思わぬ来訪者
下校時間が近づいてきて、シドはクラスタを中等部の生徒会まで送っていった。
中等部の生徒会室にはエマとヨシュハが残っていて、シドは二人に礼を言ってクラスタを任せてきた。
クラスタは楽しげな楽しげな様子でシドに小さく手を振っていた。
それからシドは高等部に戻り自分の席についていると、ふいに頭に衝撃が走った。
「いい加減にしなさい!話聞いてんの?」
痛くはなかったが、その衝撃に思わず頭を押さえて振り返ると、仁王立ちをして、しかめ面をしたチュリッシェと目があった。足元には彼女のスクール鞄が置いてある。
「えっと…チュリッシェ先輩?すみません、何でしたか?」
シドの間の抜けた返事にチュリッシェは呆れたようにため息を吐く。
「本当に何も聞いていなかったわけね」
「す、すみません」
「だから、会長達はそのまま帰るらしいし、ユウリ先輩はシドがクラスタを送っていった時に顔をだして、その後に帰っていったから、みんなの今日調べたことの報告は明日になるって言ったの」
「分かりました。ありがとうございます」
分かればいいわとチュリッシェは仁王立ちを止め、足元のバックを拾い上げる。
「それで下校時間も近いし、私もそろそろ帰んないとだけど、あんたはどうすんの?」
「僕は…もう少ししたら帰ります」
シドは少し悩んで答えた。チュリッシェはあっけらかんとした感じだ。
「そっ、あんたの考えてること分かんないわけでもないけど、ほどほどにしなさいよ」
「あはは、ありがとうございます」
シドの乾いた笑いにチュリッシェはこれは重症ねと呟く。
シドは先程のクラスタの笑顔と言葉が頭から離れなかった。
(おじいちゃんのこと、大好きなの)
あのクラスタの無邪気な表情を、今回の件で曇らせることになるかもしれない。もちろん、そうならないように考えは張り巡らせるつもりだが、もしかしたら難しいのかもしれない。
そんなシドの考えを知ってか知らずかチュリッシェは軽く毒づく。
「何もそんなに悩んでないで、本当のことがクラスタにバレたっていいんじゃないの?校長先生の本性を知った方があのこのためにもなるかもよ」
「それもそうかもしれませんが…」
それをするにはかなりの抵抗があると、言外に伝わってくる。チュリッシェはやれやれと思いながらもシドの肩を軽く叩いた。
「まっ、時間はまだあるし納得あくまで悩みなさい。これはあんたの戦いだしね」
「ありがとうございます」
「いーえ、じゃ私は帰るけど戸締まりだけはしっかりして帰ってよね」
「分かりました」
シドが返事をするとチュリッシェは颯爽と生徒会室から立ち去った。
「はぁー」
一人残されたシドは椅子の背もたれに深く腰かけて黄昏れる。時間が経つのは早いもので、あっという間に暗くなってくる。
「そろそろ帰ろう」
少しの間そうしていたかと思うと、シドは大きく延びをして、戸締まりをした。そうして、ジェイドの待つ車に乗り込む。
「お疲れ様でさぁ。坊っちゃん?ありゃ、顔色が優れねーようですが大丈夫ですかい?」
「ああ、問題ない」
ジェイドはシドの顔を覗きこむようにして心配そうに声をかける。シドが飄々と返事をしたことで運転を始めた。
「ところで坊っちゃん。お疲れのところ申し訳ありませんがアルベルトから伝言を預かってやす」
「アルベルトから?」
「はい。なんでも坊っちゃんにお客様がおいでだとか…。もしご気分が優れないようでしたら、日を改めることも可能なようでさぁ」
この時間に僕に来客だと?シドは身を乗り出してジェイドに声をかける。
「そうか、僕は問題ない。帰ったらお会いするとしよう」
「分かりやした」
それにしても来客が来ているのにも関わらず、アルベルトから連絡のひとつも来ないとはどういうことだ?
