中間管理職英雄譚~ハンコもらうまで帰れません?!~
書かなければならないお話までの繫ぎに押入れに入っていたネタを投入します
「……………………あんた、何やって下さってんですか」
地獄の底から聞こえてくるような声音に、その場に居た者は芯から凍えるようだったと後に語っている。
影の化身の様に真っ黒な文官服を纏った男が、己の半分ほども無い身丈の翁に向かって放った第一声である。
英雄とも神とも崇められるその翁をその男は塵屑を見るような目で見下し、尚且つ法術師の杖を向けている。当然その場にいた衛士や騎士はいきり立ち翁を護らんとしたが、男から発せられる闘気とも冷気とも付かぬ何かに身も心も凍てつかされる結果とあいなった。
そんな彼等が二人の対峙を息を呑むことも忘れ見守る中、翁が男に応える。
「ほ、ほほ、もう追いつかれたか。
さすがにやるのう」
手で玩んでいた竜骨の煙管で禿頭を掻く。
その穏やかでない空気を割る様な暢気な言葉に、男の眉間がぎゅううと寄るのが見えた。
山羊の様な鬚を撫で摩り男のその様を見る翁の目は、垂れ下がった白い眉で見えず、翁が何を思うのかは知れない。が、微かに口の端が上がるのを数人が確認している。
男も翁の様子に軽く身を引き翁を探っていた。
「何を考えているかは知りませんが、いい加減帰ってもらいますよ。
私が暇ではないことぐらいよおおおおくご存じでしょう?」
何かに身構え言い放つ男は詠唱も無く次々と術式を展開してゆく。
複雑に絡まり合うそれはとても対人間の物ではなく、魔獣、それも災害級に値するものだ。
それに気が付いた者は阿鼻叫喚の体で離れ、それにつられて取り囲んでいた環がグッと大きくなった。
対象である翁と言えば呆れたように煙管を振り、透明で虹色に反射する結界を3重に張っている。目を瞠るような速さとその強靭さにごくりと誰かの喉が鳴った。
「君ねえ、竜王を瞬殺するような式をこうも簡単に展開するなんて非常識だよ?
こんなか弱い年寄相手になんてことするんだい」
心底呆れたような口調には緊張はみられない。
男はこれも場違いな程に大きな溜息を落し、式を展開したまま応えた。
「人がましいことを。
あんたの御蔭でどれだけの人間が寝る間も惜しんで駈けずり廻ってると思っているんです?
私だって普段から忙しいって言うのにこんな所まで追い掛けさせられて……。
9時5時どころか一日半経っても帰宅できないなんて、どんなブラックだ。特別ボーナスなんて割に合わない」
今にも零れ落ちてきそうな巨大な魔力が男の目前の式から漏れ出している。滴り落ちるそれに大理石の床が一瞬に分解されている。
ヤバい奴だアレはヤバいと環が更に大きくなり後退していく。
「恐いよ君。
なんで君がお城勤めとはいえただの文官なんだい?しかも、演算部門の」
そろりそろりと結界ごと後退している翁は、世間話のような口調で男に問う。
翁の言葉が耳に入った者は揃って顎が落ちる。
演算とは各部門のあらゆる会計計算をする部門で、全ての部門の『物・金・人』はこの部門を通らなければならない。重要ではあるが竜を瞬殺できるような人物が必要とされる部門ではないことは確かだった。
「数字が好きだからです。決まっているでしょう」
何を当然のことをと言わんばかりに呆れ顔だが、周囲は納得できない。
文官の服を着てはいるがとてつもない魔力を持つこの青年が、まさか王城で一番忙しくその割に合わない周囲の認識度で不人気No.1の部門とはと目を剥く者。騎士である自らを振り返り男のとんでもない力に泣き笑い崩れる者。悲悲交々の様相が環を蠢かせる。
翁はやれやれと己がした事を遠いお空に投げ打って、重たげな腰を上げた。
「学生時代からブレないねえ君も」
結界法とは文様が変わった式が展開される。
煙管をクルリクルリと回し、対峙する青年を誘うように翁はゆっくりと動く。
それを見る青年も眉を上げつつ警戒レベルを上げ身構える。
「ほいなっと」
気の抜ける掛け声とともに翁を中心に展開されていた結界の式が膨れ上がり青年を押し潰そうと迫って来る。
「え、えげつな」
逃げながらも誰かが青年の声を代弁するが、青年の視線は自分の掌の中で高速展開される式に落されていた。誰かの悲鳴が式と式がぶつかる音にかき消され、静寂が世界に舞い降りた。
「これではクリーニングではなく弁償になりますね」
顎を外した傍観者の視線の先には若干ボロボロになった文官服の青年が立っていた。
その身体のどこにも傷1つなく、うんざりとした様子で翁を見下しているのだ。
どう考えても無事では済まない最高位の法師である翁の結界に潰されたはずの青年は、その衝撃に耐えられなかった衣服以外に被害は無いのだ。傍観者の中でも騎士たちの蒼白な顔には人を見ている色は無かった。
それは、翁然り、青年然りだ。
「あんたにはこの世界に吸い込まれてぼろきれの様に倒れていたところを拾ってもらった恩がありますね」
淡々と話す青年に、翁は肯定するようにうむうむと頷いている。
「そこからどこの馬の骨とも知れない不審者の私の身元保証人となり生活の面倒はおろか教育まで見て頂きました」
やや機嫌良く頷きが力強くなる翁。青年は虫けらを見るように言葉を紡いでいく。
「衣食住の他にも学校に入れてくださり王城に就職する際にも尽力頂けました」
そうじゃそうじゃと好好爺の相好で煙管を一吸いすると、ほれほれもっとと催促するように青年を見上げてくる翁に、青年の視線は北海の海の様に凍えていた。
「それらを一纏めにしても足りないくらいの迷惑を私は被って来ましたよね?」
声音は優しいのに視線は射殺さんばかりの青年に再び狭まっていた傍観者の環がグッと拡がる。
「そう…じゃったかの?」
しらあっと返す翁に、青年はにっこりと頷く。
「引き取られて私に魔力があると察した貴方は王城からの(帰って来いやわれえ!の)使者に対する贄として差し出し、王城の魔法師たちの実験動物としての日々が三年。
王城の一部を破壊して逃げおおせた私を、国に多大な報酬を請求し捕獲した後自分の研究室で気が狂いそうになる程の詰め込み式の『教育』を施しましたね。
そして、10年前に起った封印の魔王復活による討伐に単独で向かわされました…あれは辛かった。回復魔法の式が神級になる程の試練でした」
指を折りながら連ねられる事柄の大きさに、同情するよりも恐怖に失禁する者まで現れる事態にも、翁はどこ吹く風で大変じゃったのうなどと嘯くものだから、青年の怒りは煮え滾る段階を遙かに超えてしまった。
「そういう態度はいけませんよ?
