パトリシアからの情報収集
「私が高等部の一年生としてプロトネ学園に入学した時あの人は二年生だった。生徒会に所属した時には色々とお世話になったわ。私にとって憧れの先輩。けどそれだけだった。別に恋に進展なんかしなかった」
彼女が語り始める。その声には迷いも戸惑いもない。
「当時は私も年頃の女の子だったからあの人と別の人と思いあっていた。当時の生徒会長だった人よ。私は副会長だったから、よく話している内に付き合うことになった。って、こんなおばさんの恋バナなんて長々話すものではないわね」
パトリシアは突然我に返ったようにシドに言った。
「いえ、そんなことはないです。続けてください」
シドはにっこり笑ったが彼女は照れが生じたのか、話を少し飛ばしたようだった。
「色々あって、大学部を卒業前にその彼とは破局したんだけど、そんな時にフェルディールさんとの婚約の話を両親にされたわ」
色々の部分はそんなに影響はなさそうだったので続けてもらう。
「クーララ家の息子の婚約者にならないかと言われたかしらね。ごめんなさい、その辺りはあまり覚えてないの。ただ失恋して傷ついていた頃にそんな提案を受けたものだから、なんかどうでもよくなって頷いたことは覚えている。彼のことは私もよく知っていたし嫌いではなかったから」
「そうでしたか」
恐らく失恋により自暴自棄になって親の言う通りに婚約したのだろう。校長がそこまで計算してパトリシアの両親に話を持ちかけたかは分からないが、彼にとってタイミングはかなり良かっただろう。
「それから婚約しそのまま結婚した。そこまでは順調だった。フェルディールさんも優しくしてくれたから辛いとは思わなかった。ただ彼には他に思い人がいたようだったけどね」
フェルディールの思い人。セスの母親だろう。紅茶をちびちび啜るパトリシアにシドは問いかける。
「フェルディールさんからそう聞かされたんですか?」
「いいえ、だけど毎日見ていれば分かるわ。女の勘って奴かしらね。シド君も女の子の勘には気を付けた方がいいわよ」
そう言ってウインクする彼女。シドの秘密はばれていない様子だった。このままバレないで済めばいいが。彼女の能力のこともあるので言動には殊更気を付けようとシドは密かに思う。
「確かにそうですね」
「あら?心当たりがあるのかしら?」
「ちがいますよ!」
「そう?じゃあ、続けるね」
シドをからかったパトリシアは楽しそうだった。彼女にとっては辛い話題なのは分かっている。少しでも明るくなれるのならそれでいいともシドは思っていた。
「子供が……フェイロンのことは知ってるかしら?」
「はい。聞いてます」
「そう。フェイロンが生まれた頃には、もうとっくに彼に思い人がいることには気づいていた。どんな理由があったのかは知らなかったんだけど、セス君が家に来た辺りから何となくフェルディールの雰囲気が変わったの」
「どんな風にですか?」
「そうね……とても嬉しそうだった。その頃にはもう私たち夫婦はあまり話さなくなって、彼も部屋にいることが多くなっていた。それでも目に見えて気づくくらいには生き生きとしていた」
「そんなにでしたか」
それならば、校長にも勘づかれそうなものだが、セスの話を聞いた時には校長は気づいてなかったようだ。多分、息子を当主にさせることしか頭になかったんだろう。
「それで私達夫婦も少し距離が縮まってクラスタが生まれた。その少し後ね。セス君が屋敷から消えたのは」
その理由をシドはセスから聞いていた。だから無言で頷く。
「それから半年くらいして、今度はフェルディールがフェイロンと二人でいなくなってしまった。これが私が知っている経緯よ」
「ありがとうございました」
話をし終わったパトリシアはクッキーの袋を一つ破いて口にした。シドにもそれを進められたので同じように一つ手に取る。
「話しづらいことを初対面の僕になんて話してもらってありがとうございます」
「いいえ、先輩として協力するって言ってしまったものね。何か質問はあるかしら?」
「そうですね……」
彼女が知らないセスがいなくなったところの部分はセスからの話で補完できる。気になるとすればその後だ。
「フェルディールさんとフェイロンさんがいなくなる半年の間、何か変わったことは?」
