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怨霊

 神田かみたは、頭から熱いシャワーを浴びながら、足元の排水口へ流れ去る湯の流れを見つめていた。その先の暗い闇の中に体ごと吸い込まれるような錯覚にとらわれ背中が冷たくなるのを感じた。


 シャワーを浴び終えて、宮島観光推進協会の事務所へ行く途中、高見刑事から電話があった。


 「おはようございます。高見さん、早いですね」

 「ええ、木野花このはなさんたちは今頃は広島の平和資料館だと思いますよ・・・はい、祈念館きねんかん木野花このはなさんも見学したことがないって言っていましたから、そちらも見学して、午後から静岡に帰る予定みたいです」

 「はい?お昼前ですか?いますよ。ちょうど良かった。私も高見さんに報告しなきゃいけないことがあるんですよ・・・それは、・・・ちょっとややこしい話なので、こちらでゆっくりと・・・で、何か?・・・はい。じゃあ、お待ちしています」


 高見刑事の声は何だか沈んでいた。どうしたんだろう?


 11時を過ぎた頃、高見刑事が事務所に姿を現した。

 白髪頭に手をやりながら、

 「いや、いや、参りましたよ」そう言って、、ソファーのいつもの場所に腰掛けた。

 「なんですか?」神田は事務椅子に腰掛けたままクルッと向きを変えた。

 高見刑事は

 「いやぁ、警察庁から今回の件は手を出すなって、お達しですよ」と、頭を2、3度掻いた。

 「へー、いったいどうして?」

 「さあ。もっともこの一件は例の中国大使館が口を出してからは私たちの手からは離れているんですがね」高見刑事はそう言いながら上着のボタンを外した。

 「まあ、そうですが、警察庁から、再度言ってきたってことは何かありますね、これは」神田は回転椅子を、ギイ、ギイと左右に回しながら言った。

 「だから、神田さん。神田さんも、もうこの件からは手を引いてください。お願いしますね」高見刑事は背を起こし、神田の顔をのぞき込むように言った。


 神田はニコリと笑って、

 「分かっていますよ。私も別に犯人探しをしているわけじゃありませんからね」と、椅子を揺らしながら言った。そして、

 「ただ、三本目の鉄の棒の隠し場所が分かったんですけど、どうしましょう?」と、高見刑事の反応をうかがうように言った。

 高見刑事は、

 「え?分かった?」そう言って、目を見開いた。

 「どこですか、それは?」高見刑事は身を乗り出した。

 「熱田神宮あつたじんぐうに隠されている可能性が非常に高いんです」神田も体を前へ倒し、両肘りょうひじ両膝りょうひざの上に乗せて前かがみになった。


 高見刑事は、背広のポケットから手帳とボールペンを取り出し、

 「熱田神宮って、あの名古屋の?」と確認した。


 「ええ、どうやら、鉄の棒そのものの意味は、源頼朝の日本支配を確立するためだったようなんです」ここまで言って、

 「高見さん、もうメモの必要はないでしょう」と言うと、

 「いやいや、これは習慣でしてね」と、ボールペンの芯を、カチッ、と引っ込め、苦笑いを浮かべた。


 高見刑事は、

 「なんだかよく分かりませんが・・・」と怪訝けげんそうな表情を浮かべ、

 「で、どうして三本目の鉄の棒が熱田神宮にあると?」

 「頼朝は、日本を支配するためには、山、海、そして里、これらを支配下に治めることが必要になると考えたわけです」神田は咲姫さきの推理であることをことわってから説明を始めた。


 「なるほど」

 「で、富士山と宮島に鉄の棒を封印し、もう一か所、最も頼朝に関わりのあるのが熱田神宮なんです。なにしろ、頼朝の母親は熱田神宮の神官の娘ですから」

 「へー」

 「それに、日本三大宮司は富士山本宮浅間大社ふじさんほんぐうせんげんたいしゃの宮司と厳島神社の宮司、そして熱田神宮の宮司なんですよ」

 「へー」

 「そして、日本の支配者のあかしである三種の神器さんしゅのじんぎの・・・」ここまで言うと、高見は顔を上げ、

 「銅鏡どうきょう、・・・勾玉まがたま、・・・草薙のくさなぎのつるぎですね」とゆっくりと言った。

 「そう。良くご存知ですね」

 「これくらいはね」高見は右手のボールペンで白髪頭を掻いた。


 「鏡は海の支配、勾玉まがたまは山の支配、そして草薙くさなぎつるぎは里の支配を象徴するものだ、と言うのが木野花このはなさんの推理です」

 「そして、草薙の剣は現在、熱田神宮の祭神になっているんです」


 「うーん。なるほどねぇ」

 「さらに、この三つの神社の神使しんしは・・・」

 高見はその言葉を継いで、

 「たしか宮島の神使はからすでしたね」と言うと、神田は、

 「そうです。そして、富士山本宮浅間大社ふじさんほんぐうせんげんたいしゃの神使は猿、熱田神宮の神使はさぎ。これらは皆、水先案内人の役目を果たす動物なんですよ」と言いながら、改めて咲姫の推理に感心した。


