登頂するのと同じくらい。
加えて、俺は運転免許証すらない。となると、トラックの運ちゃんもできなければ、新聞の配達員もできないのである。
デスクワークもできなければ、労働系もできない。もちろん資格もないからガテン系も不可能。
つまり俺の社会人生活は完全に詰んだと言うわけだ。
「……今日も公園で寝るか」
誰に言うわけでもないそんな言葉を、震える声でつぶやく。
まるで誰かに助けをすがるかのような声。自分で聞いてて情けなくなる。
だが、情けないと思えば思うほど。気づけば気づくほど。俺のやる気や意欲は、自覚できるほどに削がれていく。
結局、俺は甲斐性なしのダメ人間だった。
つい先日だって親父に、
「勉強もろくにできねぇ。コネで入社した会社も解雇される。そんなテメェはこれからどうすんだ? 家でヒキニートでもする気か? 俺はそんなこと絶対に許さないからな。息子がヒキニートなんて知られたら、近所からなんて言われるか分かったもんじゃねぇ」
そう言われた。
そして最後に「二度と帰ってくるな」とも言われた。
だが、俺は怒れない。なぜなら親父の言ってることは正しいから。
こんな人間を誰が必要とするのだろうか?
価値なんてあるのだろうか?
そもそも、生きていて良いのか?
──そんな答えは考えなくとも分かることだ。
必要なわけがない。
価値なんてあるわけがない。
生きていて良いはずがない。
だからと言って死ぬ勇気もない。
……本当に腰抜け野郎だなぁ。
自分の勇気のなさにため息をついてしまう。
昔の友達の家にでも泊まりに行こうか。
いや、そんなことをしたら他人に迷惑をかけることになる。親にだって迷惑をかけるかもしれない。
だったらいっそのこと、公園で死のう。この真冬の空の下なら死ぬことなんて簡単だろう。それこそ死ぬ勇気のない俺でも……。
俺は覚悟を決めながら公園のベンチに腰をかける。そしておもむろに空を見上げた。
漆黒の真冬の夜空が広がっている。浮かんでいるのはまん丸の月だけで雲は一つもない。
良い天気だ。
こんな状況でも、そんなことを思える心があることに俺は少し驚く。だが自分の心の汚れをあざ笑われてるかのようにも思えたため、それはすぐに消え去った。
俺ももう末期だな。
確信しながら、上着を脱ぎ捨てる。そして白地のTシャツ一枚にジーパンのみの姿になると、ベンチに横になった。
金属製のベンチが一層冷たく感じる。
「……あの世なら、こんな苦しみなんてないんだろうな」
消え入りそうな小さな声でつぶやきながら、俺は目を閉じる。
瞬間。
目の前いっぱいに真っ白な光景が広がる。どうやらまぶたの向こう側から、とんでもなく明るい“なにか”に照らされてるらしい。
思わずギュッと目を強く瞑った。
それとほぼ同時。痛みはない。だが、なぜか意識が朦朧とし始める。
まさか、雷にでもうたれたのか?
そんな思考をしたところで俺の意識は、
完全に闇に落ちた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
身体が妙な寒気にぶるりと震えた。それとほぼ同時に意識を取り戻す。
「……ん」
あれ? 雷にうたれたんじゃなかったのか?
もしうたれてないにしろ、凍死したんじゃないのか?
てか、ここどこ?
目を開けると、見慣れない風景が広がっていた。
最初は、視界がぼやけているからそう思うのだと考えていた。だが、視界がハッキリしてきた今も見慣れない気がする。
……いや、これは「気がする」のではない。確実に見慣れないんだ。
そして、そんな疑問は確信に変わった。それもそのはずで、木々が俺を囲うようにたくさん生えているのだ。それも空を覆い隠すほど……。
昨日、俺が寝所にした公園がいくら地方の公園とは言っても、こんな森林地帯のような公園ではなかったはず。
俺はここがどこなのか確認しようと上体を起こす。
だが、
「…………えーと、マジでここどこよ?」
目の前に広がる光景に、思わずそんな言葉を漏らしてしまう。それほどまでに、目の前には異様な光景が広がっていたのだ。
一言で表すならジャングル。まるで日本とは思えない。
こんなところ、少なくとも俺の住む街にはなかったはずである。
ここは一体……?
待てよ、分かったぞ。雷にうたれて死体となった俺を、どこかの誰かが山中に遺棄したんだ。そして俺は奇跡的に生き返っちゃった。
……なわけねぇか。
あぁもう、どうなってんだよ!! 誰か説明してくれる心優しい野郎はいねぇんですかってんだ!?
ハッ、まさかここは死後の世界!?
自分で考えたトンデモ仮説にすぐさま「ハハハ、まさか」と笑う。
「──でも」
少し信じている自分がいることも事実。
なにせ雷にうたれたあとに、こんな不可解なことが起こっているのだ。逆にここが現世だった方が恐ろしい気もする。
「てことは俺、本当に死んだのか……?」
少し頬がゆるむ。
これで両親や兄弟に迷惑をかけることもなくなった。そう考えれば、頬がゆるむのも不思議なことではないだろう。
唐突の悲鳴。思わず身体をビクッとさせる。
声から察するに恐らく少女のものだ。
どんな理由で悲鳴をあげているのかは分からない。が、まるで危機がすぐそばまで迫っているかのような緊迫感が声から伝わってくる。
おいおい、安楽浄土って平和じゃねぇのかよ!? って、そんなこと考えてる場合じゃねぇか!!
思考を断ち切り、走り出す。
来たことも見たこともないジャングルの中。でも、なぜか不思議と方角が分かる。それも明確に。
ハッキリとした違和感を覚える。だが、それを気にしてられるほどの余裕はない。
まだ十分な回復ができてない上に、フラフラしてるな……。こんな身体でなにができる?
もし声の持ち主が危機に陥ってたとして、俺に助けられるか?
走る俺の脳内で、そんな疑問が浮上する。
しかし、ここで弱気になれば声の持ち主は確実に助からないだろう。
──だったら。
ケンカなら自信がある。少しでも時間を稼いで女の子(だと思う)を逃がせれば、それで良いか。あとは……えぇい、どうとでもなれ!!
……走り出してから悲鳴のあった場所にたどり着くまで、時間はかからなかった。
あれか!
草に隠れながら、現場を覗く。そこには先ほど悲鳴をあげたであろう少女がいた。
少女は白地を基調としたフリフリドレスに黒い帯のようなものを腰あたりに巻いている。更に頭にはティアラをつけていて、かっこうだけ見るとまるでどこぞのお嬢様だ。
ん?
あの変な生き物はなんだ?
犬に似てるけど、明らかに犬じゃねぇよな。
俺の見つめる先で少女と対峙している謎の生命体がいた。
黒色の大きな胴体に首と頭が三本ついてある。まるでケルベロスを連想させるそれは、今にも少女に噛みつきそうな雰囲気を出していた。
対して、女の子の方も負けじとケルベロスに可愛らしい睨みを利かせる。
「グルルルルル……」
「ひっ……!!」
だが、やはりそこは女の子。ケルベロスの鳴き声に完全にビビり目をそらす。
それが合図となった。
ケルベロスの身体がゆらりと動く。
──やべぇ!!
それを見た俺は自然と、茂みの中という安全圏から飛び出した。そして一気に間合いを詰め、少女に飛びかかる。
なんだかやってることが犯罪者じみてるが気にしてはいられない。
その勢いのまま、少女の肩を弾くように押し倒した。俺の身体にケルベロスの毛先がかすかに触れるのが分かる。なんだかくすぐったい。
それとほぼ同時。ゴロゴロと二人の人間が雑草の上を転がった。
ケルベロスはその数瞬後に、俺と少女の残像を食らいつくように通過したらしい。もし俺の行動が一瞬でも遅れていたら……。
「痛ぅ……ッ!!」
「大丈夫か!?」
筋肉バカの俺とは違い、か弱い身体を持つ少女にこの回避の仕方はキツかったようだ。
だが今は少女よりも目の前の敵が優先である。
本当にこいつは何者だ?
首が三本。なにかのオモチャ……にしては精巧すぎるか。
ってことは、本物の首か!?
見たこともない生物と対峙する。それが、ただの犬でさえ怖がる俺の恐怖心を一層煽った。
身体が不自然に震える。
「……で、テメェはどこの野良犬だ? それとも研究所とかから逃げ出したサンプルか? あっ、もしかして極楽浄土らしく地獄の番犬とか? ……って、そりゃキリスト教だから違うか」
俺はそれを隠すように笑い、ボケをかます。
だが、自分でも分かるほどに笑顔がひきつっているため、そんなボケは笑いにもならない。
「グルルルルル…………ウゥ……ワァン!」
ほら、ケルベロス君も「バカみたいなボケかましてんじゃねぇぞオラァ!」と、お怒りじゃないか。どうしてくれんだ過去の俺。
「お、おい。そんなに怒るなって──」
「グォォオオオオオオオオ!!」
話の途中でケルベロスが襲いかかってくる。俺との距離、わずか一〇メートル。
だが、あまりの恐怖に身体が動かない。皮肉にも能だけが必要以上に働く。
あぁ。なんだか幼い頃の記憶が蘇るな。近所の野良犬に追いかけ回されたっけ。
で、いつも転んで傷をつくってたっけ。
あの頃は、親父もお袋も、そんな俺を優しく手当してくれたし、兄さん達がいつも犬を追っ払ってくれたよな。みんな優しくしてくれたよな。
あれ、もしかしてこれ。走馬灯ってやつなのか?
ってことは、今度こそ死ぬんだな、俺。
まぁここが極楽浄土なら、今度はどこに行くのか。多少疑問だが……。
「これより我が脳は、全宇宙の知と能に化す」
ほら、幻聴まで聞こえてきた。
てかキィィィンって耳鳴りみたいのも聞こえる。
「光は神が地に与えた恵み。光は神が生命に与えた試練」
……なんで死ぬ間際の幻聴が中二病じみてるんだろうか?
「光は邪なるものを拒み、時に悪を裁く」
ん? 待てよ。さっきから聞こえるこの声って……ッ!!
「雷霆の力をも殺す聖盾よ。我が身を触媒にし、その力を展界せよ!!」
俺の声じゃねぇか! って、口が勝手に!?
自然と発せられた俺の声と同時に。いや、まるで声と共鳴するかのように。
俺の目の前に半透明な物体が出現した。
だがケルベロスは止まらない。
勢いを殺すことなく、ガラスにも見えるそれに突進する。
ゴキッ!
