校長との会食
「やぁ、お待たせ」
そんな気軽な掛け声と共に生徒会室に校長がやって来たのは七時半頃のことだった。キーツと二人書類を片付けひと息ついた頃に現れた彼は、コートを着込み鞄を手にしていた。
「いえいえお疲れ様です」
キーツが立ち上がり挨拶をした。シドは頭をペコッと下げる。
「遅くまで残してしまいすまなかったね。お詫びもかねて二人を食事に招待しよう。準備したまえ」
「えっ、それは…」
反射的に声を出したシドを制止、キーツが話す。
「いえ、お忙しいのにお止めしてしまったのは僕らです。お気になさらないでください」
遠回しにキーツが食事の席を辞退する。校長はおおらかな笑顔をしたが引かなかった。
「そうは言わずに。日頃から頑張ってくれている君達にご褒美があってもいいだろう?この子もこんな老いぼれと二人きりより先輩達も一緒の方が楽しいだろ。なぁ、クラスタ」
校長の呼びかけに彼の影から小さな女の子が姿を表した。クラスタである。校長の影になっていて気づかなかったが、ずっと彼の後ろにいたらしい。今日は使い魔のムウムウの姿は見えない。
「お兄ちゃん達が一緒なのは嬉しいの」
そう控えめに主張したクラスタは発言すると校長の影からもじもじとシド達の様子を伺っている。
「孫もこう言っていることだしどうかな?シークレットジョブのことと言っていたがクラスタも中等部の生徒会だ。話しても問題ないだろう?」
シドとキーツは目配せをする。「流石に断ることはできない」と二人の考えが一致したことが確認できた。
「はい。ぜひご一緒させてください」
「お世話になります」
キーツがにこやかに言い、シドは礼儀正しく挨拶をした。
「そうかそうか良かったよ。さっ、荷物を持っていこうか。表に車を待たせてある」
校長が大きなお腹を震わせて笑う。二人は急いで荷物を持って前を行く校長の後を追った。
校長にくっつくようにして歩くクラスタがチラチラと後ろを確認しながら進む。
校長に促され学園の校門に横付けされた車に二人は乗り込んだ。
「さぁ、ここだよ」
車に揺られて十二、三分。たどり着いたのは高級感が漂う一件のお店だった。学生服で入るのには少し躊躇しそうな場所ではあった。しかし、ここに集まる面子はプロトネ学園の校長、その孫娘。クローバード家の御曹司、ラドウィン社の末息子とあらば役不足な感じは全くしない。
誰もが臆することなく店の中に入っていった。
車内ではシークレットジョブに触れることはなく、学園生活など当たり障りのないことを話していた。だからここからが話しの場となる。
店の中は完全個室だった。受付をした後で席に案内されるシステムだ。校長はどうやら予約を済ませていたようですんなりと通された。
シドとキーツが増えることも事前に言っていたようだ。食事を断られることはハナから考えていなかったのだろう。
「さぁ、好きなものを頼むといい」
校長と彼の隣にクラスタ。向かい側にキーツとシドと言う並びで椅子に座る。個室だが空間は広くとってあり、圧迫間は少しもない。
シドとキーツは二人で一つのメニューを見る。反対側ではクラスタがキラキラした顔で同じくメニューを見つめていた。
店構えや内装は高級感があったが、メニューの中身としては洋食を中心とした馴染みのあるものが多かった。しかし、素材などにこだわっているためか値段はそれなりにするようだった。
正直、シドはこの成り行きに着いていくのとセスの組織のことで頭が一杯だったため食欲はあまり感じていなかったが、せっかくなのでサラダと日替わりのパスタのセットを頼むことにした。
パスタはキノコをふんだんに使ったクリームパスタで寒い冬にもぴったりなメニューだ。
キーツは肉がゴロゴロと入ったビーフシチューのセットを頼むようだ。高校生男子らしいがっつりメニューだった。
クラスタは楽しげにじっくりメニューを見ていたが、最終的には海鮮がたっぷり入ったグラタンに決めたようだ。
校長はメニューを見るまでもなく決めていたようで、チーズがたっぷり乗ったボリューミーなハンバークセットを頼んでいた。これが好きなんだと彼は笑みをこぼす。
そうして各々が料理をオーダーし、待ち時間も学園の話をしていた。本題にはまだ入らない。
「ちょっとお手洗いに」
シドは料理を待っている間、トイレに行くため席を外した。この間にアルベルトと連絡を取りさらにもう一人と通話をする。
「お待たせしました」
戻ってくるのにさほど時間はかからず、何も怪しまれずに済んだのは良かった。
そして料理が運ばれてきたのを見てクラスタが目を輝かせる。そんな様子の彼女はとてもじゃないが、シークレットジョブの内容も今日シドとキーツがここにいる理由も知らないように見えた。