 「こいつは驚いたな」高見刑事は腕組みをして目を閉じた。


 「高見さん、驚くのはまだ早いですよ」神田はにこりと笑った。

 「え?まだ何かあるんですか?」高見刑事は腕組みをほどいて神田を見た。

 「三本の鉄の棒の中には矢尻が封印されていたでしょ?」

 「ええ」

 「あれは、毛利元就の三本の矢の教えの元になった矢なんですよ」

 「まさか」高見は、信じられないと言う表情を浮かべ、小さな声でつぶやいた。


 「源頼朝の腹心に大江広元おおえのひろもとと言う人物がいて、この人がそもそもこの三本の矢を鉄の棒に封じ込めて宮島、富士山、熱田神宮にまつることを進言した張本人なんです」神田は回転椅子の背もたれに背中を預けた。

 「へー、それが三本の矢の教えと何か関わりが?」高見刑事は、さらに不思議そうな顔をした。

 「彼は毛利元就の祖先になる人物です。そのことが形を変え毛利家代々へ伝わったものだと思われます」

 「へー」高見刑事は語尾を長く伸ばし、

 「しかし、一体何のためにそんなことを?その矢っていうのに何か因縁いんねんでも?」と、尋ねた。

 「その矢は、弁慶の体を射た矢なんです」神田は、高見刑事の反応を楽しむかのようにニコリと笑いながら言った。

 「あの弁慶の立ち往生の・・・時の?」 

 「そうです。義経の首と、弁慶の命を奪った矢の2点セットを頼朝に見せる予定だったのですが、義経の首は腐敗が激しくて、頼朝が首実検をする前に処分されてしまって・・・」神田かみたはそう言いながら立ち上がり、

 「コーヒー?」と聞いた。高見刑事は軽く頭を下げ、

 「あーあ、それは聞いたことがありますよ」と応えた。


 「それで、まだ義経が生きているんじゃないかと不安におののきまつりごとに専念できない頼朝を見て心配した大江広元おおえのひろもとが、義経に常に付き添い、分身ともいえる弁慶の命を奪った矢を封じ込めることによって義経と弁慶の怨霊おんりょうを閉じ込めようとした、というのが、あの三本の鉄の棒に込められた秘密ではないかと・・・」サーバーのところで振り返って高見刑事を見た。


 「うーん・・・」高見刑事は目を閉じて両手を頭の後で組んだ。

 神田は、

 「で、その弁慶は義経のいわば水先案内人だった訳でしょ?」と念を押し、さらに続けた。

 「つまり、弁慶は、天孫降臨てんそんこうりんの時の猿田彦命さるたひこの みことと同じ役目を果たしているんですよ」こう言って、サーバーからポットを引き出してコーヒーをカップに注いだ。


 「ここ宮島には猿田彦命さるたひこのみことをおまつりしている神社が多くて、さらに、水先案内人の役目を担った神様を祀った神社も多いんです」こう言いながら、カップを高見刑事の前のテーブルに置いた。


 「今朝、弥山の本堂で気がついたんですが、像はないものの、弥山の本堂に祀られている毘沙門天びしゃもんてんこそは猿田彦命じゃないかってね」

 「毘沙門天が猿田彦と同一だってことですか?」と、高見刑事はいくぶん声を低め、確認するように言った。

 神田は自信を込めた声で、

 「そうです。もともと毘沙門天は北からの侵入者を防ぐという役割があるんですが、そこから北斗七星や北極星との関わりも深いんです」

 「ほう」

 「北斗七星や北極星を大事にしている人達の代表的な職業の人達は誰かというと・・・」

 「船乗りかな」高見刑事は神田の言葉をさえぎって言った。

 「そうです。大海原おおうなばらで唯一目標となるのは北斗七星や北極星なわけで、水先案内人にとっての神様は毘沙門天じゃないかと思いついたんです」


 「なるほどねぇ」

 神田は、コーヒーを一口飲み、

 「上杉謙信は自分を毘沙門天の生まれ変わりだと言っていたらしいけど、まさかそこまでは思わなかったでしょうね」と、言い、さらに、

 「イラクに派遣されている自衛隊の装甲車の車体に毘沙門天の、毘、の字が書いてあるのは北を守る北海道の部隊だとか、謙信のようにいくさの神様だからという理由でしょうけど、その毘沙門天が深いところで、アイヌ民族のような先住日本人の代表である猿田彦に繋がっている、というのは北海道の部隊の装甲車だけに面白いですね。」と続けた。


 「つまり、ここ宮島は、猿田彦だらけってことになるわけか」高見刑事は、ボールペンで白髪頭を、ポリポリと掻いた。

 「そういうことになりますね」

 神田かみたは、今こうして高見刑事に話しながら、先人の深い情念にある種の感動を覚えた。


 「ま、宮島っていえば鹿と猿だからね」と高見刑事は冗談めかして言って、思い出したように、

 「だけど、宮島の猿は小豆島しょうどしまから連れてきたって聞きましたけど?」と、付け加えた。

 「そうです。よくご存知ですね。明治の頃は野生の猿がいたらしいですけど、それは楊枝屋ようじやさんのペットだったようです。でも、もっと昔には野生の猿がいてもおかしくはないでしょうけど」神田は、以前、宮島町史を編集する時に調べたことを思い出した。


