アイヴァーとの話
視察が終わりシドとセスはセスの自室として使っている部屋にいた。クローバード社の重鎮達の反応に手応えを感じた二人の表情は明るい。
「あの分だと問題ないでしょう」
シドはアリアがいれてくれた紅茶をすする。彼女は今は部屋におらずモニターテストの片付けにいっている。
「これでレーヴンヴァイスも正式に活動ができそうだね」
部屋にはいったとたんにシドとセスの口調は逆転する。これは以前、シドがそうしてほしいと望んだ結果だ。
「はい、残りの重鎮達の視察もありますから少し気は早いですけどね」
「確かにそうだね。まだ気は抜けない」
セスはお茶うけのクッキーをひとつつまむ。残りの重鎮である四人は明後日に視察を行う。会議でも釘を指したし、視察をすれば反対意見がでないであろうことはシドには読めているが、油断は禁物だ。それにこれからの話次第ではレーヴンヴァイスのことも白紙に戻る可能性があるのだ。
「セスさん、お話があります」
「そうだと思ったよ。あのじいさんとの話だろ?」
セスはシドがここに残ったのが、校長との賭けの話があるからだと推測していた。
「そうです」
シドは賭けのことをセスに話した。校長との賭けには勝利したこと。これからはクラスタを大事に過ごしてくれそうなこと。それから彼の家族の行方だ。
「残念ながらフェルデールさんは亡くなってました。ですが、パトリシアさんとフェイロンさんは近くで生活しています。場所もはっきりしました」
セスの顔には喜びや困惑や動揺などいろんな感情が浮かんだ。だけど、それを言葉にすることはなかった。ただ一言「そうか」と呟く。けど、そこには安堵が感じられた。
「フェイロンさんはセスさんと暮らすことを望んでいるようです。あの日のことを後悔しているとも聞いています」
シドが言うことをセスは黙って聞いている。シドは続けた。
「だから、もしフェイロンさんと暮らしレーヴンヴァイスを離れるのならば僕にはセスさんを止める権利はありません」
「ああ、だからそんな深刻な顔をしているのか」
セスは思い詰めた顔のシドを見て、やっと意味が分かったというように笑った。
「フェイロンには会いたいけどレーヴンヴァイスを離れるつもりはないよ」
「セスさん?」
その答えが意外だったシドは弾かれたようにセスを見上げる。
「僕はこれでも僕や皆を守ろうとしてくれたシドに感謝しているんだ。だから、出来る形で返していきたいと思った。レーヴンヴァイスとして働くことでそれが出来るのなら僕はここを離れる気はないよ。守るべき子達もいるからね」
それが無理や強がりではなく心から言ってくれている言葉だった。シドは内心ホッとした。口ではああ言ったけどレーヴンヴァイスにはセスが必要だとシドは感じていたからだ。
「僕の目的である能力をなくすことの研究もできそうだしね。この環境は僕としてもありがたいんだ。だから、フェイロン達には会いに行くけど辞めはしないよ」
「分かりました。これからもよろしくお願いします」
「よろしくね」
シドが差し出した手をセスが握る。握手を交わすとシドはもうひとつの目的のために口を開いた。
「セスさん、アイヴァーは帰ってきてますか?」
「恐らく戻っていると思うけど何かあったのかい?」
「少し話がしたいんです」
「訳ありか?」
「はい」
シドがアイヴァーを指名したことをセスは意外に思ったが深くを聞くことはしなかった。必要だったらシドは自分に話してくれる。彼が話さないということは今はまだその時ではないのだ。
「分かった。僕からアイヴァーに伝えておくから君はここで待っていて」
「ありがとうございます」
セスはシドを自室に残してアイヴァーを探しにいった。探すといっても場所はもう分かっている。視察の後片付けか自室だろう。
その気になればどこにでも行ける彼だが、あまり出歩くことはしていないようなのだ。どちらかと言えばインドアなタイプなのかもしれない。