この場で一番楽しんでいるのは間違いなく彼女だろう。シドはそれを眩しいものを見るように目を細めて見た。
頼んだ食事にはみんなが満足させられた。上品な盛り付けではあるがボリュームはあり、繊細な味が舌を楽しませた。料理を食べ終えるまでの間、皆の言葉数が少なかったのも仕方がない。
そうして、料理を堪能しデザートを頼む算段となった。校長とキーツは食後のコーヒーを頼み、クラスタとシドはそれぞれ違う種類のケーキを頼んだ。
シドも二人にならいコーヒーだけにしようかと思ったが、それではクラスタが一人でケーキを食べることになると気づき考え直した。彼女はシドのことをじーっ見ており、シドがケーキを頼むと安心したような顔をしたので、この選択は正しかったのだろう。
「さて、満腹になったところだし、君達の話を聞こうか」
コーヒーをすすり大きなお腹をさすりながら校長は二人に声をかけた。
ついにこの時が来たとシドとキーツは顔を見合わせる。このまま話を行うのに不安要素が一つある。
それは言うまでもなく、クラスタの存在だ。このシークレットジョブはハッキリ言ってしまえば彼女の家族間で起きている問題だ。無邪気にケーキを頬張っている彼女はそれを知っているようには見えない。
そんな彼女がいる場でこの問題を口にすることはどうなのだろうか。校長はシドとキーツがこうして戸惑うのを見越してクラスタを連れてきたのだろうか。
「そんなに話しにくいことなのかい?」
校長の目付きが怪しくなってくる。いつまでも黙っているわけにはいかないとシドは口を開く。
「今日は僕達のために時間を割いてくれてありがとうございます。クラスタもせっかく校長先生と二人だったのにお邪魔してすまなかった」
「ううん、お兄ちゃん達と一緒で楽しかったの」
「それで本題の相談の方だったのですが、今日の昼休み先生と話したことで少し訂正があり…」
ポヨポヨポヨポヨ。シドの声を遮るようにして、そんな音が鳴り響いた。クラスタが制服のポケットを慌てて押さえる。
「ご、ごめんなさいなの」
皆の注目を受けクラスタはさらに慌てる。見かねた校長が彼女に声をかける。
「誰かからの連絡だろう。出るといいよ」
クラスタは未だポヨポヨと鳴り続ける魔道具を握りしめ、シドとキーツを見た。
「どうぞ」
「俺らのことは気にせずにな」
シドとキーツがそれぞれ答えるとクラスタはあたふたしながら魔道具で通信を始めた。
「はい、クラスタなの。えっ…そうなの?…すぐ…しな…と」
席から離れながら会話しているので、段々と何を話しているのかは分からなくなった。
校長も通話の相手までは分からないようだ。その反応にシドは助かったと胸を撫で下ろす気持ちになった。あのまま話し続けていたら正直危なかった。
キーツはシドが何とかすると思い動かないようだったし、クラスタも帰る気配が感じられなかったから、このまま話すしかないとも思ったが、間に合ったようで良かった。
「おじいちゃん!大変なの!ムウムウちゃんの様子が変らしいの!迎えにいかなきゃなの!」
普段、大声なんか出しそうもないクラスタが校長の服の裾を引っ張り潤んだ目で訴える。そんな彼女に校長は優しく声をかける。
「落ち着きなさい。ムウムウの様子がおかしいと連絡が入ったのかい?」
「そうなの!ヨシュハお兄ちゃんから連絡が来たの!」
早く早くと袖を引っ張るクラスタに校長は困ったようにシドとキーツを見る。キーツが代表して答える。
「ムウムウというのはクラスタの使い魔でしたね。それならば彼女が診てあげるのが一番ではないですか?俺達のことはお気になさらずにしてください。今日お話ししたかったことは改めてご連絡します」
しかし、校長は浮かない顔をしている。
「そうしたいのだが、私もあまり時間がとれなくてね…」
どうしたらいいかと校長が考えていると慌てていたクラスタが我に帰ったようで提案をした。
「おじいちゃんはお兄ちゃん達のお話を聞いてあげてなの。クラは一人で帰れるの」
必死な様子の彼女とシドとキーツの二人を見比べるようにして校長は決断したようだ。
「分かった。クラスタ、私は二人の話を聞いてから帰るから気を付けて帰るんだよ。車まで送ろう、二人とも少し待っていてくれるかい?」
校長の質問に二人は揃って了承した。
「うんなの。お兄ちゃん達、今日はありがとうなの」
クラスタはムウムウのもとに迎えると小さく笑顔を浮かべて二人に挨拶をした。
「こちらこそありがとう。ムウムウのこと診てあげてくれ」
「ありがとうだな。気を付けて帰るのだぞ」
二人もそんなクラスタに別れの言葉をかける。彼女は小さく頷くと校長に付き添われ車に戻った。