懐かしい顔
「まさか、そんなに驚いてもらえるとは思いませんでした」
そう言って兄シドは笑う。昔、軟禁のために使われていた部屋とはいえ、室内はそれなりに広く、生徒会メンバーとアルベルト、そして自分と兄のシド。
丸いテーブルを囲むように八人の人間が一度に座っていても狭苦しい感じはない。座っている並びは自分の右隣にチュリッシュ。左隣にはキーツが座った。チュリッシュの隣はリャッカだ。リャッカの隣には兄シドがいて、ちょうど自分の真っ正面で向かい合っている。
兄シドの反対隣にはティムがいて、二人のシドの顔を見比べていた。ティムの隣、キーツの左隣にはユウリがいる。アルベルトは兄シドの少し後ろで控えるように立っていた。
床に敷かれたカーペットに直接座る形をとっている。全員の手元にはアルベルトが入れたお茶があり湯気をたてていた。
「ああ、突然だったから驚いたぞ。息災のようで何よりだ」
キーツがへらっとした笑顔を浮かべる。兄シドはみんなの顔を見渡す。
「ええ、皆さんもお元気そうで良かったです」
穏やかに微笑む彼であるが、シド以外は状況が分かっていない。訝しげな顔をしているリャッカや眉間に皺を寄せているチュリッシュ。
アルベルトと兄シドの様子を見ているユウリ。まだキョロキョロしているティムと落ち着かない中で反応できたキーツは流石である。
「んー?シド君が元気そーなのは良かったけど、こっちもシド君で、そっちもシド君じゃあ、まぎらわしーね」
キョロキョロしていた顔を止めてティムは首をかしげ始めた。
「私のことはもうシルヴィアでいいよ。兄さんが元気でいる今。私がシドを名乗る必要はなくなったから」
「そっ、んじゃあ。シルヴィアちゃん。そろそろ俺達にも分かるよーにせつめーしてよね」
ティムはあっさりと切り替えてシルヴィアと呼んだ。シドではなくなったシルヴィアは苦笑を浮かべる。よく似た笑みをシドも浮かべていた。
「ティムは相変わらずのようだな。けど、僕も知りたい。シルヴィアが手に入れた真実を。そのためにここに来たんだろう?」
シドはシルヴィアに向けて挑戦的に言う。まるで自分の妹のことを試すように。シルヴィアはこくりと頷いた。
「うん。そうだよ。真実は最初から私の手元にあった。そうだよね?アルベルト」
今までシドの後ろで静かに控えていたアルベルトがわずかに表情を変える。苦しげな微笑みだった。シルヴィアはまたシドに向かって話し出す。
「事件が起こったあの日。私はいつも通りにこの部屋にいた。アルベルトから知らせを受けたのはちょうど今ぐらいの時間だったね」
事件が起こったのを知ったのは夕方。学園が終わって放課後が来た今くらいの時間だ。
「私の無事を確認したアルベルトはその後現場に駆けつけた」
アルベルトから見せてもらった記憶をなぞるようにシルヴィアは話し始める。口を挟むものはいないけど、痛みをこらえるように歪めたアルベルトの表情が気になった。大丈夫だと言うように彼に微笑んでみる。
「そこで見たんでしょ?父さんと母さん、そして兄さんが倒れていたところを。アルベルトはそこで能力を使い記憶を見たんだよね。そして知った。父さん達を襲った犯人は同行した使用人達だったんだ」
「使用人達…」
隣に座っていたチュリッシュのわずかな呟きが耳に入りシルヴィアは頷いた。
「父さん達に着いていった使用人十人のうち半分の五人が暴動を起こした。現場はサヒトナの国の東部に位置するヤウスの海岸沿い。アイヴァーに連れていって貰ったけど人一人いなかった。あの場所は人通りが少ないんだと思う。そんなところで暴動を起こしたなら計画的に行ったことのはずだ」
「そうだな。彼らは最初にアイヴァーを攻撃した。逃走手段を潰すためだ」
シドが当時を思い出すように腕を組み肯定した。アイヴァーは瞬間移動の能力持ちだ。同じ使用人通しならお互いの能力のことも知っていただろう。
「うん。彼らはアイヴァーを攻撃し逃走手段を失わせた上で、今度は父さんや母さんを襲った。私は実際に会ったことはない使用人だけど、血液を操る能力持ちだった。血液の流れを阻害して父さん達を殺したんだ。だから二人には外傷がなかった」
「ああ、その能力の強さから彼はspとして僕らに同行していたが、それが仇となったな。能力持ちの中でも彼が一番強力だった」
「血液を操る能力持ちか。一度だけ出会ったことがあるな」
リャッカが静かに口を挟んだ。皆の視線が彼に向く。
「シークレットジョブの中で会った奴だ。まだ学生だったから同じ能力を持つ別人だろ。その能力はかなりリスキーだったはずだぜ。俺が会った奴もそれで悩んでいたんだからな」
「でしょうね。そのspは四十を越える年でした。リャッカ先輩の言う通り能力自体は強力ですが、そのぶん副作用もすごいものです。彼は父さん達を襲った後に能力の副作用で事切れました。無理して能力を使った結果でしょう。兄さんを襲ったのは別の能力持ちでしょ?」
