夢の中で 2
物珍しそうにキョロキョロしては凛とした姿勢と表情を心がけるシルヴィアをアルベルトは微笑ましく見守っていた。
全くシド様はすごい。シルヴィア様に外を体験させるための計画はしばらく前からたてていたのだが、それを本当に実行に移すとは思えなかった。
シド様は予定を詰め込みでこなして休日を作るだけでなく、シルヴィア様が外に出ても違和感がないように自分を使い、シド様の外での振る舞いを教え、屋敷で働く人やその特徴も教えていた。最近ではシルヴィア様の髪を切るように命じられた。
女性であるシルヴィア様は髪を短くするのに抵抗があるのではと懸念したが「その時には別の方法を実行するだけだが、シルヴィアは嫌がらない」というシド様の言葉通りシルヴィア様は簡単にそれを受け入れた。シド様はシルヴィア様のことを知り尽くしていたのだ。
まだまだ幼いながらも先を見る目や行動力には目を見張るものがある。
そしてシルヴィア様。彼女の学習能力にもまた目を見張るものがある。私やシド様に話を聞いただけで今の屋敷の様子を完璧に頭にいれていた。
今はシド様の自室まで来たところだが、ここまでの道を間違えることはなかったし使用人たちに話しかけられても普通に受け答えをしていた。
彼女が5歳の頃までは普通に暮らしていた屋敷だとはいえ、シド様の自室は当時から変わっているし、使用人も当然入れ替わっている。
それなのに彼女の振る舞いは堂々としていてシド様ではないと知っている自分すらもシド様だと錯覚してしまうかというほどだった。
学習能力もさることながらその度胸は明らかに異常である。
「アルベルト、あんな感じで大丈夫だったかな?」
自室に戻るやいなや、ほうっと息を吐き頼りなさげにアルベルトに聞くシルヴィアの姿になぜかアルベルトは安心した。
「問題ございません。本当にシド様とそっくりで全然分かりませんよ」
部屋の外に声が漏れぬよう配慮しながらアルベルトが言うとシルヴィアは安心したようだった。
「これからどうなさいましょうか?」
「庭が見たい。この間話してくれたよね。兄さんも息抜きによく行くって」
「ええ、今はきれいな薔薇が咲いております。きっとお気に召していただけるでしょう」
「行こう」
シルヴィアの表情が変わる。シドを真似ているのがすぐ分かる。声色も少し低くなった。
…こんな風に見えていたのか。僕から言わせてみれば、やることのない部屋の中で唯一の楽しみにしていた二人の話だ。
何度も思い返しては頭の中で地図を描いて想像してた。覚えているのは当然だと思うけど異常とまで捉えられていたか。彼らの後を苦笑してついていくと庭にいる二人を見られた。
「いい庭だな」
「ええ本当ですね」
季節も良かったのだろう。色とりどりの花が庭を飾っていた。それらの色は決して互いの存在を邪魔せず、見事に調和して庭を彩っていた。兄さんが気に入るのも分かる。
中でも石づくりのベンチの周りを囲むように植えられた薔薇は一層美しく感じられた。そっとベンチに腰かけてみる。庭全体がよく見えた。そのためにここに配置したのだなと思う。
自分が幼い頃にはこんなのなかったなとシルヴィアはワクワクした。だけどそれは長く続かなかった。
「シド様、ここにいらしたのですね。旦那様がお呼びです。すぐにいらっしゃってください」
屋敷で働く二十に成り立てのメイドが息を切らしてやってきたのだった。驚きを顔に出すシドを庇うようにアルベルトは前に出る。
「お待ちください。本日シド様はお休みをいただいております。どのようなご用件なのでしょう」
にこりと笑うアルベルトにメイドは困ったように顔を歪めた。
「私も詳しくは存じませんが、お仕事に関する急ぎのご用事ですぐにお連れするように伺っているのです」
「そうですか。しかし…」
「アルベルト。父さんのもとに行くぞ」
「いいのですか?」
アルベルトは心配気にシルヴィアに問うた。シドと交代して向かうのが一番だが、目の前のメイドはそれを許してくれないだろう。
そうなるとシルヴィアがシドの代わりとして行くこととなる。当然、彼女に実務の経験はない。代わりが務まるのだろうか。
それにシルヴィアにとってエルヴィスは自分を閉じ込めてる相手でもある。そんな人物にシドを演じながら会うことが彼女にできるのか。
あらゆる懸念を胸に浮かべたアルベルトだったが、シルヴィアはそれを一掃する笑みを見せた。
「緊急ならば仕方ないだろう。あまり彼女を困らせるな。詳しいことは父さんから聞く」
「あ、ありがとうございます」
