帰宅
リャッカとの取引が成立した後、一度学園に戻り生徒会に顔を出してから、シドは皆より一足先に帰路に着いた。
何だかんだでもう夕方だ。冬の日差しは短い。空は急激に暗くなり始め、いっそう寒さがましてきた。今日はジェイドに迎えは頼まず歩いての帰路だったから体が冷える。
クローバード家の玄関に着くと、すぐそばで何か物音がした。音がした方を向くとそこにはナタリーが花壇とにらめっこしていた。
「あっ、お帰りなさい。坊っちゃん」
「ナタリー、花壇の手入れか。ご苦労だな」
「ありがとう。坊っちゃんも学校お疲れ様です。」
シドは花壇に目を落とす。冬なのにも関わらず、そこには寒さにも負けず元気に咲いている花があった。
「これは冬に咲く花なんだよ。寒くなればなるだけ元気になるの。だけど、ちゃんとお手入れしてあげないとすぐに元気がなくなっちゃうんだって」
シドが花を見ていると気づきナタリーは説明してくれた。
「ナタリーが世話をしてくれるお陰でこの花達は元気に咲いているんだな。寒いところすまないな。ありがとう」
花壇からナタリーに目線を戻し、シドは小さく微笑んだ。
「私だけじゃないよ。ヘザーさんもジェイドさんも、アルベルトさんだってやってくれてるよ。だからみんなにありがとうだよ。」
「そうか、そうだな。それで、花の世話は終わりなのか?」
「ううん、もう少し」
「ならば、僕も手伝おう。」
シドは持っていたバックを地面に起き、コートの袖を軽くまくった。ナタリーが慌て出す。
「ええぇ!坊っちゃんは中にいてよ。私の仕事だから、手伝わなくていいよ」
「もう暗くなってきた。二人でやった方が早いだろう。ナタリーの話を聞いていたら僕もやってみたくなった」
「ううぅ、坊っちゃんがそこまでいうのなら…もし、ヘザーさんに見つかったら、ちゃんと言ってよね」
「ああ、僕がナタリーに頼んだと話すよ」
「よし!じゃあ、やろう」
声を潜めるように言ったナタリーはシドに仕事をさせたことをヘザーに怒られることを心配していたようだ。その心配はいらないと伝えるとはりきって花壇に向かい始めた。
「じゃあ、まずは……」
* * * * * * *
「ふぅ、坊っちゃんありがとう」
「いや、いい。これで終わりだな」
十分後、作業を終えた二人は園芸道具を倉庫に片付けた。園芸道具を戸棚に振り分けるシドをナタリーは見つめていた。その視線に気づく。
「なんだ、ナタリー。僕の顔に何かついていたか?」
「い、いえ。なんか坊っちゃん雰囲気変わりました?」
シドが声をかけると、ナタリーははっとした様子で首をかしげた。
「変わった?僕がか」
「うん。前はなんかずっとピリピリしていたけど、最近になって柔らかくなった感じがする」
ナタリーはあの事件の後、シドが当主になってからクローバード家で働き始めた。だから、僕が本当はシドではないことに気づいたという訳ではないと思う。だとしたら、僕の変化とはいったい?
「あ、あの坊っちゃん?変なこと言ったかな」
「いや、大丈夫だ。心当たりが思い付かなくてな。さぁ、寒くなってきたし屋敷に入ろう」
「うん」
ナタリーは人の心の変化に敏感な子だ。シドが考えこんだのを見て気まずそうに問うて来た。シドが何でもないことを伝えるとふわっと笑い、二人揃って屋敷に戻った。
「お帰りなさいませ、坊っちゃん。おや、鞄が汚れているようですね。きれいにいたしましょう」
玄関から中に入ると、待ち構えたようにアルベルトが立っていた。彼はシドから鞄を受け取る。
「あ、あのアルベルトさん。坊っちゃんに園芸を手伝って頂いて、それで……」
ナタリーがやや緊張した面持ちで鞄が汚れた原因をアルベルトに話した。さっきまでは坊っちゃんから言ってと言っていた癖に自分から話すなんてなとシドはその健気さに苦笑し付け加えた。
「僕がナタリーに手伝いたいと頼んだんだ。鞄も僕が不用意に地面においたのが原因だ。」
「えっ、坊っちゃん。でもやっぱり私の仕事でしたし……」
アルベルトは庇いあいをする二人を可愛らしいなと思いながら、見守りそして口を開いた。
「概ね把握しています。庭先から楽しそうなお声が聞こえてきましたから。主、自らの申し出です。ありがたく受け取っておくのが正解です。ヘザーさんもそう言っておられましたよ」
「ほんとですか?」
「ええ」
アルベルトは背筋をピント伸ばした姿勢でナタリーに言った。彼女はヘザーもそういっていてくれたことに安心をし、アルベルトの見せた笑顔に頬を染めた。
