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老人

 神代こうじろがそう言うのを聞くと、多良たらは、

 「神代、お前、他人の身を案じるより自分のことを考えろ」と、体を起こして言った。

 神代は、

 「どういうことだ?」と、腕を下ろして多良の顔を見た。

 「表にカロ・ラリグラスの男達が張っとる。あいつらはお前をみ見張っとるんじゃ」多良は顔を神代に近づけて言った。

 「俺を?」

 「そうじゃ。こそこそ聞き廻っとるんで目をつけられたんじゃ」と、神代の行動を見ていたかのように言うと、

 「危ないぞ」と、付け加えた。それを聞いた神代は、いくぶん顔を強張こわばらせ、

 「ほんとかよ」と額の包帯に手を当てた。


 多良は真剣な顔をして神代を見た。

 「慎重に行動せえよ」

 神代も、顔を引き締めた。

 「分かった。ありがとう」


 「ところで多良。お前はこんなところで何してるんだ?」

 「見りゃわかるじゃろ」多良は、右足を上げて登山靴を見せた。

 「山登りじゃ」そう言うと、左足も上げて、両足首から先をクルクルと回して履いている傷だらけの登山靴を見せた。

 それを見た神代は、

 「相変わらずだな、お前も。ハハハッ」と笑い声を上げた。

 「ところで、誰かに会うか?」多良は学生時代の友人達の消息を聞いた。

 「ああ、いつだったかな、もうずいぶん前だ。咲姫さきちゃんに会ったよ」神代は、広島の平和公園で咲姫に会ったことを思い出した。

 「なんでも、学生時代に下宿していた叔父おじさんの葬儀があったとかで広島に行ってたんだ」神代は、傷がまだ痛むのか、再び右手を包帯の巻かれた額に当てた。

 「へー。で、お前はそこで何を?」

 多良の問いかけに、

 「俺は、平和公園の慰霊碑にカストロが献花するって言うんで、待ってたんだ」と、多良を見た。そして、微笑を浮かべて、

 「ゲバラの写真を持ってな」と続けた。


 多良は不思議そうな顔をした。

 「ゲバラの写真を持って?」

 「そうさ。俺は、カストロはゲバラと一緒に献花したいだろうと思ってな」

 多良は、興味深そうに、

 「へー、で?」と、話の続きをうながした。

 神代は愉快そうに、

 「ひっつかまっちまった」と、笑った。

 「ははは。お前らしいのぉ」多良も、神代の笑い声にあわせて声を出して笑った。

 「しかし、カストロは、実際、ゲバラと一緒に献花したかったんじゃないかな。俺がゲバラの写真を掲げて声をかけたら、こっちに向かって来ようとしたからな」

 「ほー」

 神代は、背中を伸ばして、

 「しかし、カストロは元気だな。こう、背筋がピンと伸びて。あれなら、もう十年くらいはキューバは安泰だな」と言った。

 「資本家どもと共に私は地獄に落ち、マルクスやエンゲルス、レーニンに相まみえるだろう。地獄の熱さなど、実現することのない理想を持ち続けた苦痛に較べれば何でもない」神代こうじろは、眼を閉じたまま一気に言った。


 「何じゃ、そりゃ?」多良は熱があるのか、神代の赤い顔を見た。「いや、熱のせいではないかもしれない。この男は、俺たちがどこかに置いてきたものを、今も持っているのかもしれない」多良はそう思った。


 「カストロの言葉だ。詩人だよな彼は。革命家は詩人であるべきだと俺は思うよ。詩心のない革命家は単なる独裁者だよな」神代はそう言うと多良の目を見つめた。その眼は充血して赤くなっていた。


 「何のお話ですか」キャシーが階段を下りてきた。

 「いやぁ、昔話ですよ」神代はそう言ってニコリと笑った。

 キャシーは、テーブルの上に樹脂製のコップと救急セットを置いた。コップの中には、緑色のペースト状のものが入っている。

 「さあ、薬を塗り替えましょう」キャシーはそう言うと、神代の包帯をほどき始めた。

 キャシーは、神代の傷口に薬を塗りながら、

 「私は、来週から、彼らとナムチェに行きます」と、多良に話しかけた。

 多良は、

 「彼らと?」と、地図を前に打ち合わせをしているオーストラリアのテレビクルー達のほうを見た。


 「はい。10年前にイエティを見た現場を案内して欲しいって頼まれたのです」と、多良を見てニコリと微笑んだ。

 多良は、かつらに手をやって、眼を伏せた。

 そして、キャシーは、

 「ちょうど私も、ナムチェの近くの村に行く予定でしたから」と新しい包帯を巻きながら言った。

 多良は、かつらの頭を掻きながら、

 「実は、・・・私もそっち方面に行きます」と、言った。

 「オゥ、いつですか?」キャシーは包帯を巻く手を止めて多良を見た。

 多良は、

 「えーと」と、一呼吸置いて、

 「来週はパタンで用事があるので、それを片付けてから向かいます」と言った。

 「じゃあ、ナムチェで会えますね」そう言うキャシーの声は本当に嬉しそうだった。


 多良は、

 「その村にはいつ頃まで?」と、キャシーが鮮やかな手つきで包帯を巻く手を見ながら聞いた。

 キャシーは、

 「クリスマスには一度、ここに帰ってきます。一ヶ月ほどカトマンズの病院でネパール人医師の研修をする予定です。それに、来年には、友達が日本からやってくるのです」と、嬉しそうに言った。