ケルベロスが壁にぶつかった瞬間。まるで骨が折れたかのような、そんな乾いた音が鳴り響いた。それと同時にケルベロスの身体が進行方向とは真逆の方に吹っ飛ぶ。
「キャン、キャン!」
地面に転がるケルベロスが痛い痛いと言ってるかのように鳴いた。
正直なにが起きたのか分からないが、変な罪悪感だけが湧いてくる。
「おい。……大丈夫か?」
「グルルルルル……!!」
「も、元はと言えばお前が悪いんだからな!?」
「ワン、ワン!」
覚えてやがれ! とでも言いたげにそう鳴くと、森の中へ走って逃げていく。どうやら追っ払えたみたいだ。
はぁ……と胸をなで下ろす。緊張の糸が一気にほどけた。
「あのぉ……」
そんな安堵している俺の後方から、甘ったるい声が聞こえてくる。俺は振り返りながら、
「ん? あぁ、怪我とかはない?」
「あっ、はい。大丈夫そうです。助けてくださりありがとうございます。なんとお礼をすれば良いか……」
深々と頭を下げる少女。礼儀正しいな、と思いながら俺は、ずっと頭を下げている少女に「そんな頭下げなくて良いから」と言う。
少女は少し不安そうな顔をしながら姿勢を元に戻した。そして予想外の言葉を言う。
「良いんですか?」
まるで怯えるかのような少女の声。そんな少女に対して、俺は少しポカンとし聞き直す。
「良い……って、なにが?」
「そ、その……。お礼とか求めたりしないんですか?」
「お礼?」
それは考えてもいなかったことだった。なぜなら俺は、困ってる人を助けるという当たり前のことをしただけだ。
というか逆に──、
こちらがお礼をしたいくらいだよ。親に見捨てられたような俺が役に立つことができたんだからな。
だからお礼なんて必要ない。
「別に良いよ。それに君みたいな礼儀の良い子に礼を頼むこと自体間違ってるし」
笑いながらそう言う。すると少女の顔が、パッと明るくなった。
俺は思わず目線をずらす。
この少女。とんでもなく可愛い。
先ほどまでは不気味な犬に意識をとられ、気がつかなかったのだが、
雪のような真っ白な肌。
碧色でパッチリとした、つぶらな瞳。
気持ち程度にぷっくりとした唇。
そして、煌びやかな金髪。
まだ幼さが、そこはかとなく残っていることから、中学生くらいの年頃だろうと推測する。だが大きくなれば美人になるに違いない。
お礼。キスくらいしてもら……いやいや。なにを考えてるんだなにを。さっきの紳士的な俺はどこに行った。
ふらちなことを心の奥底で考えながら、再び少女に目線を合わせる。
少女は、まるで安心感でうっとりしたような表情を浮かべていた。なぜここまで俺に対して怯えていたのだろうか?
「……もしかして俺、不審者と思われてます?」
思わず口から疑問を漏らす。少女はそんな言葉にあたふたしながら、
「そ、そういうわけではなくて! ただ……男の人なのにお礼を要求しないんだな、と思っただけで……」
「……?? 逆に、お礼を要求するような男なんて、ろくな人間じゃないと思うけど?」
聞くなり、少女はキョトンとする。そして少し微笑み、
「不思議なお方ですね」
そう言った。
不思議?
いや不思議などではない。お礼というのは助けてもらった者が任意でするものだ。強制ではない。
そんな思考を巡らす俺に少女は続けて、
「男尊女卑法を知らないわけでもあるまいに」
男尊女卑?
極楽浄土に性差別なんてあるのか?
そもそもここは極楽浄土(もしくは天国)なのか?
なんだか少女の話を聞くにつれて、変な汗が湧き出てくる。それと同時に妙な感覚にも襲われた。
俺はそれらの得体の知れないなにかに耐えきれなくなり口を開く。
「……あの。ここって、どこですか?」
あまりにマヌケな質問に、少女は固まった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「──つまり、雷にうたれて気がついたらここにいた、と言うことですか?」
ことの顛末を全て聞き終えた少女がそう聞いてくる。
「はい。そもそもあれが雷だったかも分かりませんけど……」
「うーん。私にもよく分かりませんが、少なくともこの星に『ニホン』という国はありませんよ」
「ってことは……」
このとき。俺の頭にある仮説ができあがる。
極楽浄土やら天国やら。そんなことを信じていた俺にとって、その仮説を受け入れることはあまりに容易なだった。
そして、
その仮説を考えたのは俺だけではなく目の前の少女も同様で、
「異世界転移、と考えるのが妥当でしょうね」
そう言った。
「マジで? 異世界転移って本当にあるの?」
「私にも分かりません。まだ異世界があるとは思えませんし信じられませんから。ですが……話を聞く限りではそうとしか思えないのですよ」
「まぁ、確かに。消去法でいったらそうなるよな」
でもなぁと言いながら辺りを見回す。
気がついたら、見たことのないジャングルのような場所にいた……と言うのを除けば異世界感がまるでない。
日本語を少女が喋っているというのもそうだが。
異世界と言えば、不思議な形をした植物とか、虹色の食虫植物とか。そんなのがいるものを想像していた。
だが、不気味な犬がいたことも事実。
って、ことはやっぱり。ここは本当に異世界なのだろうか。
「まぁとりあえず……」
少女が唐突に口を開く。そして少し間を空け言う。
「聖シトリンガーネット学園の生徒でない以上、この地域から出ないとですね」
「へ? 学園?」
「ご存知ないですか。まぁ異世界から来たというのが本当なら仕方ないですよね。ご説明致しましょうか?」
「あぁ、お願いします。なんだか手間をとらせてしまって申し訳ない」
言うなり、少女はあたふたしながら謝らないで下さい、と言う。なんだか謝れ慣れてないといった感じだ。まぁ少女の言う男尊女卑制度が本当にあるなら、謝れ慣れてないのも納得がいくが。
少女は手のバタバタを止めると、一回深呼吸をして説明を始める。
「えーとですね……。この国──シトリンガーネット──には、魔法使いを養成する学園があるのです。それが聖シトリンガーネット学園」
つまりそこは、軍隊を養成する士官学校のようなものらしい。ただ違うところは、戦う相手が人間同士ではなく、
「通称《魔物》を退治するのを目的としている一種の国防機関でもあります。……説明が下手で申し訳ないですが、お分かり頂けましたでしょうか?」
「めっちゃ説明上手いじゃないですか。おかげでしっかり理解できましたよ」
良かったぁ、と少女が安堵する。それと同時に、にっこりと微笑んだ。まるで天使のような表情に俺の鼓動が速まる。
まずいまずいと思い、少し目線をずらした。
にしても、魔法とか魔物とか。なんだか異世界っぽくなってきたな。
俺はまるで緊張感のないことを考える。
「でも……なんでここから出ないといけないんだ?」
「あっ、《封鎖地区》についてもご説明致しますね。この国には魔物が大量発生する地域があるのです。それがここ──封鎖地区──と呼ばれる場所。ここは、あまりにも危険度の高い場所で、聖シトリンガーネット学園の……それも三学年の者しか入ってはいけないのです」
「つまり部外者以外立ち入り禁止、みたいな?」
「まぁそう考えていただければ幸いです」
なるほど……。
ってことは、さっきの犬も魔物ということか。
ん? 待てよ。
「……ってことは、君もそのなんちゃら学園の生徒さんってこと?」
「あっ、いや。その……私は違います」
「じゃあなんでここに?」
「そのぉ……今日、私の姉の誕生日なんです。いつも迷惑ばかりかけてるから、お花でもプレゼントしようと思って……」
姉……か。
俺にも兄さんがいたけど、プレゼントとか渡したことないよな。
「お姉ちゃんにプレゼント、か。偉いな……」
「そ、そんなことないですよ! いつものお礼をするだけですし」
耳が痛くなる。勘当までされちまった俺からすると本当に耳が痛くなる。
「そ、それで……。花は手に入れたのか?」
「はい!」
少女はニコニコした表情になると、フリフリの服のポケットから、透明の筒を取り出す。
俺は中を覗く。どうやら筒の中にはピンク色の花が入っているようだ。
「このお花、『努力は必ず報われる』と言う花言葉を持つんです。お姉ちゃん、いつも努力してるから……」
この子、本当にいい子だ。うん、いい子過ぎる!
なんだ!?
話を聞いてると、どんどん俺が惨めになってくるんだが!?
一体なんなんだ!?
世間一般の兄弟愛って、これが普通なのか!?
「なんだか君が女神様に見えてくるよ……」
「め、めが!? そんなことありませんよ!」
「いやいや。てかこの世って不平等だな。俺なんかブサイクの上に性格までダメなのに……こんな可愛くて性格も良い女の子が存在するなんて」
「かわ……ッ!? そ、そんなことないですって! あなただって、私を助けてくれたし、お礼すら要求しない謙虚な人だし、それにイケメンさんですし……。と、とにかく! この山から下りますよ! 案内しますから、はぐれないように!」
「ら、ラジャー」
少女の後をつくように歩く。
どうやら、この少女。この封鎖地区という場所に入るのは初めてではないようだ。スムーズにどんどんと進んでいく。
「あっ、自己紹介忘れてましたね」
落ち葉の上を歩きながら少女が言う。
「私はセリア・ウィリアムズ。セリアとお呼びください」
「お、俺は深緑 操彦。操彦って呼んでくれ」
「はい! ミサヒコ様。……と、そうこうしている間に下山しましたね。ミサヒコ様、見えますか?」
ふわふわした山道の上に立ち止まり、前方を見ながらそう言うセリアさん。俺も立ち止まり、セリアさんの見ている方に目線を運ぶ。
そして、
──本当に、異世界なんだな。
そこには俺にそう思わせるほどの物があった。もう少し詳しく言うと、
街の中心部にまで伸びる石畳でできた坂道。
そんな道の上を、とても小さく見える人間が、見慣れない服を着てちょこちょこ動いている。
街の中心部には堂々とそびえ立つ、某ネズミランドのお城のようなデザインの時計塔。
そして坂の下に広がる全体的に赤い街並み。
まるで中世ヨーロッパを連想させるそれらは俺に、ここは異世界なのだ、と思い知らせてくれた。
「あれがこの国の王都ビブリでございます」
「王都か……。なんだか海外旅行に来たみたいだな」
「異世界に来たかもしれないと言うのに、意外と呑気ですね。まぁ悲観するよりはその方が断然良いですけど……」
「あっ、いや。だってこんなきれいな街並み、俺の世界にはなかったからさ」
無邪気に目をキラキラさせながら、そんな言い訳を言う俺にセリアさんはくすくすと笑う。
「そうだ。王都の散策でも致します? 案内いたしますよ?」
「えっ、うーん……セリアさんの迷惑にならなければ」
「迷惑だなんてとんでもない。ミサヒコ様は私の命の恩人なのですから、気遣う必要なんてありませんよ。それと、さん付けしなくて良いです。職業柄、さん付けされると他人行儀に感じてしまって……あまりされたくないんですよ」
「そうでしたか。すみません」
「いえいえ、こちらこそワガママ言ってすみません」
言いながら、小さな右手を差し出してくるセリア。俺は反射的に左手でギュッと握った。左手の先からセリアの体温を感じる。
それとほぼ同時。セリアの顔が笑顔でいっぱいになった。体温と笑顔というダブルパンチに、不覚にも俺はドキッとし目線をずらす。
「さぁ、行きましょうか」
そんな声を合図に、俺達は石畳の道へと歩いていく。のだが早速、俺は違和感を覚えた。
「てか、さっきから物凄い視線を感じるんだが……」
「気のせいですよ、気のせい」
いや明らかに視線を感じますよ?