石づくりのベンチから立ち上がったシドにメイドはホッとしたようにお辞儀をした。
先頭を行く彼女の後をついていきながらシルヴィアは心配そうなアルベルトに声をかけた。
「大丈夫だよ」
それからウインクをして見せる。イタズラっぽい仕草にアルベルトは少しだけ強ばった表情を緩めた。
メイドはエルヴィスの部屋の前で一礼をし去っていった。残されたのはシドとアルベルトの二人である。シドは一呼吸つくとノックをし部屋に入室した。
「遅いぞシド。何をしていた!」
とたんに響く声は記憶の中にあった父とさほど変わらなかった。怒鳴られた衝撃よりもそれを思う方が早かった。
「申し訳ありません。自室ではなく庭の方におりましたので連絡を受けるのが遅くなりました」
一歩下がった位置にいたアルベルトがシドの代わりに答える。シルヴィアはそれに合わせて頭を下げた。
「あなた、シドは本来お休みなのですよ。それは少しくらい時間もかかります」
そんなエルヴィスを嗜める人物がいた。彼の妻のエレーナだ。彼女に窘められ、エルヴィスは落ち着きを取り戻す。
「ああ、それはそうだな。大きな声を出してすまない。急な来客が出来てしまったのだが、私とエレーナは社の方で会議がある。来客はお前に任せたい」
「僕にですか」
「ああ、そんなに難しい内容ではない。お前も私についてまわっていたから充分対応できるはずだ」
目の前にいるのがシドではなくシルヴィアだということは彼らも気づかなかった。
忙しさとシルヴィアが外にいるはずないという思い込みだろう。それは都合が良かったが今はまずい。
「分かりました。僕が何とかします」
「助かる。客はこの間のプロジェクトの関係者だ。お前も何度かあったことがあるから分かるだろう。プロジェクトのその後の話をしに来るんだが、それは私が戻るまで待て。すぐ戻るからそれまでの時間を繋いでくれ」
「分かりました」
「では任せる。相手はもう来る。応接室で待機してなさい。行くぞエレーナ」
「はい。後でねシド」
二人を見送ったシルヴィアにアルベルトは眉値を寄せた。シドと交代する時間はないだろう。彼女に何とかしてもらわなければならない。
「アルベルト。プロジェクトには兄さんと一緒に関わっていたね。時間がない、見せて」
シルヴィアはアルベルトの能力を知っていた。今から関わる相手のことを少しでも知っておきたいというのだった。
その顔はとても真剣で迷うことがない。シドの代わりを勤める覚悟が決まっていた。
「かしこまりました」
「うん。ありがとう」
アルベルトは自分が知る限りの情報をシルヴィアに与える。シルヴィアは移動しながらも流れ込む情報を逃さないように脳をフル回転させた。
そのおかげあってか、シルヴィアはエルヴィスとエレーナが戻ってくるまでの間、関係者の接待を勤めあげたのだった。
両親が戻ってきたことで部屋に引き上げたシルヴィアにアルベルトは問いかける。
「よく凌ぎましたね」
「アルベルトが見せてくれた記憶のお陰だよ、後、少し能力を使った」
罰が悪そうな顔をするシルヴィアにアルベルトは称賛の言葉を送る。
「いえ、初めての場でしたのにも関わらず、あれほどの対応が出来るとは驚きました」
「アルベルトにそう言ってもらえると嬉しいよ。…さて、そろそろ戻らないとね」
大きく伸びをしてシルヴィアは当たり前のように立ち上がった。
「お戻りになるのですか?」
「うん。兄さんも休めたと思うし代わるなら今だよ」
確かにエルヴィス、エレーナ夫妻が仕事で応接室にいる間の今がチャンスだが、アルベルトは複雑な気持ちになる。
「このままここにいるわけにはいきませんか?」
アルベルトの言葉にシルヴィアは驚いて目を開く。しかし、すぐに首を横に降った。
「ううん。兄さんを置いておけないでしょ。今日は楽しかったし私は戻るよ」
「そうでございますか」
「うん。アルベルトがそんなこと言ったって聞いたら兄さんも驚くだろうな」
「ありがとうございます」
今、自分はまずいことを言った。とアルベルトはやっと気づき口元を押さえるがもう遅い。
シルヴィア様がこのままここにいることは、シド様があの場にとどまることを意味する。私はそれを提案してしまったのだ。
「内緒にしておくよ」
「ありがとうございます」
そんなアルベルトの様子を見てシルヴィアは微笑んだ。
楽しかった一日は終わり、シルヴィアはシドと交代するために部屋に戻ったのだった。
素直で優しく聡いシルヴィア様。ご自身の幸せなど考えずに周りを優先させる健気なお方。
シルヴィア様をお支えしたい。この時私は強くそう思った。