 そのキャシーの友人が修道館大学時代の友人であった木野花咲姫このはなさくひめ神田龍一かみたりゅういちであることなど 多良も神代も、この時、思いもよらなかった。


 神代こうじろは、ふたりの会話を聞きながら、眼を閉じて、「どうしたら、郷戸ごうどに会えるだろうか」と考えていた。



 「さあ、これで大丈夫です」キャシーは神代の肩に手を置いて優しく言った。

 神代は、両手を両膝りょうひざの上で揃え、

 「ありがとうございました」と、頭を下げた。

 キャシーは、

 「包帯はしばらく取らないでください。それと、しばらくは激しい運動は控えてください」と念を押すように言った。

 「分かりました。ありがとうございました」神代はそう言うとうなずいた。

 

 そして、キャシーは、多良に、

 「多良さん、ゴッドはどこに住んでいるのでしょう?」と、言いながら、テーブルを挟んだ多良達の前の椅子に座った。

 「さー、分かりませんね」多良は首をひねった。そして、カウンターの中で受付のネパール人と会話しているビクシンを手招きして呼んだ。

 「なんだね多良さん」ビクシンは多良の左横に座った。

 「さっきの郷戸、いや、ゴッドはどこに住んでいるんだ?」


 ビクシンは、

 「私も知らないよ。ただ、・・・」と、一呼吸置いた。

 「ただ?」多良は先を促した。

 「今日みたいな日に現れるから、カトマンズ盆地の中のどこかにいるのは確かだね」

 多良は、

 「あんな目立つ奴の居場所が分からないってのも妙だな」と腕を組んだ。

 それを聞いたビクシンは、笑みを浮かべながら、

 「ふふ、誰もしゃべったりしないよ」と言った。

 「なぜ?」神代は、身を乗り出して多良の左に座っているビクシンに尋ねた。

 「ゴッドだからね」ビクシンの言い方は自慢げだった。





 「さてと」多良たらはそう言うと、立ち上がり、

 「ワシはちょっと片付けなきゃいけない用があるんじゃ」そう言ってテーブルの横に置いていたザックを手に取った。

 神代こうじろも立ち上がり、

 「そうか」と、残念そうな表情を浮かべた。

 多良は、

 「お前の宿はどこなんじゃ?」と、神代に尋ねた。

 「カトマンズゲストハウスだが、今日からこっちに引っ越すよ」神代は上の階を指差した。

 「じゃあ、当分?」

 「ああ、そのつもりだ」神代はそう答えると、

 「お前は?」と聞いた。

 「ワシはパタンの・・・知り合いのところにいる。連絡は取れんから、こっちから連絡を入れる」多良はそう言うと右手を差し出し、

 「じゃあ、またな」と、学生時代と同じように言うと、神代はその手を握り、

 「じゃあ、気をつけて」と応えた。


 ふたりの会話を聞いて、キャシーとジョンが近づいてきた。

 キャシーは、

 「ありがとうございました。ナムチェで会えるといいですね」と、名残惜なごりおしそうな顔をした。

 多良も、

 「そうですね」と言いながら、ふたりと握手を交わした。

 キャシーは、小さな声で、

 「あの件は誰にも言いませんから」と、真面目な顔で言うと、サラッ、と、自分の髪を指でいた。

 多良は、苦笑いしながら、

 「お願いします」と、小さな声で言った。


 キャシーと神代は、多良と一緒にドアに向かった。彼らの後から、ジョンとビクシンも続いた。

 多良がドアを開くと、ちょうど外から誰かが、ドアハンドルに手をかけようとしているところだった。

 そこには、白髪の老人が杖を手に立っていた。老人は、80を過ぎているだろうか。


 「ワオゥ、おじ様!!」キャシーは大きな声を出し、杖を持った老人の手に自分の両手を重ねた。

 「おお、キャシー。お出かけかね?」年のわりには、大きな、しっかりとした口調であった。

 多良は、その深い年輪を刻んだ顔に惹き付けられた。

 

 キャシーは、

 「いえ、こちらの方のお見送りです」そう多良を見て言った。

 白髪の老人は、

 「日本の方ですか?」と、多良の顔を見て聞いた。

 多良は、

 「はい」短く答えた。

 キャシーが、

 「こちらは多良さんです。ジテンから薬草を預かって、届けて下さったのです」と言うのを聞くと、老人は、嬉しそうに、

 「おお、ジテンから。それはそれは、ありがとうございました」と、頭を下げた。

 

 キャシーが、

 「多良さん、こちらは・・・」と、紹介しようとする前に、老人は、自ら、

 「江下えげです。江下寛一えげかんいちと申します」と名乗った。

 「私の父の友人です」キャシーは付け加えた。

 「お会いしてすぐに失礼ですが、私はこれから行くところがありますので、これで失礼させていただきます」多良は、江下えげに軽く頭を下げた。

 江下も、持っている杖の頭に両手を被せて、

 「ああ、これはお引止めしました。ではお気をつけて」と、頭を下げた。


 多良は、振り返って、神代こうじろに、

 「じゃあ、ここで」と手を上げた。

 神代も、

 「気をつけてな」と手を上げた。

 キャシーは、

 「シー・ユー多良さん」と、再び手を差し出し握手を求めた。

 ジョンも、オーストラリア訛りの英語で、

 「セ、ヤ、マイト(SEE YOU MATE)」と言いながら手を差し出した。

 ビクシンは、名残惜なごりおしそうに、

 「ナマステ、多良さん。また、食べに来てよ」と言った。


 多良は、ザックを背中で一回揺すって整え、まだ、ゴムの焼ける匂いの漂う道を早足で歩き始めた。「ザッ、ザッ」と、いつもより荒い砂利を踏む音が登山靴の下から聞こえてくる。


 行く先を見上げると、赤レンガの建物と建物の間から見える空には黒煙が漂っていた。

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