「そうだ。奴の力は精々人の具合を悪くするところが限界だった。それを無理して使ったから事切れた。…だけどまるで見てきたように言うな」
シドが苦笑を浮かべ頬を掻いた。シルヴィアも同じような笑みを浮かべる。
「見てきたからね。アルベルトに見せてもらってさ。それで父さんと母さんが倒れ、残された使用人達は兄さんを守る派と攻撃派に別れた。暴動を起こした者の方に強力な能力持ちがよったために兄さんを守る派の方が不利だった」
「ああ」
「使用人達はなんとか兄さんを守りきったけど、ひどい手傷を負って命を落としたんだね。そして兄さん自身もひどい手傷を負った」
「…シド君はもう大丈夫なんですか?」
シドが無言で頷く。シルヴィアの言葉にハッとしたようにユウリが問う。
「ええ。ご心配おかけしてすみません、今はもう大丈夫ですよ」
「そうですか」
傷はもう大丈夫とシド本人から聞いたおおかげで、部屋の中にあった重苦しい空気がほんの少しましになった。
「今は確かに兄さんは大丈夫なんだと思う。だけど無理はいけないよ?傷を負って兄さんは寝込んでいたはずだ。起きたのは最近、アルベルトが姿を消したあの夜でしょ」
「…まぁ、そうだな」
「あの夜っていつのこと?」
「二日前だよ」
「ほんっとに最近じゃん」
ティムが目を丸くしてまじまじとシドを見る。シドはバツが悪そうに目をそらした。
「あの夜、アルベルトはクローバード社の方でトラブルのため帰りが遅くなったと言っていた。トラブルは本当だったんだろうけど、遅くなったのは兄さんの様子を見ていたからだ。そうだよね?アルベルト」
「作用でございます」
アルベルトはシドを見て発言の許可をとった。この間までそれは自分の役目だったなとシルヴィアは少し切なくなる。それを払拭するように言葉を重ねた。
「あの日、アイヴァーは深い傷を負い瞬間移動の能力が強制発動した。彼を除いた使用人達が倒れている中で、アルベルトはかろうじて息がある兄さんを見つけたんだ。兄さんはその時まだ意識があった」
シルヴィアはシドをまっすぐに見る。シドはシルヴィアの視線を真っ正面から受け止めた。
「アルベルトは兄さんを手当てしながら兄さんの言葉を聞いた。それが全ての答えだったんだ」
アルベルトは相変わらず痛そうな顔をしている。だけど真実を明るみに出すことは私が望んだことだ。ここでやめるわけにはいかない。
「シルヴィアをクローバード家当主にと目論む者達に襲われた。それがその時の兄さんの言葉だったんでしょ」
アルベルトが息を飲む。これこそが彼が隠したがっていた真実だったのだ。気遣わしげな視線に気づいたのは、きっと自分だけだとシルヴィアは思う。
「待て。君は五歳の頃からここに閉じ込められていたのだろう。屋敷には君の存在を知る使用人がいなかったな?それなのにそのような者達が出てくるのは変ではないか?」
キーツが口を挟む。何かの間違いであることを望んでいるように。他の皆もキーツと同じことを思ったのか頷いた者がいた。
「いいえ、キーツ先輩。私は確かに五歳の頃からここに軟禁されていました。私の能力がクローバード家に危険を呼ぶから閉じ込められた。私はそう思っていました。だけどそれは違ったんです。私はクローバード社の次期当主として守られるためにここに閉じ込められたんです」
「守られるため?」
繰り返したのはユウリだ。守るために閉じ込めるというのが理解できないという感じだった。
シルヴィアは説明を続けたかったが、声が震えそうになるのを隠すので精一杯だった。
平気なふりをしてはいたが、自分の存在のせいで両親が殺され、兄が大ケガをしたという真実に動揺しないわけなどないのだ。
みんながここにいるからこそ、なんとか話を切り出せたが、だんだんと口が重くなるのを避けられなくなった。
「シド?」
チュリッシュが心配そうに声をかけてくれた。それが兄ではなく自分に向けられた言葉だとシルヴィアは理解し笑顔を作る。
「父さんと母さんは能力を持つ私を次期当主にするためここに隠したんです。クローバード社の激しい権力争いにするために。そして、過激な思考を持つものを兄さんを次期当主とすることであぶり出すために」
「それってさぁ、二人のパパとママはシド君を囮にしてたってこと?」
ティムが疑問を投げ掛ける。それに答えたのはシドだった。
「そうだ。シルヴィアをクローバード家の次期当主と公表したかった。だけど、公表すれば当時クローバード社にいた過激派に命が狙われるかもしれないと思った。だから、シルヴィアを守るために二人はシルヴィアの存在をなかったことにし僕を囮にした。言うならば影武者だ。そうしてシルヴィアの安全を確保したのちにシルヴィアを表に出し、クローバード家の次期当主とすることを考えたんだ」