あそこの少女なんか俺達に頭下げてるし……。あそこのおばあちゃんなんて土下座までしてるし!!
だが、そんなことなど気にとめる様子もなくセリアはスタスタと街の中心部へと歩く。
「この通りがメインストリートです。中心部には時計塔と噴水があります。神話で、あの噴水は神の恩恵を授かった、という話があり、他国からの観光客が集まる人気スポットだったりしますが……。ミサヒコ様も神話とかに興味あります?」
「うーん。俺は神なんて信じねぇからな」
「私もです。立場上、神話の勉強もするのですが……やはり神様がいるとは思えないのですよね」
「だよな。そもそも、神様なんて見たことねぇもんな」
俺の適当な返答に、ですよね! とセリアが笑顔になりながら応える。本当に無邪気な笑顔が可愛い。
にしても立場上、神話の勉強をする。ってことはセリアは修道女かなにかなのだろうか。
いや、そしたら普通神様を信じるよな。
と言うことは一体……。
「さて、それではミサヒコ様。そろそろお昼時ですし、私の家にご招待いたします」
「え……」
「ちょっとした、おもてなしですよ」
「そ、そんな。そこまでしてくれなくても……」
「ミサヒコ様が良くても、私の気が済まないのです。それに異世界から来られたのなら、行き場もお金もないでしょう?」
「うっ、それはそうだけど……」
「なら決まりです! さぁさぁ、行きましょう!」
半ば強引に。俺はセリアに引きずられるように、お持ち帰りされた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……ッ!!??」
セリアにお持ち帰りされた俺は現在、街のはずれで驚愕していた。
「なにを驚いておられるのですか?」
「セ、セリア……? この家って……」
「はい、私の家ですよ」
おいおい、嘘だろ。
なんだよこの大豪邸は!!
なんだかプールの一つや二つ、あってもおかしくなさそうだし。敷地面積も東京ドームくらいはありそうだぞ!!
俺がそんな反応をしているのは、別に大げさや誇張などではない。と、言うのも、
目の前には鉄製の柵と華やかな白色の門。
その向こう側には広い噴水付きの庭。
更に奥には赤レンガでできたお屋敷。
そんな絵に描いたような大豪邸が目の前にあるのだ。
「セリア。一体何者……?」
「私ですか? うーん……そうですね。しがないシトリンガーネット王国の第二王女、とでも言っておきましょうか」
「お、王女!?」
「はい、そうですよ」
なるほど。だから街の人達が頭を下げ、土下座していたのか。
にしても王女様と手を繋いでいたとは……。知らなかったとは言え、失礼なことをしてしまった気がする。
俺は頭を下げようとする。が、その前に、
「あっ、私が王女だから……なんていう理由で謝ったり、接し方を変えたり、敬語になったりしないで下さいね。そういうの嫌なんですよ。それにミサヒコ様は、私の命の恩人なのですから下手になる必要なんてありません」
「うっ……そうとは知らず謝ろうとしてしまい、ごめんなさい」
「言ったそばから。全く、本当に謙虚なお方ですね。まぁ、そういう純粋な気持ちで謝る人は嫌いじゃないですよ?」
唐突の『嫌いじゃないですよ?』攻撃に、俺の心臓が跳ね上がる。いや、そういう意味でないことくらい分かっているが。こんな可愛い……それも王女様に上目遣いで言われたら、仕方ないだろ。
誰に言うわけでもない言い訳を心の中でしつつ、速まる鼓動を抑えようとする。
「どうかしましたか? お顔が赤いですけど?」
「べ、別に! 大丈夫です!」
「そうですか? ……では、お屋敷の方に入るとしましょう」
言いながら、セリアが右手を差し出してくる。俺は少し躊躇いながらも、左手でセリアの右手を取った。
セリアはえへへと微笑む。なんだかこちらまで口元が緩んでしまった。
「こんな風に、立場とか関係なく優しく手を繋いでもらったの。久しぶりです」
「俺も……こんな人間の温もりに触れられたの。本当に久しぶりだな……」
あっ、口に出てた。
気がつき、慌てて右手で口を塞ごうとする。が、そんな俺にセリアは、ふふっと微笑み「私達、なんだかお揃いですね」なんてことを言う。俺は、ゆっくりと口から右手を離し、そうだな、と返した。
そんな談笑をしながら俺達は門をくぐった。
「デケェ……」
「そんなにですか?」
「うん、まるでスケールが違うよ。俺の実家何戸分くらいあるだろう……」
そんな独り言にセリアはうふふと笑う。そして、その笑った理由を説明するかのように、
「普通、女性が立派な家に住んでるなんて言ったら、罵倒されてもおかしくないのに……。スミアキ様は本当にお優しいです」
そう言う。その表情はどことなく諦めているような、そんな感じだった。
俺はセリアのある言葉を思い出す。
『男尊女卑法を知らないわけでもあるまいに』
そう、街中を歩いていたとき、頭を下げてきたのは全員女性。男性は全くの無反応だった。いや、むしろ睨むような目つきで見てきていた気もする。
俺はセリアと一緒に庭の中心部にある噴水に向かって歩きながら、
「そういや、なんで男尊女卑制度なんか? セリアだって王女なわけだし、そんな女性を見下すような制度止めさせれば良いじゃん」
「そ、それが……」
バツが悪そうな顔をしながら、うつむくセリア。なにか悪いことでも言ってしまっただろうか。
「ごめん。聞いちゃダメだったか?」
「べ、別に……そういうわけではなくて。先ほども言ったとおり、私には姉がいるんですが……更にその上に兄がいるのです」
「兄? ってことは、王子か?」
「えぇ、シトリンガーネット王国第一王子。その名をディエゴ・ウィリアムズ──」
そこまでセリアが言ったところで、
「セリア」
透き通るような女の子の声が響き渡った。俺とセリアの視線が、屋敷の入り口の方へ向く。
そこには、セリアを大きくしたような少女が剣を腰に携えながら立っていた。
煌びやかな金髪。
大きなパッチリとした碧眼。
そして真っ白な肌。
着ている白地を基調としたドレスも、彼女のために作ったのではないかと思うほど可愛らしい。
どこを見てもセリアと変わりない。もし違うところを挙げるとするならば、少しつり目がちで身長がやや大きい、ということくらいだろうか。
にしても、この少女。ここまでセリアと似てるってことはもしかして……。
「あっ、お姉ちゃん」
あぁやっぱりお姉ちゃんなのね。にしても、姉妹とは言えここまで似るもんなのか……。
少しばかり俺は驚愕する。
「まったく、どこに行ってたのよ……。どこかに行くときは、私かエイブリーさんに一言、言っておきなさい。私達だけじゃなく、衛兵の方々まで心配するでしょ」
「ご、ごめんなさい。……でもこれ。どうしても、お姉ちゃんにあげたくて」
言いながら、セリアはフリフリの服のポケットに手を突っ込む。そして先ほど俺に見せた透明の筒(ピンクの花のオマケ付き)を大人版セリアに手渡す。
「ん? ……ピンクルナチュール? 私に?」
「うん」
「そっか……。ありがとね」
大人版セリアがセリアの頭をなでる。
うんうん、なんだか自然と頬が緩くなるシチュエー……、
「で、こいつは誰? どこの馬の骨とも分からない男みたいだけど。まさか王族の金目当てで妹たぶらかしてくれたわけじゃ、ないわよね?」
前言撤回だ、この野郎。
言ってくれるじゃねぇか。まぁ、確かに異世界から来たから『馬の骨とも分からない』ってのは間違いねぇけどよォ!
そんなことを考えながら、苦笑いにも似た表情をしていると、セリアが場の状況を察したらしく、「こ、この人は私を助けてくれた方です」と言う。
「あら、妹を助けてくれたの」
「ま、まぁ……たまたま見つけたから助けに入っただけなんですけどね」
「ふーん。男が女を……それも王女を助けるなんてね。なんだか絵に描いたような善人さんで逆に疑っちゃうけど」
「お姉ちゃん!!」
俺に対して睨みを利かせる大人版セリア。なんだか変な威圧感を感じる。
数秒間の沈黙の末。大人版セリアは、ふんと目線をズラすとスタスタと門の方へと歩いてく。
「えっ……お姉ちゃん!? どこに行くの!?」
「学園。本部委員会の臨時会議に召集されちゃって。そこまで帰りは遅くならないから心配しないで。あと……帰ってくるまでには、そいつを追っ払っといてちょうだいね」
不機嫌そうにそう言うと、大人版セリアは門の外へと去っていった。
「やっぱり俺、来なかった方が……」
「あっ、いや。その、お姉ちゃんは男の人に酷いことをされた過去があって……別に悪気があるわけじゃないんです」
必死に姉をかばうセリア。
本当に微笑ましく思う。なんだか羨ましい。家族同士の仲が良いなんて……。
「とりあえずお屋敷に入りましょう?」
「あ、あぁ。そうだな」
セリアに促され、俺は屋敷へと歩く。
セリアと一緒にいたあの男。一体何者……?
ジャンヌ・ホワイト・ウィリアムズは、そんな考え事をしながら聖シトリンガーネット学園へと向かっていた。
特に睨まれたわけでもないのに感じる、あの威圧感。あれは一般人のものじゃない。
……けど、今はそれよりも緊急会議が先か。
パタンと謎の男についての思考を止めると、今度は緊急会議のことについて考え出す。
封鎖地区について緊急会議を行うって言ってたけど……。
いつも連絡するときは伝書鳩を使う学園が魔法で連絡をしてきたところを見ると、相当大変な事態が起こってるらしいわね。少し急ぐか。
ジャンヌは街の中を小走り気味に走り出した。
学園は屋敷とは真逆の方向にある。そのため一度メインストリートを横切らなければならない。……のだが。
ひやぁ~。時間が時間なだけ、やっぱり混んでるわね。
ここを突っ切るのは少しキツいなぁ。けど、仕方ない。どのみちメインストリートを通らないと学園にはいけないし。
メインストリートに通じる路地で、そんなことを考え、
一気に走った。
人と人の隙間を縫うように駆け抜ける。
人で溢れかえった約一〇メートルほどのメインストリートを三秒ほどで横切ると、再び路地へと入った。
この細い路地裏とも思える道は学園までの最短ルート。そして、
人気の多い──特に男性の多い──場所が苦手なジャンヌにとって最高の道でもある。
さて、一番の難関は去ったしこれで落ち着いて学園に、
「ちょっとそこのお姉ちゃん」
──行けると思ったけど甘かったか。一難去ったと思ったら、また一難ですか?