 「それに、日本には猿信仰というのがありましてね、猿は神様だとして信仰されて・・・」とここまで言って神田は、

 「そうかー」と、あることを思い出して、椅子の背もたれに体を預けた。

 「どうしました?」高見刑事はびっくりして神田の顔を見た。

 「猿が水先案内人っだってことは、魏志倭人伝ぎしわじんでんにも書いてあったことを思い出したんです」と、神田は目を見開き、声高に言った


 「魏志倭人伝に?」高見刑事は、また、難しい話になってきたなという表情を浮かべた。

 「ええ。中国に船で行く時に縁起をかついで、髪はボサボサ、体はあかだらけ、肉も食べない、そんな人間をひとりだけ連れて行ったようなんです」

 「へー、何のために?」

 「海が荒れないようにということで、その男をまつったようです。持衰じさいというんですがね」

 「へー。そりゃ、まるで猿だな」

 「でしょ!私も、その表現から猿を想像しましたよ」

 「猿は海の神様でもあったんじゃないかなぁ」と神田は腕組みをした。この考えを咲姫さきならどう思うだろうか、と、ふと思った。


 高見刑事は、

 「そうすると、確かに話がスムースにつながりますね」と、今までの話を頭の中で思い浮かべ、

 「宮島には猿が居て、猿田彦が居て、天狗が居て、烏が居て、それらは全てが水先案内人だということになる」と、自分自身に言い聞かせるようにつぶやいた。


 「それらは、弁慶に繋がってくる。つまり、宮島には弥生人以前の先住日本人の痕跡が色濃く残っているわけですよ」神田も、咲姫さきの考えが正しいことを改めて感じた。


 「うーん」と高見刑事は、うなり、

 「で、それと、例の鉄の棒はどういう関係が?」と、神田に尋ねた。

 



 「弁慶は、その先住民族の末裔まつえいだったんでしょう。その弁慶が無念のうちにこの世を去ったわけですから、頼朝が恐れていた弁慶の魂を封じ込めるには、弁慶の先祖がまつられている宮島が相応ふさわしい、と大江広元おおえのひろもとは考えたんでしょうね」神田は、咲姫さきが言った、出雲大社や宇佐神宮の四拍手(しはくしゅ、よはくしゅ)の件を思い出した。


 「木野花このはなさんの考えだと、お墓や、神社は、亡くなった人に、あなたは亡くなったんですよ、だからもうこの世に出ないでくださいね、とその魂を閉じ込めるという意味がある、ということです」そう言って、コーヒーカップに口をつけた。


 「なーるほど。それには同感しますね。確かに、たたりなんていうのは、だいたいのところ、お墓参りをしたり、神社にお参りすると、解決しますからね」高見刑事は意外に真面目な表情でそう応えた。


 「へー、高見さんから、祟り、なんていう言葉が出てくるとは思いませんでしたよ」

 神田がそう言うと、高見刑事はいくぶん照れながら、

 「いや、いや、私はこう見えても、結構信心深いんですよ。ははは」と笑った。 

 

 「ところで、その後、中国大使館の動きはどうなんですか?何か情報は?」神田は声を低めて聞いた。

 「いや、例の、ここにも来た、例の三人組は富士山頂から下りて、すぐに中国へ帰ったようですが、そこまでは警察庁から聞きましたが、その後の動きは何も聞いていません」高見刑事はそう言うとおいしそうにコーヒーを一口飲んだ。


 神田は、

 「と言うことは、連中、三本目の鉄の棒はあきらめたのか、それとも必要ないのか」と言うと、ふと思いついたように、

 「あるいは、三本目は、もう日本にはなく、そのことを知っているので、さっさと引き上げたのか」と、ひょっとすると、そうなのかもしれないな、という気がした。


 「しかし、木野花さんの推理では、三本目の鉄の棒は熱田神宮にあるんでしょ?・・・」と、高見刑事は言うと、

 「おーっと、だめですよ、神田さん。さっきも言ったばかりでしょ。この一件にはもう手を出さないで下さいよ」と、手帳を背広のうちポケットに納めながら、左手の人差し指を神田に向けた。


 神田は苦笑いしながら、

 「わかっています。ただ、この件には、なんだか、個人的にも関わりが出てきたようなので」と、天井を見上げた。

 「個人的な関わり?何ですか、それは?」眉を寄せて高見刑事は聞いた。


 「いや、まだはっきりとは分からないんですが、木野花このはなさんが言うには、この鉄の棒の一件と、私の学生時代の先輩が何らかの形で関わっているんじゃないかと言うんですよ」そう言いながら頭の後で両手を組んだ。

 「まさか、そんなことは・・・」ないでしょう、という言葉を、高見刑事は、飲み込んだ。

 「とは思うんですがね。なにしろ、彼女の言うことは・・・」と神田が言い終わらないうちに、高見刑事は、

 「結構当たってますからね」そう言うと、真剣な顔になった。


 そして、2005年も終わりかけた頃、咲姫から驚くべき報せがもたらされた


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