侵入者
「坊っちゃんが遭遇された瞬間移動の能力者。彼は以前この屋敷で働いていたアイヴァー・イーシルの可能性が高いかと思います」
「ほう」
「実際に遭遇したわけではございませんが、何人か彼と遭遇したと思われる方とお会いできました」
「見えたか」
「はい。はっきりと顔が見えたわけではありません。しかし、背格好、能力、あの立ち振舞いは当時のアイヴァーと酷似しています。」
アルベルトは人の記憶を読み取れる能力をもっていて、まるで映画を再生するかのように、その人が今まで見てきたものを見ることができる。
ただ読み取れるのはその人が鮮明に覚えていることや、思い出していることだけだ。そのため彼はシドと魔道具を通した通信をした後、街に繰り出して聞き込みを行ったのだろう。そうして、人々に例の組織を思い出させ、その記憶を見ることで、アイヴァーの可能性があると調査してきたのだ。
シドがシドになるために学園での彼の振る舞いを調べたときも同じ手を使い情報を集めたので、その手口はシドもよく知っている。
「そうか、ご苦労だった」
「もったいなきお言葉」
両者とも表面的には淡々としているが、内心は色々な感情に見回れている。お互いそれを分かっているからあえて口に出すことはない。
アルベルトはシドの髪からタオルを離した。短く整えているそれはタオルで拭いただけでほとんど乾いてきていた。
「なぁ、アル」
「どうしました?」
タオルを持って去ろうとしたアルベルトをシドは呼び止める。その声には普段の力強さがなかった。急にシドの様子が変わったことをアルベルトは感じ取った。
「僕は変わってきているのだろうか」
「どういう意味でしょうか?」
シドはさっきのナタリーの言葉が頭から離れていなかった。アルベルトにその事を話す。彼は黙って主の話が終わるまで聞いていた。
「僕が変わったというのは彼に近くなったからなのか。それとも僕自身として変化しているのか。それが僕には分からない」
シドは結びにそう話した。その話しぶりからアルベルトは主が弱っていると気づいた。ナタリーの言葉はきっかけでしかない。それは彼がずっと気にしていることの一つだから。シドらしくと振る舞えば振る舞うほど、自分を見失う感覚に陥る。それに不安を覚えているのではとアルベルトは推測した。
「坊っちゃんが変わったかと聞かれましたら、答えはイエスですね」
「やはりか…」
アルベルトがイエスと言った瞬間のシドは、あまり表には出さない素で怯えた顔をした。
「はい。それが、あの方に近づいているのかどうかという問いには、残念ながら私にも分かりかねます。しかし、どんなあなたでもあなたはあなたです。そして、私があなたの僕であることには変わりありません。ですから、あなたはあなたの思う通りにお進みください」
ぼかした話し方をしたのは屋敷の他の住人の耳に止まってもいいようにだ。シドもアルベルトもその辺りは意識的に気を付けている。
あえてシドのことを坊っちゃんとは呼ばずにアルベルトは言ったのは思い付きだった。不安そうな彼にはその方が言いと感じたのだ。跪き、ベッドに座るシドに目線を合わせた。
「私はいつでもあなたと共にあります。それをお忘れなきよう」
アルベルトが微笑むとシドの顔に射していた陰りが消えた。
「ああ、そうだったな。弱気になってすまない」
「そんなことはありません。久方ぶりに可愛らしいお姿を見られました」
「……なっ!?」
顔を赤くして動揺するシドを見て、アルベルトはクスリと笑った。あの事件の直後の彼はこうして弱気な姿を見せることがままあった。
それが、ここ最近はそういった姿をほとんど見せることがなくなっていた。だが、こうしてまだ弱気になっているところを支えることが出来るというのは、アルベルトにとっては喜ばしいことだ。
シドは何やら言い訳をしているようだが、そんなことを考えていたアルベルトの耳には入っていない。スッと立ち上がり絶賛言い訳中の主に話しかけた。
「そのような大声をあげますとお部屋の外まで響いてしまいますよ。」
「これはお前が変なことを……」