ため息をつきながら振り返る。そこには何人かの手下を引き連れた、がたいの良い大男が立っていた。
「……なによ?」
ジャンヌが、めんどくさそうに応える。否、実際めんどくさい。
「俺達と遊ばなァい? 良いことしてやるからさァ」
対して男達はニヤニヤしながらジャンヌをナンパする。ジャンヌは心の奥底からため息をつき、
「あんた達みたいなのに興味ないから。私これから用事があるの。行くわね」
「おい~。待てよォ」
手下の一人がジャンヌの左肩に手を置いた。
瞬間。
手下の顔面にジャンヌの左裏拳が叩き込まれる。
「──~……ッッ!!」
手下の男は鼻血を出しながら、地面に倒れる。あまりの痛みと不意打ちに受け身をとることを忘れたらしく、後頭部を打ちつける鈍い音が響いた。
「て、てめぇ!!」
「言ったでしょ? 私、用事があるの」
「こっちが下手に出てりゃいい気になりやがって。女が生意気こいてんじゃねぇぞ!!」
「……ムカついた」
「は?」
大男が眉間にシワを寄せたと、ほぼ同時。
小さな黒い塊がジャンヌのドレスから無数に放たれた。
それはぱっと見、ただの黒い鉱石。だが、大男はそれを見るなり顔面を蒼白させる。
そして、
「点火」
そんなジャンヌの声が響いた数瞬後。
空中に舞っていた無数の黒い鉱石が一つ一つ爆発した。
人気のない路地裏に、眩しいほどの光と凄まじい熱気が充満する。光と熱気は次第に収まり──元の裏路地の姿へと戻る。
「……はぁ、時間を食っちゃったわね」
静寂になった路地裏でジャンヌがそうつぶやく。そして地面に倒れ込む数人の男達を一瞥し、
「死なない程度に燃やしてあげたけど……また同じようなマネしたら、次こそ命取ったげるから。覚悟しなさい」
吐き捨てるようにそう言った。
そしてまた足早に学園へと向かう。
「お口にあいますか、ミサヒコ様?」
口に料理を運ぶ俺に、テーブルの向かい側に座るセリアがそう聞いてくる。
現在、俺とセリアは大きなお屋敷の中で昼食をとってるところだ。この部屋に来るまでに、屋敷の廊下などを見たが……やはり大きさや豪華さが桁外れであった。
今いるこの部屋だって、白を基調としたインテリアに金やら宝石やらが散りばめられているお金持ち仕様。照明だってズッシリ重そうなシャンデリアだ。
料理が置いてあるテーブルだって、映画やアニメなどのお金持ちが持ってそうな長方形の大きなテーブル。更に、その上に載っている真っ白なテーブルクロスと金色の燭台の数々が豪華さを煽っている。
まるで洋画の世界に飛び込んだみたいだ。
「めちゃくちゃ美味しいです。いや、本当に。こんな美味しいものをご馳走になってしまって申し訳ないほど……」
「申し訳ないなんて……。これは全て私の好意なんですから。ミサヒコ様が謝る必要なんてみじんもないですよ?」
セリアがにっこりと微笑む。
「ま、まぁそうなのかもしれませんが……。こんなに美味しいものをいただいたのにお礼をしないというのは、気が引けますから」
真面目さんですね、と少し笑いながらセリアが言う。本当に可愛らしい少女だ。ケルベロスが襲いかかりたくなる理由も分かる。
「食べ終わったら王都観光でもします?」
そんなふらちなことを考えていた俺にセリアがそう聞いてくる。
「王都観光ですか……。うーん、その前にこの世界のこともよく知らないので、そのことについて教えてもらえると嬉しいです」
「分かりました。私でよろしければお教えいたしますよ」
「ぜひ。セリアの説明、かなり分かりやすいし」
「いえいえ、私なんかとても。でも……ミサヒコ様にそう言ってもらえると嬉しいです」
俺はセリアのセンジェルスマイルについ見とれてしまう。が、すぐに我を取り戻し、
「そ、そういやセリアの姉ちゃんって、名前なんて言うんだ?」
自然とそう質問する。なんだか、見とれてたことをごまかしてるかのような感じになってしまった……。
「お姉ちゃんですか? お姉ちゃんはジャンヌ・ホワイト・ウィリアムズと言います。まぁホワイトという名を省略してジャンヌ・ウィリアムズと呼ばれることが多いですがね。本人も省略して欲しいみたいですし」
「ジャンヌさんか……。かっこいい名前だな」
「はい。この国の神話で戦いの女神と称された聖人ジャンヌ・ホワイトという人物から名前をとったらしいです」
ん? 俺の元いた世界にもそんなのいなかったっけ?
「でも戦いの女神か。まぁ確かに気は強そうだったけど、そこまで腕っぷしが強そうには思えなかったな」
「いえ、お姉ちゃんはジャンヌ・ホワイトの名にふさわしいですよ。さっき、お姉ちゃんが男性に襲われた過去があると言ったでしょ?」
「あぁ、それで男嫌いになったんだろ?」
「はい。そのときお姉ちゃんはまだ一一歳だったのですが……。そのお姉ちゃんを襲った男性を自らねじ伏せたんですよ。それもたった一人で」
「……!? ちょっと待て。あの細い身体のどこにそんな筋力があんだよ!?」
「あっ、素手のケンカで勝ったわけじゃないですよ?」
「てことは……どゆこと?」
「魔法ですよ」
「あぁ、魔法ね。……って、魔法!?」
ノリツッコミのような感じで驚く。そんな俺に対してセリアは「なにを驚いているのですか?」と不思議そうな顔をする。
「いや、この世界には魔法なんてあるんだなーって」
「ということは、魔法についての知識もないんですか?」
「恥ずかしながら……」
「い、いや。別に恥ずかしがることなんてないですよ。えっと、つまりですね。お姉ちゃんには幻素と呼ばれる物を扱う才能があるのです」
「元素?」
「はい、そうです。ちなみに純粋な自然界に存在する幻素は全てで九つ。火素、水素、土素、風素、空素、雷素、自然素、光素、闇素。これらが基本形です。更に、幻素同士を合わせたり分離させたりすることで派生的な幻素を作ることもできます」
ほう、この世界では元素の概念も違うのか。そんなことを考えた瞬間。
(バカ野郎、そうじゃねぇ。この娘さんの言っている『げんそ』は幻に素と書くんだよ、どアホ)
という貫禄のある声が、頭の中に直接流れてきた。
「へ……?」
「?? どうかしましたか?」
不思議そうな顔をするセリアに、いや別に、と言う。
なんだったのだろうか、今のは……。
「では話を進めますね。この魔法には下位術式と上位術式というものがあります。さて、この二つの違い分かりますか?」
セリアが小さな顔を斜めに傾ける。
「えーと、上位の方が強くて下位の方が弱い……みたいな?」
「その通りです!」
まるで、フォークをチョークに見たてて、こちらに向けてくる。どこかの物理の先生みたいだ。
「基本、下位も上位も念じることで幻素を操り、詠唱することで幻素を魔法に変換します。ですが、上位術式に限っては必要な幻素の数が多く制御しきれないのです。そこで《神器》と呼ばれるものや、魔法陣が使われるのですが……」
要約すると幻素は魔法の正体で、神器や魔法陣というのは幻素を扱いやすくするためのもの、らしい。
これらはゲームで考えてもらえれば分かりやすいかもしれない。
ゲームをやるために本体に電源を入れたしたとしよう。つまりこれが『念じて必要な幻素を集める』行為。いわゆる下ごしらえだ。
そしてゲームを開始し、キャラクターを動かすとする。このときのコマンドを打つ行為が『(詠唱して)幻素を魔法に変換する』行為。
神器や魔法陣というのは、ゲームをしやすくするための外部ツールとでも考えてもらえれば、良いだろう。
「ミサヒコ様の場合、詠唱のみで上位術式を扱えるんですよね……。それも魔法についての知識が全くないのに」
「ん? なんのこと?」
「封鎖地区でミサヒコ様が見せたあれ。どう見ても魔法にしか見えないのです」
「あっ……!」
そういや俺、なぜか魔法が使えたんだっけ。
俺はケルベロスと戦闘したときのことを思い出す。
あのとき、気がついたら知らないとこにいたとか、気味の悪い犬にセリアが襲われてたとか。とにかく理解不能なことばかり起きていたから忘れてたけど……。
そういや無意識に口が動き魔法(だと思うモノ)が発動したんだった。結局、あれは一体なんだったのだろう。
セリアの言う魔法なのだろうか?
