メール
12月の半ばを過ぎた頃、神田は木野花咲姫から再びメールを受け取った。
宮島観光推進協会 神田様
大晦日や初詣の準備は順調に進んでいますか? 宮島は、わたしがお仕えしている八頭神社様と違って、多くの観光客をお迎えになるのでいろいろとご苦労もおありだと思います。でも、秋の台風以来の疲れもたまっていると思いますので、あまり無理はされませんように。
「確かに最近ちょっと疲れ気味かな」神田は頭をグリ、グリと左右に傾けた。
宮島の大晦日には鎮火祭という大きなイベントがあるようですが、富士吉田にも「吉田の火祭り」と呼ばれる鎮火祭があります。八頭神社様近くの北口本宮富士浅間神社様の秋祭りです。お祭りでは街中が炎で被い尽されるほどの松明が焚かれます。
ところで、ネパールのキャシーからメールが来ました。驚かないで下さい。キャシーは、郷戸さんと会ったようです。
「エッ!! 郷戸!!」神田は「郷戸」という文字が目に飛び込んだ瞬間、顔をモニターに近づけた。
キャシーは、若い頃、バンコクでトラブルに巻き込まれ、その時、郷戸さんに助けられたことがあるのだそうです。郷戸さんは「ゴウド」と名乗ったようですが、その頃のキャシーは日本語がまだ十分理解出来ず、「ゴッド」と聞き間違え、自らを「神」と名乗る不遜な日本人として強く印象に残ったようです。そして、ネパールでも再び郷戸さんに救われたというのです。
「救われた? どういうことだろう? 何故、郷戸がネパールに?」
これで分かりました。キャシーが剣道や拳法、空手に関心を持つ理由が。郷戸や山口さんの影響です。
そして、まだあるのです。その時、キャシーと一緒にいた人が、日本人で、ミスター・タラという人だそうです。ミスター・タラ、どう思いますか?
「タラ? タラ!! まさか修道館大学山岳部の?」
「ミスター・タラ」ってひょっとしてあの時の多良さんではないでしょうか。そんな気がします。
「多良さんは確かにヒマラヤに縁のある人だが・・・拳法部の山口さんもネパールにいた。どうして彼らがネパールで次々と・・・」神田は「出会うのだろう」という言葉を飲み込んだ。
この時、神田も咲姫も、新聞部部長だった神代までもがネパールにいて、キャシーや多良と知己になっていることなど想像だにしなかった。
わたしは来年にはネパールへ行くつもりです。行かなければならないと強く感じるのです。木野花咲姫としてでなく、木野花咲姫として。
神田君もご一緒出来たら、と思います。山口さんもきっと喜ばれると思います。
咲姫のこの言葉を聞くと、神田は右手でみぞおちあたりのシャツを掴んだ。「山口さん、ネパールのどこに眠っているのか・・・。それに、何故ネパールで? 宝物館に保管されていた「鉄の棒」を、大男が盗み出して以来、俺の周りには次々とおかしなことが起きる」
以前お話したように、熱田神宮様にお祀りされていた「鉄の棒」は明治天皇様の勅命を受けた、時の内閣総理大臣、山県有朋の蜜命により、エルトゥールル号の乗組員をオスマントルコへ送り返す途中、寄港地のインドからネパールへと持ち込まれました。
私は、残りの2本の鉄の棒は、神田君が出会った大男によって、すでにネパール国内に持ち込まれているものと思います。
でも、これまでの経緯から推測しても、中国は三本の鉄の棒が揃うことを望んでいないようです。
「確かに、彼らは日本にある鉄の棒を力ずくで奪おうとした。明らかに中国という国家が絡んでいるとしか思えない。どうして?」
宮島には、観光客で賑わう表参道の1本内側に「町屋通り」と呼ばれる通りがある。土産物屋が建ち並ぶ「表参道」と違って、「町屋通り」は、昔ながらの風情が残る旧家が並び、今は宮島の下町散策コースとして人気がある。今でこそ、観光客の姿も見かけられるようになったが、以前は、食料品店や衣料品店などが並ぶ宮島島民の生活通りであった。
神田の家は、その通りの中ほどにある。通りに面した1階は、以前は父親の作業場になっていた。父親は宮島細工の職人であったが、数年前に亡くなり、今では作業場の半分は普段使わない日用品を保管する納戸になっている。隅のシートの下には父親の使っていた木を削る「ろくろ」と年季の入った木製の道具箱が3箱積み上げられている。その道具箱の中には何十種類ものカンナやノミが入っている。
父親は生真面目な性格で、1日の終りには必ずその日使った道具の刃を研いでいた。
神田は幼い頃、父親の仕事が「刃研ぎ」で終わることが分かるようになると、父親のそばに行き座り込んでその作業をじっと見ていた。
「この刃はのー、出雲の鋼じゃ。出雲の鉄は日本一じゃけえのー」と、神田が父親の近くに座る度に自慢げに言っていたことを今日はふと思い出した。
作業場を通り抜けると奥にある台所に声をかけて二階に上がった。そして、書斎の机の上のパソコンのスイッチを入れ、そのまま窓に向かい、窓越しにライトアップされた朱の大鳥居を見、窓を10cmほど開けて冷たい風を部屋に入れた。ジャージの上下に着替え、綿入りの半纏を羽織るとパソコンの前のチェアーに座った。
神田は事務所から転送したメールを開き、窓からの風で顔を冷やしながら、咲姫からのメールを読み返した。
「一体どういうことなんだろう?」神田の顔の火照りは大野灘の潮気を含んだ冷たい風でも治まらなかった。
「大男や中国、彼らは何の目的で鉄の棒を手に入れようとしているのだろう?」
咲姫のメールの最後はこう結んであった。
「神田君、このままで行くと、ネパールで大変なことが起きる気がします」
神田は、これまでの咲姫の予感は全て当たっていることを思った。顔の火照りは一気に引いた。