「アイヴァー、今日はお疲れ様。戻ってきてそうそう悪いけど、シドが君に会いたがっている。ここに呼んでもいいかい?」
「分かりました。どうぞ」
セスの思惑通りアイヴァーは自室にいた。アイヴァーは特に驚くことも聞き返すこともなかった。まるでセスが来ることを分かっていたかのようだった。
「シド、アイヴァーの部屋まで案内するよ」
「ありがとうございます」
シドはお礼を言ったものの立ち上がろうとはしなかった。代わりにセスのことを真剣に見つめる。
「僕とアイヴァーは古い知り合いなんです。僕には彼に聞きたいことがあります」
待っている間に思うところがあったのだろうか。シドが呟くようにセスに告げた。
「最初にセスさん達の組織に近づいたのはアイヴァーがいたからです。だけど、今となってはレーヴンヴァイスを大事にしたいと思ってます」
ああ、なんだ。そんなことを考えていたのか。シドは知り合いがいたからレーヴンヴァイスを救ったと思われたくなかったのだ。きっかけは確かにアイヴァーだったかもしれないが、レーヴンヴァイスを守りたいと思ったことを疑われたくない。そんな気持ちが伝わってきた。
「シド、もういいよ。きっかけがなんだったかなんて気にしてない。僕らが君に助けてもらったという事実を僕は忘れないよ」
「…ありがとうございます」
セスがそう言うとシドは嬉しそうに笑った。シド自身は認めないと思うけど、彼はまだ十五の子供だ。大きな秘密を抱えいつも気を張っている彼をセスは見守りたいと思った。
「さっ、アイヴァーを待たせてる。そろそろ行こう」
手を差し出したのは無意識だった。シドは差し出された手とセスの顔を見比べて目をパチクリとさせた。
「はい」
シドがセスの手をとった。一瞬だけ見せた表情は今までの彼のどれとも違う、少女のような笑顔だった。
「じゃあ、僕はこれで失礼するよ。ゆっくり話してくれ。誰も近寄らないようにするから」
シドの話が彼の秘密関連なのは何となく想像がつく。だとしたら人払いをしていないと話にならないだろうとセスは察した。
「助かります」
シドはそんなセスの好意に素直に甘えることにした。
「じゃあ、ごゆっくり」
セスがその場を去り、残されたシドは深呼吸をしてからドアをノックした。
「はい」
「失礼する」
アイヴァーはシドが入ってきたのを認めると椅子から腰をあげる。
「お待ちしておりました」
かつてクローバード家で働いていた彼は今はセスの部下だ。だが、今は仕えていた時と同じ振る舞いをしている。彼もなぜシドが自分に会いに来たか理解しているのだ。
たがらシドもそんなアイヴァーに対し、かつての主らしい態度で答える。
「こうして話すのは久しぶりだな。アイヴァー」
「そうですね…と言いたいところですが。あなたとはほとんど初対面でしょう」
彼は当時、シドの家族の商談についていった使用人の一人。その口ぶりから自分がシドではないと彼が分かっていることを把握する。
「ああ、確かにそうだな。ここでは少々話しづらいな。場所を変えようか」
人払いをするとはセスの言葉だったが、それでもこの先の話は決して誰かに知られることは出来ない。セスのことは信頼しているが用心したいのだ。
「では、クローバードの屋敷ですか?」
「いや、別の場所…。誰の邪魔も入らないところがいい」
アイヴァーはシドのリクエストに見合う場所があるか検討する。やがて思い付いたのか返事をした。
「かしこまりました」
シドはアイヴァーに手を差し出す。アイヴァーはそっとシドの手に自分の手を重ねた。すぐに視界が歪みシドは見知らぬ場所にいた。
そこは見通しのよい丘であった。夕方ということでオレンジの光が降り注いでいる。確かに人通りはなさそうだが万が一誰かが来たときのためにシドは能力を使う。これで誰かが近づいてきても思考の波ですぐに分かる。シドはアイヴァーに対しても能力を使う。こちらは真実を見極めるためだ。
「聞きたいことがある。父さんと母さんの商談があったあの日。何があった」