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GOD

 「GODゴッド!!」

 確かにあの時、「GOD」と名乗った。

 キャシーが、屋台を切り盛りしていたタイ人の幼い姉弟の肩を抱きながら、まだつたなかった日本語で男の名前を聞いた時、男は確かに、 「GODゴッド」と名乗った。

 日本人の父親を持ちながらも、家庭内の会話では日本語を使うことのなかったキャシーは、当時は片言の日本語しか使えなかった。

 自らを、GOD(神)と名乗った男を、その時のキャシーは、「なんと不遜ふそんな日本人なんだろう」と、強く思った。


 「郷戸ごうど!!」多良たらは、鼻と口をおおった右手の下で叫んだ。

 確かに、あの時、多良が修道館大学の学生だった時、学校に乗り込んできた暴力団の指揮を取っていた男だ。30数年を経ても、あの時の凄みのある姿に変わりはなかった。「男の名前は郷戸ごうどだ」と、日本拳法部主将の山口から聞いた。

 あの時、抗争が学生たちの勝利に終わり、最後に暴力団員達に引き上げの号令をかけ、夕陽の中で、ダンプカーの屋根に木刀を握って立っていた姿は、多良の脳裏に強く焼きついている。


 「ゴウド?」キャシーは小さく声に出し、多良の顔を見た。

 「GODゴッドではなく、あの時、彼は、ゴウドと名乗ったのか」キャシーは、30数年を経て、何故か胸のつかえが取れた気がした。




 その男が今、着古したグレーの上着の上から白いコートを羽織り、刀を右手に持って立っていた。

 警官達は振り返って男の顔を見るなり、て付いた表情を浮かべ、おどおどと裏口へ向かった。

 長髪の男は、警官達が裏口から出てゆくのを見届けると、「日本刀」を腰に挿したさやに収めた。そして、略奪品を抱え始めている男のひとりに、

 「タワーのところにトラックが停めてある」と、抑揚のない声で言った。言われた男は、パソコンを抱え、

 「ワカッタ」と片言の日本語で応え、他の男達に伝えた。

 多良たらは、

 「あんた、郷戸ごうどじゃないか?」とキャシーの手を離し、去ってゆこうとする男の背中に声をかけた。

 男は、一瞬足を止めたが、そのまま裏口から去っていった。


 すぐ近くで、「パーン、パーン」と催涙弾の発射される音が、キャシーを現実に戻した。

 「彼は・・・」

 多良たらはキャシーの言葉をさえぎって、

 「キャシーさん、その件は後だ」と言うと、再びキャシーの手をとって裏口へ向かい、外の様子をうかがった。


 催涙ガスの充満する狭い通りを、郷戸ごうどが白いコートをひるがえし、悠然と歩いて行くのが見えた。警官達も、郷戸の前を空けた。

 「強盗団のボスは日本人だという噂は聞いたことがある。しかし、そいつが、あの郷戸ごうどだとは・・・」


 キャシーも、バンコクで、危険から救ってくれた男とカトマンズでこんなかたちで会おうとは夢にも思っていなかった。

 「ゴッドと名乗ったと思っていた男が、強盗団のボスとは・・・彼の身には何が起こったのだろうか?」


 郷戸ごうど多良たら咲姫さき神田かみた、そして・・・山口。


 この時のキャシーは、彼らが、お互いに引き合うかのように、このネパールに集まってくることなど、夢にも思わなかった。


 「キャシーさん、足は大丈夫?」多良たらはキャシーの手を取り、足首を見ながら尋ねた。

 「少し痛みますが、大丈夫です。ホテルまではOKです」

 「そうですか。じゃあ、ゆっくり行きましょう」そう言うと、多良は左手でキャシーの手を握り、右手にキャシーのバッグをつかんで裏通りへ出た。


 キャシーは、建物のレンガ壁に手を沿わせながら、ゆっくりと歩いた。大通りからは、警官隊のブーツの固い靴音が踏み固められた通りを走る音と、警棒が何かを叩く乾いた音が聞こえている。

