そして春
「いってらっしゃいませ、坊ちゃま、お嬢様」
「ああ、行ってくる」
「行ってきます」
「それじゃあ、お二人とも車に乗ってくだせぇ」
ジェイドが車の扉を開き、シドとシルヴィアを車に乗せる。ナタリー、ヘザーに見送られ新学期を迎える学園に向かうのだ。
春である。
あの後、真実を知ったシルヴィアはそれを見届けた生徒会メンバーが帰った後、シドともう一度入れ替わりを行った。もう彼女はシド・クローバードでなくシルヴィア・クローバードに戻ったのだ。
少しだけ名残惜しいような不思議な気持ちに見回られたが、それよりも兄が帰ってきた喜びが計り知れなかった。
それから簡単にシルヴィアはシドに現状の報告をし、振る舞いを教えた。屋敷にはナタリーという使用人が増えていたため彼女のことも詳しく伝える。シドもシルヴィア同様立ち振舞いを覚えるのにさほど苦戦はしなかった。
問題はシルヴィアの扱いについてである。あれこれと話し合った結果、シルヴィアはしばらくこの地下にとどまることを選択した。
シドは、だったら自分が残った方がいいと反対をした。シルヴィアもシドが眠っていた間のことを話すまではそうした方がいいと分かっていたが、せっかく目覚めてくれたのだから早く皆と会って欲しいという気持ちを通した。
妹の気持ちに根負けしたシドは仕方ないとひとつため息を吐いて苦笑いを浮かべる。なんとかやってみるよと彼はアルベルトを伴い地上に戻った。
地上に戻ったシドはその夜に使用人達を集めた。なんだろう?とナタリーは首をかしげていたが入れ替わりに気づいた様子は誰にもなかった。
シドはそこで皆には黙っていたことがある。と前置きをし、自分と家族、それに幼い頃を共にしたアルベルトしか知らない双子の妹の存在を皆に打ち明けた。いわく、体が弱く遠くの地で療養していたと。
クローバード社には商売敵や良からぬことを企むものもいたからずっと秘密にしてきたが、長い闘病の末に体が回復したため、この屋敷に呼び戻したい。そう使用人達に訴えた。
使用人達は戸惑い驚いたものの、シドが安心した顔で呟いた言葉が決定的だった。
「両親に次いで妹までいなくなったらどうしようかと思ったが、体が回復して本当に良かった」
「それなら早く一緒に暮らしましょうよ!」
とナタリーを筆頭に皆が優しい顔で頷いた。ジェイドは軽く目頭を押さえていた。部屋を整えるのに五日頂きたいとヘザーに言われ、シドは彼女におそれを願いをした。
ナタリーは妹がどんな子なのかとシドにしきりに聞いた。年の近い女の子が家に来ることが嬉しいのかもしれない。
シドは今朝まで一緒に暮らしていたシドとしての彼女ではなく、本当の彼女のことをナタリーに教えた。
「五日後に戻るようになります」
「分かった。それまでにシルヴィアとしての振る舞いを考えておくよ」
「お言葉ですが、自然体でいていただければそれで良いかと思います」
「ああ、そっか。そうだね」
シルヴィアはその事をアルベルトから聞いた。昔ここにいた時のように二人は彼を間に挟みやり取りをしていた。
昔と違うのはシルヴィアはここにクローバード社の仕事を持ってきてもらい、それを処理していた。
クローバード社をシドが継いだのは彼女がシドになった後のことであり、それを引き継ぐにはやや時間がかかると判断したのだ。
シルヴィアからは張りつめていた雰囲気がスッキリ消え、昔のようなふんわりとした感じが戻っていた。
ただ、その中にも仕事に対するストイックさなどが滲み出ており、完全に昔の彼女だとは言い難い。しかし、それは彼女が成長したのだとアルベルトは思う。
アルベルトは生徒会メンバーが帰ってすぐにクローバード家を立ち去ろうとしたが、それを二人に見破られ留まることになったのだ。
「悪いと思うのなら働いて返せ」
「アルベルトの力が私達には必要だ」
そんな風に止められ、再度心から頭を下げさせてもらい、それからは今までに輪をかけて働くようになった。この時も屋敷のことを早々に終え、シルヴィアのクローバード社の仕事を手伝っていた。
夜にはそこにシドが合流し、彼がいなかった時のことをシルヴィアから語って聞かせた。
最初の二日間こそ学園に向かったふりをし、シルヴィアから振る舞いを聞き出していたものの三日目からは普通に学園に通っていたのだ。
彼にとっては久しぶりの学園であったものの同学年のティムを初め生徒会メンバーが協力してくれたお陰で難なきを得た。ちなみに真っ先に入れ替わりを見抜いたのはやっぱりキーツだった。
シルヴィアから話した後にはアルベルトから見た皆のことも補足で付け加えられシドは短時間であらゆる知識を身につけることになった。そのおかげで今日に至るまで怪しまれることはなかったのだった。
そうこうしているうちに、あっという間に五日が過ぎてシルヴィアはクローバード家に正式に引っ越してきたのだ。