「ジェイド、その客人は誰なのか聞いてはいないか?」
「すいやせん。アルベルトのやつ教えてくれやせんでした。お仕事の関係かもしれやせん。やつが俺に言わないとすればそんなところだと思いやす」
「そうか、分かった」
ジェイドの予想は恐らく当たっているだろう。会いに来たのは仕事の関係者だ。そして、それが正しいとしてシドには思い当たる人物が一人しかいなかった。
「やはり、あなたでしたか」
「やあ」
屋敷についた車をジェイドが止めると同時にシドは車から飛び降りるようにして応接室に駆けた。
ドアを開けた向こうにはシドの予想した通りの人物…セスが優雅に腰かけて紅茶を嗜んでいた。
「坊っちゃん?お戻り早々お騒がしいですね。ナタリーが驚いておりましたよ」
肩にぽんっと手を乗せられ柔らかな口調で紡がれる言葉にシドはぎこちなく振り返る。そこには黒い笑みを浮かべたアルベルトがいた。
「アルベルト、来客があるのなら先に伝えてくれ」
「ジェイドの方からお聞きにはならなかったですか?何はともあれまずはお召し替えをいたしましょうか」
「わ、分かった。セス、また後で来る。それまで休んでいろ」
「ありがたいお言葉感謝いたします。ごゆっくりお召し換えください」
シドがセスに告げると、セスは淀みのない流れるような動作で姿勢を正し頭を下げた。
アルベルトが片眉をピクリと動かしたが、セスに声をかけることはなく、シドを促して部屋に戻った。
「ずいぶんと無茶をされたようですね。アポイントもとらずにやって来た部下に対する態度にはとてもじゃありませんが見えませんでした」
部屋について開口一番にアルベルトは言った。シドにもやってしまったという自覚がある。今回ばかりは素直に項垂れた。
シドはクローバード家の当主であり、クローバード社の社長。多忙なのは皆が知っている。それなのにアポをとらずにやって来た部下に対し、息を切らして身なりも整えず話しかけるなど、やってはいけないことなのだ。
シド自身、アルベルトに言われるまでもなく反省していた。そんなシドの心情を察したのかアルベルトは少しだけ表情を和らげる。
「坊っちゃんもお分かりのようですから、本日はこの辺りにしておきましょう。あまりお待たせするわけにもいきませんですし。さっ、お召し替えをしましょう」
アルベルトはシドのクローゼットから一着のスーツを出す。普段使用している仕事着だ。シドはアルベルトの差し出したそれを無言で着用する。
「それにしても、坊っちゃんなら客人がどなたかご想像がついたでしょう。その上で急いで帰ってこられるというのは、やはり坊っちゃんもお年頃ですかね」
シドの髪の毛を整えつつ、アルベルトは耳元で囁いた。ものすごい反射神経でシドが振り替える。
「そんなわけあるか!」
「作用でございますか」
予想していたのかアルベルトはどこ吹く風だ。顔には楽しそうな笑みを浮かべている。
「さっ、ご用意が整いました。応接室に向かいましょう」
シドがまた口を開く前にアルベルトは彼を促した。上手くあしらわれたシドは不機嫌そうな顔をしたが気を取り直しアルベルトの前を歩き出す。
「坊っちゃん申し訳ありません。ヘザー達に坊っちゃんがお仕事中であることを伝えて参ります。彼には私からも話がございますので、先に話を進めていてください」
「分かった」
アルベルトは足を止め先に行くシドの後ろ姿を見送った。実際はヘザー達にはすでにシドか仕事であることは伝えている。少しの間、二人だけで話をさせてやろうという気遣いだ。
シドとセスが上司と部下のような話し方をしていないことに、アルベルトはとうに気づいていた。しかし、自分の前や公の場ではわきまえた立ち振舞いをしているため、二人で話をしている時くらいはと目をつぶったのだ。
シドがセスのことを慕っているのは見てとれる。学業よりも仕事を優先する彼に特定の友人は少ないので、セスのような存在も坊っちゃんには必要だとアルベルトは思う。彼もなんだかんだと言いながらもシドのことを一番に考えている。
「さて、お部屋の掃除でもいたしましょうか」
アルベルトは踵を返しシドに呼ばれるまでの段取りを頭に浮かべた。