「しかし、坊っちゃん。園芸に興味を持たれるのは感心ですが、せめて私に声をかけてからにしてください。帰ってきたことくらいは伝えていただけると助かります。そうしていただけたら、鞄も無事ですみましたし。」
「そうだな。すまなかった」
一転シドに対しては顔をしかめて小言を言った。たしかにその通りだと反省する。ナタリーが申し訳なさそうにするので、シドは軽く手を降って大丈夫と伝えた。
「以後、気をつけてください。さて、お二人とも浴室の準備をしておきました。冷えたからだを暖めてきてください。」
「え、あの」
ナタリーが戸惑いの声を出す。彼女がそれ以上言う前に、アルベルトが続ける。
「何をするのにも体が資本です。体調管理も立派な仕事ですよ。その後でナタリーはヘザーの指示に従って残りの仕事を片付けてください。坊っちゃんには私の方からお話がありますので、後でお部屋に伺わせていただきます」
「ああ」
「はい、わかりました」
テキパキと指示を出したアルベルトは踵を返した。
「坊っちゃん、私もこれで」
「ああ、ご苦労だった」
ナタリーもシドに挨拶をしパタパタと小走りでその場を去った。ヘザーが見たら注意しそうな光景だが、シドは苦笑いだけを顔に浮かべ自室に戻った。
シドは自室に戻り部屋の鍵をかけるとすぐさま浴室に入り、制服を脱ぎ捨てた。
屋敷には大浴場なる広い風呂もあるが、シドが使うのは専ら自室に備え付けの風呂だ。シドの自室は風呂もトイレも完備しており、そこだけで生活していけるくらいには設備が整っている。
風呂やトイレの問題で正体がバレる可能性がないのはありがたい。そんな、バレ方だけは嫌だと思っていたからこの設備には助かっている。
シドは何も気にすることなく、浴槽の中で手足を伸ばした。少々熱めの温度のお湯であるが、それが冷えていた手足にじんわりと染み込んでいくようでとても心地がいい。
「くぅーー」
あまりの心地よさに声が漏れる。手でお湯をすくい顔にかける。ここ数日はこんなにのんびりとお湯に浸かることはできなかったからな、今日は少し長湯をしよう。そう心に決めシドは存分に体を暖めてから浴室を出た。
「いるのなら声くらいかけろ。」
タオルを片手に部屋に戻ると、閉じられたドアの前にアルベルトが佇んでいた。物音一つたてないでじっとそこにいる様には最初の頃はよく驚かされていた。今でも軽くホラーではあるが時々同じようなことがあるので、いい加減慣れてきた。
「失礼いたしました。ごゆっくりしていただこうとお声はかけませんでしたが、お疲れのあまり坊っちゃんが溺れていたらと心配のあまり駆けつけた次第です」
「ごたくはいい。何のようだ?」
アルベルトはこの家の扉をすべて開けることができるマスターキーを管理している。どうせそれを使って入ってきたと分かっているので部屋の中にいることには言及しない。というか、何度言っても入って来るので諦めかけている。
「本来ならば定例の報告時にお伝えすべきことですが、今回は早く坊っちゃんのお耳にいれたいと思い報告に参りました」
ベッドに腰掛け乱暴に髪を拭うシドにアルベルトは近づきタオルを奪った。それからシドの髪を優しく拭き始める。
「なんだ?」
されるがままになりながらも、シドは問い返す。
「先ほど坊っちゃんからご連絡いただいた件の調べがつきました。」
「そうか。それで?」
シドはリャッカの家に向かう前、魔道具を使いアルベルトに連絡をしていた。魔道具は文化祭後、ヨシュハ経由で買ったものだ。ヨシュハに一つはアルベルトに渡してくれるように頼んでおいたが上手くいって良かった。こんなにも早く使う機会が来るとは思っていなかった。
帰り道で魔道具を使いヨシュハに連絡を取り礼をいうと、他の魔道具の力でアルベルトを見つけたといっていた。魔道具は本当に便利なものである。
そのおかげで例の組織のこと、その中に以前使えていた使用人に似た者がいたことをアルベルトに伝えることが出来た。そして、その組織と使用人に似た者に関する調査を託していた。
彼がここに来た理由はその調査結果の報告と言うことだ。アルベルトの周りに人がいなかったのをいいことに電源をいれっぱなしにしていたので、彼もリャッカとのやり取りは把握していた。この話は今後の捜査にも関わってくる。
「それで結果は?」
シドはアルベルトに促した。