「いらっしゃいませ、お嬢様。本日からよろしくお願いします。私はヘザーと申します」
「ナタリーです」
「ジェイドでさぁ。よろしくお願いしやす」
「初めまして、シルヴィア・クローバードです。皆さんよろしくね」
その日シルヴィアは一端外に出て、アルベルトの運転する車で屋敷の入り口にたどり着いた。
シドにエスコートされはにかむシルヴィアについこの間まで暮らしていたシドを重ねたものはいなかった。
シルヴィアは持ち前の明るさですぐに屋敷の住人と打ち解けた。しかし、自分が皆と会うのは初対面だということを意識していたので、やや緊張したのは隠せない。
それは屋敷に来たばかりで戸惑っているためだということで不審がられたりはしなかった。
そんな中でシルヴィアとしての彼女と真っ先に打ち解けたのは、やはりナタリーであった。年が近い彼女とはお茶を共にすることもあった。
「本当にシルヴィア様はシド様に似てるね」
「双子だからね。小さい頃は兄さんとしょっちゅう間違われてたんだ」
「もう少し髪が長くなれば、間違える人はいなくなるよ!」
「そうだね。今までは短くしてたけど、伸ばしてみようか」
「うん!きっと似合うよ。髪や瞳の色は坊ちゃまにそっくりだけど、シルヴィア様の方が坊ちゃまよりかわいいもん」
「まぁ、兄さんは男の子だからね。かわいいとは違うよ。ナタリーはかわいいと思うよ」
「!?そうやって不意討ちする辺りシド様とそっくりです。…けどここ最近、シド様は穏やかになったなって思うんですよね。前はピーンって気を張ってる気がしたんだけど、それがない感じで。シルヴィア様が来たからかな?」
「そうだったら嬉しいな。兄さんには色々と迷惑かけちゃったから、これからいっぱい支えたいと思ってるんだ」
「…やっぱりシルヴィア様の方がかわいいや」
ナタリーとシルヴィアがそんな気安い会話が出来るようになる頃には学園も春休みを迎えていた。
クローバード社のほうの引き継ぎはこの春休みに集中して行った。シドが眠っていた間で一番の大きな変化は部署のひとつにレーヴンヴァイスを新設したことである。
シドは彼らの綿密なプロフィールをシルヴィアに準備させ、それを読み込んだ上で、視察に望んだ。
表向きの理由としてはシルヴィアも今後はクローバード社の業務に関わってくるのて、そのための視察ということにして、各部署の訪問をした。
基本的な重鎮達の顔ぶれは変わっていなかったので、そちらはうまくいった。そしてレーヴンヴァイスである。
二人揃って顔を出すと、セスやアリア、シェルムを初めとしたお馴染みのメンバーが子供達を見ていた。
「お疲れ様です」
「ああ、普段通りの仕事をシルヴィアに見せたい。僕らに構わず続けてくれ」
対応するのはシドである。セスは二人の姿を見比べてから、何事もなかったように振る舞った。
「かしこまりました」
笑顔で手を振ってきた子供達に手を振り返しシドはこっそりシルヴィアに話しかけた。
「短時間でずいぶんと洗礼されているようだな」
「元々、セスが集めていた人達で構成された組織だからね。統率力はあるよ。仕事ぶりに対しても申し分ない成果をあげているよ」
シルヴィアもまた、目線だけは子供たちに向けたまま、周りを気にして誰にも聞こえないような声でシドに話す。
「お二方はこの後お時間はありますか?」
「視察はこの部が最後だから作ろうと思えば作れるがどうしたんだ?」
「報告したいことがございますので、よろしければ別室でお話しできないかと思いまして」
シドはシルヴィアと素早くアイコンタクトをとる。このセスというものと子供達を世話しているアリアという女性はシルヴィアがシドだったことを知っている人物だ。
「ああ、構わない。僕からも伝えることがある」
「お忙しいところありがとうございます。この部の幹部でありますアイヴァーが場を整えております。充分に視察できましたらお声がけください」
「分かった」
シドが返事をするとセスは引き下がり視察後に部屋を変えて話す場を設けることを約束した。
その話し合いにはセス、アリア、アイヴァー、シド、シルヴィアと事情の知っているものが集まったが、話し合いをすることは叶わなかった。
部屋に入った瞬間、アイヴァーが土下座をしたためである。これにはさすがのシドも驚きを隠せずに彼を宥めたが、その日彼が顔をあげることはなかった。
シドとしてはアイヴァーだけでも無事で良かったと思っていたが、これではどうしようもないと、その日はアイヴァーが気が済むまで謝罪を受け、セスやアリアへの謝礼は後の日になった。
春休みを終えた今もセスやアリアはシルヴィアの秘密をその胸に留めてくれており、アイヴァーはアルベルト同様、これまで以上に仕事に取り組んでいるようだった。
そんな慌ただしい春休みも終えて新学期。シルヴィアはシドと一緒にプロトネ学園に向かっていたのである。