 数人の若い男達が大通りから多良のいる方に向かって逃げてきた。彼らは、多良達には目もくれず反対方向に向かって走っていった。


 大通りに出ると、警官隊とデモ隊の衝突はますます激しくなっていた。

 「このままで行くと警官隊は実弾を使うかも知れんのォ」と口の中でつぶやいた。

 「え?何か言いましたか?」キャシーは、立ち止まって多良の顔を覗き込んだ。

 「いや、何も」と、多良は応えながら、「暴動鎮圧には、催涙弾より実弾の方が安いから、場合によっては実弾を使うようにと指示が出ているんだ」と、ジテンが言っていたことを思い出した。

 「単なる噂だとは思うが・・・」多良は、キャシーをかばいながら、飛んでくるブロック片や石に注意しながら建物の壁沿いにホテルへ向かった。

 

 ホテルスオニガの前で、日本料理屋の主人のビクシンや、オーストラリアのテレビ局のクルー達が心配そうな顔をして立っていた。

 通りの角から、多良たらとキャシーの姿が見えると、全員がふたりに走り寄り、足を痛めているキャシーに手を貸し、多良の手からバッグを受け取った。

 「多良さん、心配したよ。どうしたのかと思って」ビクシンが多良の方に手をおいて言った。

 「いや、ごめん、ごめん。キャシーさんがちょっと足をくじいたみたいで」

 「さあ、中へ」ビクシンはそう言うと、ホテルの入り口の格子のシャッターを、人が通れるほど横に引いた。


 細い通路の左手にカウンターがあり、ネパール人のホテルスタッフも、ほっとした表情を浮かべてふたりを迎えてくれた。通路の先には長いすが置かれ、数人の白人観光客達がそれに腰掛け、小さな声で会話している。