「あれは私の記憶に間違いがなければ、光の障壁という上位術式の一つです。ミサヒコ様はそれを神器も魔法陣も……知識もない状態で発動できた」
「え、えっと……」
なにかを怪しがるように目を細めるセリア。俺は言葉を詰まらせる。
セリアは、そんな俺を数秒間見つめると、すぐにいつものパッチリとした目に戻った。
「まぁそんなことを言っても、ミサヒコ様が混乱するだけですよね。すみません。今はそのことについて言及するつもりはありませんので安心してください。追々聞かせてもらえれば良いです」
言いながら、優しく微笑む。
「さて。この国……というか世界についての説明をしていきますね。分からないところがあったら、なんなり質問してください」
「冥府の魔物が?」
ジャンヌの声が部屋に響き渡った。
ここは聖シトリンガーネット学園の五階に位置する本部委員会室。楕円形のテーブルを取り囲むように、本部委員の面々が座っている。
彼らは全員、深刻な顔をしながらジャンヌに視線を向けた。
「えぇ、そうよぉ。ジャンヌさん」
そんな彼らの中から、一人の少女が声を発する。その声は妙に色っぽく、ところどころから男子が生唾を呑み込む音が聞こえてきた。
ジャンヌはテーブルを挟んで目の前にいる少女を見据える。
彼女は本部委員会委員長──サクバス・セルディック。聖シトリンガーネット学園で一番の魔法使い。
だが、ジャンヌは彼女をどうも好きになれずにいた。
「サクバス。あんたには聞いてない」
「なによぉ。ジャンヌさんは相変わらず冷たいなぁ」
「オイ、一年! サクバス様にその言い方は失礼だぞ!」
イラッとしながら、ジャンヌは突っかかってきた男子生徒を横目で見る。そして吐き捨てるように、
「はぁ……そういうところが嫌いなのよね。自分の身体を安売りして、また男を釣ったの?」
会議室の空気が凍てついた。まるで、オヤジギャグでもかまして盛大にスベったかのようだ。
と、そんな状況を見かねた女教師──アビー・ウィンザーが口を開く。
「ジャンヌ・ウィリアムズ。言動をわきまえろ。ここは重要な会議の場だ」
「……はいはい。すみませんでした」
ジャンヌは不機嫌そうに謝り、アビーから目線をズラす。それは誰の目から見ても、適当な謝り方だった。
はぁ、と疲れたようなため息をアビーがつく。
だが、ジャンヌはそんな様子など気にもとめず、再びサクバスを睨むように見据えた。
制服が胸のあたりでパツパツになっているのが妙に腹立たしい。
サクバス・セルディック。
セルディック家と言えば、この国では名を知らぬ者はいないほど、とても有名な貴族の家柄である。それこそ王家ウィリアムズ家と同じくらい。
つまり、ジャンヌとサクバスはある意味似た者同士。──なのだが、彼女はジャンヌとは真逆の性質を持っている。
それは、学校での地位を確実にするため、身体を男子生徒に売っているのだ。これは学園側も知っている事実。だが、サクバスの父は州議会議員。更に当の本人も魔法の実力が確かにあるため、学園側は黙認せざるを得ないらしい。
そのため彼女は毎回、本部委員会選挙では委員長の座を獲得している。
別にこれは男尊女卑制度がある中で生き残るための手段かもしれない。だから悪いことではないのかもしれない。
──だが、ジャンヌは絶対にそれが許せなかった。
「……えーと、会議を続行します。目撃情報によると、封鎖地区にてカーベロスの群れを見たとのこと。皆さんも知っての通り、カーベロスは冥府の番犬。これが地上に……それも封鎖地区に現れたということは……」
「つまりぃ? 五年前の事件と関連してるってわけ?」
「そ、そうです。さすがサクバス様。博識がおありで」
「ありがとぉ。ってことは、あの全世界同時発光事件は本当に神様の力だったわけか……。にわかに信じがたいけど」
先ほどジャンヌに突っかかってきた男子生徒とサクバスが会話を続ける。
神様ねぇ。バカバカしい。
頬杖をつきながら、そんなことを考えていると右肩をちょんちょんとされる。
「ん? なに?」
右側を見ると同級生のシャーロット・クラークが上目遣いでこちらを見ていた。
シャーロットは他の同級生と比べて背が小さいので、未だに中等部の者かと思ってしまう。
「お姉様。五年前の事件ってなんのことなん?」
「え? シャーロット知らないの?」
「恥ずかしながら知らないん。私、一年前に南の方から来たばっかりだから……」
あぁ、だから語尾に変な訛りがあるのか。
「そっか。えーっとね、五年前に全世界のいたるところで発光事件が起きたのよ。それも神話に関係する場所ばかりで」
「そうなのかん。知らなかったん。でも、それが今回の事件となんの関係があるん?」
「それ以降、事件が起きた場所で不可解なことが起こるようになったのよ。信者の一部では『あの発光は聖地を護ってた神様が死んだ証拠だ』なんて言ってるけど……バカバカしいわね」
「……ということは封鎖地区も聖地ってことなん?」
「そう。というか、そもそも五年前までは、封鎖地区なんて言葉そのものが無かったわね。あそこはオリンポス山っていう名前があるし」
「ほう、勉強になるん」
続けて「ありがとん」とシャーロットがにっこりと笑った。
「──そんなわけなので、封鎖地区についての対策本部を設置する、ということで異議はないかしらぁ?」
気がつけば、会議は終盤を迎えていた。
まぁ聞いていようが聞いていまいが、サクバスがダメと言えばダメ。良いと言えば良い。
そんな結果になるのは明白なため、ジャンヌはどうでも良いと思っていたりする。
「異議はないわね。それではアビー先生。この案を職員会議で議決してください」
「了承した」
「はい、では緊急本部委員会を解散しまぁす。一同起立。礼」
会議室に「ありがとうございました!」という声が響き渡った。
ジャンヌは「やれやれ、やっと終わったか」と言わんばかりの、めんどくさそうな顔をしながら会議室を出る。
──そこでサクバスに捕まった。
「ねぇねぇ、ジャンヌさん。良かったら明日、私の家でパーティーしなぁい?」
「……悪いけど私、乱れて交わるパーティーに興味ないの」
「あらあら、相変わらずお堅いわねぇ。一昔前のガンコジジイみたい」
「あんたの尻が軽いだけでしょ? 私、妹が待ってるから帰るわね」
あぁ、もう。くっそダルい!
そんなことを考えながら足早にその場を去った。後ろからサクバスの声が聞こえてきたが、すべて無視する。
会議室から一番近い階段で一階まで一気に駆け下がる。そしてそのスピードのまま、大理石でできた一年昇降口に向かって歩く。
昇降口に着いたところで、ジャンヌはまたも深いため息をついた。なんと、外はもう夜になっていたのだ。
会議室は基本、魔法による盗聴を防ぐため、特殊素材のカーテンを閉めている。
おかげで、あそこでは時間の進みが全く実感できない。
「帰りは遅くならないって言ったけど……。まぁ会議の内容も内容だったし、仕方ないか」
誰に言うわけでもない言い訳をしながら、ジャンヌはトボトボと帰宅する。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
王都ビブリは夜も賑やかだ。夜から開店する飲食店も多い。しかし、少し繁華街から離れると、その雰囲気はがらりと一変する。
そこには同じ王都と思えないほど、荒んだ場所が広がっている。まるで社会とは隔離されたかのような場所だ。スラム街とでも比喩しておこう。
そんな街には、社会から弾き出された人間が夜な夜な集まる酒場が存在する。そしてそこでは今日も、がたいの良い大男が、その日知り合った者達に話をしていた。
「──てなことがあったんだよ。ったく、どこのオンナだったんだかな。人に火傷負わせやがって、今度見つけたらタダじゃおかねぇ……!」
がたいの良い大男──リュメル・ナルは酒をグビグビと呑みながらそう言う。と、周りに座る男達がなだめるような言葉を発した。
「そういうこともあるだろ。気にするなリュメル」
「今回は相手が悪かっただけですよ」
「そうそう、それにリュメルさんは間違いなくこの街最強なんでやんす。そんな融解石頼りの女、気にとめる必要なんてないでやんすよ」
男達の励ましを聞くなり、リュメルはニヤっと笑う。まるで『その褒めを待ってました!!』と言わんばかりの顔だ。
リュメルは、そんな表情を隠すように、顔を下に向きながら、
「テメェら。ありがとな……」
と、少しばかりの泣き真似と同時にそう言う。
「感謝されることなんてしてねぇよ。……にしても、リュメルが苦戦するなんて。ソイツ、魔法科学園の生徒じゃねぇの?」
「あぁ、そういや女にしては制服がやけにキレイだったな。魔法の使いにも慣れてたような気がする。もしかして国立の生徒か?」
「女性で服がキレイだとなると、そう考えるのが妥当ですね。にしても、あの学園には変な噂がつきまといますよね……」
「変な噂? なんだそりゃ」
リュメルが空になったジョッキをテーブルに置きながらそう聞く。誰の目から見ても頬が赤くなり始めているのが伺えた。
「ジャンヌ・ウィリアムズのことでやんすか?」
「そうそれ。五年前に謎の魔法攻撃で不審者を撃退したあの事件から、表舞台には立ってないけど、国立学園に通ってるって噂がたってるんだよね」
「……ジャンヌ・ウィリアムズねぇ。お前ら、ソイツの写真とか持ってねぇの?」
聞きながら、三人の男達を見回す。しかし、持っている者はいなさそうだ。
それもそのはず。五年前から表舞台に出てこないため、写真を持つ者などいなくて当然なのだ。当然なのだ、が──、
「持っているが、見るか?」
話を近くで聞いていた男はそう言った。
リュメルが、視線を男に向ける。と、そこには、見たことのない黒色の服を着た男が立っていた。
いや、左肩が完全に露出しているため、着ているという表現があってるかさえ、リュメルは分からなかった。まるで布をまとっていると言った感じだ。
しかも腰には異様な細さと長さが特徴的な刀を携えており、その姿そのものが不気味であった。
「誰だテメェ。聞き耳立ててんじゃねぇぞオイ」
「それはつまり写真を見たくない、という意思表示か?」
「チッ、持ってんならさっさと見せろ」
「よく分からない男だな。……ほら、これだ」
男はまとっている黒色の布の内側から、一枚の写真を取り出した。そしてリュメルに差し出す。それを半ば奪うように受け取ると、リュメルは写真を眺めた。
そして少し驚く。なんと長方形の少し厚い紙の上に、午後に会った少女の姿が写っていたのだ。
「……これ、どこで手に入れた?」
男を睨みつけながら聞く。対して男はリュメルに睨まれていることにビビる様子はなく、逆に少し微笑みながら応えた。
「どこだって良いだろ。それに貴様のような者に大事な提供元を教えるつもりは毛頭ない」
「ア? 口の効き方に気をつけろ。命取りになるぞ?」
写真をテーブルの上に置きながら脅すように言う。だが男は怯まない。それどころか笑い出した。
「クックックッ、威勢が良いな。だが一つ忠告しておこう。俺は貴様より強い。自分の技量と他人の技量を比べることくらい、できるように──」
男が言い終える前に、リュメルが勢いよく胸ぐらに掴みかかった。そして瞬時に殴ろうとした……瞬間、身体の動きがピタリと止まる。
まるで見えない力に拘束されたかのようだ。
「……っ!!」