「あの人は何か考え込んでいるような様子だったけど、それがなんだったのかまでは分からない」
「そうでしたか。では、フェルディールさんとフェイロンさんの居場所はご存じですか?」
シドが聞くとパトリシアは無言で首を横に降った。
「知っていたら、私はここにいないわ」
「そうですね。パトリシアはそのここに戻ってきたんですよね?」
「ええ、フェルディールさんとフェイロンがいなくなって私はあの男に追い出されたの。両親を人質に取られてね」
「人質ですか」
また、物騒な言葉が出てきたものだ。これまでに校長はどこまでのことをやってきたのだろうか。パトリシアは今この場に両親がいないことを確かめるように周りを見た。
「そうよ。クラスタを置いてこの屋敷から出ていけと言われたの。もちろん抵抗したのだけれど、両親がどうなってもいいのかと脅された」
ここでも脅迫紛いのことをやっていた校長。もはや、ある種の才能さえ感じさせられる。
「あの男はクラスタを置いていけば両親は無事に済むと私に言ってきた。クラスタはあの男に可愛がられていたからあの子は安全だと思った。だから少しの間だけ話に乗ったふりをして両親の安全を確保してからクラスタを迎えに行くつもりだったの」
クラスタの安全が間違いなくて両親に危険が迫っているかもしれないのなら、自分でもそうするなと思いシドは頷く。
「両親に事情を話して二人の安全を確保して、それでクラスタを迎えに行ったわ。ここまで一ヶ月くらいだったかな。でも、クラスタを連れ戻すことは出来なかったわ」
パトリシアはうつむく。やや涙声になっているような気がした。
「当時、あの男とクラスタはまだ屋敷にいて、使用人もたくさんいたわ。それで、私がクラスタを迎えに来ることを察していたあの男が、使用人を使ってことごとく邪魔してきたの」
例の夢見の能力かもしれないが、当時の校長の対応は完璧だったようだ。屋敷にやって来るであろうパトリシアのことを、彼女を名乗った偽物だと通達して使用人に近づけないように言った。
能力にこだわる校長のことだったので、使用人にも強力な能力を持つ者がいて、何度も屋敷に行っていたが、クラスタを取り戻せなかったようだ。
「そうでしたか。辛い思いをされましたね」
すすり泣く声が聞こえる。シドは彼女に出来るだけ優しく声をかけた。
「本当に……何度も行ったの……。けど……ダメだった。そのうちにあの屋敷も……人が住まなくなったわ。……使用人の行き先も……あの男とクラスタがどこで暮らしているか……私には分からない」
嗚咽を堪えるように彼女は言った。聞いているシドも辛くなった。何せ、見ているだけでなく能力を使っているので、彼女の気持ちがダイレクトに伝わってきていたのだ。
これ以上の話は続けられないとシドは判断し彼女に告げる。
「パトリシアさん、今日はありがとうございました。辛いお話をたくさんしていただいてすみませんでした」
「いえ、いいのよ。シド君にはあの男に負けてほしくないから」
目を少し赤く腫らした彼女はもう泣いてはいなかった。
「僕は負けませんよ。校長先生との勝負に勝ってみせます」
「ええ、頼んだわ」
パトリシアが頬笑む。彼女はプロトネ学園の制服を着た少年が来た最初から、この話を聞いてほしかったのかもしれないとシドはおこがましくもそう思う。
だって、今の彼女はすごく晴れやかな顔をしていたから。
「これはパトリシアさんにプレゼントします。協力してもらったせめてものお礼です」
「……ありがとう」
シドはプロトネ祭の時の写真をパトリシアに渡す。キーツを通して写真部の方から譲ってもらっていて良かった。
最初は口実にしていたが、その写真を愛しそうに見つめているパトリシアを見てシドは思った。だから思わず言ったのだろう。
「この件が終わったらまた遊びに来てもいいですか?……今度はクラスタも連れて」
「ええ、もちろんよ」
シドの言葉にパトリシアは今日一番の笑顔を見せてくれた。実際にクラスタを連れてくるのには、もしかして色々と難しいかもしれない。
彼女もそれは分かっているような風だった。それでもシドは本心から実現させたいと思ったのだ。
「では、また近いうちにお会いしましょう」
「ええ、待っているわ」
こうしてシドはパトリシアの家を後にしたのだった。