「私はただ事実を述べただけでございます。そろそろヘザー達が夕食の用意をしている頃合いです。私達も行きましょう」
「ったくお前というやつは…。皆を待たせるわけには行かないな。行こう」
シドはまだ腑に落ちないようだったが、他の皆のことを考えて言い訳を切り上げベッドから降りた。
* * * * * * *
皆と食事を済ませた後、シドは書斎で書き物をしていた。ここ最近のクローバード社の経営は安定している。が、それに甘んじているとすぐに他社に戦績を奪われてしまう。油断をせずにより良い運営を心がけるべきだ。
当たり前かもしれないが、シドはそれに気を付けて何も変化がないようでも、毎日文書に目を通していた。
「ん?これは?」
シドの目がある商品の売れ行きのところでとまる。それは学園に通う少し前にレインティーンと商談していた商品だった。発売当初は売れ行きはそこまで良いとは言えなかったが、毎日少しずつ売れ行きを伸ばし最近ではヒット商品と言えるところまでその需要を伸ばしていた。
「やはり、長期的に見たら売上を伸ばすと思っていたが、これは思いの外だな。レインティーン氏に発売を止められず良かったというところか」
学園に通う前のレインティーンの来訪は、この商品を売るのをストップしたいという話だったのだ。それを無理を言って商品販売の継続をお願いしていた。かなり小言を言われたがその甲斐があって商品はヒットした。シドは自分の考えが当たっていたことを嬉しく思った。
「坊っちゃん!!」
急に開かれた書斎のドア。その向こうから血相を変えたアルベルトが姿を表す。その焦りようは尋常ではない。シドは書類の束から目を離した。
「なんだ?」
「ああ、坊っちゃん。無事で良かった。」
いつも通りのシドの姿を見てアルベルトの焦りは幾分緩和されたようだった。
「何が起こった?」
「屋敷の警備システムが作動しました。何者かがこの屋敷の敷地に入ったようです。」
「なんだと?」
屋敷の周りには警備の魔道具が設置されている。許可がないものが屋敷の敷地に入ると使用人に通知が入る仕組みになっている。防犯のためにと設置されていたが、今までそれが作動したことはない。それだけで今回が非常事態だということがわかる。
「僕はなんともない。他の皆は大丈夫か?」
「はい、通知が来てすぐ皆で集まり無事を確認した後、それぞれ屋敷内に侵入者がいないか見回りをしています。私は坊っちゃんの安全を確認にここに来ました。」
「すまなかったな。見回りをしている他の皆が心配だ。僕も行こう」
シドは立ち上がり部屋の外に行こうとしたが、ドアの前のアルベルトがそれを拒んだ。
「それはなりません。我々使用人が守るべき対象はあなたという当主です。当主自ら侵入者がいるかもしれない屋敷を歩かせるわけには参りません。あなたはここで私と待機です」
シドは皆を心配するあまり不服そうな顔をするが、アルベルトが言っていることは紛れもなく正しい。素直に頷き、気をまぎらわせるために再度仕事に取りかかる。
アルベルトはそんなシドの横につき、他の使用人達の報告が来るまで警戒に当たった。
それからまもなく、部屋の中心に青い光が表れる思わぬ眩しさに目を細める。
「坊っちゃん」
すぐに行動できるようにアルベルトはシドを立たせ、彼をかばうようにその前に立った。青い光が徐々に人の輪郭を形作り始める。
侵入者は能力を使ってこの屋敷に入ってきた。この能力はシドもアルベルトも知っている。瞬間移動の能力だ
そして、ここ最近その能力を使うものにシドは遭遇していた。
「屋敷内での能力の制御は我々にとっても影響があるので行ってませんでしたが、今後は健闘すべきですかね」
アルベルトはこんな状況にも関わらず顎に手を当ててそんなことを言った。そうこうしているうちに、青い光が収まり、そこにいる人物の姿が明らかになった。
「やっほぉ。こんばんはぁ」
のんびりとした声とめんどくさそうな表情。見覚えがある彼の名をシドは呼んだ。
「シェルムか」
「そうだよぉ」
クローバード家の書斎で三人は対峙した。