少しの沈黙の後、リュメルは冷や汗をかきながら、男から離れる。
男はそんなリュメルを見ながら笑い、テーブルの上に置かれた写真を服の内側にしまった。
「さて」
男は一度言葉を区切り、
「貴様はその女に仕返しがしたいのか?」
と、訊ねる。リュメルは少し戸惑いながらも、首を小さく縦に振り、「あぁ」と応えた。
すると、男は不敵にもニヤッと笑う。
リュメルは背筋に走る悪寒に、思わずビクッと震えた。そして、
──この男はなにかがおかしい。
そう確信した。
だが、男はそんなリュメルをよそに、口を開く。
「なら提案がある。明日、ソイツを殺そう。場所はメインストリート。時刻は白昼だ。仕返しがしたいのだろう? 手助けしてやる」
「殺す? テメェ正気か? 相手は王族だぞ。衛兵が黙って見てるわけねぇだろうが」
「クックックッ。全く、バカな男だな」
リュメルを見下すように笑いながら、男は間を空け言う。
「邪魔立てする者は全員殺すに決まってるだろう。それが衛兵だろうとな」
端から聞いていると、その言葉は自意識過剰からでた言葉に聞こえる。というかそうとしか聞こえない。
だが、男の目を見ていたリュメルは感じ取った。その男の言葉にある妙な説得力に。
「……けど、どうやってジャンヌを街の中に出す。アイツは普段、表には出ないんだろ? まさか屋敷に殴り込み……ってわけじゃねぇだろ?」
「安心しろ。そんなバカな真似はしない。俺の信頼する情報元によれば、奴は噂通り国立学園に通っている。だから、登校時を狙う」
「ほう、面白ぇ。良いだろう、手を組もう。ただし、殺す前に一回ヤらせろよ。アイツには死ぬ前に、死にたくなるほどの恥をかかせないと気がすまねぇ」
「良いだろう。お前の要望は全て叶えてやる。その分、報酬は弾め」
「分かってらァ。……銀貨五枚でどうだ?」
「契約成立だ」
またも男はニヤッと笑う。同時に、リュメルは額を流れる変な汗の存在に気づいた。
別に男は恐怖を感じるような顔つきではない。殺意も感じない。ただ……男の身体の奥底から感じる妙な気配が、リュメルを萎縮させた。
「な、名前を聞いとこう。俺はリュメルだ」
「名前? ……そうだな。クロ、とでも名乗っておこうか」
「……で、なんでアンタがいるわけ? いや理由なんてどうでも良い。さっさと出ていけ」
日没から数時間が経った頃。
玄関でジャンヌさんがそう言い放つ。なんだかご機嫌ナナメみたいだ。
まぁ男嫌いらしいので、仕方ないのかもしれない。
「あのね、ミサヒコ様をお姉ちゃんと私の執事にどうかなって」
そうジャンヌさんに言うのはセリア。
と言うのも、あの昼食の後、俺はセリアから今後のことについて質問された。
内容は、これからどうやって生活していくのか、ということ。
これはいつか考えなければ、と思っていたことだ。しかし、良い案は一切出ていない。
なぜなら、俺は知能もなければ資格もない。その上、この世界のことについて、ほぼ無知と言っても過言ではない。
こんな状況の俺に、一体どんな未来があるのか。答えは、生きていくことすら困難である、の一択だ。
だから俺は口ごもることしかできなかった。
すると、セリアはそんな俺に「執事にならないですか?」という提案をしてきた。
そして今に至る。
「執事? それならエイブリーさんがいるでしょ」
「そうだけど……ほら、護衛とか男の人がいた方が良いじゃない? 衛兵さんがいるとは言え、常に側にいるわけじゃないし……」
その言葉にジャンヌさんは、斜め下を見ながら、少し考えるような仕草をする。そして数秒が経ち、向き直ると俺を真っ直ぐ見つめ言う。
「だったら一つ条件がある」
「な、なんですか?」
質問する俺をよそに、ジャンヌさんはセリアに顔を向け、
「セリア、剣を二本持ってきて。永久融解石でできたやつよ」
そう言った。
俺の身体がこれから起こるであろうことに恐怖を抱き、ビクッと震える。
俺は永久融解石というものをよく知らない。セリアから、この国の名産品がそれだというのを、少しだけ聞いたくらいの知識しかないからだ。
しかし、剣という単語は分かる。
それだけ分かれば、これから起こるであろうことくらい、容易に想像することができる。
「お姉ちゃん? まさか……」
「そのまさか。コイツが執事になれるだけの力量があるのか、確かめさせてもらうわ」
再度、ジャンヌさんの目線が俺に向けられる。
──なんだろう、さっきも感じたこの威圧感は……。
ピリピリとした空気が俺とジャンヌさんの間に流れた。
ちなみにセリアは、剣を取りに行こうかどうか、迷っているようだ。未だに俺達を見ながらオロオロしている。
と、そんなセリアの様子に気づいたジャンヌさんが言う。
「セリア。早くしないと問答無用でコイツを追い払うわよ」
聞くなり、オロオロしていたセリアは意を決したような顔をし、廊下の奥へと消えていった。
数分後、セリアが玄関へと戻る。
その手には、透明なガラスでできているような剣が二本握られていた。握る部分は白い物質でできていて、まるで美術品のような美しさを放っているのが分かる。
「セリア、ありがとね」
セリアからそれらを受け取ったジャンヌさんは、玄関の外へと歩いていった。俺とセリアは追うように屋敷の外にでる。
屋敷から数十メートル離れたところで、ジャンヌさんの動きが止まった。
「ルールは地面に倒れた方が負け。……さて、手合わせ願おうじゃない」
ジャンヌさんの手から、透明な剣が飛んでくる。反射的にそれをキャッチした。
「ちょっと待て。どういうことだよオイ」
「どういうことも、なにもないわよ。あなたが執事として適任か。調べさせてもらうだけよ」
「…………」
俺は少し考えて──剣を地面に手放した。
「なんのつもり?」
「悪いけど、俺は女の子に斬りかかれるほどの度胸はねぇんだ。だから俺は素手でやる」
「……なによそれ。意味わかんないんだけど」
ジャンヌさんから怒気のようなものを感じた。だが、負ける気はしない。
こう見えても俺は喧嘩慣れしている方だ。と言うのも、俺の住んでいた地域は、現代の化石──暴走族やらヤンキー共やら──が、存在していた地域。
そんな地域に、俺の通っていた中学校はあるのだ。少しくらい荒れて当然だろう。
少しくらい、と言ったのは、それこそ傷害事件などはなかったのだ。が、学校内での小規模な喧嘩は、かなりあった。
そのため喧嘩には慣れている。
いくらオモチャの剣を持っていようが、しょせん、か弱い女の子。素手でも十分に勝てる。
「早く剣を持ちなさいよ」
「だから別に良いって」
「……あっそ。後悔しても知らないからね」
瞬間。ザワッとジャンヌさんの周りの空気が豹変した。まるで空気が別の“なにか”に変わったかのようだ。
俺は少し身構えた。
と、同時。たった一言。彼女は言い放つ。
「点火」
瞬間、透明な剣がパッと明るくなり、そして燃えた。剣は轟々と燃えさかり、暗い屋敷の庭を照らす。
「さて、行くわよ」
──そういや、忘れてた。ジャンヌさんって魔法を使う才能が……。
そんなことを考えたところで、時は既に遅い。燃え盛る剣を片手に持ったジャンヌさんが、目前まで迫っている。
先ほど地面に捨てた剣を取り、防御をとるには間に合わない。
そこでキィィィンという耳鳴りが聞こえてきた。同時に少しだけ意識が遠のく感覚がする。
まさか……。
「──聖盾、展界」
そのまさかであった。予想通り、無意識のうちに言葉を発する。
そしてこれまた予想通り、透明な壁が前面に展開された。
ジャンヌさんは少し驚きつつも、それに炎剣をぶつける。
刹那。まばゆい光の後に、炎剣が元の透明な刀に戻った。
ジャンヌさんが驚愕の色に表情を染めながら、後ろに飛び退く。
「……アンタ、それなんの幻素を使用した魔法?」
「え? いや知らない知らないんです! てか、なんで魔法が使えるのかさえも分からないんです!」
「へぇ……」
なんだか訝しむような顔で、こちらを見つめるジャンヌさん。少し怖い。
そんなことを考えていると、ジャンヌさんは小声でなにかを呟き、再度透明な剣を炎剣に変える。そして、一気に走り出した。その距離、わずか一〇メートル。未だに耳鳴りは終わらない。
もう考え事をしていられるような余裕などないほどの距離、なのだが。俺はこのとき気づいた。
辺りの流れる風景が、まるでスローモーションになっていることに。
そういえば、《封鎖地区》とか言う場所で変な犬に襲いかかられたとき、変に時間を長く感じたが……。まさかこれと同じことが起きていたのか?
というか、なぜスローモーションになっているんだ?
少し不審に思ったところで、
「これより我が脳は、全宇宙の知と能に化す」
再び俺の口が自然と開いた。
「聖なる光は、悪を裁くため雷へと姿を変える。聖なる光に断罪できぬ物は、なに一つとしてない」
ジャンヌさんとの距離はおよそ五メートル。
「我が右手に断罪の力を」
耳鳴りは未だに止まらない。
「万物を破壊し、万物を無に還す聖剣──雷霆よ。我が身を触媒にし、その力を展界せよ!!」
言い終わるやいなや、俺の右手の中に光り輝く剣が生成される。
もう戸惑っている暇はない。
俺はジャンヌさんの持つ剣を吹き飛ばす勢いで、光り輝く剣をぶち当てた。
当たった瞬間。ジャンヌさんの持つ剣から炎が消えた。そして透明になった剣がバキッと折れた。正確には、俺の持つ剣が透明な剣を破壊した。
ジャンヌさんが驚愕を通り越して、恐怖を抱いてるかのような顔になる。
そこで、ようやく俺の右手から剣が消え去った。
「…………ハッ。ジャンヌさん大丈夫ですか!?」
少し放心状態になりながらも、地べたにちょこんと座るジャンヌさんに、声をかける。
どうやらジャンヌさんも放心状態だったらしく、俺の声を聞いてようやく動きを取り戻した。
「べ、別に大丈夫よ。けど……うぅ、私もまだまだね……。仕方ない。約束は約束だし、執事の件は認めてあげるわ」
少し不機嫌そうにそう言い、
「疲れたからお風呂に行くわね。執事さん、後片付けよろしく」
スタスタと屋敷の方に歩いて行った。
なんだかお嬢様というイメージを具現化したかのような女の子だな~、なんてことを考える。
「……ミサヒコ様すみません。お姉ちゃん、昔からあんな感じで……。気に入らないとすぐ勝負して、自分の意見を通すくせがあるんです」
「あっ、いや別にセリアが謝ることじゃねぇぞ? それに、これで執事として認められたわけだし、そう考えれば決闘なんて安いもんよ」
「そ、そうですか?」
「そうそう」
俺がそう言い微笑むと、セリアもつられてか微笑んだ。だが、すぐに周囲を見渡し、
「……これの片付け、手伝いますね」
苦笑いになりながら、セリアは言った。なんだか執事となった今の立場からすると、セリアに手伝わせるのはどうなのかと思う。
だが、焼け焦げた芝生の上には、ガラスの破片のような剣の一部が、無数に転がっている。これを一人で片づけるのは、少々無理がある。なので、ありがたくセリアの好意を受け取ることにした。
ゴミ拾いを始めて数分が経つ。透明な物体、ということもあり探し出すのが結構難しい。というか暗闇の中ということもあって、全然探せない。
明日、日が昇ってから探そうかと諦めかけた瞬間、辺りがパッと明るくなった。
「……お手伝いしますにゃ」
同時に屋敷のある方から、そんな声が聞こえてきた。俺は視線をそちらに向ける。