 ロビーには照明が点けられ、外部とは別の世界のようだ。観光客の笑い声も聞こえる。


 「さ、ここへ」ビクシンは、座り心地のよさそうなソファーを奥から滑らせながら持ってきて、キャシーに手を貸しているオーストラリア人に言った。

 「サンキュー、ありがとうございます」キャシーはそう言うと、体を投げ出すようにそのソファーに腰掛けた。

 「ビクシン、ちょっと」多良は、そう言うと、多良たらの座った隣の席を、ポン、ポンとたたいて、座るようにうながした。

 「なんですか?」ビクシンは怪訝そうな顔をして隣に座った。


 多良は、やや、声をひそめて、

 「さっき、強盗団が、一階の雑貨屋から商品を盗み出しているのを見たんだが、そいつらのボスについてだが、何か知らないか?」

 ビクシンは、口元をゆがめて、

 「ああ、多良さん、見たんだね」と、訳ありげな言い方をした。

 多良は、

 「噂どおり、日本人だったよ」と、いっそう声を潜め、

 「そいつのことを何か知ってるかい?」と聞いた。


 「私は見たことないね。ただ、最近、よく噂は聞くね」と、ビクシンは辺りを見回しながら言った。

 「一体何者なんだ?あいつは?」ふたりは前かがみに体を低くして顔を付き合わせた。

 「警察も軍も、手出しできない男だよ」 ビクシンは、即座に答えた。

 「え?どいういことだ?」

 「それだけじゃないよ。マオイストさえ手を出さないんだ」ビクシンは、目だけを多良に向けて、ささやくような声で言った。


 多良たらは、

 「へー、よく分からんなー」と、息を吐き出しながら言った。

 「噂では、マオイストのビッグボス、プラチャンダもあの男を捜しているらしいよ」ビクシンは、体を倒したまま、目を左右に動かしながら言った。

 「捜す?」

 「そうだよ。自分たちの仲間に引き込みたいらしいんだよ」

 「どうして?」

 「たぶん、例の一件を利用しようとしているんだと思うよ」

 「例の一件?」

 「・・・」ビクシンは、人差し指を口の前に立てた。

 「ああ、あの王宮内の・・・」

 「シッ!!」ビクシンは、立てた指はそのまま、短く息を吐いた。

 「あの件とあの男とどういう関係が?」

 「あの男は、前の国王の親衛隊の先生だったんだよ」

 「先生?」

 「そう。カタナのね」と、口の前に立てた指を立てに振り下ろした。

 多良は、「武術教官だったということか。それで、警官達は手出ししなかったのか」と、警官達の引きつった顔を思い浮かべた。


 ビクシンは、

 「たぶんあの男は何か重大なことを知っているんだ」

 「重大なこと?」

 「そう。あの現場にいたとか・・・」

 「あいつは、金持ちの家や、アク、アク・・・」と、顔を上に向けて、目をつぶり言葉を思い出そうとしている。

 「アク?」多良たらには何のことだか分からなかったが、

 「悪い商売人の店からしか盗んだりしないんだ。それも、最低限だけね」とビクシンが言うと、

 「ああ、悪徳商人?」と、聞いた。

 ビクシンは、右の人差し指で多良の顔を指し、

 「そう、悪徳商人から盗むのさ。あの一階の雑貨屋のオーナーは、あちこちに店を持ってるけど、オーナーからお金を借りて返せなくなった親から子供達を連れてきてタダで使っているんだよ」そう言うと、

 「まあ、マオイストにも、ゴッドにも狙われて当然さ」と、言って、ソファーの背もたれに体を預けた。

 「ゴッド?」多良は驚いた。

 ビクシンは、

 「ああ、皆、あいつのことはゴッドって呼んでるよ」と、当たり前のように言った。

 



 キャシーは、足首に自分で調合した湿布薬を塗りこみ、サポーターをはめながら、「ゴウド、ゴウド」と頭の中で繰り返していた。最近、どこかで聞いた名前なのだ。


 「具合はどうですか?」多良がキャシーの足元で片膝をついて尋ねた。

 「ありがとうございます。大丈夫です。この薬はよく効きますから」と、言いながら、トレッキングパンツのすそを下ろした。

 「さっきの人、ゴウドというのですか?」

 多良たらは、キャシーの問いかけに、

 「え?うーん、・・・だと思います」と、少し驚き、

 「なにか?」と、聞き返した。

 キャシーから、

 「私、あの人に会ったことがあります」と、思いがけない返事が返ってきた。


 「へー、それはまた・・・」多良は目を見開いて、キャシーの隣に腰掛け、

 「どちらで?」と、尋ねた。

 キャシーは、優しい声で、

 「バンコクです」と言った。

 「バンコク?」

 「はい。もう、ずーっと昔のことです。30年以上前のことです」キャシーは、顔を上げ、遠くを見るような目で、目の前の少し陰になっている壁を見つめた。

 「よく分かりましたね。人違いでは?」と、聞きながら、「30年以上前?俺が修道館大学での抗争の時見た頃だな」と、多良は思った。

 「いえ、あの刀の使い方は、あの時と一緒です」

 「刀の使い方?」

 「はい。私が暴漢にからまれているところを、彼が助けてくれたのです」

 キャシーは、膝の上で両手を重ねながら、

 「その時、名前を尋ねたら、ゴッドだと言いました」と続けた。

 「ゴッド・・・」ビクシンもそう言った。

 キャシーは、多良の顔を見て、 

 「ゴウドなのですね」確認するかのように聞いた。

 「そう・・・だと思います」多良は、キャシーのいくぶん強い言葉に気圧けおされながら答えた。


 キャシーは、さらに、

 「どんな字を書くのですか?」と聞いてきた。

 多良は、キャシーに見えるように左の手のひらを広げて、右の人差し指で、ゆっくりと、

 「故郷こきょう(きょうにドアの戸です」と言いながら、書いた。


 キャシーには難しくてよく分からなかったが、

 「故郷こきょうきょうに、ドアの戸・・・」と、口の中で繰り返し、そして、

 「ふるさとのドア、ですね」と、再び、確認するかのように、多良の顔を見た。


 「そうです」と、多良は返事しながら、自らも、

 「ふるさとのドア、・・・か」とつぶやいた。

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