陛下を始め王城の皆様は貴方の身を案じて私を派遣したのですから。
ああ、そうそう。老いて後進に道を譲ると書置きがあったそうですね」
優しく問い掛けるように青年が翁を見た時、翁の右眉がグイッと上がる。
その下には老齢による濁りは無く、ギラギラと精力的に輝いている瞳があった。
「そういう訳で忙しい私が、最高魔法師を兼任するようにと拝命されました」
そう言いながら青年の掌で目まぐるしく式が展開されていく。式が重なり合い強い輝きを放ち、冷めた顔を人離れした何かに浮かび上がらせていた。
「は、話せば解るんじゃない?
争いは何も生まんよ?うむ」
そろりそろりと後退る翁に、青年がにいっと笑う。
「今更遅いですよ?
建国の日の公式行事に今頃は寝る間も無い筈の最高魔法師がとんずらするなんて、招待する近隣各国に申し訳できませんよね?
散々引っ掻き回した国政に後始末もせずに逃げられると思ってるんですか?」
むうっと翁が口を歪めるが青年は容赦がない。
逃げを打とうとする翁の矮躯は見えない何かに拘束され、抵抗する翁に青年は一枚の王国の公式紙を広げた。
「さあ、ここですよ。
簡単でしょ?ここにポンとハンコを押すだけです。幾らボケててもそれくらいできますよね」
本格的に逃げられないことを覚り、拾い子だった青年の濃厚な魔力にも中てられ、翁は力なく紙に書かれた文章を読み下す。
是 国王シュラン・ギルス=ハロイ・アナダラント四世の名に於いて
7代最高魔法師フォルカス・アル=ナダスの任を解き 8代最高魔法師に任ずるアタル・タイナカを代理 としてアル=ナダスの捕縛せんことを認む
その際の生殺与奪はタイナカ最高魔法師に委ねることとする。
アル=ナダスはタイナカによる捕縛に抵抗する事は認められない
アル=ナダスは捕縛後抵抗及び逃亡することは認められない
アル=ナダスは放棄した職務に対する弁済義務を要する
アル=ナダスは今後30年王城の法力石に魔力を収めること
アル=ナダスの資産は凍結され管理者はアタル・タイナカとす
以上速やかに行われること国王シュラン・ギルス=ハロイ・アナダラントが命ずる
「い、否じゃあ!嫌じゃあ!厭じゃあああああああああああああ」
何時の間にかぶらんと吊上げられた翁・アル=ナダスがその身を蓑虫のように揺するが拘束はびくともしない。
その内翁の手が勝手に動き青年・タイナカが渡した朱肉が艶々しいハンコが握らされる。
英雄クラスのアル=ナダスの魔力を凌駕するタイナカの強制で、ハンコは国王が出した勅許に鮮やかな色を乗せた。
その瞬間翁の拘束が解け、老齢の見た目では有り得ない動きで紙を奪おうとするがそれは成らなかった。
アル=ナダスを上回る動きでタイナカが国王の勅許を頭上に翳し、魔力を通したのだ。
「お?おおおお?おおう!嫌じゃあ!」
魔力が満たされた勅許が光り、文字が浮かび上がると金色の茨となりアル=ナダスの右手首から這い上がり弛んだ首に巻き付いた。アル=ナダスの魔力を使った封印呪で、これはタイナカが解呪しなければアル=ナダスは抵抗した時に己の魔力に殺されることになる恐ろしい呪だった。
「私は安定し好きな仕事があれば良いのです。
地味に息長く平和にが私のモットーですから。
ちゃんと人生設計しても貴方にひっくり返され続けたものだから、やり方を変えることにしたのですよ」
にっこりと抵抗できないアル=ナダスに話し掛けるタイナカに、アル=ナダスはううむうむと唸るだけだ。何時の間にか己を超えていたタイナカにしてやられるとはと思っているのだろう。
「ああ、それにしても公文書にサインでは無く個人認識と拘束力のあるハンコを使用できるよう具申し実現して本当に良かった。
サインだと偽装されたでしょうからね。
つまらない地位など要らないのですが、仕事は今迄とそれ程変わらないので良しとしましょうか。
まあ、中間管理職はお上には逆らえませんからね」
王国の爛熟期に現れた一人の少年が、当時の王国最高魔法師に見出され魔王を倒す英雄となり後に王国の歴史上最高最強の魔法師として名を遺した。
これはその英雄魔法師アタル・タイナカの真実の姿と言われるエピソードである。かも知れないお話。
読んで頂いて感謝感激です