と、そこにはネコミミのような物を頭につけ、右手の人差し指をピカッと光らせている、橙色の髪をした女の人が立っていた。着ている服は、水色と白色のエプロンドレスで、すぐにこの家のメイドさんということが分かった。
「えっ。あ、ありがとうございます」
「お礼などいりませんにゃん」
そのメイドさんはニコッと微笑むとしゃがみ、地面に落ちている破片を拾い始める。
「あっ、エイブリーさん。いつもいつも、片づけさせてしまってすみません……」
セリアがメイドさんに気づくなり、そう謝る。どうやらメイドさんは、エイブリーさんと言うらしい。
てか、いつも、ということは今回が初めてというわけではないのか……。
「気にしにゃいで下さいにゃ。これが私の役目ですから」
言いながら剣の破片を拾うエイブリーさん。見た目から俺と同い年かそれ以下、という印象を受ける。そのためか黙々と俺達の手伝いをする彼女の姿に、偉いなぁ……、なんてことを思ったりしていた。
俺はエイブリーさんから視線を落とし、止まっていた手を動かす。
三人で作業したためか、エイブリーさんの光の魔法が役立ったのか。案外早くに片づけは終了した。
「ふぅ、終わりましたね」
「そうだな……。てか、この集めた破片はどうすんだ?」
地面に置かれた袋(破片入り)を見つめながら、俺はそう訊く。
「あっ、私が預かりますにゃ」
「え、いや。それは気が引けますよ。それに……俺はこの家の執事。どこに持っていくかさえ教えていただければ持っていきます。というか持っていかさせて下さい!」
「え……っ。で、ではお城の工房にいる職人さんに渡してくださいにゃん」
「お任せを!!」
俺は元気よく言いながら袋を掴む。そして屋敷の門から外にでた。
無性に嬉しかった。仕事をもらえたことが、なぜか無性に嬉しかった。
俺は高鳴る胸を抑え込みつつ、夜の王都ビブリを歩く。だが、そんな俺はまだ知らない。胸の高鳴りに気を取られ、城の場所を聞き損なったことに。このときの俺はまだ、全く気づいていなかった……。
王都の端のスラム街。そこから更に西に行ったところ。そこには廃墟の街と化した旧商業都市がある。
その名をポリス。
今でこそ廃れたが、数世紀前までポリスには数多くの商業ギルドがあった。しかし、百年間続いた戦争でポリスは衰退。次第に商人達は現在の王都ビブリに移り住んだ。
そのためポリスは不要の都市となり、最終的に廃墟の街と化したわけである。
しかし、昔の建築物は強固だ。未だに使える建物がそこそこ残っている。そのため、この街は廃墟となった今でも盗賊ギルドの本拠地があったりとし、治安は最悪。なのだが、黒い布に身を包んだ男──クロは好んでこの街を住処にしている。
なぜそんな危ないところに、わざわざ住んでいるのか。
そんな答えは単純だ。彼にとって、治安が悪いのは都合が良いのだ。
なぜなら盗賊を殺しても誰にも文句を言われない。その上、盗賊が持っているお宝をゲットできるし、自分のスキルも高められる。
彼にとって、こんな自由になんでもできる土地は他にないだろう。
「……帰ったら、また怒られそうだな」
しかしそれは三年前までのお話。今は少し状況が変わった。
クロはため息をつきつつ、自分の家の玄関を静かに開けた。瞬間──、
「クロ、遅い!! 今何時だと思ってるの!? 私、寝ないで待ってたんだからね!?」
そんな声が家の中から発射された。
ただでさえ大きい上に、甲高いという効果が上乗せされたそれは、まるで兵器のような破壊力を持っていた。少なくともクロの意識を一瞬奪うのには十分なくらい。
クロは少しクラクラしながらボソッと、
「……だったら、寝てりゃ良いだろ」
と言う。
しかし目の前の銀髪少女は不服そうにクロを睨みつける。そしてまた近所に響き渡るような声で言い放った。
「そういう問題じゃないの!!」
「……意味が分からない。俺に構わず寝てれば良いだろ」
「むっ。この“びぼう”と“ちせい”を兼ね備えた私が、わざわざクロのために起きていたというのに、その態度はどういう……って、スルーしないでよっ!!」
「はぁ、一緒に寝たいならそう言え。風呂に入ってくるから待ってろ」
「べ、別に一緒に寝たいわけじゃ……」
「じゃあ別々に──「一緒に寝る!!」」
クロはシラーっと少女を見る。当の少女はムスッと頬を膨らませ、手を組んでいた。いかにも怒っているぞ、というポーズだ。
そんなどこにでもいる元気な少女を見ながらクロは思う。本当にコイツの余命があと一年とは思えんな、と。
夜のビブリを走っているのはこの俺、深緑操彦である。俺は少し前に、屋敷へと舞い戻り城の位置を聞いてきた。そして現在、そこに向けて全力疾走しているところだ。
ちなみに走っている理由は、体力づくりの一環である。まぁ元々体力だけが取り柄なので、あまり意味はないのかもしれないが。
屋敷から山の方向へ走り、更に東側へ向かったところに城はあった。
闇夜の中にあるためか、城の色がはっきり分からない。が、窓から漏れる光に照らされた部分から、なんとなく白色の城なのだと推測した。
俺は城に近寄り、櫓の下に立っている門番に話しかける。
「ちょっと良いですか?」
俺のそんな呼びかけに門番が振り返る。門番は鉄でできた兜と鎧を着ており、兜のてっぺんには青色のモサモサしたものをモヒカンのようにくっつけていて、とても特徴的だ。まるでありきたりなファンタジーゲームの登場人物に見える。
二〇代くらいの門番の男は俺を見るなり、なんですか? と訊いてきた。
「俺は王家の執事なんだが……これを工房に届けにきた」
右手に持った袋を門番に見せる。
「……まぁいつものことですので疑うわけではありませんが、一応証明書の提出を願います」
「証明書? あぁ、エイブリーさんから借りたこれのことか?」
俺はズボンのポケットから、エイブリーから預かった紙っきれを手渡す。
「王家の紋に国王直々のサイン、と。はい、確かに確認しました。今から橋を下ろしますね。少々お待ちを」
門番は俺に紙っきれを戻すと、手のひらを広げる。そしてその状態で腕を胴体と水平になるように持ち上げ、呪文を唱える。
瞬間、門番の目の前になにかの紋章が現れた。紋章というよりは魔法陣と言うべきだろうか。
門番はそれに向かって、なにかを話し出す。その数十秒後に橋がゆっくり、ギギギと軋みながら持ち上がる。
「お待たせしました。どうぞ」
俺は門番に言われ、橋を渡った。渡り終わったところで振り返る。
そこにはまたもギギギと軋みながら持ち上がる木製の橋の姿があった。
──これも魔法なのか?
なんだか凄いなと思いながら、俺は城の中へと進む。
城の中にはアンティーク品やら絵画やらカーペットやらがあり、まるで某ネズミー映画の世界に飛び込んだかのような錯覚を覚えた。
俺は適当に城内を歩く。
数分間歩き続けたとき、右側の壁に『λξτβξτ』という文字と鉄の扉が現れた。
──工房、ここか。
なぜか俺は一瞬にしてこの言葉を理解した。自分でもなぜ理解できたのか分からない。ただ脳内に工房という文字が浮かんできたのだ。
まぁ俺は深く考えることをせず適当に、勘だろうな、と解決する。
俺は鉄でできた目の前の扉を開ける。と、同時に部屋の中からとんでもない熱気を感じた。
俺は熱っ!! と思いながら、部屋の奥を見る。そこには、かまどのようなものがあり、その中には燃え盛る炎があった。そしてその目の前で、白髪の年老いた男性が、カーンカーンとなにかを叩きつけている。
恐らくこの城で働く鍛冶職人さんかなにかだろう。打ちつけているのは鉄製のなにかか。
そんなことをふと考えながら、
「あのぉ……」
俺は必死になにかを叩きつけている男性に話しかける。ほぼ同時に、男性はピタッと動きを止めこちらを見た。
「なんじゃ?」
男性は言いながら額を流れる汗を、手元に置いてあったタオルで拭き取る。額はビッショリでその汗の量は、真夏に運動でもしたのか、というほどのレベルだった。
「あの、これ。お願いしてもいいですか?」
そんな男性に俺は右手に持った袋を手渡す。男性は苦笑いになりながら「またかい。全く、君達お手伝いも大変だな」と言う。
「い、いえいえ。俺は今日執事になったばっかりなので」
「ほう、見ない顔だとは思ったが……男の執事さんとはねぇ。あのジャンヌ嬢の適性検査に合格するとは……」
男性はジロジロと俺を見る。そしてニカッと笑い、
「ふむ、良い筋肉をしておる。今度、お主にあう剣を作ってやろう。執事になったのなら、そのうち必要になるであろうしな」
「あ、ありがとうございます。じゃあ俺は行きますね。セリアが待っているので」
「うむ」
俺は扉の前で軽く礼をして、部屋から出た。そしてまた屋敷へと歩いていく。
城を出てから数十分。やっと屋敷の門までやってきた。
疲れたなぁなんてことを考えながら伸びをし、門をくぐる。と、噴水の近くに誰かの気配がするのに気がついた。
俺は目を凝らしながら近寄る。
──それはジャンヌさんだった。
手には剣を持っていて、素振りをしている様子だ。
「剣術の練習ですか?」
気がついたら、俺はそう言っていた。その言葉にジャンヌさんも俺の存在に気づいたらしく、めんどくさそうな顔をする。
「……アンタには関係ないでしょ」
「ま、まぁそうですけど……」
「ねぇ。ちょっと訊いてもいい?」
「?? なんですか?」
「あなたの使ったあの魔法。一体なに? どんな術式? 使った幻素は?」
「えっ、いや。俺にもよく分からないんですよね……。気がついたら呪文みたいのを口にしてて──」
「耳鳴り、とかした?」
「えっ。あっはい」
「……そう。なら私はあなたを歓迎する。けど、馴れ合うつもりはないから。さっさと屋敷に入りなさい。魔法の練習するのに邪魔になる」
「分かりました。ってあれ、そういやジャンヌさんって魔法の才能があるんじゃ……。練習するなんて偉いですね」
あっ、つい心の声が。でもまぁ、別に貶してるわけではないし、大丈夫か。
そんな俺の考えは……浅はかだった。
「……………………………………………………」
ジャンヌさんは黙り込んでいた。
そして小さく呟いた。まるで泣くのを堪えているような震えた声で。とても小さく。
しかし、俺の耳には鮮明に、透き通るように、ジャンヌさんの心の声が聞こえた。
「才能なんてないわよ、ばか……」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
眩しい光に目を覚ます。同時に身体中にフワフワした感触が伝わってきた。
つまり俺は今ベッドの上で転がっているわけで。俺の異世界生活は二日目を迎えたわけだ。
俺はベッドから飛び降りるように起きると、部屋のテーブルの上に置かれた執事服に着替える。
執事服は黒を基調としたもので、一言で表すなら執事服!! といったものだ。いや、それ以外に形容の仕方がない。
ちなみに今日はセリアの提案で、王都の商店街でショッピングをするつもりだ。なんでも俺の生活用品を中心に見てくれるらしい。
俺は着替えを終えると、歯磨きをする。そして顔をパシャパシャ洗うと部屋を出た。
さて執事としての生活。頑張るとしますか。
ネクタイをキチッとさせ、俺は大広間へと向かう。と、そこではすでにエイブリーさんが朝食の準備をしていた。
「あっ、すみません! 俺も手伝いますね」
「気にしにゃいでください。それにミサヒコさんは座っていて良いですにゃ」
「で、でも……」
「執事のお仕事は、お嬢様の護衛ですにゃん。ですから、今のうちに体力をとっておいて下さいにゃん」
そう言われ、俺は席に座る。だがやはり俺だけなにもしないのは気が引けた。
そのため、俺はテーブルの上の食器の配置を手伝った。配置の仕方など全く知らなかったが、なんとなく勘でやっていく。
結果的に、朝の七時前に支度が終わった。
「おぉ~! 手際が良いですにゃんね。食器の配置はいつ学んだんですにゃー?」
「い、いや。これ全部勘で……」
「勘で!? 凄いですにゃん! 天性の執事スキルですにゃん!」
なんだか褒められているらしい。俺は少し恥ずかしながら笑う。
と、そこでセリアとジャンヌさんが起きてきた。
「おはようございます」
「おはよーですぅ……。うぅ、ミサヒコ様早いですね」
「まぁ執事ですからね。主人より遅くに起きるのはマズいかと思って」
「…………」
「あっ、ジャンヌさん。えっと……昨日は──」
「謝らないで、気にしないで、憶えてないで」
そう言われ俺は黙り込む。
なぜなら、これ以上下手なことを言うと、炎の塊が襲ってきそうな気がしたからだ。
昨夜、なにがあったのか。
結論から言うと、ジャンヌさんが俺の胸の中で泣いた。俺もなにがなんだか分からず、戸惑うばかりだった。
まぁ、そのあと泣き疲れて寝てしまったジャンヌさんを部屋に送り、現在に至るわけだが。
『お姉ちゃん、いつも努力してるから……』
そんなセリアの言葉を思い出すと、あのときの俺の心の声が無配慮だったのだろう。ジャンヌさんはジャンヌさんで努力しているんだ。それを俺は……。
悪いことをしてしまった。
「今アンタ、昨日のこと思い出したでしょ」
「へっ!? まさか心を読む魔法まであるんですか!?」
「……鎌掛けただけ」
野菜を口の中に入れ、プイッと俺から顔を背けるジャンヌさん。本当にすみません。
「それよりセリア。今日、買い物に行くんでしょ?」
「うん」
「なら私も行くわ。今日は学園に行く気分じゃないし」
「ほ、本当!? やった、久しぶりにお姉ちゃんと買い物できる!!」
ニコニコ笑顔を見せるセリア。幸せそうだ。
そんな、ほのぼのした日常を見ているうちにセリアとジャンヌさんは朝食を食べ終えた。二人は外に出かける用意とかで、自室へと戻っていく。
取り残された俺とエイブリーさんは、一足遅い朝食をとることにした。
このときエイブリーさんから話を聞いた。
自分は人間ではなくエルフだということ。奴隷だった頃、この国の王子に拾われお手伝いさんになったということ。
逆に俺も話をした。ニートになって親に捨てられたこと。セリアに助けられたこと。そしてここで働く楽しさに気がつけたこと。
──と、そんな話をしてるうちに出かける時間がやってきた。
「では行ってきますね」
「はい、お気をつけてにゃん」
セリアに手を引かれ、俺は王都の中心部へと向かった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ミサヒコ様、お姉ちゃん! 見て見て、これ!!」
セリアが三つ一組のマグカップ(お揃いの絵柄)を持ってきて、俺とジャンヌさんに見せる。
ここはメインストリートに面した日用品屋さん。レンガ造りのその店は、日本の店には内装独特の雰囲気が漂っている。
「これ、親子専用マグカップでしょ?」
「別に良いじゃん、三人お揃いなら! ねぇミサヒコ様!?」
「……だったら四人お揃いにしません? ほら、エイブリーさんもいますし」
俺は四つ一組のマグカップを手にしてそう言う。
「おぉ、確かに!」
「私はどっちでも良い」
「じゃあ買おう買おう!」
セリアがマグカップを手にし、レジへと走っていく。あの礼儀正しい、しっかり者のセリアの意外な一面を見た気がする。
「私、服屋さんに先回りしてるわね」
「分かりました」
どうやらジャンヌさんは妹の見たいものをリサーチ済みのようだ。さきのマグカップの売り場も、見つけたのはジャンヌさんだし……。
妹思いのジャンヌさんに、姉思いのセリアか。全く本当に羨ましい姉妹だな。
そんなことを考えていると。
ドン!!
爆発音にも似た音がメインストリートから聞こえてきた。同時に、地震のような揺れと、大勢の悲鳴が聞こえてくる。
俺はとっさに、店からメインストリートに飛び出した。と、そこには地面に転がるジャンヌさんと、そのジャンヌさんにハンマーのようなものを振り上げる大男がいた。
大男は地面でうずくまるジャンヌさんに吐き捨てる。
「女のくせに、男に逆らったのお前が悪いんだぜ? 女はよォ、男にヘコヘコ頭下げてりゃ良いんだよ。しょせん粋がったって、女は男の道具でしかねェんだからよォ」
「アンタ……昨日の。まさか誘いに乗らなかった女性を、いつもこうしていたぶってんじゃないでしょうね?」
「いつもいたぶる? ハッハッ、俺はそんなに甘くねェよ。ナンパを無視したアマは、毎回恥辱の限りを尽くしてるやるに決まってんだろ。例えば今日みてぇに公衆の面前で、とかなァ!」
嘲るように大きく笑う大男。
状況は、把握できなかった。なぜこうなったのかもわからなかった。
しかし、男が怒っている理由。それが正当なものではなく、理不尽なものであることは、分かった。段々と血が頭に昇っていく。
──この男は、一体何様のつもりだ?
──女だから。
──たったそれだけの理由で、こんな理不尽を受け入れさせられるのか。
──努力してるジャンヌさんよりも、こんなゲスい野郎が正当派になるのか。
「雷霆、展界──」
気がついたときにはそう呟き、大男に斬りかかっていた。
狙うはハンマーの叩きつける部分。俺は右手に握られた光り輝く剣を狙った部分に、的確にぶつけた。
瞬間、ガラスが割れるような音とともに、ハンマー自体が消え去った。大男はとっさの出来事に身体をビクッとさせる。
「──謝れよ」
俺は着地と同時に大男を見据え、
「ジャンヌさんに謝れ!!」
怒りに任せてそう怒鳴った。
大男はなにがなんだか分からないという顔をしていたが、ようやく我に返った様子で拳を握りる。
「な、なんだテメェ!」
「王家の執事の者だ。お前こそ誰だってんだ」
「ケッ、テメェに告げる名前なんてねぇ。それになぁ、今日は俺一人じゃ──「貴様は用済みだ」」
そんな大男ではない──誰かの声が聞こえた瞬間、目の前の大男は崩れた。まるで身体の力が全て無くなったかのように……地面にドサッと。まるで屍のように。
そしてその代わりに、大男の背後から黒い刀を持った男が歩いてきた。まるで侍のようなかっこうをしている男に警戒する。
「契約では銀貨五枚で仕返しをする、とのことだったが……別にもう良い。銀貨は返してやろう。面白い者に出会えたからな」
ニヤッと男は笑う。
同時に、俺の奥底に眠る《なにか》が「こいつは危険だ」と囁いた。
「……ジャンヌさん。逃げれますか?」
「な、なんとか……」
「俺が気を引いとくので、その間に──」
「勘違いしてるようだが、俺の狙いはもうその女じゃない。貴様だ王家の執事」
男は刀をチン、と鞘に納めた。瞬間、猛スピードの衝撃波が俺に襲いかかる。
「聖盾、展界!!」
とっさに目の前に盾を生成し、衝撃波を防ぐ。だが、男の攻撃は終わらない。
二度三度と衝撃波が盾を打ちつける。少しでも気を緩めば、盾ごと吹き飛びかねない強さだ。
だから……俺は背後への警戒を怠ってしまった。
急に衝撃波が止んだ瞬間、俺の背中に焼けるような痛みが走った。つまり斬りつけられた。
その斬撃は足にも及び、俺は立っていられなくなる。靭帯が斬られたらしい。
「ぐっ……!!」
そのまま俺は前方に倒れ込んだ。
「クックックッ。こんな上物を熟す前に手にいられるとはな……。今からお前は死ぬが安心しろ。貴様のその身のうちに潜めた力、それは一人の少女の生命力となり生き続ける。だから安らかに眠れッ!!」
男は黒い刀を振り上げ、一気に俺の背中に突き刺す。今まで受けたことのないような痛みに……俺は気を失った。
目の前の執事が死んだ瞬間。辺りには静けさが訪れた。俺はそんな沈黙の中、屍から刀を抜く。抜いた穴からドクドクと血が溢れ出した。
たった一分前後の戦闘。この戦闘の裏に隠された意味を知るものは俺以外にいないだろう。つまり俺は残虐な無差別殺人犯になったわけだ。
だが、これで良い。これで幼い命が助かるのならそれで良い。
俺はある方向に視線を送った。その先にいる見えない少女に、もう大丈夫だぞ、と言うように。
──さて、ハデス。貴様の力を借りるぞ。
(……まだ無理だな。まだ《死操作》ができる状況じゃない。ちゃんと殺したのか?)
──?? 既に瀕死状態にしたはずだぞ。
俺は一度、王家の執事に視線を向ける。そして飛び退いた。
なんと目の前で、致命傷を負ったはずの……靭帯を斬られたはずの執事がゆらりと立ち上がったのだ。
しかもそれだけじゃない。
先程まで執事の身体の奥底から感じた強大な力が、今は全面から放たれている。
気がつけば俺は冷や汗をかいていた。
「貴様。なんだその力は」
「……困るんだよなぁ。せっかく見つけた天稟の才を殺されると。ったく、お前ら人の所有物に手をつけた覚悟はできてんだろうな?」
「宿主? まさか貴様も……?」
「貴様“も”? あぁ、その不気味な気配、やはりそういうことだったか。まぁ今日のとこはこれ以上やるとうちの宿主が死んじまうから……お開きとさせてもらうぜ」
口調も雰囲気も殺気の種類も。
全てが総シャッフルされた執事の姿に、不覚にも俺は恐怖する。
刹那。執事の背中から黒色にも白色にも見える翼が生成された。それは破壊の象徴にも見え創造の象徴にも見える。いや、まるで存在する事象全てがあの翼に込められてる気さえしてきた。
と、そんな翼が猛スピードで俺に向かって来る。とっさに商店街の屋根に跳び、難を逃れた。
翼は俺という目標を見失い、石畳に激突した。瞬間、当たった部分が丸ごと消え去る。
──なんて破壊力!
──……こりゃあ無理だな。
──潔く撤退するとしよう。
「執事。これで終わりだとは思うなよ」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
気がつくと、そこは真っ白な天井の下だった。そして胸元でセリアが泣きじゃくっていた。
気絶する前の記憶が全くない俺はセリアとジャンヌさんから事情を聞いた。どうやらまた俺の奥底に眠る《なにか》に助けられたらしい。
結局、その後俺は脅威の回復力を見せ、事件の一週間後には執事の仕事に戻った。買い物は殺人未遂犯が捕まるまで見送りだそうだ。
だが、なんとなく犯人は捕まらない気がする。
とにかく。今回の命がけの買い物での収穫はマグカップのみ。……だと思っていたのだが。
「ほら、朝になったから起きて。そこに執事服置いといたから」
「う、うーん……。って、ジャンヌさん!? す、すみません。寝坊してしまって……」
「?? 別に寝坊なんてしてないけど」
「えっ。あ、本当だ。まだ六時くらい……。じゃあなんで俺の部屋にジャンヌさんが?」
「べ、別に……。てかそろそろ、さん付けしなくても──」
「おっはようございま~す!! ミサヒコ様、朝ですよ……って、お姉ちゃん? ムムッ、抜け駆けとはさすがのお姉ちゃんでも許せないかも」
「ぬ、抜け駆けってなんのことよ!?」
結果。
なんだか、お二人のお嬢様(特にジャンヌさん)との距離が非常に縮まった。